プロローグ
かつて、無数の武器が大地に降り注いだ。
剣が、槍が、斧が、弓が。
人々の苦痛の叫びを飲み込むように、大地を襲う。
対抗手段も無いまま犠牲になった多くの人々。
襲っていたのは、かつて神々が扱った伝説と謳われる名器。
悲しみ弔う間もなく、やがて武器たちは人類へ更なる絶望を与えた。
大地に突き刺さった武器を中心に、壁が生み出される。
それは広大な迷宮となって世界を覆った。
迷宮は無差別に広がっていった。
迷宮は、魔獣を生み出した。
迷宮から溢れ出す魔獣たちは、武器の襲撃で傷ついた人々に追い討ちを掛けるように襲っていった。
迷宮の最深部に座する姿は正に王の如く。
彼らが生み出す魔獣は人々を襲い続け、大地を食っていく。
そして、人類に垣間見えた唯一の希望。
冒険者が武器を大地から引き抜くと、迷宮は呼吸をやめたように、その機能を止めた。
何年も、何十年も、何百年も掛け、この世界の幾つかの迷宮は完全に機能を停止している。
冒険者も未探索の迷宮、まだ発見されてすらいない迷宮もある中、魔獣は地上に生態系を生み出した。
同じく魔獣に対抗する力を付けながら、時代を過ごして行った人々。
人々の生活が安定した今なお、迷宮の攻略は続いている――。
◆
「お前も、出てくる時間さえ考えてくれりゃ、可愛いモンなんだけどよっ」
水面に浮かぶ月は僅かに揺れている。魚が過ぎ去ったか、あるいは蛙が跳ねたか。否、そのどちらでもなかった。不自然なその波紋は、力が働いていることを示している。
人々が寝静まる程深くなりきった夜。静けさに似つかわしくなく、青年の声は水面に働く力と同様強い語勢で響いた。
「オラオラオラァッ」
鼓舞するために張り上げられた掛け声が、力の発生源はそこにあると主張する。
池と呼称すべきか。自然に出来たような水溜りに、地面から伝わってきた衝撃は水面を揺らしていた。荒い息が交じり合う喧騒は、闇が延々と続く暗い森に飲まれる。
世界各地に迷宮が存在するように、魔物と言う例外を除いてみれば平和という部分が唯一の長所と言うほど何も無い村、ロッド村。その村の近隣に存在する、クガイの森で争う生物の気配は二つのみ。あるいは、森のどこかで吼える野獣の遠吠えが観衆の野次にもなっていた。
猪の様な身体の、至るところから生えた角と、暗い色がまだら模様になった体毛。かつてこの世界に存在していなかったその異形な生物こそが、魔獣。禍々しささえ放ちながら魔獣は鼻息を荒くして、頭部に生えた太い角を押さえ込んでくる剣を受け止めている。
体力の消耗と、その鍔を競り合う相手との力の差に、魔獣は更に鼻息を荒くしていく。
長時間に及ぶこの戦闘。四本の足が地面を削る事で生まれる砂埃は、魔獣が剣に押さえ込まれていることを現した。このままでは殺される。知性の無い魔獣は本能で感じ取る。
生物の、生命への欲求のみが、窮地に立つ魔獣を動かした。
異形ゆえに、人間よりも強い凶暴なその筋力が、全て後ろ足へ収束する。魔獣自身が持てる力で最も強力な突進の構えをした。当然、そんな一撃を人間が喰らってしまえば確実に死に至るだろう。体重だけで考えても、成人男性の倍は重い。そこに詰まった筋肉を開放すれば、大木でさえなぎ倒せてしまう。
魔獣の後ろ足に収束した力は、地面を抉って爆発する。全ての体重と全身の力を込めて野蛮に突き進む。
もっとも、知性のある人間からしてみれば、そんな真っ直ぐにしか来ない攻撃は横に反れてしまえば簡単に避けられると言うことも、また事実だった。
「いちいちそんな大きな挙動してたら、動きがバレバレなんだよ。遅えっての」
魔獣の頭部の角が横に払われる。軌道を大きくずらした魔獣の身体は、誰も居ない空間に飛び出した。知性の無い代わりとして反射的に生まれてきたひとつの感情は、戸惑いである。自分の持てる力の全てを簡単に捌かれたことによる戸惑い。慌てた素振りで身体を向き直そうと振り返った。
もしここで、魔獣に知性があったとすれば、飛び出した勢いのまま逃げ去っていただろう。死への、恐怖と言う感情のままに動けたかもしれない。故に、足を止めてしまったのは別の感情からだった。自分の持てる力の全てを簡単に捌かれたことによる、憤怒だ。知性が無い故に、野蛮故に、怒りと言う感情を優先してしまう。
だからこそこれは、弱者の性と言えるだろう。
「これで終わりだ!」
振り返った直後、魔獣が見た物は既に振り下ろされている剣だった。一瞬で自分を斬り付けるものだと本能で理解したが、予備動作も無く、突進の勢いを止めたままの体勢では避けることも対抗することも不可能。成す術も無く、ただ断末魔の叫びが無残に響いた。
斬られてしばらくこそ敵愾心の溢れ出した瞳で立ち尽くしたが、完全に倒れ込んだ今、この魔獣が絶命するのは明らかだった。切り裂かれた腹からは血が絶え間なく溢れ続け、呼吸の間隔も徐々に長くなっている。そのか細い呼吸でさえもう間も無く止まってしまうだろう。
生気を失いつつあるその瞳に映ったと言うべきか、視線を動かす気力すら残っていない魔獣の瞳に映り込んだと言うべきか、そこには剣を背中に掲げた鞘に収める青年の姿があった。
髪の色は空のように青く、背の程は成人男性の平均にも至らないかもしれない。嫌でも映り込んでくる魔獣を斬った剣の刀身は、赤く染まっている。しかしその色味は血とは別のものだった。刀身に走った赤い線は、燃え盛る炎を描いている。伝説と謳われる名器のひとつを想像させた。
紅蓮に燃え盛る炎剣レーヴァテインは、正にその豪快な刀身に見合った派手な鞘の中に、小気味いい音をたてながら納まるのだった。




