第四幕 甘い夢は闇夜に溶ける(6)
「そんなことは知ってます! 手を引いたのなら黙っていてください!
私は、犬塚係長から直々に、高城課長を頼むと言われて担当してるんです!」
「やっぱりそっちにとってたか」
「そっち?」
「もしも高城課長が黒なら、あいつは自分から外してくれなんて言わない」
「じゃあ、頼むっていうのは」
「高城課長は会社の上層部にいいように使われただけだ。
犬塚係長が危惧してるのは、高城課長1人に罪を背負わせて上が逃げ切ること。そうならないように高城課長がシロだってことを証明してくれって頼んだんだよ。
高城課長と個人的に繋がりのある犬塚係長にはできないからな」
「どうしてそんなことが言い切れるんですか」
「あいつが今までそうやってきたからだ」
小谷さんが顔を上げる。真っ青だ。
晄くんは、自分のことを、清廉潔白ではない、と言った。それが私を傷付ける、とも。
確かに、私は傷付けられている。
でも、晄くんは、晄くんだ。
傷付けられるから嫌いになるわけじゃない。
守られているから好きになるわけでもない。
晄くんが、晄くんとして、そこにいるから、私は彼を好きになった。
正義と仕事と心の間で不安定に揺れながら、それでも全てにまっすぐに向き合おうとする人だから、好きになった。
堪えきれなくなって、ナースコールを押した。
「高城さん、どうされました?」
「すみません、お腹が、痛くて」
「すぐに行きますね」
看護師さんの声が聞こえなくなってから、部屋にいる刑事さんたちに言った。
「すみません、今日はここまでで、お願いします」
俯いたまま告げると、皆黙って部屋を出て行った。
入れ違いに看護師さんが入ってくる。
「吐き気はありますか? 体温測りますね」
てきぱきと処置してくれる看護師さんを見ながら、私はゆっくりとベッドに横になった。
点滴を打たれ、波のようにやってくる痛みに飲み込まれるようにして眠りに落ちた。
翌日、面会に来たのは、澤村さんだけだった。
「昨日は申し訳ありませんでした」
澤村さんが深く頭を下げた。
「いえ」
「昨日、あれから捜査本部で情報を確認し、正式に、高城さんを参考人から外すことが決まりました。善意の情報提供は受け付けておりますので、何か思い出したことがあればご連絡ください」
名刺を渡された。
「この度は、本当に申し訳ありませんでした」
澤村さんの言葉と姿勢から、本気の謝罪として受け取った。
「謝罪をお受けします。色々とお気遣いいただいたこと、感謝しております」
昨日、貰った花は、看護師さんが花瓶に生けてくれた。花籠と並んで置いてある。
「澤村さん」
「はい」
「鷲尾の本社の近くに、竹乃屋という居酒屋があるんです。あの日、飲み会はそこでやると聞いていたんです。2階の座敷を貸し切って。でも、あの時、会議室にいた私と2人の係長は、お金を徴収されていません。少なくとも50人近く、下手をすれば80人でもおかしくない飲み会です。金額も相当掛かりますから事前の集金は必須です」
「幹事の方のお名前は?」
「趙 王傑さん。営業部です」
澤村さんはメモを取ろうとして手を止めた。
手帳を広げて私にボールペンを差し出す。
「すみません、書いてもらえますか」
「はい」
趙くんはとても優秀な人だ。
飲み会がなくなることを知っていたのではないか。
そんな考えが、昨日から頭の中を回っている。
手帳に彼の名前を書いて、ボールペンを澤村さんに返した。自分の手が震えている。
これは、裏切りだ。
後輩を、今、警察に売った。
趙くんはきっと私の裏切りを許さない。
崇高な正義なんて私にはない。ただ、自分の中に生まれた黒い疑問を吐き出すためだけに、澤村さんを利用して趙くんを売った。
「高城さん。俺、美郷の女将さんに会いました。お喋りな人で、高城さんにとても感謝していました」
驚いて顔を上げた。
「もちろん、高城さんのお名前は出していません。犬塚さんに提供してもらった高城さんの写真を見せて、この人ですか、って聞いただけです」
「そうですか」
晄くんに頼まれて、部屋の中で1枚だけ写真を撮った。お弁当を作ってくれた朝だ。ツーショットで写真を撮った。
「情報提供、ありがとうございます。お大事になさってください。失礼します」
澤村さんが出て行って、ほっと息をついた。
充電の終わったスマホを見る。
鷲尾商事関連のネットニュースはだいたい見た。
知らなかったことが色々あった。
特に5年前、出向に出された先輩方が10人ともほぼ働かずに給料だけをもらっていたなんて、マスコミに叩かれても言い訳できない。
逮捕されたのは、知らない会社の社長だった。
鷲尾商事が出向先にしていた会社とは、ライバル関係にある会社。
鷲尾商事はこれから捜査が進むようだ。
深呼吸してから、祖父母の家に電話した。
5回。コールしてから祖母が出た。
「おばあちゃん、紋です」
「紋。あんた、電話なんかして大丈夫なん?」
「うん。会社、辞めたの。それで」
「ニュース、見たから。あれ、あんたの会社やね? もう、ここらでも噂になってるんよ」
「そっか」
「分かっとる?」
「うん。……もう、連絡しないから。電話も、手紙も」
「本当にあんたたち親子は人騒がせなことばっかりして」
「ごめんなさい。これで最後にします。でも、私、悪いことはしてないから」
祖母は大きなため息をついただけだった。
「それだけ。今まで育ててくれてありがとう。おじいちゃんにも言っておいて。ばいばい、おばあちゃん」
電話を切って窓の外を見た。
12月の空は、灰色の雲が冷たい風に流されていく様子がよく見える。
年々冬が暖かくなっているというが、寒くないわけではない。
スマホをインターネットに繋ぐと、白鳥の渡りが記事になっていた。昨年より少ないけれど、100羽は下らないらしい。
今年も、白鳥はやって来た。
新潟県村上市。白鳥の越冬地。
何もない冬の田んぼを、白鳥が散歩している写真が出ている。
村上市の関連なのか、移住希望者説明会の日程が出てきた。
地域活性化のための施策。
40歳以下で、村上市内で働くことと、空き家に住むことを前提にしている。
事業者税、住民税、将来的には固定資産税の収入。
老後をのんびり過ごす場所ではなく、稼げる人間を募集しているところに、行政の本気を感じた。
こういう場所を考えてみるのは、いいかもしれない。
居場所も、帰る場所もない私には、いいかもしれないと思った。




