進むもの
出発前、いつもより早めの朝食を終えたティオを村長は呼んだ。通された部屋には椅子に座っているポリスと孫娘のユイラが寄り添うように立っていた。
「おはようございます、村長」
「あぁ、出発前にすまんのう、ティオ。言っておくべき事と、渡しておくものがあってな」
「はい」
「いいか、くれぐれも竜を連れていると他の者に知られてはならない。今は絶滅したと言われている竜が生きていると知れば、狙ってくる奴は数多いるじゃろう。情報が伝わる手段が誰かがこの村へ訪れるか、村の者が外へと出る事以外、方法はない。ここの者達には、竜の事は口外する事は伏せてさせておる。その意味が分かるな……?」
勘繰るようにポリスはティオの顔を伺ってくる。ティオは唾を飲み込んで深く頷いた。
「なら、良い。それと、竜は竜でも『大地の竜』はこの国に四頭しか居ないため、珍しがる人間も居る。そこでだ……これを子竜の身体に塗っておくといい」
ポリスは薄汚れた小袋をティオの手に握らせる。
「中に苔と灰を混ぜたものが入っている。これに水を含めて竜に塗ってやるといいだろう。そうすれば、大地の竜とは気付かれず、色合いの見た目だけなら大きな蜥蜴にも見えるかもしれん」
にやり、とポリスは口の端を少しだけ上げて笑う。
「あ、ありがとうございます……」
「あとは、その姿を隠すためにな、一応こんなものを作ったんじゃが……ユイラ」
「はい、おじいさま」
シオンより少し年下で落ち着いた女性であるユイラが、ティオの前へと近づいてきて布のようなものを渡す。深い藍色の布で作られたそれは新しい物だとすぐに分かった。
「子竜用のマントよ。フードも付いているの。これを子竜に着せてあげるといいわ」
「えっ……もしかして、昨日からの今日で作ってくれたんですか?」
「えぇ。お役に立つといいのだけれど」
にこり、と優しく微笑むその姿にティオは思わず照れてしまう。さすがは、村一番で人気の女性だ。
「ティオよ。最後にこれを渡しておこう」
今度は先ほどの布よりもっと古くて、しかもどっしりとしている袋だった。
「わっ……え、これって……」
手の上に載せられたその重さにティオは驚き、ポリスの方へと目を丸くして顔を向ける。
「この村には残念ながら、馬がいないからな。本当なら、馬が一頭借りられる程の金があれば良かったのじゃが……。精々、聖都までの宿代くらいじゃろう。工面して使いなさい」
その袋の中身の重さにティオは驚きつつも、唇を噛み締めた。
このお金はきっとポリス自身がこつこつと貯めてきたものなのだろう。それを一瞬で渡すということは、そのお金以上にこの旅は本当に深く意味があることなのだ。
「……必ず、戻ってきます」
「うむ……。頼むぞ、ティオ」
家を出る前にティオはポリスをもう一度見て、深く頭を下げた。扉を閉めるその瞬間まで、ポリスはただじっと何かに耐えるようにティオを見ていた。
「……頑張らなきゃ」
受け取った物をしっかりと両腕に抱えながら、自分の家へと早足で向かう。
夜が明け始めたことで、村人達は次々に起きてくるだろう。自分はその前にこの村を旅立とうと思っていた。
「……ただいま」
「あぁ、おかえり。最後の挨拶でも行ってきたか?」
テーブルの上では珍しく書き物をしていたシオンが顔を上げた。
「うん。あと、これを貰ったんだ」
両手に抱えられた物をテーブルの上へと置いて、シオンに村長の家であった事を話した。
「そうか……。そうだ、私も渡したいものがあったんだ」
「え?」
シオンは椅子から立ち、ベッドの下に置いてある木箱から小ぶりで古びた剣と掌に収まるくらい小さな袋を取り出す。
「この剣はお前の父さんが若い時に使っていた物だ。そしてこっちの小袋はお前の母さんが持っていたものでな、代々この家に受け継がれていたものらしい」
「父さんと母さんが……」
微かな記憶に蘇るのは二人が笑っている姿だけで、他は何も思い出せない。それでも、自分を愛していてくれていたことは分かっている。
受け取った剣をベルトに差して、小袋を首へと下げる。
「そして、これは私からだ」
今書いていたものを封筒に入れて封を捺したものを二通渡してくる。
「一つ目の手紙には竜の事は伏せているが、お前を保護して聖都まで送ってほしいとの旨を書いている。これを隣の隣にある町の駐屯騎士団の団長に渡すんだ。団長の名前はグレイハム・ベルート。私の名前を出せば、一発でそいつに話しが通るはずだ。もう一通は聖都の教皇宛だ。こっちも私の名が出すだけでいいが、念のために一応書いた。これも渡してくれ」
「う、うん」
突然、騎士団長と教皇という、想像の中では一番偉く、そして果てしなく遠い存在の人物の名にティオは驚いてしまう。
そんな二人と知り合いだったとは、長年暮らしているにも関わらず、全く知らなかった。
「村長にも竜の事は伏せた上で騎士団に協力してもらう事は話している。……少しでも安全な道の方がいいだろう?」
「っ……、ありがとう、おばさん」
自分が心の奥で不安がっている事はお見通しだったのだろう。その配慮がティオにはとても嬉しかった。
「おばさんって言うなと言っているだろ? ……ほら、準備しないと村人達が起きるぞ」
「うん」
叶わないと思いつつ、シオンの何気ない優しさがどんなものよりも一番心に沁みた。だからこそ、泣かないまま、ここを旅立ちたかった。
ルシェに村長に言われた通りの物を塗ると、白い身体は薄黒い緑へと変わり、マントとフードを掛けてやれば、それが竜だと分からない生き物へと変わった。
ルシェを頭の上へと乗せると、上手く安定したように頭の上で腰を下ろした。
「忘れ物はないか?」
「うん。大丈夫」
「……ティオ、最後にお前に教えておこう」
「うん?」
「この旅に、竜を狙って襲ってくる奴が居るかもしれない。だが、戦えとは言わない。いいか、逃げるんだ」
「え?」
「とにかく逃げろ。それが、お前が竜を守るための守り方だ。そして、お前自身を守るために」
真剣にシオンはそう告げる。
「絶対に、この家に帰って来い。生きて、帰ってくるんだ」
ふと、家の中が目に入ってくる。一人では大きすぎるその家は、がらんとしていて寂しそうに見えた。 今日から、シオンは一人でこの家で過ごしていくのだ。
「なるべく早めに帰ってこないと寂しすぎて、途中まで迎えに行くかもしれないぞ?」
冗談交じりにシオンは少し表情を和らげる。
「……おばさんも、寂しいと思うの?」
「そりゃそうだ。どれ程の時間をこの家でお前と過ごしたと思っている」
ふっと、見せた表情は微かに記憶に残る母親の笑顔にそっくりだった。
「お前は唯一の家族で、大事な存在だ。そんな奴が突然遠くに行くんだ。……寂しいさ」
平気そうな顔で、ゆっくりとそう話せるシオンはやはり、自分よりもずっと大人なのだと実感する。
「本当は付いて行きたいが……私には私がやらなければならない仕事があるんだ」
「……農作業?」
「違う。もっと別の、大事な仕事だ」
「それはおばさんにしか、出来ない仕事なの?」
「そうだ。私はその役目を全うしなければならない。……だから、ティオも頑張ってきてくれ。この場所で帰りを待っているから。絶対に守って、待っているから」
強いその意志で彼女は自分に課せられた仕事をやり遂げようとしているのだ。それならば、自分も「寂しい」と思うその気持ちを我慢して、役目を果たさなければならない。
「うん。帰ってくるよ。ここは……僕の家だから」
薄っすら浮かんでいた涙をぐっと耐えて、ティオは笑顔で大きな声でその言葉を言った。
「行って来ます!!」
シオンに背を向けて、ティオは歩き出す。その道のりは遠いものだと分かっていながら、進まなければならない過酷な道だ。
それでも、必ず戻ってくる事を誓ってティオは歩き出した。