8.誘拐事件
翌朝、ジャン・ルイは家のコンピュータを駆使してギャスパル商会について調べていた。
社長のギャスパル氏はスペイン、イタリア、そしてトルコやエジプトなど地中海のあらゆる国々と貿易を行っていた。取り扱う品目も様々で、小麦や砂糖の食料品から、衣料品、雑貨、そして拳銃などの武器も扱っていた。
ガニェール代議士の金庫から盗んだ文書には、輸入禁止の品目を扱っていることも書いてあった。
この商会は彼が一代で築き上げている。港に3つの倉庫を持ち、5隻の貨物船を有していた。サンセールの高級住宅街に豪邸を持ち、何人もの召使いを雇って暮らしている。
しかし、ギャスパル氏とガニェール代議士との結びつきを示すものはなかった。
いいさ、いずれ化けの皮をはがしてやる。
ジャン・ルイがコーヒーを淹れようと立ち上がると、サイアが起きてきた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「しっかり寝たわ。あのね、昨日のことは忘れてちょうだいね」
「え、無理だよ。きれいな裸がしっかり目に焼き付いてる」
「もう!咬みつくわよ」
そこへふだん盗聴している警察無線が入った。ジャン・ルイは無線機の音量を少し上げた。
「誘拐事件発生。貿易商のギャスパル氏の娘が昨夜誘拐され、身代金を要求した手紙が届いたとギャスパル氏から警察へ通報があった。強行犯係はサイレンをつけずにギャスパル邸へ急行せよ。また当面の間、報道管制を敷く。繰り返す、強行犯係はサイレンをつけずにギャスパル邸へ急行せよ」
「これなあに?」
サイアは無線機のそばへ走り寄った。
「これは警察専用の無線だよ」
「盗聴してるの?」
「まあね。ギャスパルの娘って昨日助けた娘だよな。やっぱり誘拐されちまったんだ」
「助けに行かないの?」
「これはもう警察の仕事だよ」
そこへさらに追加で警察無線が入った。
「窃盗犯係もギャスパル邸へ急行せよ。脅迫文とともに赤いバラが届いたとの情報だ。繰り返す、『紅薔薇』担当の窃盗犯係もギャスパル邸へ急行せよ」
ジャン・ルイは呆れた顔をしてジャン・ルイを見た。
「よせやい、オレは何にも関係ないぜ。ニセモノの出現かよ」
「フフフ、さてどうするの?」
「誘拐はともかく、ニセモノは懲らしめないと!」
「お店はどうするのよ?」
ジャン・ルイはその場で携帯を取り上げ、マスターのクロードに連絡し、少し遅くなることを伝えた。
クロードは、
「了解。私も警察無線は聞いたよ。紅薔薇の偽物だね。何か裏があるかもしれないから気を付けて」
と言ってくれた。
それからジャン・ルイはコンピュータの前に座り、もう一度詳しく情報を集め始めた。
サンセール高級住宅街のギャスパル邸では、強行犯係の数人の刑事たちが応接室でギャスパルから事情を聴いていた。この捜査のチーフはマルソー刑事だった。
脅迫文には、
-貴殿の娘ミレーヌ嬢を預かった。返してほしければ今日中に500万ドル用意しろ。また本日の夕方に連絡をする。警察には知らせるな。知らせたら娘の命は保障しない 『紅薔薇』-
と、書かれていた。一緒に投函されていた赤いバラは鑑識へ回してある。
脅迫文を手にしたマルソーは首をかしげていた。いくらなんでも身代金が高額すぎる。この手の身代金は通常10万ドルくらいだ。つい先日、隣町のガルレーで起こった誘拐事件が100万ドルの身代金だったので話題を呼んだばかりだった。500万ドルでは、ギャスパル商会の年商の二割にもなるはず。払えないことはないだろうが、窮地に追い込まれるのは事実だ。これは単なる誘拐ではなく、ギャスパル商会を破滅させる陰謀も視野にいれなければならないだろう。『紅薔薇』とサインがあるが、どうも違う気がする。『紅薔薇』ならギャスパル氏の何らかの悪事をもとに金を盗むことはあっても、こんな乱暴な誘拐をするような奴ではない。
マルソーはまだ判断するには材料が少ないと思った。
「こんな高額な身代金は初めてです。警察としても通常なら、一応身代金を準備しておいてくださいというところですが…」
ギャスパルはロマンスグレーの髪をかき上げた。年齢は50歳くらいか、日焼けした精悍な顔つきをしていた。その顔が苦悩に満ちていた。
「金は準備した。今朝銀行に連絡をした。今日中には準備できるそうだ」
「そうでしたか、ご協力ありがとうございます。ところで事件の発生時のことをお聞かせいただきたいのですが、昨日の夕方、学校を出てからミレーヌさんと連絡がとれなくなったんですね」
「そうだ」
「ミレーヌさんは本当に誘拐されたのでしょうか?」
「届けられたその手紙の字はミレーヌのものだ。間違いない」
「昨日は警察に連絡しなかったんですか?」
「何を言ってるんだ!連絡したが、お宅らはとりあってくれなかったじゃないか。『夜遊びでもして遅くなっているだけでしょう』などとぬかしやがって」
ギャスパルは身を乗り出して怒鳴った。
「それは大変失礼しました」
マルソーは頭を下げた。また夜勤の警官を叱り飛ばさなくちゃならない。
「ところで、この手紙は消印が見当たらないのですが、直接ポストに投函されていたんですね?」
「そうだ。今朝使用人が見つけて、私のところへ持ってきた。赤いバラも一緒にポストに投函されていたようだ」
「ギャスパルさん、何か脅迫されるような身に覚えがありますか?」
「こんな商売をしていれば、数えきれないくらいある」
「思い当たるものを教えていただけますか?」
「そんなことはそっちで調べてくれ。『紅薔薇』とやらは警察のほうが詳しいだろう。それよりも一刻も早く娘を助けてくれ」
ギャスパルはこれ以上しゃべっても無駄という態度で、マルソーが取りつく島はなかった。
マルソーは立ち上がり廊下へ出ると、いったん警察署の課長へ携帯電話で連絡を入れた。
「娘さんが誘拐されたのはまちがいありません。いまのところ手がかりはありません。身代金の500万ドルはすでにギャスパル氏が銀行へ手配ずみです。犯人からの次の連絡を待ちます。現在、昨日一緒に下校したハイスクールの友人にベルクソンが聞き込みに行っています」
携帯電話の向こう側で、課長は、
「わかった。ところで鑑識に持ち込まれた赤いバラだが、報告では『紅薔薇』が残すバラとは全く別物とのことだった」
「やはりそうでしたか。では『紅薔薇』のニセモノですね」
「ニセモノだろうが、本物だろうが誘拐事件には変わりはない。しっかり捜査して、人質の確保に全力を尽くしてくれ」
「了解です」
そこへ、ベリクソンからの電話がかかってきた。
「マルソー、手がかりらしきものを掴んだぞ。昨日の朝、登校中にもミレーヌちゃんは誘拐されそうになっている。友人の話だと、昨日の朝ミレーヌちゃんが見知らぬ男の大型スクーターで登校してきたそうだ。理由を聞いてみると、三人の男に車に押し込まれそうになっているところを大型スクーターの男に助けられたそうだ。そうそうそのスクーターには子猫も乗っていたそうだ」
「大型スクーターってどんな乗り物だ?」
「うーん、あ、そうそうマスターの店の横に止めてあるバイクみたいなやつですよ」
「ああ、ああいう乗り物ね。子猫が乗れるのか?まあいい。では、引き続き捜査にあたってくれ。それから本署から連絡が入ったが、犯人は『紅薔薇』ではないようだ」
「オレもそうじゃないかと思っていたよ。『紅薔薇』にしては仕事のしかたが乱暴すぎる」
「じゃあよろしく」
マルソーは携帯を切ると応接室に戻った。
ギャスパル邸の塀の外に、ジープが止まっていた。そのジープにはジャン・ルイが乗っていた。
サイアはもといた屋敷なのでちょっと覗いてくると塀を乗り越えて、屋敷に入って行った。ジャン・ルイは珍しくスーツを着ていた。そのうえちょび髭をはやして変装していた。背が高いので見た目は30歳くらいに見える。そして手元にあるラジオのような機器を使い、これまでのマルソーの携帯電話を盗聴していた。
「ふうん、500万ドルとは犯人も吹っかけたな。しかし、準備できるギャスパル氏もすごいな。警察も『紅薔薇』のニセモノと気付いたようだな。では、本物の『紅薔薇』の登場だ」
サイアが戻ってきた。
「刑事が三人、マルソー刑事もいたわ」
「そうか、マルソー刑事が担当なら手抜かりはなさそうだ」
ジャン・ルイはジープから降りると、ポストに手紙を投函した。本物の紅い薔薇をつけて。手紙には、
-ギャスパル氏へ 御嬢さんは必ず助け出します。手数料は10万ドルにしておきます。本物の『紅薔薇』より-
と書いてある。
ジープに戻ってきたジャン・ルイにサイアは、
「どうやって探すの?」
「手がかりはこれだ」
ジャン・ルイの手に握られていたには、昨日の朝に撮った写真だった。そこには誘拐犯の車が写っていた。




