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終わらないもの


 翌日の早朝、ティオはルシェを連れて、山奥の洞窟へと向かった。昨日は夜遅くまで楽しく過ごしていたので、リラとエルバはまだ寝ているはずだ。

 二人には昨夜のうちにルシェとの別れを済ませてもらっていた。リラは号泣しながら、ルシェを抱きしめつつ、何度も頬ずりしていた。余程、別れがたかったらしい。エルバは頭を撫でつつ、ルシェに元気でな、と言葉をかけていた。


 山へ登る前に騎士団のカルロットには一言声をかけ、ポリスにも竜を見送ってくると告げた。あとは誰にも声をかけずに一人、ルシェを抱きながら山へと向かって歩く。

「ティオ」

 山の入口へ入ろうとしていたティオは後ろから歩いてきていたシオンに呼び止められる。

「……おばさん」

「一緒に行くよ」

「うん」

 二人は並んで山道を歩き始めた。

 朝の澄んだ匂い。鳥が囀る声。揺らめく木々の擦り合う音。全てが懐かしく思えた。

「なんだか、こうやって隣に居るのも、ずっと昔のことだったみたいだな」

「そうだね……」

「お前は少し見ない間に、成長したな」

「そうかな? ずっと、泣いてばかりだったよ。あの二人にも頼ってばかりだった」

「頼るって事は信頼してるってことだ。……良かったよ。お前に友達が、仲間が出来て」

 穏やかにシオンはそう告げる。

「うん……」

 以前、歩いた道だからだろうか、それともティオの足腰が前よりも鍛えられているからなのか、歩く事がそれ程、苦には感じなかった。

 洞窟へ向かう道中、ティオはシオンに旅の中でどのような事があったのかを話した。リラとエルバと出会い、野宿したり、一緒に食事したり、山道を協力して歩いて、やっと聖都に着いた時の事を。

 二人を見捨てて、ルシェを連れて逃げた事。その時、その時に感じた全てをティオはシオンに聞かせた。シオンはその話の一つ一つを穏やかな表情で聞いていた。



 ティオの頭の上がお気に入りなルシェは、初めて見る山の中を興味深そうにきょろきょろしながら見ている。

 本当ならば、もう少しゆっくりと歩いて行きたかった。

 もっと、もっと、教えたい事があった。だが、それももう、終わりなのだ。

 

 大きな木が見えてきて、ティオははっとする。あの木がある場所まで登れば、洞窟が見えるだろう。

「ティオ……」

 シオンがそっと肩に手を置いてくる。

「……大丈夫だよ。最後まで、見届けなくちゃ」

 再びティオは歩き出した。その最後の瞬間が来るのは、最初から分かっていた。分かっていたのに、これほど辛いものだと思わなかった。涙で滲みそうになる瞳を必死に拭って、前に進む。

 これが、この役目の最後だ。

 大きな木の根元まで登りきり、ごろごろと転がる岩をよじ登る。その一つ一つの過程が、別れを導いていく。

「ピィ?」

「うん。もうすぐだよ。君の家が、すぐそこにあるんだ」

 そして、遂に洞窟に着いてしまう。この時間に終わりがきたのだ。

 ティオは洞窟の入口にルシェをゆっくりと降ろした。

「ここだよ。……君の家族も、ずっとここで暮らしてたんだって」

「ピィ?」

「君は大地の竜になったんだ」

 諭すようにティオはルシェに静かに告げる。

「僕に君を守るという役目があるように、大地の竜もこの地を守る役目があるんだって。君ももう立派な竜だ。だから……」

 ティオは言葉を続ける事が出来なくなる。


 まるで、役目を押し付けているようではないか。

 こうやって、またルシェの自由と幸せを奪っていくのだ。

 結局、今まで守られてきた大地の竜も、大地を潤すために人間に良いように利用されていたのだ。

 それを分かってしまったから、だから、もう知らないふりをしておく事なんて、出来なかった。


「だから…………。もう、僕達の旅は終わったんだよ」

「ピィ……」

 ルシェも洗礼を受けた時に、大地の竜としての生き方を学んだのだろうか。しゅん、と項垂れているその姿が胸の奥を引き裂く。

 それでも、自分は去らねばならない。

「……これで、お別れなんだ。――――さようならっ」

 ティオはルシェに背を向けて走り出す。

「ティオ!」

 シオンは止める事も出来ず、その姿を後ろから見ていることしか出来なかった。


 ただ、走った。振り返らずに、走る事しか出来なかった。この時、自分の役目の本当の重さを知った。

 こんなにも悲しくて、苦しい。ルシェは理解しているのだろうか。感じているのだろうか。


「ピィ――っ!!!」

 その時、ルシェの声が響く。ティオは立ち止まって、走ってきた方向を見た。


 ……あぁ……そうなんだ。


 ティオは静かに悟った。自分を追って、ルシェは羽を広げながら拙く飛んでいるのだ。その姿を見て、全てを感じ取ってしまった。

 ルシェもまた、「寂しい」と「悲しい」と感じているのだ。

「ルシェ!!」

 ティオは駄目だと思いながらも、両手を広げる。求めてくるように、ルシェはティオの胸へと縋るように舞いおりた。

「ピィ!! ピィーッ!! ピィ!!」

 何かを伝えるように必死にルシェは鳴いている。それを宥めようと、ティオはルシェの体を抱きしめて、優しく撫でた。

「僕だって、寂しいんだよっ! でも……仕方ないんだっ……」

 ティオはルシェを抱えながら、その場にうずくまる。涙が溢れては、こぼれていく。

「君には君の人生がある。だから、これ以上人間と関わってちゃ、駄目なんだ! 人間は……君を、君たちを利用するだけで、不幸にしちゃうんだ……!」

 出来るならば、自分の手で幸せにしてあげたかった。自由に空を飛んで欲しかった。


「――ピィ」

 穏やかに鳴く声にティオははっとする。腕の中のルシェが笑っているように見えたからだ。

「幸せ……だったの?」

 ティオの問いかけにルシェは頷く。

「僕は、君に何かしてあげられたの?」

「ピィ!」

 

 その返事だけで十分だった。

 もう、これ以上がいらないくらいに。


「ありがとう……っ。ありがとう、ルシェ……。僕も、君と一緒に居られて……幸せだったんだ」

 生まれてきた時の感動を、一緒に過ごした思い出を、腕の中のこの温もりを忘れはしないだろう。

「大好きだよ、ルシェ。ずっとずっと、大好きだ!!」

 抱きしめながらティオは叫んだ。

 ルシェも「同じだよ」というようにティオの額に口付けてくる。あの時の竜のように。



「……さぁ、もう戻らなきゃ」

「ピィ……」

「大丈夫、君は強いから……。でも、独りじゃないって覚えていて」

 ティオはゆっくりとルシェを胸から離し、空へと掲げる。

「どうか、元気で……」

 ルシェは羽をそっと羽ばたかせ始める。そして、その体は宙へと浮いていく。

「……また、いつか会おうね」

 その日が来るかは分からない。でも、そう言いたかった。また会えるのだと信じたかった。

「ピィ……」

 ルシェは別れを惜しむように、ティオの方を二、三度振り返る。

「ほら、行って……」

 そして、そのまま洞窟の方へとルシェは飛んで行く。その姿をティオは胸に焼き付けるようにずっと見ていた。


 絶対に忘れない。ずっと覚えている。

 どんなに時が過ぎても、人が竜を忘れても。

 自分は、絶対に忘れない。ルシェを、竜達の歩んだ道をずっとずっと覚えている。

 ずっと、ずっと、覚え続ける。


「ティオ!」

 追いついてきたシオンがティオの元へ駆け寄る。

「ルシェは!? お前を追って、飛んで行ったんだが……」

「今、見送ったよ」

 その表情は泣き疲れたように、目が腫れていたが晴れ晴れとしていた。

「……ルシェ、幸せだったって。僕と一緒に居る事が出来て、幸せだって」

「……そうか」

「帰ろう、おばさん。僕の……僕達の役目はこれで、終わったんだ」

 何かを悟ったようにそう告げるティオをシオンは黙って、頭を撫でてくる。

「そうだな……終わったんだな」

 ティオは振り返らずに、歩き始める。

「あのね、おばさん。……僕、やりたい事が出来たんだ」

「――そうか。……行って来い。私はずっとあの家で待ってるから」

「……うん」

 静かに秘めた新たな決意を胸に、ただ強い足取りで、ティオは進み始めた。



 村に戻ったティオはポリスに一言挨拶をしてから、準備を整え、そして、家を出た。



「本当にここでいいのか」

 家の前でシオンが肩を竦めながら訊ねてくる。

「うん。村の入口まで付いて来ちゃったら、リラとエルバに笑われちゃうよ」

 旅支度を整えたティオは忘れものがないか確認しつつ、答える。

「次は、いつ帰って来るか分からない。でも、自分が納得するまで、歩いて、考えて、見つけたいんだ」

「うん」

「……僕がまた行っちゃうのは、寂しい?」

 ティオが、シオンを真っ直ぐ見つめながら聞く。

「当たり前だ。何せ、私の唯一の家族だからな」

 自分が聖都へと旅に出た時と同じ答えだ。

「でも……。お前のその夢が、実現するのを私は待ち遠しく思うよ」

「っ……!」

 ティオはシオンの胸に飛び込むように抱きしめる。

「おばさん、ありがとう。僕、頑張るよ。ルシェのためにも、竜のためにも、もう一度頑張ってくる」

 シオンはティオの体を優しく包み込む。

「あぁ、行って来い。待ってるよ」

 ティオはシオンから離れ、笑顔でこう言った。

「行ってきます!!」

 そのまま、振り切るように走っていく姿をシオンは愛おしいものを見るように見ていた。

「――全く、いつのまに、あんなに大きくなったんだか」

 ティオが見えなくなるまで、シオンは家の玄関で、ずっとティオの後ろ姿を見続けていた。



「もう、二人とも行っちゃったかな……?」

 ティオは必死に村の出口へと向かって走る。

「あっ、来た来た」

「おーい、ティオ!」

 リラとエルバが自分の姿を見つけて手を振ってくる。

「ご、ごめんっ、遅くなった?」

「そうよ。カルロットさん、さっき行っちゃったわよ。ティオに宜しくって。あと、聖都に来る事があれば、寄るといいって言ってたわ」

「無愛想だけど、面倒見の良さそうな良い人だよなー」

 二人は座っていた石の上から立ち上がり、ティオと並んで歩き出す。

「そういや、お前、どこ行きたいか決めているのか?」

「え? 私? んー……どこがいいかなー。ねぇ、ティオは希望ある?」

「あ、あのねっ……。僕、竜についてもっと知りたいんだ」

「竜について?」

「うん。今は大地の竜がこの土地を守ってくれているから、恩恵によって自然が豊かでしょう? それが、どうしてそうなっているのか調べたいんだ」

 

 かつて、竜は王子達を守るために大地を守った。その王子達はもう今は居らず、竜が「大地の竜」として縛り付けられる必要の理由が知りたかった。


 真っ直ぐと空を見つめる。夕暮れ色へと沈み始める空はいつか見た景色と似ていた。

「そして、大地の竜が居なくても豊かな土地が続くように、竜達が自由に空を飛べる日が来るように……。僕は、そうしたいんだ」

 空が竜で溢れる世界をティオは想像する。そして、その中にルシェの姿を思い浮かべる。

「……仕方ねぇなぁ、協力してやるよっ」

 エルバがティオの肩に腕を回してくる。

「そうね。一人より、三人の方が答えを見つけやすいかもしれないわ」

 リラはティオの頭にぽんっと手を置く。

「次にルシェに会えるのは、その答えを見つけ時だ」

 三人は再び、歩き出し始める。

 

 その時、風の音と一緒に自分の横を何かが吹きぬけた。

「――――――――ッ!!」

 ティオはバッと後ろを振り返る。遠くから、自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたのだ。

「どうしたの、ティオ」

「あっ……。ううん、何でもないんだ」

 付いて行くようにティオは歩きながら、そっと山の方へと振り返り呟いた。

「……行ってくるよ、ルシェ」

 

 空を見上げれば、月が昇り始めているところだった。この月が見守ってくれている。自分もルシェも見守ってくれている。

 寂しくて泣きそうにもなるけれど、大丈夫だ。独りじゃないのだから。


 きっと、また出会う日のために、今は進もう。

 再び一緒に旅が出来るその日まで。君と喜びという感情を分かち合えるその日まで。



                    

                   はずれ者と大地の竜  完


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