104 戻らないお二人
翌日の夕方。陽が傾き始めた頃に狩りの参加者たちが捕らえた獲物を携えて続々と王宮に戻ってきた。
夕方の宴に合わせて、昼から衣を替えて準備をしていたわたくしは着飾った姿で昨日と同じ大広間へ入る。
今日は雹華と明明の代わりに美玲と麗麗に付いて来てもらった。理由は勿論、冬家に縁のある人間が官吏側の席にいるか確認して貰うためだ。
昨日、宴が終わって冬宮に戻ったあと鈴莉に尋ねたけれど、わたくしと同じく特に冬家縁の見知った顔は見たなったと言っていた。
じわじわと昨日と同じ顔ぶれが揃っていく中、大広間から見える中庭には参加者ごとに捕えた獲物が並べられていく。
小さな獲物から大きな熊または猪のような獲物1頭だけの者もいれば、鳥や兎に猪といった小物を沢山捕らえた者もいるようで、人によっては獲物が山のように積まれている。
中でも獲物の数が一番多いのは龍強様だった。熊一頭に鹿が二頭、それから鳥が三羽、他にも兎が積み上げられている。
短時間でこれ程の量、それも大物を含めてとなると、龍強様は獲物を見つけることにも長けているようですわね。そして、それは手際よく狩りをされた証だわ。何より今のところ参加者の中では一番大きな熊の獲物を仕留めているんだもの。
龍強様の獲物の量を見て、あちこちで歓声が上がる。
「獲物の大きさは勿論のこと、量もこれ程までとは!」
「今年の秋の宴で皇帝陛下から褒美を賜るのは龍強殿かもしれませぬぞ」
「戦場でも活躍されている御方だ。あり得ますな」
どうやら官吏や他の参加者たちから見ても、皇帝陛下から褒美を貰う人物は龍強様が有力候補のようだ。
聞こえてくる周囲の声に耳を傾けながら、わたくしは参加者が外から戻ってくる出入り口を見つめる。
煌月殿下はまだかしら? お怪我などなさっていないと良いのだけれど……
そう心配していると香麗様が「うっ」と小さく呻き声を上げて顔を青くしていた。
わたくしの故郷である北部は作物が育ちにくいため、狩りは頻繁に行われている。
狩った獲物が並べられている様子を見て気分が良いかといわれると決してそうではないが、わたくしには見慣れた光景でもあった。だけど4大家門の娘となると息絶えた獣など見慣れていないのが普通だ。
万姫様ですら怪訝そうな表情を浮かべている。だけど、意外にも梨紅様は平気な顔で運ばれてくる獲物を眺めていた。
東部は実りが多いから動物も沢山いるのかしら? だとしたら北部と同じように狩りも盛んなのかもしれませんわね。
再び続々と戻ってくる参加者を見ていると、また直ぐに煌月殿下のことが心配になってくる。
陽の傾き具合からして、辺りはだいぶ暗くなっている。秋の宴の狩り終了はもうすぐそこまで迫っている筈だ。
そのこともあり、“殿下たちはまだか”と言う声が聞こえ始めている。煌月殿下だけでなく、煌運殿下もまだお戻りになっていないようだ。
「誰か、戻ってくる時に殿下たちを見かけていないのか?」
「まぁまぁ。殿下方はギリギリまで大物を狙っておられるのでしょう」
楽観的な声も聞こえるが、心配する声が目立つ。
「なんや、騒がしいですねぇ。まだ時間はあるんやさかい、少しは落ち着かはったらよろしいのに」
扇子で口許を隠しながら、梨紅様がざわめきを見せる方へ視線を向けている。そんな彼女に万姫様が口を開いた。
「煌月殿下と煌運殿下が、お二人とも戻られていませんもの。仕方ありませんわ。それに、過去には秋の宴で狩りに参加した幼い皇子が流れ矢で命を落としたこともあると、聞いたことがありますわ」
「……流れ矢ですか」
わたくしが呟くと万姫様が「ええ」と頷く。
「他の方と狩り場が近かいと、獲物を狙って身を潜めていると、あとから来た人に獲物と間違われて狙われることがあるそうですわ」
果たしてそれは事故なのか、それとも故意に狙われたのか。
恐らくは後者でしょう。皇族には護衛が付く上に幼い皇子ともなれば、それなりの人が側に付く筈ですもの。
煌月殿下は腕が立つ御方だけれど、森の中で後ろから狙われたら気付けないかもしれない。
皇位継承権を持つ煌月殿下と煌運殿下が狙われる可能性は十分ある。ただし、その場合に得をする人物は限られている。
煌月殿下と煌運殿下の身に何かあった場合、皇位継承権は煌秀殿下が一番目となる。そうなれば疑われるのは雪欄様だ。
わたくしは思わず雪欄様の方を見た。彼女は表情を変えるとこなく、堂々とした佇まいで席に座っている。その姿に安心していると大きな声が響いてきた。
「どういうことか説明なさい!!」
声の主は皇后陛下だ。周囲の視線があっという間に皇后陛下に集まった。
「ここに帰ってきた者の誰も煌運の姿を見ていないですって!?」
「は、はい……。現段階では日付が変わってから煌運殿下のお姿を目にした者は戻っておりません!」
狩りに参加していた宦官の一人が皇后陛下に跪いて報告している。その表情は青く、皇后陛下からの叱責を一身に受けていた。
「ちゃんと参加した全員に確認したのですか!? よく調べなさい!!」
「は、はっ!!」
命令された宦官が走って狩りに参加した人たちが集まる方へ向かう。
「何をグズグズしているのです!! 直ぐに捜索隊を出しなさい! 一刻も早く煌運を探すのです!!」
周囲で様子を伺っていた官吏たちに皇后陛下はそう指示を飛ばされた。
いつになく焦った様子の皇后陛下の姿にわたくしたちお妃候補は勿論、女官や宮女、官吏たちまでもが意外な姿に驚きを見せていた。
「わたくし、皇后陛下があれ程取り乱しているお姿、初めて見ましたわ」
香麗様が呟く。
「わたくしもですわ。夏家出身同士、宴の打ち合わせなどで何度も皇后陛下とお会いしましたけれど、ここまで取り乱される姿は見たことがありません」
「万姫様が見たことあらへんとなると、相当なことですねぇ」
「そこまで仰ると大袈裟に聞こえますわ」
万姫様と梨紅様のやり取りを聞いていて、わたくしはふと思う。
「まだ戻っていないのは煌月殿下も同じですのに……」
皇后陛下は煌運陛下のことばかり心配されていましたわ。
「そうですわよね。皇后陛下があれ程取り乱されるお姿を見ると煌月殿下も心配です」
香麗様が頷いて眉を寄せる。だけど、梨紅様は落ち着いた表情をしていた。
「まだ他にも戻ってはらへん方はいてはりますし、そないに心配する必要はあらへん思いますけどねぇ」
「香麗様は単に周囲や皇后陛下の生み出す空気に引っ張られて不安になっているだけですわ。梨紅様ったら、そんなことも分かりませんの?」
「あら? 万姫様はわたくしに喧嘩でも売ってはるんやろか?」
「まさか。そんなつもりはありませんでしてよ?」
バチバチと梨紅様と万姫様の間で火花が散る。
その様子に香麗様はオロオロとされたけれど、いつも通りなお二人のやり取りのお陰で少なくともわたくしは落ち着きを取り戻した。
そうよ。まだお戻りになっていない参加者の方は他にもいらっしゃるわ。わたくしも雪欄様を見習って冷静に待たなければいけませんわね。
もう一度、わたくしは雪欄様の方を見た。やはり表情もいつも通りで堂々とされている。
そんな時、またしても皇后陛下の声がした。