第10話 解析結果
議員会館の12階にある西園寺の事務所は一般企業の社長室と変わらない造りだった。日当たりの良い窓際の大きなデスクが恐らく西園寺のもので他には秘書と事務員の机が2台に書棚、そして簡素な応接セットが一部屋に納まっている。部屋の奥には扉があって中はミニ会議室になっているとのことだった。ゲン担ぎのダルマや政党スローガンが飾られているぐらいしか政治家っぽさは感じられない。
西園寺公春は来客中ということなので矢内原の急な訪問に応対したのは秘書の松原という痩せた男だった。年齢は三十代半ばといったところだが額が出しゃばりすぎているせいか頭でっかちに見えてしまう。彼はずっと眉間に皺を寄せていて、矢内原の訪問を歓迎していない様子だった。
矢内原は応接セットのソファに浅く腰掛けて頭を下げる。
「無理をいって申し訳ありません」
松原は銀縁眼鏡の位置を直しながら渋い顔をする。
「本当は困るんですよね。アポイント無しで来られても」
そういって彼は露骨に嫌な顔した。無理もない。なぜなら矢内原が受付でわざと身分を明かしたので、外面を誰よりも気にする秘書としては事務所内に案内せざるを得なかったからだ。それに矢内原が中々用件を切り出さないので余計に落ち着かないのだろう。
彼は大げさに溜息をついて首を振った。
「本来なら私がお話をお伺いして先生にご意向をお伝えするのですがねぇ」
松原は何とか矢内原の目的を探ろうと試みた。しかし、その度に矢内原は「そうですか」の一言で片づけてしまう。二杯目のコーヒーがすっかり冷めてしまうまで矢内原はじっと西園寺が出てくるのを待った。間が持たないとでも思ったのか途中で松原が政治ニュースを延々と流すチャンネルをモニタに映した。事務員の若い女性は時折、矢内原の方をチラ見しては仕事をする素振りを見せていたが大して忙しそうには見えなかった。窓の外ではまだ四時前だというのに冷えた地表を温めることに疲れた太陽が店じまいをしようとしていた。何ともいえない沈黙の中でキャスターの言葉を遮るように速報を知らせる音声が混じった。
『ここで臨時ニュースです』
番組に割り込んでくるニュース速報というものは常に人の注意を引き付けてしまうものだ。矢内原もつい目を向けてしまう。
画面内のキャスターがニュースを読み上げる。
『今日正午に発生した武蔵野市のショッピングモールの爆発事故について先ほど政府はテロであると断定しました』
それを聞いて松原が困ったような顔をした。
「ああ、こりゃ厄介なことになったなあ。テロだったとはね……」
矢内原が画面に注目しながら頷く。
「昼間の爆発ですね。やはりテロでしたか」
「おや。刑事さんは現場に向かわなくてよろしいんですか?」
「いえ。それは公安の仕事です。私は担当外ですので」
「なんだ。そうなんですか」
そういって松原はわざとらしく残念がった。もはや早く帰って欲しいというのを隠そうともしない。しばらくニュースを眺めていると事務机の上で着信を知らせる音が鳴った。事務員の女の子がそれを受けて直ぐに松原の指示を仰ぐ。彼は通信をしながら神妙な顔つきで何度か頷いていたが、途中から顔を上げて矢内原の方を見てニンマリと笑った。そして内線を操作する。
「先生、官邸からの連絡でございます。緊急事態のようです」
通信を西園寺に取り次いでから松原は得意げな顔つきでいう。
「申し訳ございませんねえ。先ほどのテロ事件。アレのせいで急遽、召集がかかってしまったようです。先生は国家安全テロ対策委員会のメンバーですから」
それを聞いて矢内原が、がっかりした表情を浮かべる。
「緊急召集ですか……」
「そうです。先生は医師免許をお持ちですから専門的な助言を求められるのですよ。いやあ、申し訳ない。なんせ連続爆破事件ですから! 緊急ですよ。そりゃ官邸も慌てるわけだ!」
秘書の松原はアピールなのか急用ができてほっとしたのか分からないようなテンションでベラベラと喋った。
しばらくして会議室の扉が開いた。そして西園寺を先頭に来客が出てきた。西園寺の顔は下調べしていたので直ぐに分かった。がっちりとした体形に濃い顔つきは上野の西郷隆盛像を連想させる。
西園寺は来客を誘導しながら丁寧に頭を下げる。
「それでは八神先生、例の件。よろしくお願い致しますよ」
しかし頭を下げられた側の女性は能面のような顔つきで無反応だった。上品な感じの綺麗な中年女性だが政治家に「先生」と呼ばれるということは先輩議員、あるいは有力支援者なのだろうか。
彼女はチラリと矢内原の方を見たが特に反応は示さない。代わりに西園寺が松原に尋ねる。
「松原君。こちらの方は?」
松原が西園寺に近付いて耳打ちする。
「え? そうなのか?」と、西園寺が表情を曇らせる。が、その辺りは流石に政治家らしく動揺することなく冷静に対処する。
「松原君。代わりに用件を伺っておくように。失礼の無いようにな」
「はい。かしこまりました。私が、代わりに伺っておきます。きっちりと!」
松原は『私が』の部分を強調して胸を張った。その間に矢内原は女性と連れの男を観察していた。八神先生と呼ばれた紺色のパンツスーツ姿の女性は愛想というものがまるで無い。またそれは連れの中年男性も同様だった。グレーのスーツを着て身なりはきちんとしているのだが、金髪で色黒という風貌は永田町界隈では異様だ。そして足を悪くしているのか左足を地面につける際に踵を少し浮かせている。その男性が女性を促して出口に向かう。西園寺はその後姿を眺めながら上着を着込んだ。そして、そそくさと出口に向かおうとする。が、一旦、戻ってきた。
「おっと、いけない。レッドファイルを忘れるところだった」
彼は窓際のデスクに向かうと山積みされていた書類の一番上にあった赤いファイルを引っ手繰るようにして持ち去った。
一連の動きを眺めていた矢内原が松原に尋ねる。
「レッドファイルというのは危機管理マニュアルですね? 今時、紙のマニュアルなんて珍しい」
松原は矢内原にソファに座るよう促しながら自らもどっかと腰を下ろす。
「ああ、そうでもないんですよ。政治の世界ではね。未だに『大事なものはペーパーで』というのが常識です。特に漏れてはならない情報を扱う場合は」
「なるほど。テロ対策ですからね。確かに国家機密だ」
松原は姿勢を正して今日何度目かの質問を口にした。
「さて、本日は警察の方がどんなご用件で?」
しかし矢内原は何か思うところがあるらしく彼の質問には答えず、逆に尋ねる。
「ところで、先ほどの女性は?」
「ああ、八神先生ですか。先生の恩師なんですよ」
「どうりで。議員でも頭が上がらないわけだ」
「ただ、悪気はないのでしょうが、ご覧のとおり愛想の無いかたで……」
松原はそこまで言って少し言い過ぎたかなという表情で言葉を切った。
「西園寺議員の恩師ということは彼女も医師というわけですね」
「そのように聞いています。それで本日のご用件は……」
「ああ、そうでした。今日お伺いしたのはお願いがありまして」
「ほう。お願い、ですか」
そう言って松原は拍子抜けしたように身体の力を抜く。恐らく警察と聞いて何か不味いことを聞かれるのではないかと警戒していたのだろう。
矢内原は相手をリラックスさせる為にわざと笑顔を作る。
「西園寺先生の地元は愛媛県松山市でしたね」
「ええ。まあ、そうですが」
「松山にある西園寺記念病院は先生のご実家ですね」
「その通りですが……それが何か?」
「西園寺先生は病院経営に関わられているのですか?」
「いいえ。地元に戻られた時に顔を出す程度です。今は親戚の方が実質の経営をなさっていますので」
「最近、ホームページは更新されていませんね」
それを指摘されて秘書は嫌な顔をした。
「それをこちらに言われてもねえ。対応しかねます」
「じつは今日お邪魔したのは、その病院のことなんです」
「はあ。病院がなにか?」
「古いカルテを見せて頂きたい」
「は? 何のために?」と、松原は少し警戒する。
矢内原はじっと彼の目を見ながら伝える。
「ある事件の被害者が西園寺記念病院に入院していたからです」
「ある事件……そ、それはどんな?」
「今世間を騒がせている連続殺人事件です。都内で4人の若者が頭を銃で撃たれて殺害された事件。ご存じありませんか?」
「いやいや、勿論、知っていますとも。え? しかし、そんな大変な事件の被害者が? 先生の病院に?」
「15年ぐらい前のことです。被害者の一人が子供の頃、西園寺記念病院に入院していたのです」
それは確定した事実ではなかったが矢内原はわざとそう断言してみせた。その言い方に松原が困惑する。
「分かりませんな。なんでまた……そんな昔のことを?」
「他に手掛かりが無いのです。そこで、あらゆる可能性を調べてみる必要があると判断しました。今、井深という捜査員を愛媛に派遣しています。先生にお願いしたかったのは、彼に病院内の資料室を調べる許可を頂きたかったのです」
矢内原は資料室と言う言葉を強調した。警察の捜査だということになると病院側のガードが固くなってしまう可能性が高いからだ。
「資料室ねえ……古いカルテですか。それぐらいなら……」
「これは強制捜査ではありません。情報提供のお願いなのです。もし先生のご判断が必要でしたら直接お願いしますので、このまま待たせて頂きますが」
「わ、分かりました。そういうことでしたら協力しましょう。今から私が先生に代わって病院にその旨を伝えておきますので。きょ、今日はお引き取りください!」
居座られては困るといわんばかりに松原が慌てる。
「助かります。早速、連絡を入れて頂けますか」
結局、その場で松原に連絡を入れさせて矢内原は議員会館を後にした。しかし目的を達成してほっとしたのも束の間、今度は警視庁に戻るまでの間に最初の事件があった病院に張り付いている鑑識から連絡が入った。それはメディカル・マニピュレーターの解読に成功したという知らせだった。
「そいつは凄い! 直ぐに向かいます」
その報告は疲れを吹っ飛ばしてくれた。一息つく間もなく矢内原は病院に向かうために車に乗り込んだ。
* * *
病院に到着した矢内原は早速、問題の手術室に向かった。
手術室に隣接する形で設置された制御室は大型機械に囲まれていて、そこに無理に置いた長テーブルと椅子、そして警察が持ち込んだ機械と合わせると足の踏み場もないほど手狭だった。そこでは4人の鑑識が交代でメディカル・マニピュレーターの解析に取り組んでいる。
矢内原は差し入れの菓子パンをテーブル端の空いたスペースに置きながら機械の前に陣取る鑑識に声を掛けた。
「お疲れ様。解読できたんだって? それを待っていた」
若い鑑識は笑顔でそれに応じる。
「これも特別科学捜査官のおかげです」
「小池が? あいつ、ちゃんと仕事をしたんだな」
若い鑑識は座ったまま背伸びをしてから説明する。
「はじめは正攻法でメディカル・マニピュレーターの解析を試みたのですが正直、お手上げでした。何かを記録した痕跡は見つかったのですが履歴を消されていたものですから。それに単なるデータの消去ならともかく、ご丁寧にジャミング(抹消したデータを復元するプログラムを邪魔する技術。ウィルスで攻撃するタイプや復元するスピードよりも速く自壊し続けるタイプなどがある)が施されていましもので……」
「それでよく解読できたな」
「そこなんですよ。小池さんが内視鏡のカメラ映像を解析するというアイデアを出してくれたんですよ」
「カメラの映像? それも消されていたんじゃないのか?」
「ええ。確かに映像そのものは消去されていました。ですが、小池さんが注目したのは照射光を調整する装置を解析するアプローチだったんです」
「専門的なことはよく分からないが……光だって?」
若い鑑識は大きく頷く。
「ご存知かもしれませんが、内視鏡手術は二つに大別されます。ひとつはナノマシーンの遠隔操作による内部からの手術です。腫瘍などを切除する際や血管内の血栓を砕く際に使われる術式です。もう一方は外的術式と呼ばれる従来から存在する方法で、患者の身体に小さな穴を開けてそこに器具や装置を挿し込んで体外から施術します」
「それで今回の手術は外的術式で間違いないのか?」
「はい。矢内原さんのご指摘通り、レーザーメスで開けられた頭蓋骨の穴は捜査ファイルのデータと一致しました。それで照射光の話に戻りますが、外的術式では必ずライトで患部を照らさなくてはならないんです。最近のナノ・ライトはより鮮明に患部を照らす為に48個のライトが少しずつ回転しながら自動的に光の強さを調節するんです。例えば凹んだ部分に向いているものは強く、出っ張っている箇所に面しているものは弱くといった風に、その場所に合わせて投射する光の強さを絶えず変えていくわけです」
「なるほど。それで分った。つまり映像そのものではなくて照明を制御する機械の履歴を解析したんだな?」
「その通りです! 驚きましたよ。小池さんは直ぐにアプリを組んで逆算で手術の様子を再現してみせたんです」
「まるで魔法使いみたいだな。その気になれば何でも出来るんじゃないか」
「ええ。確かに魔法みたいでした。流石に色までは完全に再現できませんでしたが、ある程度補正をかけることで器具の動きは見事に解読できました」
「分かった。それで端的にいって、どういう手術だったんだ?」
「前頭葉から何かの物体を剥離させて摘出しています」
「摘出手術だったのか……それである物体というのは?」
「形状や大きさなどは判明していますが詳細は不明です。何かの装置のようですが……見ますか?」
「ああ。頼む」
「これです」
そういって若い鑑識がモニタに示したのは基盤のような物体の白黒画像だった。大きさは1cm×3cm、厚みは5㎜ほどだが、ところどころに凹凸がある。画像を回転させると裏側に針のような物が10数本付いているが長さや配置はバラバラだ。
「これは実物大か? 何かの部品のように見えるな」と、矢内原が画面を凝視する。
同席していた白髪の鑑識が首を捻る。
「何の部品でしょう……チップのようにも見えますが」
若い鑑識がモニタに顔を近づけながらいう。
「端末の部品でしょうかね?」
別な鑑識が身体を揺すりながら話に入ってくる。
「画像検索してみましたが該当するものは無かったですよ」
若い鑑識が顎を擦る。
「となると既製品ではないんでしょうね。埋め込み式端末だと思うんですけどね」
矢内原がやれやれといった風に首を振る。
「これを脳から取り出したというのか?」
「ええ。もしかしたら違法手術かもしれません」
そういって白髪の鑑識は顔を顰めた。なぜならウェアラブル端末が発達した現代においても体内にそれを直接埋め込むことは禁止されていたからだ。基本的に我が国の法律では美容整形はともかくとして、病気ではない人間の身体にメスを入れることを良しとしていない。脳と端末を繋ぎたいと考える者は少なからず存在するが、それを認めてしまうとサイボーグ化に歯止めがかからないばかりか、試験の優劣が測れないなどの社会的構造上の問題が生じてしまう。
矢内原が腕組みしながら唸る。
「これを取り出したということは、過去に行った違法手術に不具合があってそれを摘出したということか? それを持ち去る目的は何だ?」
矢内原の言葉に若い鑑識が首を振る。
「分かりません。けど、これって相当高度な手術ですよ。他の被害者3人も同じことをされたんでしょうか?」
「ああ。犯人は他の被害者にも同じことをしたと考えるのが自然だ。問題はそれがどこで行われたか……」
太った鑑識が身体を揺すりながら険しい顔つきになる。
「メディカル・マニピュレーターがある他の病院ですかね?」
矢内原が頷く。
「恐らく摘出手術を記録して持ち出したのは他の場所でも同様の手術を行う為だ。だが、ここで術式を記録する為にはそれだけリスクがある。これだけの装置を無断で動かせるとは思えない。となると、やはり院内に協力者がいるはずだ」
矢内原の言葉に白髪の鑑識が、はっとしたように口を開く。
「確かに。これは複数犯の仕業ですよね。少なくとも手術を行う者、データを記録・消去する者がいるはずです。それも我々の解析が手こずるほどの腕前の持ち主が」
矢内原が眼鏡の位置を直しながらいう。
「協力者については当たりをつけている。薬と血液の使用履歴、それから電力消費量を調べた結果、深夜から朝方にかけてこの手術室が使われたことが判明している。マニピュレーターに細工は出来ても流石に電力消費までは隠せなかったわけだ。その前提で職員のシフトとアリバイを調査させた」
若い鑑識が感心しながら矢内原の顔を見上げる。
「流石ですね。じゃあ事情徴収できますね」
「ああ。この解析結果を踏まえて今度は突っ込んだ質問をぶつける。明日には他の証拠も出揃うだろう」
矢内原は鑑識たちの労をねぎらい休憩を取ることにした。菓子パンにコーヒーという夕食ともいえないような食事だが解析のめどがついたことは大きい。ところが、明るい雰囲気で皆が寛いでいる時に矢内原の端末に井深からの通信が入った。
『先輩! 当たりッス。大当たりッスよ! 15年前のカルテから見つけましたよ!』
「ちょっと待ってくれ。場所を変える」
そういって矢内原はそそくさと制御室を出る。無人の待合室まで歩きながら井深の一方的な報告を聞く。そして椅子に座りながら苦言を呈する。
「分かった。ただ、余計な情報はいい。観光に行ってるわけじゃないんだから」
『あ、スイマセン。で、今、資料室に居るんスけどね。見てくださいよ。こんな感じなんスよ』
矢内原の端末には図書館というよりも美術館の資料室のような少し雑然とした室内の様子がリアルタイムで映し出されている。井深はコンタクト型端末で見たままの映像を送ってくるので、それをずっと見ていると画面酔いそうになる。
「井深。申し訳ないがカルテだけスキャンしてくれないか」
『了解ッス。てか、もう取り込んでます』
「だったら最初からそっちを出して欲しかったな」
『ああ、スンマセン。臨場感があった方が良いかなって。先輩も早く端末、目に入れた方がいいっすよ!』
井深の言葉を無視して矢内原は問題のカルテにさっと目を通した。
「茗荷谷佳代……やはりそこに入院していたか。」
残る3人の名前も直ぐに見つかった。彼等も入院時の年齢に違いはあるが、いずれも小学生の頃、それも茗荷谷佳代と前後した時期に西園寺記念病院で治療を受けている。英語で手書きされたカルテの内容までは矢内原には分からない。これが入力文字であればリーディング機能(瞬時に文字を認識して翻訳するアプリ)を使って読むことができるのだが、癖のある筆記体で書かれたカルテではそうもいかない。電子カルテの導入が強制される以前は、このような手書きのカルテが根強く残っていたのだ。
「おや? これは……」
カルテを眺めていた矢内原が何かに気付く。
「ドイツ語……いやラテン語か?」
カルテは英語で書かれている。ところが欄外にところどころ小さな文字でメモ書きされている。それがラテン文字のように見えたのだ。
『先輩。どうかしたんスか?』
「いや。何でもない。それよりこれで全部なのか? 微妙に日付が飛んでいるぞ」
『え? マジッスか! そこまで見て無かったッス』
「よく見ろ。何枚かカルテが抜かれているんじゃないか?」
被害者達のカルテは存在した。しかし、どれも何枚かが欠けている。それは即ち見られては困るものが記録されていたと考えるのが妥当だ。
『そりゃ無いッスよ……せっかくの手掛かりなのに』
そういって落胆する井深を矢内原が慰める。
「気にするな。これだけでも十分、役に立つ」
矢内原はカルテの筆跡から一人の医師がこの4人の治療を担当していたと推定した。
「井深。この時期にそこで働いていた医師の情報はあるか? 恐らく4人の共通項となるのはその医師だ」
『あ、それなら直ぐ出るッス! どうぞ!』
矢内原は井深から送られてきた医師のリストを見て呟く。
「該当者は8名……問題の時期の直後に辞めた人間は2名……」
そしてカルテの記入者とイニシャルが一致する人物の名前を口にした。
「八神宗一郎……」
その時、矢内原の脳内で何かが繋がった。
「八神……西園寺……そういうことか」
昼間に西園寺公春事務所で見かけた中年女性。彼女は『八神先生』と呼ばれていた。
矢内原の目つきが変わる。
「偶然ではあるまいな……」
そう呟いて彼はゆっくりと待合室の椅子から立ち上がった。




