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雨の庭、月の光のアラベスク  作者: 浅井一希


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プロローグ コハクチョウの越冬地

「待って、寒い」

「いや、今日はまだ温かいほうだよ」

「そうなの? どうしよう、俺、越冬できないかも」


 寒がりの友人の言葉に苦笑いする。


 都会育ちのこの友人は、今日からこの駐在所に出向してきた元刑事だ。


 新卒採用で一緒に研修を受け、その後はほとんど話すこともなかった友人から連絡を受けたのは、半年と少し前だった。


 いきなり駐在所の電話が鳴り、妻が受話器を取った。


「はい、そうです。はい。少々お待ちください」


 一度保留にして、妻が俺に受話器を差し出した。


「元神奈川県警の犬塚さんから。なんか翔ちゃんと話したいって」


 犬塚という名字の知り合いは1人しかいない。

 噂好きの同期から、神奈川県警の刑事課を卒業して、警視庁捜査一課の係長にまで最速で駆け上がったと聞いていた、犬塚 晄だけだ。


「お電話かわりまし……」

「あ、オレオレ! 警察です!」

「気が合うな。俺も警察だ」

「あはは。いい切り返し。俺、新人研修の時に同室だった犬塚。覚えてない?」

「覚えてる。今、警視庁の刑事だろ? すげぇ出世じゃん」


 刑事という単語に妻がこちらを見た。

 片手で追い払う。


 本物の刑事はドラマのように派手に拳銃をぶっ放したりしない。

 期待した目で見るな。


「まあ、運が良かったっていうか。実は大嶋にちょっと相談したいことがあってさ」

「何? 刑事からの相談って怖いんだけど」

「あらやだ。怖がらないでよ、駐在さん」

「裏声やめろ、キモいから」


 肉体的にも精神的にもきつかった研修の間も、こいつだけは最初から最後まで軽口しか叩いていなかったな、と思い出す。


「白鳥の越冬地近くの駐在所に勤務したいんだけど、そこ募集ない?」

「駐在所勤務は毎年県警内で公募してるけど、応募はゼロだな。給料のわりにきついから敬遠されてる。

 何、こっち出身の奴が異動希望してんの?」

「いや、Iターンの移住希望者が仕事探してんの」

「てことは、都会出身?」

「神奈川の海側出身」

「奥さんがこっちの人とか?」

「いや、独身」

「やめとけ」

「なんで?」

「続かんから。俺も嫁がこっちじゃないと結婚してくれんからこっち来たけど、独り身はきついって。

 年中無休24時間営業でジジババの話し相手だよ? 何回も同じ話されて確実に病む」

「うーん。半日交代とかない?

 俺、さすがに24時間営業トークできないわ」


 情報量が多く、処理に時間がかかった。


「駐在所希望してるの、犬塚くん?」

「そうだよ」

「犬塚くんて、寒いの苦手じゃなかった?」

「大の苦手。無理超えの無理」

「ナシ寄りのアリくらいにしてくれよ。

 もう少しあったかい所にしたら? こっち積雪2メートルだよ」

「……ん」


 唐突な沈黙。

 受話器を手で押さえているのか、くぐもった咳の音がした。


「ごめん。……白鳥見てたら癒やされるかと思って」


 最初から、白鳥の越冬地で、と言っていた。


「うーん……駐在所勤務って、基本的に徘徊老人の捜索とか、ご近所トラブルの仲裁だよ?

 白鳥のシーズンは主に雪かきとか雪下ろしで怪我したとかのレスキューの手伝い。

 だいたいの移住希望者は雪解けとともに消える。一冬の儚い存在だ」


「やだ、怖い、雪女かしら」

「裏声使うな、キモいから。

 そんなこんなで、元湘南ボーイにはきついって。

 何があったかは知らんけど、せめて神奈川県警に戻ったほうがよくないか?

 こっちに来てメンタル悪化しても責任持てんぞ、俺は」


「……白鳥が好きなんだってさ」

「は?」

「俺の、会えなくなった人。白鳥の動画見てた。

……俺が、追い詰めて、居場所を奪った人」


 ――追い詰めて

 

 刑事の言葉だ。

 文字通り、追い詰めることがある。

 自供を引き出すためだったり、犯人の情報を得るためだったり。

 人権を侵害されたと訴えられてニュースになる。

 罪を暴けば確実に誰かは自由を奪われる。


 刑事は奪う側だ。だからといって、心がないわけではない。

 立場上、痛みばかりに寄り添えない。

 痛みを感じても、感じていないふりをしなくてはならない。

 それが無理なら、刑事を辞めるしかない。

 そうして交番に戻った先輩もいる。

 最初から刑事を目指さない警察官もいる。


「なあ、移住ってのは伏せてさ。療養目的で同輩のところに来るってのは?

 メンタルやられた奴が内勤の事務方で半日勤務してんの見たことあるんだよ。

 あれの駐在所勤務版みたいな形で、所属は警視庁のまま、出向で新潟県警希望してみたら?

 確かそれでうちの県警から沖縄の離島行った奴がいたから、何とかなると思う」


「なるほど。分かった。ありがとう。

 ちょっと人事と相談するよ。話来たら拒否しないでね? 俺、泣いちゃう」


 軽口の中に、きっと本音が含まれている。

 もしかしたら、昔もそうだったのかもしれない。


 そんなやり取りがあった後、寒さが始まる10月に、犬塚はやって来た。


 県警上層部は、ぜひ刑事課に、と粘っていたようだが、医者からうまい診断書をもらってきた犬塚の作戦勝ちだったようだ。

 人事担当者が駐在所に寄って住む場所やら勤務時間の調整をしながら愚痴を言っていた。

 聞かないふりをした。


「大嶋先輩、越冬する白鳥、来た?」

「まだ。でもそろそろじゃないか? 越冬できない後輩さん、今日は巡回コース回るから、助手席乗って」

「はい。先輩、よろしくお願いします」


 敬礼する様が、きちんとした形になっているのに何故か肩の力が抜けているように見えるのが不思議だ。


「なあ、駐在所来るのに揉めたって聞いたけど。大丈夫なん?」


 尋ねると犬塚は愛想笑いを消した。

 言葉を探す間があった。


「平気なフリすんの、限界だったから」

「そうか」


 一瞬で淀んだ目を見るとそれ以上は何も言えず、俺はゆっくりとアクセルを踏んだ。

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