悲しき来訪者②
「レセプションの帰りに、馬車の中にこの手紙が座席に置いてありました。よく、ファンの子達がこういった形で手紙を寄越すものですから……これもそういったものだろうと思ったのです」
「中を拝見しても?」
「えぇ」
頷いたアラクネを見て、クリスティアは封筒を開く。
拝啓などの挨拶はない、乱雑に書き殴られた文字や言いたいことだけを書いた文面。
イルサが今までどれほど世間に献身的だったのか。
アラクネがデザイナーとして成功したのは誰のお陰であったのか。
ネイサンのイルサに対する態度。
世間の見て見ぬ振り。
そういった全てのものから彼女を救うべく、今こそ行動を起こすべきであり。
彼女から受けた恩を返すべきなのだと。
なんとも自分勝手でありながらも、強い憤りと共に懇願をもって連ねられた言葉。
アラクネはイルサは過去の夢などすっかり忘れて、幸せに過ごしているのだとばかり思っていた。
この名が王国中に轟いても気にはしないと。
過去に過ぎ去った友情を覚えてすらいないはずだと……そう思っていた。
でも違っていた。
彼女はアラクネを忘れてなんておらず、ずっと気に掛けてくれていた。
新聞にアラクネの名が載る度に人知れず喜んでいたのかもしれないと考えれば、なにも知らずにいた愚かなこの胸が締め付けられ……激しい痛みを覚えた。
「差出人に心当たりは?」
「ございません。ですがイルサでないことは確かです。彼女の字は、覚えておりますから。だからわたくし、この手紙が本当のことなのか確かめるために、イルサの元へと参ったのです」
手紙の内容が事実だとしたら、ネイサンに怪しまれないように慎重に行動をしなければならない。
なのでアラクネはアテナの仕立屋が新しい衣服ブランドの委託販売を考えており、その衣服を卸す店を探しているという噂を流し、そしてその噂が広まったタイミングで、いくつかの商会に手紙を送った。
その内の一つに、リエイト商会を紛れ込ませたのだ。
まんまと餌に釣られたネイサンからの話を聞きたいという手紙の返事を受け取ったとき、正直いえばアラクネの心はまだ半信半疑であった。
噂が広まるのを待つ間、自分でもネイサン・リエイトについて調べてみたが。
とても良識のある素晴らしい人物であると、誰に聞いても同じ反応が返ってきたからだ。
「会いに行って、衝撃を受けましたわ」
イルサとの再会は、決して望んだ形での再会ではなかった。
本当はもっと許しと謝罪を込めた再会をアラクネは望んでいた。
自分の思い通りにならないことに拗ねて、あなたの事情も知らずに傷つけてしまった。
本当はずっと後悔していたのだと。
だから、許されるのならばもう一度……あなたの手を貸して欲しい、あなたはわたくしにとって一番のクチュリエールなのだから……また共に衣装を作りたいのだと。
そんなことを伝えたいと思いながら再会したのだが、イルサの姿を見てアラクネは言葉をのみ込んだ。
酷くやせ細り、生気の無い顔でネイサンの隣に立つイルサ。
誇らしげに見せていた裁縫で傷だらけだった指はすっかり綺麗になり、明るく笑っていた顔からは笑顔が消え何処か緊張感が漂っていた。
そして対称的にあの男は、満足げに笑っていた。
イルサの昔の友人に会えて嬉しいと、背筋が寒くなるような薄ら笑いを浮かべてその手を差し出してきたのだ。
「疎遠になったからといっても付き合いは長いですから……イルサの態度になにかが起きているのだと察しました。でもそれがなにかを判断するには、離れていた期間が長すぎましたから。イルサと二人きりで話をしたかったのですが、あの男がそれを許しませんでした」
久し振りの学友との再会とは思うのですが妻は些か体調が悪く、一人にはできないのです申し訳ない。
まるで蛭のようにイルサにピッタリとくっついて、二人が話そうとすれば邪魔をする。
イルサもイルサで、アラクネへの態度はそっけなく。
結局仕事以外の話はできなかった。
「けれど最後に、イルサと握手を交わしたときに。彼女はわたくしの手にこの紙を握らせてきたのです」
アラクネは差し出したデザインブックを開く。
その開いたページには手帳の端を急いで切ったかのような、小さく歪な紙が挟まっていた。
アラクネはイルサからその紙を受け取ったことをネイサンに知られないように、すぐさまこのデザインブックに隠し、馬車の中で内容を確認した。
そしてあの告発された手紙の内容は事実なのだと、理解した。
そこには震えたような字でたった一文。
見ただけで切実さを感じる文字が書かれていた。
クリスティアがデザインブックの上で所在なくある紙を、呟くように読み上げる。
「絶対にネイサンを信じないで、これはイルサが渡してきた紙なのですね?」
「はい、そうです。震えていても分かります、間違いなく彼女の字です。最後に彼女と交わした握手は冷たく、小さく震えていました。そして少し捲れた袖口から覗いた手首に一瞬、青紫になった痣が見えたのです……わたくしは疑いようもなく、あの手紙が事実なのだと悟りましたわ」
彼女の犠牲の上で平々凡々と暮らしていたなんて、なんということなのだろうか!
後悔してもしきれないと、自らを責める気持ちをアラクネは抱えると同時に、今度こそは彼女を助けなければという使命感を湧き上がらせた。
それはあの手紙に促されたからではなく、友人のためになにかしたいという……純粋な気持ちから。
アラクネは勇気を奮い立たせたのだ。
それが間違った方向へ行くとも知らずに。
「イルサを救うために、ネイサンをもっと詳しく調べ始めましたわ。そして色々と調べていて一つ、思い出したことがあったのです。学生時代、イルサに付きまとっていた男のことを」
「付きまとっていた?」
「ストーカーってことですか?」
小首を傾げたアリアドネに、アラクネは頷く。




