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雨の庭、月の光のアラベスク  作者: 浅井一希


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第一幕 疲れ果てた踊り子の見る夢は(3)


「犬塚さん、すみません、気を遣っていただいて」

「さあ。どうかな? 気を遣ってるように見せ掛けた送り狼かも」

「一番不味そうだけど一番食べやすそうな1匹を狙う狼ですか」


 腰を抱かれたまま、随分高いところにある顔を睨み上げる。

 無表情のまま、こちらを見下ろしてくる冷たい色の瞳。

 怯みそうになる自分を、奥歯を噛み締めて叱咤する。


「何にしても、抜けやすい空気を作っていただいたことには感謝しています」

「どういたしまして。名刺、まだ余ってる?」

「名刺?」

「うん。俺、紋さんの会社の住所知らないから」


 鞄から名刺ケースを取り出すと、犬塚さんの手が腰から離れていった。体が解放されて、心が軽くなる。

 スマホを取り出している犬塚さんに、会社の名刺を渡した。


「へえ。ここ、俺でも知ってる。社長、ワンマンだしパワハラセクハラで結構評判悪いよ」

「存じております」


 遠い目になってしまうのは許してほしい。


「紋は被害に遭ってない? セクハラ」

「若い頃はそれなりにありましたけど。撃退しておきました」

「おや、意外に戦闘系」

「意外、ですか?」

「意外。躱す系かと思った」

「今は躱せるようになりましたけど、若い時はそこまで器用じゃなかったですよ」


 苦笑した。

 私が器用になったのは部下が出来てからだった。

 人は、守らなくてはならないものが出来ると変わる。

 少なくとも、私は変わった。


「私1人では仲間まで守りきれませんから」

「へえ」


 興味なさそうな返事が戻る。

 犬塚さんは何に興味を示すのだろう。好奇心で目を輝かせている犬塚さんなんて、想像も出来ないが。


「はい、じゃあ、行こうか」


 肩を抱かれて、誘導される。


「あの、駅」

「車で送ってく。部下の子と電話してたの、聞こえた」

「お恥ずかしい限りです」

「緊急でもないのに退勤した上司を電話で呼びつける部下ってのも凄いな。俺は怖くてできない」


 私もそう思う。

 が、それはもう杉山さんなので仕方ない。


「犬塚さんは、部下います?」

「部下っていうか、後輩だね。指導とかはしたことない。皆、俺より優秀だから」

「そうなんですか?」

「うん。紋、仕事辞めるんだって?」

「リリちゃんたちから聞きましたか」

「うん」

「色々と、やらかしたので。こうするしかなくなったと言いますか」


 いい加減、あの会社に愛想が尽きたとも言うか。やらかしたことから、全く身に覚えのないこと、やらかされたことまで全ての責任が掛かる状態に耐えきれなくなってしまった。


 どうぞ、と犬塚さんがコンパクトカーの助手席のドアを開けてくれた。


「ありがとうございます。失礼します」

「紋は何をやらかしたの?」


 運転席に収まった犬塚さんに尋ねられて回答に詰まる。


 やらかしたことは、言いたくない。

 でも、言ってしまって楽になりたいという気持ちもある。

 犬塚さんに軽蔑されて見捨ててもらうのが、ヤリ逃げする価値もない女だと思われた方が、楽。


「取引相手を1つ潰しました。うちから融資していた会社だったんですが、私が出向を断った途端、融資も打ち切りになって、不渡り寸前まで追い詰めてしまって」


 リリちゃんにも言っていない。

 きっと、私と銀行の担当者しか知らないこと。


「新しく融資してくれるところが見つかって、今は何とかやっているみたいですけど。そこの社長を危うく殺してしまうところでした」


 使いたくないコネを使ってしまったが、人命には変えられなかった。

 これ以上は踏ん張れない。人の命を脅かしてまで今の仕事は続けられない。そう思ったら、糸が切れてしまった。


「なるほどねえ」


 ハンドルを握って前方を見る犬塚さんは、表情から感情の読めない人だ。呆れているのか、興味がないのか分からない。


「あー……こりゃ事故か何かあったな。部下ちゃんに遅れるって連絡したほうがいいかも」


 だいぶ前方から車列が止まっていた。


「はい。すみません、電話失礼します」

「はいはい、どうぞ」


 犬塚さんに許可を取り、会社の固定電話に電話を掛けた。

 ……出ない。

 仕方なく、杉山さんのスマホに電話を掛ける。

 杉山さんの着信履歴に自分の名前を残したくない。


「課長! まだですか?!」

「ごめん、渋滞捕まった。遅くなる」

「何やってるんですか! タクシー代なんて経費で落ちませんからね?!」


 犬塚さんが失笑した。杉山さんの声が聞こえたようだ。

 咳払いをして誤魔化そうとしているが、誤魔化しきれていない。

 ちょっとだけ泣きたくなった。


「最初から経費で落とすつもりとかないから。資料できてるなら、メールで送ってくれる? タブレットで確認して先方に連絡するから」

「それはこれから、課長と相談して作ろうかと」

「じゃあ、叩きでいいから送って」

「……分かりました」


 ああ、これはまだ手をつけていなかったな、と返事だけで分かってしまう。

 電話を切ってため息をつくと、完全に止まってしまった車の中で、犬塚さんがククク、と笑う。


「なかなかな部下ちゃんですこと」

「今なら犬塚さんにタダで差し上げますよ」

「いらない。いるだけでマイナスじゃん、そんな子」


 久しぶりに笑った。

 普段、会社の人の前で杉山さんの悪口は言わない。愚痴も。

 こんなに感情を吐き出してしまうのは本当に久しぶりだ。


「なんでそんな子いつまでも抱えてんの?」

「引き取り手がないからですね。出向に出すにもあんまりなもので」

「でも、紋の後任は出向させるんじゃない?」

「恐らく。でも、何かのきっかけで化けることもありますから」

「それが紋の退職かもしれないって? それはないんじゃない?」

「私は一縷の望みを掛けてるんですけどね。犬塚さんはありませんか」


 唇を人差し指で押さえられた。


「晄、晄さん、晄くん、晄ちゃん。どれでもいいけど、名前で呼んで?」

「……あきら、くん」


 犬塚さんの顔に、薄く笑みが広がる。

 ドキリ、とした。

 思わず目を逸らす。

 完全に遊ばれている。


「名前、漢字ですか?」

「日曜日のニチに光」


 手のひらに書いてみて納得する。晄くん。

 物凄く似合う気もするし、全く似合っていない気もする。


「晄くん、こんな年増引っ掛けて楽しいですか?」

「年増なの?」

「30です」


 物凄く大きな間があった。


「ごめん。同い年ぐらいだと思ってた」

「晄くんはお幾つですか?」


 晄くんの視線が遥か彼方に向かっている。


「36」


 声が小さい。


「許容範囲内です。初対面の方には四十代だと思われるので」

「…………マジか。そんな若いの」


 参ったねえ、と呟く声まで聞こえてしまう。


 参ったのはこちらなのだが。

 犬塚さんが同い年ぐらいだと思っていたのは私もそうなのだ。1つか2つ年上の可能性も考えたが。まさかそんなに離れているとは。

 6年は大きくも小さくもない差。その微妙な層にウケる話題が見当たらない。


「リリちゃんたちは25ですよ」

「それは見た目で分かった。紋は逆サバ凄過ぎない?」

「犬塚さん含め、私以外に言ってください」


 勝手にサバを読むのは相手側だ。


「どうしてくれんの、俺の気持ち」

「知りませんよ、そんなの」

「本当、困るんだけど。どうにかして」

「それは犬塚さんが勝手に」


 顎を掴まれて、犬塚さんの方を向かされた。

 じっと目の奥を覗き込まれて、息も出来ない。


「名前」

「……晄くん」


 手を離される。

 今、絶対、顔が赤いと思う。俯いた。


「からかわないでください」

「からかってない」


 顔は上げられない。

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