第二十話 怒り
リリシアが泣き止むまであやすこと、約一時間。
ようやく、落ち着いたリリシアに今度食事に行くことを無理矢理約束させられたレオは重い足取りでソフィアの後ろを歩いていた。
この時、ソフィアの機嫌が悪かったのは言うまでもない。
「本当なのか?」
「……はい」
肯定の答えを聞いたレオはため息を吐きながら辺りを見回す。
どこまでも続く白い壁。
要所要所にに飾られた見るからに高級とわかる調度品。
至るところに掲げられているティリアの国旗。
「ソフィア・シェンアルト。レオンハルト・ラ・ティルヴィング様をお連れしました」
ひときわ威圧感のある大きな扉の前でソフィアは恭しくそう言う。
すると、中から男性の声で返事が返ってくる。
「入れ」
その声を聞いたソフィアは扉が開くのを待ってから一礼をして部屋に入る。
「失礼致します」
レオも一礼しようか一瞬だけ迷ったが呼ばれた理由からすぐにその考えを改める。
そんな事を考えているレオに対して慣れた動作でソフィアは部屋の奥にいる初老の男性に深く頭を下げる。
「よい、今は非公式の場。その様に畏まらなくとも」
「……そうはいきません。非公式と言ってもお客様のいらっしゃる前でそのような事はできません」
凛とした態度でソフィアがそう否定すると、初老の男性はレオに視線を向ける。
レオは思わず身を強張らした。
「名をまだ名乗っていなかったな、私の名はアーサ・ラ・ティリア。 まぁ、わかっているだろうがこの国の王だ」
飄々《ひょうひょう》とまるで世間話をするかの様な口調で話しかけるアーサ王。
軽い口調に反してのし掛かるような威圧感にレオは懐かしさと畏怖を感じる。
しかし、レオはその感情を押し殺して怒るような目付きでアーサ王を睨み付ける。
「ずいぶんと適当な挨拶だな」
「仕方なかろう、王という者は傲慢でならなければいけないのでな」
「傲慢か……、確かにな。 傲慢でなければ俺は今ここに居る筈はないからな」
刀があれば斬り殺してやると言わんばかりにレオは殺気を放つ。
「やはりか……」
アーサ王は小さく呟くと、レオの姿を厳しい目で見定める。
「骨董品を見るような目付きは止めろ、不愉快だアーサ王」
レオは言外に次はないと伝える。
アーサ王は皮肉げに唇を歪め、肘を肘掛けに置いて楽な体勢をする。
「そう殺気立つなよティルヴィングの――」
「貴様がその名を口にするな、裏切り者!!」
「レ、レオ様!?」
声を荒げ、怒りに身体を震わすレオにソフィアは驚く。
一方、アーサ王は眉間にシワを寄せ黙って話を聞いている。
「貴様が同盟国であるあの国を切り捨てたせいで何万の民が死んだと思っている!!」
十年前の戦で見た光景が頭を駆け巡る。
「例え仲間が死のうとも、兄弟が死のうとも、恋人が死のうとも、親が死のうとも、戦い続けたティルヴィングの民の気持ちが貴様に分かるのか!!」
燃える城。
壊れた街。
赤く染まった動かない人々。
「きっと同盟国である貴様らからの援軍が来ると、死ぬまで希望を持って裏切られた者の気持ちが貴様に!!」
今ここで八つ当たりしても死んだ人間は帰ってこない。
それがわかっているレオだが叫ぶしかなかった。
死んだ人間の無念を生き残った人間の絶望を。
「俺は貴様を許さない」
復讐が意味をなすのか、裏切り者を断罪するのに意味はあるのか。
その答えを知らないレオはそう怒りを吐き出すしか出来なかった。
「レオ様……」
当時何があったか知らないソフィアはレオの名前呼ぶしか出来ない。
下手な優しい言葉はレオを傷つける。
その事を知っているソフィアは口を挟む事が出来なかった。
ソフィアが戸惑っていると、玉座から声が響き渡る。
「恨むなとは言わん、ましてや許せとも言うつもりもない」
ただこの言葉だけは聞いてほしいと前置きをし。
「すまなかった」
そう言ってアーサ王は頭を深く下げた。
「――っ!!」
「謝ってすむ問題で無いことは重々承知だ」
「アーサ王!?」
わざわざレオが怒るような言い回しにソフィア慌ててアーサ王を止めようとする。
しかし、アーサ王はソフィアを眼で制して話を続ける。
「自国の為に友を見捨てたのだ。人としては最低な行いだろう」
「当たり前だ、貴様のせいで――」
「落ち着け、貴公の言いたい事はわかっている」
王とは人にして人にあらず。
「だが、王とは得てしてそういうモノなのだ」
人としての感情を持ちながら感情に左右されてはいけない。
「後悔も懺悔も王には不要なのだ」
生まれた瞬間から国に奉仕するだけの存在。
「問おう、亡国の王子よ。貴公は王というモノをなんと説くか?」
喜びも、悲しみも、後悔も、懺悔も、希望も、絶望も、全ては自国の為に封じる。
それが王なのだと、アーサ王は説く。
それの覚悟に対してレオは何も言いえず、歯噛みをするしか出来なかった。
「理解しろとは言わん。しかし、いがみ合っていては話が先に進まん」
アーサ王は肩をすくめてそう言うと、孫を見る祖父のように笑う。
「過去を振り返り、亡き人々を思い返すのはよい。しかし、過去に囚われてはいけない」
後ろを見ながらでは真っ直ぐに歩けない。
「生きているすべての人間は先をしっかりと見据え、進まなければならない」
それが生きている人間の義務であると。
それだけが、亡き人々に手向けられる鎮魂歌だと。
「さぁ、レオンハルトよ。私の傲慢で押し付けがましい高説は以上だ。貴公はどうする?」
過去を怨みこの場で刃を向けるか、過去を赦し話し合いをするか。
そう言外にレオを試すような事を言うアーサ王。
レオは一回だけアーサ王を睨み、深く深呼吸を一つし。
「詭弁だな」
呆れたような声で反論する。
「ティルヴィングの生き残りであるレオンハルト・ラ・ティルヴィングは亡きすべての民に代わり貴様を赦さない」
「レオ様、何を――」
「ほぅ? ならば、刃を向けるか?」
今にも切り殺さんばかりの怒気を発するレオをアーサ王は心底愉しそうに笑う。
その雰囲気にソフィアは絶句し、身を強張らせた。
「ああ、今すぐにでも貴様の喉元を斬り裂いてやりたい」
「それならば、やるがよい。きっと晴れやかな気分になるだろう」
レオは黒兎に手をかける。
「レオ様だめ……」
「下がれ、ソフィア。これは私とレオンハルトとの話し合いだ」
レオを止めようとするソフィアをアーサ王は注意する。
「話し合いの域を越えてます。お互いに敵意を持っていては話し合いの意味はありません!!」
「正論だな、ソフィア。だが、この話は正しいだけでは意味はない」
「そうだ。国とは正論だけ掲げていてば罷り通るものではない」
自国に戦火が飛び火するのがマイナスだから同盟国を見殺しにした。
自国側から言わせたら正論で当たり前の事だが、これが同盟国側ならどうだろうか。
負け戦だからといって見殺しにされた国は正論だからといって納得するだろうか。
「でも――!!」
ソフィアが目蓋に涙を溜めながら反論しようとする。
しかし、言葉が見付からず、とうとう泣き始めてしまう。
「アーサ王……」
「あぁ、もういいだろう」
泣き始めたソフィアを見て二人は頷きあった。
同時に、子供がイタズラを見つかったような顔をする。
「ソフィア安心してくれ。ここには傭兵であるレオンハルトとして呼ばれただけでアーサ王を斬りたい訳じゃない」
黒兎を左から右に差し替え、レオは頬を掻きながら白状していく。
「私もレオンハルトを呼んだのは王としてではなく、アーサ・ラ・ティリアとしてだ」
それにあわせてアーサ王も自白する。
「……それは、どういう事ですか?」
二人の自供を聞き、ソフィアはピタリと泣くのを止めた。
同時にレオとアーサ王は背中に冷たいモノを感じた。
「えーと、そのだな」
「なんというか、その」
まるで、戦場に立っているかのような緊張感に二人とも口ごもってしまった。
「二人とも答えられないようなので質問を変えます。なんでそんな事をしたのですか?」
「「……からかうためです」」
その日、ティリアの王の間では大きな雷が降った。