第9話 危険なショッピング
平日の午前中ともあってショッピングモールは空いていた。とはいえ閑散としているわけではなく、フードコートのテーブル席が四分の一ほど埋まるぐらい客の入りはあった。そのフードコートを囲むように店舗が6階まで密集しているのだが、各階の通路は吹き抜けに面していて上の階からはフードコートとイベントスペースが一望できるようになっていた。今週のイベントは『災害でかつやくするロボットたち』という子供向けの展示で、ステージ上ではスケルトニクス(沖縄出身の三人組が開発した搭乗型外骨格の有人ロボット。手足に連動した操作で動かすことから拡大型パワードスーツとも呼ばれる)が6体並んでいる。
今枝は4階通路の手すりにもたれ掛って雑貨屋店内と周囲を警戒していた。何の変哲もないのどかな光景に時々欠伸が出そうになる。その度に懐に忍ばせたハンドガンを確かめて気を引き締める。今枝が注文したハンドガンはフルオート機構を採用したグロック18を改造したものだった。『グロック』シリーズの特徴は、ポリマーフレームの採用による軽量化だ。通常、銃の重量が減ると発射時の反動が大きくなってしまうのだが、このシリーズはそれを上手く抑えることによって見事にバランスを保っている。この品は、昨日、今枝が八神青年にメモを手渡した4時間後に届けられた。恐らくは3Dプリンタを不正使用した密売グループが関わっているのだろうが、夜中に試し撃ちをした感じでは正規品と遜色はなかった。銃の重みと固さを感じながら今枝は店内の様子をぼんやりと眺める。
「女の買い物は長いな……」
女の子向けの輸入雑貨を扱う店で八神花梨は飽きもせずに次から次へと商品を手にしている。彼女が嬉しそうに八神青年に話しかけて彼が静かに頷く。それの繰り返しだ。その様子は傍目には仲の良い兄妹に見える。むしろカップルといっても通用する。だが、相変わらず青年は無表情で、買い物に付き合わされている兄といった風だ。そのせいか今枝は余計に昨日のランチの件が気になった。そして八神家の奇妙な家族関係について思いを馳せた。
―― なぜあの母親は娘を昼飯に呼ばなかったのだろうか?
昨日、待ち合わせのロビーに現れた八神青年の母親は八神桐子と名乗った。年齢は四十代半ばぐらいに見えたが青年の母親ということは実際の年齢は五十を超えているはずだ。よって意外に若いというのが今枝の第一印象だった。美しい女性であることは間違いない。だが、そこは青年に負けず劣らずの無表情で会話はまるで弾まなかった。彼女は八神青年に会ったからといって笑顔をみせるでもなく、今枝に社交的な表情をみせるでもなく、必要最小限の言葉しか口にしなかったからだ。そして彼女に一緒に付いてきた男。これもまた無愛想だった。年齢不詳というか金髪に日焼けした中年というのは、どうしてこうも年齢があやふやなのだろうといつも今枝は戸惑ってしまう。男は左足の踵を痛めているのか歩くのに少しぎこちなさがあったが筋肉質な体つきをしていてバイタリティがありそうな人物だった。そして「姉さん」と、その男が八神桐子に声を掛けたので男が近親者であることが分かった。彼は昼食の席を共にするつもりはないらしく、「俺は適当にその辺で済ませてくるから」と、会食を辞退した。彼は青年からすると叔父にあたるのだろうが2人の間に会話はなかった。叔父は青年の顔を見てニヤニヤするだけで何も言わない。青年も叔父と目を合わせようとしない。また、八神桐子も弟の言葉に一瞥をくれただけで返事はしなかった。そんな具合でとても肉親が集まったという雰囲気ではない。まるで、レストランで合席を余儀なくされた他人同士のようだった。八神桐子は今枝に対しても『冷たい』態度で接した。例えば、彼女が「その方が今のパートーナー?」と聞くので今枝がお辞儀をして名乗ろうとすると彼女はそれを無視して、「そう。それじゃ行くわよ」と、早々と歩きだしてしまった。そのせいで自己紹介のタイミングを失ってしまった今枝は苦笑いを浮かべるしかなかった。そんな彼女の態度に今枝は次第に彼女はあらゆる物事に関心が薄いのだと感じざるを得なかった。それは食事ひとつとっても明らかだった。彼女が蒸したスズキに殆ど手を付けていないのを見て今枝が「魚はお嫌いなんですか?」と訊ねた時、彼女は「嫌い?」と不思議そうに首を傾げた。まるで記憶喪失の人間が単語の意味を思い出せないときのように。そこで青年が「母は好きや嫌いというものが無いのです」とフォローしたのだが、彼女は能面のような顔つきで今枝の顔を見るだけだった。そのやりとりから今枝は、八神桐子は単に感情が薄いというより、まるで世の中の様々な事象に興味が無いのではないかと思ったのだ。そうとでも考えない限り、彼女の息子に対する態度や娘を完全に無視する理由が見当たらない。たった一時間あまりの間であったが、八神桐子という人物の人間性について伝わってくるものは皆無だった。まるで、ロボットと食事をしているようだとさえ感じられた。食事会の後でそのことを今枝が口にすると、八神青年は表情を変えずに頷いた。
「おっしゃる通りです。母は感情の無い人間なのです。そして自分は母に似たんです」
「感情が無いとは大げさだな」
「いいえ。そういう脳の構造なのかもしれません。以前、ロボトミー手術のことを調べていた時に他人事のようには思えませんでした」
「おいおい。怖いことを言うな。親父さんは脳の外科医なんだろう? 洒落にならんぜ」
100年前の第二次世界大戦の頃に行われていたロボトミー手術は前頭葉の一部を切除することで精神分裂病を改善するとされていた。勿論、現代では否定されている治療法だが青年が幼少期に父親の書斎でその手の書籍などを漁っていたというのを聞いていただけに今枝は得体の知れない違和感を抱いた。
昨日のことを思い出しながら向かいの3階通路にふと目をやった瞬間、今枝の顔が「あれは……」と、強張った。
吹き抜けを挟んで反対側の通路までは百メートル近く離れている。だが、今枝の目は二人組の男の後ろ姿に釘付けになった。
「あの歩き方……まさか奴らが?」
今枝の脳裏を安ホテルで遭遇したイタチのような男が過った。それは今枝にこの仕事から手を引くよう脅してきた人物だ。つまり、敵対勢力である。今枝はしばらくその男の歩き方を見て確信した。やはり、あの時の人物に間違いない。幸い、敵はこちらの存在には気付いていない。
今枝は急いで店内に入り、八神青年の背後から近づいて耳打ちした。
「あまり長居はできないぞ」
青年は表情を変えることなく応える。
「何か怪しい人間でも?」
「向かいの通路に見覚えのある奴が居た。例の物を狙っている連中だ」
「確かなのですか?」
「ああ。離れていても歩き方で分かる」
今枝がそう断言するので青年が首を傾げる。
「歩き方、ですか」
「尾行する時の基本さ。ターゲットの顔を覚えるんじゃない。歩き方を頭に叩き込んでおく。それなら遠くからでも見失わない」
「そういうものですか……分かりました。では、切りあげることにしましょう」
そういって青年は花梨に声を掛ける。
「花梨。そろそろ帰るよ」
熱心に文房具を触っていた花梨が振り返る。
「えーっ! もう?」
「すまない。安全のためだ。それも買うかい?」
花梨は手にしていたカエル型のティーポットを棚に戻しながら首を振る。
「これは要らない。けど、アイスクリーム食べたいんだけど」
「すまない。時間が無いんだ。それはまた今度」
「やだやだ。まだ見たいトコいっぱいあるのに!」
「花梨。分かって欲しい。今は我慢するんだ。良い子だから」
八神青年に諭されて花梨がこくりと頷く。納得はしていないようだが強く反発するわけでもない。良い子だからと言われて素直に従うあたりは可愛らしい。
青年が今枝の顔を見て無言で頷く。同様に今枝も頷く。そして店外に出ようとした時だった。只ならぬ爆音が耳をつんざいた。轟音がショーウインドウを震わせる。爆音の不意打ちに身を固くした面々であったが最初に今枝が我に返った。
「爆発音……のように聞こえたが」
「ですね。まさか……」と、青年が花梨を庇いながら顔を上げる。
ところがそこで警告音と臨時放送が流れた。
『火災発生! 火災発生! 従業員は速やかにお客様を非難口に誘導してください。繰り返します。サウスエリア4階で火災発生……』
爆音に硬直していた店員が放送を聞いて、はっとしたように動き出した。各々の端末に緊急エリア・チェイン(事故や災害発生時に当該エリアに位置する端末を強制的に繋ぐシステム。当事者が共通のフィールドでリアルタイムで情報共有することができる)の画面が開く。青年がそれを確認しながら今枝に尋ねる。
「彼等の仕業でしょうか? サウスエリアの4階B区画で爆発だそうですが……」
「さあな。とにかく早く引き上げたほうがいい。モタモタしてると避難客で出口がごった返すだろうからな」
「まさかそれが目的? 我々を足止めする為に騒ぎを起こしたのでしょうか」
「その可能性も考慮しておくべきだろうな」
花梨が青年と今枝のやり取りを不安そうな顔つきで聞いている。
青年が花梨の肩を抱き寄せながら冷静にいう。
「大丈夫だよ、花梨。では急ぎましょう。今枝さん、こちらです」
彼は店外に出て右に向かおうとした。
それを見て今枝が驚く。
「そっちからだと遠回りだろう?」
「いいえ。ウエストエリアに向かいます」
「ウエスト? 車はイーストエリアに停めただろう?」
「他のエリアに別な車を用意しているのです。昨日のうちに車を停めておきました」
青年は至極当然と言った風にそう答えた。それを聞いて今枝が「なるほど」と、感心する。万が一の場合、逃走ルートは複数用意しておくにこしたことはない。
その時、二回目の爆発が左手で連発した。
「くっ!」と、今枝が顔を歪める。それほどまでに強烈な音が周囲を蹂躙した。通路に出ていた客や従業員たちは一瞬でパニックに陥った。耳を押さえ目を瞑る者、しゃがみ込む者、意味なく悲鳴をあげる者、反応は様々だが落ち着いて避難するという雰囲気は消し飛んでしまった。音のした方向に目を遣ると、まるでビールの泡が零れ落ちるみたいに噴煙が吹き抜けに溢れだそうとしていた。シャリン、シャリンという音はガラス片がフードコートに降り注ぐ音だと思われる。しばらくして突然の連続爆発で思考停止していた人々がようやく我に返ったように一斉に避難を開始した。
そんな中で青年は相変わらずのポーカーフェイスで呟く。
「またですか……これは人為的な物と判断して間違いないですね」
「ああ。大げさな連中だ」
そこで逃げ惑う人々が今枝達の向かう方向に流れてきた。
「マズイな。今の爆発でこっちに人が流れてきた。急げ!」
「はい。分かりました」
青年は花梨の手を引いて先を急ぐ。今枝はその数歩後ろから周囲を警戒しながら進む。通路や階段が詰まってしまうと結果的に避難が遅れる。予想通り、あっという間に階段は混雑してしまった。上の階からは焦げ臭い煙がゆっくりと降りてくる。それ以前にこのフロアにも煙が充満し始めていて視界が遮られる。今枝は青年たちを見失わないように距離を縮めようとした。が、青年が下に向かう階段に足をかけた時だった。彼の後ろに居たグリーンのジャンパーを着た男が強く青年にぶつかった。タックルを受けた形で青年が大きくバランスを崩す。そして、彼の手が花梨の手と離れる。そこで今度は花梨の背後を進んでいた巨体の持ち主が彼女の腰に手を回して引き寄せようとした。
「花梨!」と、青年は階段を踏み外しながら叫ぶ。
「お兄ちゃん!」と、助けを呼ぶ花梨。だが、巨体の男に引っ張られて彼女は上へ向かう階段に引きずられていく。
「マズい!」と、今枝がダッシュする。
今枝は巨体に接近すると、躊躇することなく全力の蹴りを見舞った。それが敵の左膝の裏にクリーンヒットする。
「うぐっ!」と、巨体の動きが止まる。すかさず今枝は懐から抜いた銃で巨体の側頭部を殴りつけた。骨を直接打つような鈍い音がして巨体が前のめりに崩れ落ちた。
「こいつ!」と、背後で誰かの声がした。
今枝は振り返るより先にしゃがみ込み身体を反転させる。そして突進してくる男を見上げるような形でその股間に右の拳をめり込ませた。男は攻撃をすかされ、カウンターで強烈な一撃を股間に食らって苦悶の表情を浮かべる。そこに素早く立ち上がった今枝が、左肘をアッパーカットの要領で振り上げ、追い討ちをかける。これまた骨が砕けるような鈍い音がして男の下顎が天を突く。男は完全に意識を失った状態で顔から前に倒れ込んだ。
それを確認しながら今枝が銃をしまい、ジャケットの襟を整える。
「フン。なかなか使える技じゃないか。地下闘技場を観に行ったかいがあった」
目の前に倒れているのは青年を突き飛ばしたジャンパー姿の男と一致した。周りの客はみんな避難してしまったようで今枝達だけが取り残されてしまった。
「大丈夫ですか?」と、青年が近づいてくる。
「あまり大丈夫そうじゃないな。こいつらは」
そういって今枝は巨体とジャンパー姿の男を順番に眺めて首を竦めた。
「急ぎましょう。行くよ。花梨」
青年は怯えた様子の花梨に声を掛ける。
今枝は鼻をこすりながら顰め面をする。
「君らは先に行け。俺は少々、こいつらに用がある」
「分かりました。後で合流しましょう」
「気をつけてな」
先ほどより周囲の煙が濃くなってきた。もたもたしている時間は無い。今枝は青年達が階段を降りていくのを見送ってからジャンパーの男を仰向けに引っ繰り返した。そしてジャンパーのポケットを探る。
「せめて端末が回収できれば……」
その時、今枝の背後から何者かが近づく気配がした。反射的に立ち上がり、銃を抜く今枝。が、その鼻先に尖った物体が接近、そしてピタリと止まった。
「ほう。良い反応だ」と、相手の男は感心した。
「やはりアンタか」と、今枝が男を睨む。
そういう今枝の右手に握られた銃は相手の眼前に向けられている。男はアイスピックを、今枝は銃口を、互いの顔に突き付ける形で二人が対峙する。どちらかが一歩でも踏み出せば互いの武器に顔が触れてしまう距離だ。しかし、共にピクリとも動かない。というよりも動けないのだ。
イタチのような男が口角を上げながら言う。
「しがない探偵がそんな『おもちゃ』を持っていて良いのか?」
対抗するように今枝も不敵な笑みを浮かべる。
「そっちこそ。うだつの上がらないビジネスマンの爪楊枝にしては大げさだな」
イタチ男は銃口を突き付けられているにも関わらず余裕ありげにいう。
「止めておけ。せっかくの新品をこんなところで使うのは勿体ないだろう?」
「残念ながら新品じゃない。昨夜のうちに試させてもらった。勘を取り戻す為にな」
「ほう。そいつは聞き捨てならんな。つまり、こういうことには慣れていると?」
「アンタのこれも年季が入ってるんじゃないか? それに何か塗っているだろう。光り方が変だ」
今枝の返しにイタチ男がニマリと笑う。
「嘘をつけ。この煙の中で針が光るか? 面白いことを言う」
「バレたか。てっきり毒でも塗っているのかと思ったぜ」
「その辺りは想像にお任せする。しかし、残念だ。君のような有能な部下がいればこの程度の仕事など雑作ないのだが。それに比べてそこに転がっている部下の無能なこと……実に嘆かわしい」
「暗に認めるんだな。アンアタらはあの兄妹をどうしようっていうんだ? 拉致する為だけにこんな無茶しやがって」
「拉致とは心外だな。我々は運送業としての責務を全うするだけだ」
「フン。何が運送業だ」
「前にも言ったがこの件からは手を引いた方が身のためだぞ」
「職業選択の自由」
お互いに武器を使用するつもりが無いことは分かっていた。だが、同時に隙を見せることも出来ない。不毛な会話を続けながらも次の行動が制限されてしまう。張り詰めた空気、益々濃くなっていく煙、その緊張感は意外な形で破られた。
「何をやってるんだアンタ達! 早く避難するんだ!」
そう叫びながら警備員が近付こうとしている。
「やれやれ。一時停戦だな」と、イタチ男がアイスピックを懐に仕舞った。それはまるで今枝が撃つことは無いと見越したかのような態度だった。続いて今枝も銃を仕舞う。そして忌々しそうに鼻を鳴らす。
「フン。真相は知らされず……か。雇われの身は辛いな。お互いに」
その言葉に対してイタチ男は含み笑いを浮かべた。
「無事に帰れるといいな。家に着くまでが遠足だからな」
彼はそう言ってすっと煙の中に姿を消した。
「言われなくてもそのつもりさ」と、今枝が独り言のように返事をする。
イタチ男がどちらの方向に向かったのかは分からない。今枝は軽く息を吐き出して緊張を解いた。そして階段を駆け下りた。
今枝がウエストエリアの店舗街を突っ切って館外に出た時には既に人の気配は無かった。その代りに駐車場方面は人や車が慌ただしく蠢いている。その様はミツバチが敵の侵入に右往左往する様を連想させた。特に出口に向かう方向は車が集中していて緊急車両のサイレンが遠方から聞こえてくるが、こちらに向かって来ることは困難であるように思われた。
『今枝さん。そこから右に向かってください』
それは八神青年からの通信だった。指示通りに今枝が右に向かって数十メートル進むと赤いスポーツカーが近づいてきた。それも歩行者用通路を結構なスピードで。
「おいおい」と、今枝が苦笑いを浮かべる。
車は今枝の真横で急停止してドアが開かれた。
「今枝さん。行きますよ」と、青年が運転席から声を掛ける。
助手席に乗り込みながら今枝が苦言を呈する。
「交通ルールぐらい守れよ。幾ら人が居ないからといっても流石に走る場所が違うだろう」
「仕方がありません。混雑しているものですから」
青年は平然とそう言ってハンドルを握り直した。そして景気よく足に力を込める。と同時に車が発進する。オートドライブの車では有り得ない急加速だ。
今枝がシートに背中を押し付けながら尋ねる。
「すごい加速力だな。違法改造か?」
「勿論です。そうでなければ歩道は走行できませんよ」
「OK。十歩譲ってそれは良いとしよう。だが、そんなお行儀のいい運転をどこで覚えたんだ? まさか通信教育とか言うなよ」
「正式に学んだ訳ではありません。はじめての試みです」
そういった青年の横顔に悪びれた様子は無い。かといって必死さも見えない。相変わらずの無表情で危険な運転にチャレンジする様はかなりシュールだ。
車は歩道を疾走し、段差を乗り上げ、植込みを突っ切り、時々何かに接触した。どこかにぶつかる度に反対側に大きく振られ、それを立て直すのにふらついた。予想外の大きな振動も一度や二度ではない。まるでバーチャルゲームに出てくる秘境探索トロッコのようにスリリングなドライブが展開していく。流石の今枝も身の危険を感じてシートベルトを引っ張り出した。
出口に向かう車列を横目に無茶苦茶なコースを走行する。と、そこに視界の右側から黒っぽい物体が接近してきた。
「危ない!」と、今枝が注意を促す。
青年が思い切りハンドルを左に回す。直前で衝突を回避したと思った。だが、次の瞬間にその物体が進行方向を塞いだ。そのせいで青年は急ブレーキをかけざるを得なかった。はじめはトラックが飛び出してきたのだと思った。が、直ぐに異変に気付いた。それは先ほどのフードコートで見た展示物と同じものだ。
「スケルトニクスだと!?」
二足歩行タイプの外骨格式パワードスーツ。それは自衛隊や消防が持つ重機のような角ばったものではなく、より人型に近いものだった。
青年がフロントガラス越しにそれを注視しながら言う。
「明らかに違法改造ですね。操縦者がまったく見えない」
違法改造車を運転する青年が言うのもなんだが、確かにそれは普通の有人ロボットではなかった。通常、災害救助や工事現場で活躍するそれは、操縦者が外から見えるようにすることが義務付けられていた。それは安全性確保の為もあるが、実際は犯罪に使われることを防止する目的もあった。十数年前に店舗荒らしや強盗に有人ロボットが悪用されたことから操縦席を隠すことを禁止するように法が整備されたのだ。しかし、目の前に立ちはだかるそれは操縦席がプレートで覆われていて、重装備の騎士のようなフォルムはSFに出てくる戦闘的なロボットのように見えた。
先に動いたのは敵ロボットだ。両端が盛り上がった肩当てから延びる右アームがすっとこちらに向かって伸びてきた。その動きは驚くほどスムーズだ。
「バックしろ!」と、今枝が叫ぶ。
青年が操作に迷う間に軽い振動があった。見るとボンネットの先端にアームの先端がかかっている。三本の爪がしっかりと食い込んでいるようだ。ワンテンポ遅れて車が急加速でバックする。下がろうとする車とロボットの綱引きになる。空回りする前輪の音が悲鳴のように聞こえる。今度は左アームが延びてきた。間一髪、左アームに捕まる前にボンネットの一部が千切れて車は後方にダッシュした。数十メートル引き離したところで青年がUターンを図る。今枝は窓から顔を出して敵の動きを確認する。敵ロボットは既にこちらに向かって走り出している。それは人が走るのと同等かそれ以上の速度に見えた。
「追いつかれるぞ! 急げ!」
青年は目一杯ハンドルを切って、ぎこちない方向転換を成功させた。しかし今度は前進するのに手間取ってしまう。その間にも敵は迫ってくる。
「出せ! 早く!」
それを合図に車が急加速した。ギリギリのタイミングで何とか敵を引き離すことができた。バックミラーで敵との距離を確認して今枝が息をつく。
「あんなものまで出張ってくるとはな……」
「敵はどうしても花梨を拘束したいようです。手段を選ばない連中だとは考えていましたが、有人ロボットまで投入してくるとは想定外でした」
今枝は懐に手を入れながら溜息をつく。
「やれやれ。これじゃとても敵わないな。流石にアレが相手じゃあな」
とりあえず敵ロボットからは逃れた。だが、まだショッピングモールの敷地外に出たわけではない。もたもたしていると敵の思うつぼだ。
「どうする? 出口は詰まってるぞ」と、今枝が前方のゲート付近を見て尋ねる。
「ちゃんと考えています」と、青年はハンドルを大きく右に切る。
車が渋滞する箇所を避けて青年は立体駐車場の入口に車を滑り込ませた。
「おい! 何で戻るんだ?」
「これで良いのです」
「マジかよ!」
今枝は戸惑いながら身体を揺さぶる重力に耐えた。車は立体駐車場をグングン登っていく。結構なスピードでグルグルと回りながら上へ上へと向かう。殆ど空っぽになった駐車場はやけに広く感じられる。その中で今枝達を乗せた車だけが狂ったように上の階へ突き進む。勿論、何度も壁にぶつかりながら……。
屋上に出たのは車外の明るさで分かった。しかし青年はスピードを緩めない。これ以上どこへ行こうというのか? 今枝が眉間を人差し指で押さえながら言う。
「……嫌な予感しかしないんだが?」
「まもなくです」
青年はそう答えてさらにスピードを上げた。目前に柵が迫る。だが、青年はハンドルを切らない。もはや激突は免れない。
「やっぱりか」と、今枝は諦めたように脱力した。
狂ったような速度で車は立体駐車場の柵を打ち抜いた。意外に造りが脆かったのか衝撃は思ったほどでもない。が、直ぐに浮遊感に包まれた。緑が足元を一瞬で流れていく。あっという間に灰色の屋根が目前に迫る。
「くっ!」と、思わず今枝が呻く。それは死を覚悟したような喉から絞り出された呻きだった。みるみる迫る斜面、そこにフロントがぶつかり車が大きくバウンドする。すかさずそこでブレーキがかかる。タイヤの悲鳴と車体が屋根を引っ掻く音が耳をつんざく。ずるりと下がって、そこで車が止まった。それは極めて危なっかしいバランスの上に成り立った状況だった。
「止まった……」と、今枝が目を見開いたまま呟く。
隣で青年が頷く。
「ええ。何とか止まりましたね」
今枝が端末を取り出して近辺の地図を確認する。
「倉庫の屋根か」
「ここで降りましょう。車はもう駄目ですね」
青年はシートベルトを外してさっさと車を降りようとする。
「まったく無茶をしてくれたもんだ」と、今枝が文句を言う。
しかし青年は涼しい顔で応える。
「唯一の反省点は少しスピードが足りなかったことです。ですが他は計算通り。このアプリでシミュレーションした結果とほぼ一致しました」
彼はそういって自らの端末画面を示した。そこには現在地の3Dマップに矢印が表示されている。それはまさに自分たちが飛んで来た軌跡とほぼ一致する。
「そうかい。計算通りで良かったな」
そういって今枝は首を竦め、この数十分間の出来事を思い出した。敵はテロ紛いの騒ぎを起こしてまで八神花梨を拉致しようとした。しかも改造した有人ロボットまで投入して。それに対して青年はアクション映画紛いの決死の脱出劇を演じてまで花梨を守ろうとした。
(スティモシーバーにそれだけの価値があるということか?)
物流センターの広く平坦な屋根の向こう側では青空が澄ました顔で地上の騒動を見下ろしているようにみえた。