第0話 両親の出発
ピピピピ ピピピピ ピピピピ
ガチャ
「...朝か」
ひんやりとした朝の空気を肺に吸い込み、重い体をベッドから起こす。
俺は桜川和樹。どこにでもいる普通の学院生だ。ただ一つ、他人に胸を張って言えない――
いや、倫理的観点から絶対に言ってはいけない秘密があるとすれば、それは実の妹を世界で一番愛しており、その全てに尽くすと心に誓った重度のシスコンである、ということくらいか。
当然、俺には分別というものがある。その熱烈な情熱を決して口にすることはできないし、行動に移すことなど言語道断だ。表向きは「責任感の強い真面目な兄」を完璧に演じきっている(はずだ)。
今日から、両親が海外出張へ行く。そのため、空港まで二人を見送りに行かなければならない。
......結衣のやつ、まだ起きてないだろうな。
「起こしに行くか」
結衣というのは、俺の一つ年下の妹だ。客観的に見ても天使のように愛らしい容姿をしており、その上、彼女は重度のブラコンである。
ただ、最近はそのブラコンが行き過ぎて、時折ヤンデレのような仄暗い執念を感じる瞬間がある気もするのだが......気のせいだと思いたい。
そんなことを寝ぼけた頭で考えながら、俺は結衣の部屋の前に立ち、ノックをした。
「結衣ー、いるかー? 朝だぞ」
返事がない。寝息すら聞こえない。
「入るぞー」
一言断ってから、妹の横まで歩いて行く
ベッドの中で布団に包まった妹がもぞもぞと動いた
「ほら、起きろ。時間無くなるぞ。」
「んん......お兄、ちゃん......?」
半分閉じた瞳をこすりながら、結衣が身を起こす。
だらしないパジャマの襟元から、白い肩と華奢な鎖骨が覗いている。
寝起きの高い体温が混じった、甘く柔らかい香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
あまりにも無防備すぎる。
(いかん、直視してはいけない。俺は兄だ。清く正しい兄なのだから)
「父さんと母さん、もうすぐ空港へ出発する時間だぞ。見送りに行くんだろ?」
「あ......うん。お着替えするから、お兄ちゃんあっち向いてて......」
ぽすん、と枕を抱きしめながら上目遣いで見つめてくる妹。
とろんとした瞳には、微かな熱が宿っているように見えた。
(...っっ!! 朝から破壊力が高すぎる!!)
「わ、わかった! リビングで待ってるからな!」
慌てて目をそらし、俺はそそくさとリビングへと避難した。
俺が洗面所で顔を洗い、リビングに戻ると、キッチンからトントンと小気味よい包丁の音が聞こえてきた。
「あ、お兄ちゃん。もうちょっとで朝ごはんできるから座ってて」
先ほどのだらしないパジャマ姿から一転、可愛らしいフリルのエプロンを身に纏った結衣がフライパンを振るっている。
手際よく卵焼きを巻き、味噌汁の火を止めるその背中は、どう見ても立派な『主婦』のそれだった。
「お前、いつの間にそんな料理上手くなったんだ......?」
「えへへ、女の子だもん。これくらい普通だよ? それに......将来、役に立つかもしれないし」
そう言って、結衣は出来立ての朝食をテーブルに並べると、なぜか俺の隣にぴたりと座ってきた。向かいの席が空いているにも関わらず、だ。
「お、おい結衣、近いぞ」
「んー? そうかな?」
結衣が身を乗り出すたびに、エプロン越しに柔らかい胸の感触が俺の腕に当たる。
「はい、お兄ちゃん。あーん」
箸でつまんだ卵焼きを、俺の口元へと運んでくる妹。その顔は、俺の動揺を楽しむかのように悪戯っぽく笑っていた。
「じ、自分で食える! ほら、早く食べないと空港行く時間になるぞ!」
「むー、お兄ちゃんの照れ屋」
口を尖らせながらも、結衣はどこか嬉しそうに微笑んでいた。
行き交う人々の喧騒と、様々な言語のアナウンスが響く巨大な空間。
搭乗手続きを終えた両親と、俺たち兄妹は手荷物検査場の前で向かい合っていた。
「それじゃあ、和樹。留守の間、家のことは頼んだぞ。結衣のこともしっかりな」
「ああ、わかってるよ。父さんたちも仕事、気をつけてな。お土産期待してるから」
言葉を交わす父親の和也は、どこか意味深な視線を俺と結衣の間でゆっくりと往復させた後、ポンと俺の肩を叩いた。その手には、妙な重みがこもっていた。
「ふふっ、二人きりだからって夜更かししちゃダメよ? ああ、そうだ和樹」
母親の結花が、手持ちのバッグから不自然に中身の膨らんだ紙袋をひょいっと取り出し、俺の胸に押し付けてきた。
「ん? なんだこれ」
「母さんからの特別なお土産! 開けるのは家に帰って、二人きりになってからね。それまでは絶対開けないこと。約束よ?」
「はぁ? 行く前に土産ってなんだよ......」
「ほら行くぞ、結花。時間だ」
「はーい! じゃあね二人とも、愛してるわよー!孫の顔、楽しみにしてるからねー!」
「今なんて言ったアンタ!?」
嵐のように騒がしく手を振りながら、両親はゲートの奥へと吸い込まれていった。
見送る俺の横で、結衣は俺の服の袖を軽く掴みながら、小さく手を振り返していた。
――そして、数時間後。俺たちは自宅へと帰り着いた。
カチャリと鍵を閉める音が、やけに大きく響く。
先ほどまでの空港の喧騒が嘘のように、家の中は静まり返っていた。この広い空間に、俺と結衣しかいないのだという事実が、急に肌にまとわりついてくる。
「ふぅ、着いたな。......とりあえず、荷物置くか。あ、そういえば」
リビングのテーブルに、空港で結花から渡された紙袋をポンと置く。
「母さんの奴、何を入れたんだ? 妙に重かったけど......」
『家に帰って、二人きりになってから開けてね』という言葉を思い出しながら、俺は何気なく紙袋の口を開き、中身を取り出した。
「......は?」
そこに入っていたのは、見慣れぬ横文字が並んだ怪しげな小瓶(どう見てもそっち系のサプリだ)と、ドラッグストアの奥で見かけるような小さな箱(どう見ても家族計画の必需品だ)、そして用途を考えると頭が痛くなる謎のアイテム(……これ以上は考えたくない)だった。ご丁寧に『若い二人へ♡』という付箋まで貼られている。
(......っっ!?!?!? 母さん、あんた実の息子と娘をどうしたいんだ!?)
パニックに陥り、慌ててアイテムを紙袋に押し込み、口を強く握りしめる。心臓がバクバクと嫌な音を立てていた。
(そういえば『孫の顔、楽しみにしてるからねー!』とか言ってたな!?)
「お兄ちゃん? お母さんからの袋、何が入ってたの?」
背後から、結衣が不思議そうに首を傾げて覗き込もうとしてくる。妹のいい匂いが鼻先をかすめた。
「な、ななな何でもない!! ただの常備薬だ!! そう、胃薬と風邪薬!!」
「ふーん......? 胃薬、なんだ」
結衣は一瞬だけ紙袋の隙間から見えた中身に視線を落とした後、すぐに興味を失ったように、ふんわりと微笑んだ。
「お母さんたち、行っちゃったね」
「...行っちゃったな」
今日から最低でも一カ月、この家には俺とあいつの二人きりになる。
「......」
視線を感じて隣を向けば、結衣が俺のシャツの裾をぎゅっと握りしめていた。
見上げれば、そこには不安げに揺れる瞳があった。
(......落ち着け、俺は兄なんだ、しっかりしないと)
「結衣、大丈夫だ、お父さんとお母さんもすぐ帰ってくるし、もし何かあっても俺が──」
「ううん、違うよお兄ちゃん」
「楽しみだなって思って。お兄ちゃんと、ずーっと二人きりなんだもん!」
「あぁ、俺も楽しみだよ。」
(可愛すぎる......このまま抱きしめて頭を撫で回したい衝動を抑えるだけで、俺の精神力は限界だぞ......!)
(あぁ……思いっきり抱きしめたい! 頬ずりしたい! 髪の匂いを嗅ぎまくりたい!)
(だめだだめだ......)
限界ギリギリの理性を繋ぎ止めようと深呼吸をした、その時だった。
ピーンポーン!
空気を読まない、やけに能天気で連続的なチャイムの音が、静まり返ったリビングの空気を切り裂いた。
「お、お客さんかな? ちょっと出てくる!」
「えっ、あっ、お兄ちゃん......」
俺は逃げるように玄関へ向かい勢いよくドアを開けた。
「やっほー和樹!おじさんとおばさん、海外に出張に行ったんだって?一カ月も二人きりじゃ寂しいかと思って遊びに来たよー!」
「咲希!いや、助かるよ...色々と...」
そこに立っていたのは、幼馴染の此花咲希だった。
片手にはコ〇ヨーの大きなビニール袋がぶら下がっている。
「はいこれ、ポテチとジュース!あとアイス!それとゲーム!」
「多くない!?」
「だって一カ月も二人きりとか絶対暇じゃん!泊まり込み覚悟で来た!」
「泊まり込み!?」
「冗談冗談!......半分くらいは」
(半分は本気だったのかよ...)
「おーい結衣ちゃーん、お邪魔しまーす!」
(でもまぁ助かった......!このまま結衣と二人きりだったら、俺の理性が爆発して襲ってたかもしれない......)
安堵のため息を吐きながら、咲希とリビングへ行く。
しかし、リビングの入り口に立った瞬間、俺は部屋の空気が急激に下がったような得体のしれない悪寒に襲われた。
「......いらっしゃいませ、咲希さん。わざわざありがとうございます。」
ソファーの前に立つ結衣は、完璧な、笑顔を、浮かべていた。
これは笑顔なのか?
その瞳の奥には一切の光がなく、声色は真冬の湖のように冷え切っている。
「おっ、結衣ちゃん!相変わらずかわいいねぇー!」
お前は近所のおばさんか
「和樹!あんたこんなかわいい妹と二人っきりで一カ月も過ごすなんて、変な気を起こさないように私が毎日監視してあげなきゃね!あははっ!」
だからお前は近所のおばさんか
......どさっとソファーに腰を下ろした咲希は、何の戸惑いもなく俺の隣のスペースを陣取り、俺の方をバシバシと遠慮なく叩いてきた。
「いっ、痛いって咲希!バカ、妹相手にそんな気起こすわけないだろ!」
「えっ......」
あれ、なんか今殺気が
「えー?和樹って昔からむっつりスケベなところあるしー?隙あらば飛びつきそうじゃん!」
なんかいつにも増して距離が近い。
咲希にとっては昔からの幼馴染としてのスキンシップの延長のつもりなのだろうが、今は非常にまずい。
ガンッ!!
テーブルに、結衣が入れてくれた麦茶のグラスが置かれた。
...置き方にさっさと帰れという意思を感じたが大丈夫だろうか。
「どうぞ、咲希さん。......冷たいうちに、飲んでくださいね?」
「わー、ありがとう結衣ちゃん!さっすが気が利く~♪」
(鈍いっ!咲希のやつ、結衣から放たれている「早く帰れ」オーラ(殺気かもしれない)に全く気付く気配がない......!)
お茶出しを終えた結衣は、俺を挟んで咲希の反対側に座ると、俺の右腕にすっと自分の両腕を絡ませてきた。まだそんなに大きくない胸の感触が、腕越しに柔らかく伝わってくる。
「ゆ、結衣......?」
「お兄ちゃん、さっきお母さんからもらったお土産後で一緒にみようね?」
「ブッ!!」
急に何を言い出すんだ。
もしかしてあの袋の中身、見られてたのか!?
「ん?お土産?なになに、おばさんから?」
「ふふっ、家族だけの、ひ・み・つです。ね?お兄ちゃん?」
にっこりとほほ笑む結衣の腕の力が、ぎゅっと強くなる。
柔らかい感触が腕に押し付けられているが、それ以上に結衣から発せられる凄まじい圧力に、俺は背筋に冷や汗を流していた。
――数時間後
「あーあ、もうこんな時間かぁ。」
「そう...だな...」
あれから「お土産」について咲希に問い詰められ言い訳したり、結衣が発する殺気を和らげたりした為に精神がすり減ってしまった。
(結衣と咲希...混ぜるな危険...)
「......もう帰るか?」
「そうだねぇ、うちも親が心配するだろうし!」
「そうか、なんかさっき泊まるかもとk......」
(は?)
「なんてー?」
「いや......何でも......ないよ......」
これ以上はまずい、俺の生存本能か何か分からないが、警鐘を鳴らしてきた
「そう。」
「......お気をつけて。夜道は危ないですから、後ろに気を付けてくださいね......?」
「えっ?ごめん結衣ちゃん、声小さくて聞こえなかった!」
「い、いや何でもない!よな?結衣?じゃあな咲希、気をつけて帰れよ!」
嵐のように咲希が帰り、再び家の中は重い静寂に包まれた。
「はぁ......疲れた......」
ソファーに深く沈み込む。
ふと顔を上げて結衣の方を見ると......
「咲希は私の大好きなお兄ちゃんを奪う雌豹......始末しないと......」
「お兄ちゃんは私のものなんだから......誰にも触らせない......フフッ......」
......やばい、妹が壊れかけてる。
「結衣ー?こっち来て一緒に座ろう。」
「ん?あぁごめん。そっち行くね!」
結衣がぴたりと身を寄せてきた
「ンフー...お兄ちゃんの匂い...♡」
すりすりと肩に頬を擦り付けてくる。
正気に戻ったか...?
「お兄ちゃん、お疲れ様」
「ああ。咲希のやつ、相変わらず騒がしいな。」
「うん......。でも、もう大丈夫」
(次に手を出してこようとしたら、問答無用で始末するから)
戻ってないかもしれない。
結衣はそっと俺の方に頭を乗せ、俺の服の袖を指先でいじりながら、甘く、けれどどこか熱を帯びたような声で囁いた。
「これから一カ月......お兄ちゃんは、私だけのものだもんね......?」
静かなリビングに響いたその言葉は、ただの兄妹の甘えという枠をわずかに超えていた。
(......気のせいだ。ただのブラコンを拗らせているだけだ、俺も妹は大好きだが、そこまで深くは考えてはいけない......!)
俺は必死に自分に言い聞かせ、平静を保とうとするが、心臓の鼓動は痛いほどに早鐘を打っていた。
ここから始まる一カ月が、俺の平穏な日常を確実に、そして徹底的に壊していくことになるとは、この時の俺はまだ気づかないふりをしていた。
どうでしたか?
初めてこのようなものを書いたので、意味が伝わらなかったり、矛盾があったかと思いますが、私の「好き」をできる限り詰め込んで書いてみました!
さっさとくっついてほしいですね(他人事)。
実はこのシリーズのあらすじに「残された二人、何も起きないはずがなく...」と書こうとしていたのですが、思いとどまって書かなかったのは内緒です(ヘタレ)。
とりあえず、最後まで読んでいただけたのなら嬉しいです!
次回もまた書くのでそれも読んでいただけたらさらに嬉しいです!




