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1.マドセンの毒針

 窓の外では新緑が爽やかに香り、春の日が差し込んでいる。淑女科の教室内を睥睨したシオリ・マドセンは、わざと大きな足音を立て一人の女生徒の席に近づいた。

「カミラ・ブラックってアンタ?」

 カミラと呼ばれた女子生徒は顔を上げる。彼女の目に艶やかな栗毛の毛先と芸術科を示す黄色いタイが映り込んだ。

「……どちら様」

 低く小さい声で問いかけたカミラの机に、破られた教科書と水に濡れた筆記用具が落とされた。

「な、何を」

「アンタがダメにした私物。買い替えて請求書はブラック家に送ったわ。淑女科では随分幼稚な嫌がらせが流行ってるのね」

 カミラを見下ろしたシオリは、黒々とした大きな目を吊り上げ、形の良い唇から毒を吐き出す。

「言いがかりはやめてくださる? 品のないっ」

「品がないのはそっちでしょ……アンタの婚約者が白状したわよ?」

「ボイド様が何を言ったと? だ、だいたいあなた、彼に色目を使って……」

「はあ? 冗談やめてくれる? ボイド・ブルームって、いつも違うきっつい香水の匂いさせてるじゃない……近くにいたら頭痛がする相手に色目なんか使うわけないじゃない」

 淑女科の教室は女子生徒しかいない。大半の生徒が、早めに登校して着席している。クラスメイトの好奇の視線と騒めきを浴びながら、カミラは掠れた声で叫んだ。

「やめてちょうだい……っ。わた、わたくし、何もしていません」

 悲鳴染みた声に重なるよう、扉が勢い良く開いた。

「シオリ君、カミラをいじめるのはそれくらいにしてくれ」

 長身の男子生徒の登場に、教室内が騒めいた。官吏科を示す緑タイを緩めながら、彼はカミラの席へ大股で歩み寄る。

「ボイド様、誤解です、わたくしではありません……っ」

 ボイドと呼ばれた男子生徒は、シオリの隣に並んだ。彼女は掌で鼻を覆って眉間に皺を寄せる。ボイドはシオリを見て崩れた笑顔を浮かべた。

「ゴホンッ……俺が悪かったんだ。俺のために争わないでくれ。シオリ君には音楽活動の援助を申し出ただけで、結婚相手は君から変えたりしないよ」

「ボイド様……あなたが散々……してきたことを、わたくしが知らないと思ってらっしゃいますの」

「いやあ……正妻はもちろん君なんだから、心配しなくても大丈夫。俺はただ、ブルーム家の者として、美しいモノを愛でたい……それだけのことだよ」

 婚約者同士の会話を聞きながら、シオリはボイドからじりじり離れる。カミラの席に近い生徒たちも、ハンカチで品よく鼻を押さえている。

「私は嫌がらせをされて泣き寝入りなんてしないし、気持ち悪い要求には答えない。覚えておくことね……こんな……話の通じない男が婚約者で本当にかわいそう。深く同情するわ」

 まくし立てて踵を返したシオリの耳に、カミラの泣き声が聞こえた。

「……ボイド様、もう出ていって」

「ん? どうしたんだい、カミラ」

「さっさとご自分の教室へ帰って! もう学園では話しかけないで。暫く顔を見たくありません」



 淑女科の教室を出たシオリは、芸術科の教室へ向かう途中、壁に寄りかかって腕を組んでいる大柄な生徒を見つけた。騎士科を示す赤いタイを締め、白金色の髪を高い位置で結んでいる。

「大丈夫か」

「シェード、何してるの」

「芸術科のチェンバレン嬢に、シオリが淑女科に怒鳴り込みに行く、と聞いたから様子を見に来た」

「正当な抗議をしただけ」

 肩を竦めた彼が歩み寄ってきて、軽く彼女の頭を叩いた。

「友人として忠告させてくれ。お前は悪くないかもしれないが……やり返すのはほどほどにしておけ」

「同い年なのに子ども扱いしないで」

 彼は刺々しい彼女の口ぶりを全く意に介さず、静かな口調で続けた。

「モーガン家はシオリ・マドセンを音楽家として高く評価している。酷い嫌がらせが続くようなら、抗議してもらうことも考えろ」

「自分で対処できるのに大人に頼る必要なんてない。それに……シェードのご両親に頼ったらうちの親にも話が伝わって大騒ぎになるじゃない」

「ふ……確かに」

 勝気な眼差しで幼馴染を見上げた彼女は、小さく鼻を鳴らしてその場を去った。


 この騒動が、王立学園芸術科生徒のシオリ・マドセンが、卒業するまで『マドセンの毒針』と呼ばれるようになったきっかけだった。

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