46話 くすぐったいお返し
上書きされる記憶
カズヤの脳裏に、埃っぽい教室の風景が、苦い後味と共に蘇った。
小学校の頃、隣の席の女子にプレゼントを渡したことがあった。下心なんてない、ただ喜んでほしかった。けれど彼女は、顔を引きつらせてそれを受け取った。
放課後のゴミ箱に、未開封のまま捨てられていた包みを見た時のあの感覚。翌日、耳に入ってきた「デブに貰ってキモかった」という心ない囁き。
(俺なんかが、誰かに物を贈るなんて……)
「俺からプレゼント……して良かったのかな……?」
思わず零れ落ちたカズヤの弱音を、レナは見逃さなかった。彼女はカズヤの腕を掴む手に力を込め、真剣な眼差しで彼を見つめ返した。
「どうしてです? 嬉しいに決まってるじゃないですか。……あ、普段使いをしないからですか? んふふ、では……明日にでも普段使い用を買いに行きます? これは特別で、大切なので保管しておきますから」
レナは再び、宝物のようにリボンに指を触れた。
「もし、昔のことで不安になっているのなら……それはその人たちが、カズヤくんの優しさに触れる資格がなかっただけです」
レナの声は、カズヤの心の奥底に溜まっていた澱を、優しく、けれど力強く押し流していく。
「わたしにとって、カズヤくんから貰うものは何だって最高級の贈り物なんです。……だから、そんな悲しい顔をしないでください。ね……」
レナはカズヤの胸に額を預け、彼の手を自分の頭へと導いた。
「もっと撫でて」と言わんばかりのその仕草に、カズヤの強張っていた肩の力が抜けていく。
ゴミ箱に捨てられた記憶は、今、彼女の温もりと青いリボンの輝きによって、幸せな色へと塗り替えられていった。
くすぐったいお返し
カズヤは溢れそうな嬉しさを誤魔化すように、初日のお風呂に入った時の記憶を掘り起こした。
サプライズと言って短パンにTシャツ姿で、突然レナが風呂場へ入ってきた。そして背中を洗ってくれていると、レナがいたずらっぽく笑いながら、カズヤの背中を指先でツンツンと突っついてきたことがあった。あの時のくすぐったさと、彼女の楽しそうな横顔。
カズヤは今、膝の上で無防備に背中を向けているレナに対し、その「お返し」をしようと指を伸ばした。
だが、その指先は運悪く、薄い生地越しにブラジャーのホックへと当たってしまう。
「ひゃっ、カズヤくん……!?」
レナが跳ねるように驚き、肩を震わせて振り返った。
カズヤは自分のしでかした事の重大さに気づき、血の気が引くのを感じた。
「ご、ごめん……! そ、そんなつもりはなくて……ごめん! 俺なんかが気軽に触れて……」
嫌われた、軽蔑された。そんな恐怖で青褪めるカズヤを見て、レナは目を丸くした。
「どうしたのです? そんなに怯えたような顔をして……。ちょっと驚いただけなので、怒っていませんし……イヤでもないですよ」
「お、お風呂でレナに突っつかれたお返しをしようと思って……。でも、変なところを触っちゃって」
カズヤが消え入りそうな声で白状すると、レナは少しだけ呆れたように、けれど愛おしそうに眉を下げた。
「お返しですか……むぅ。……いいですよ、ど、どうぞ……うぅーっ」
レナは覚悟を決めたように再びうつ伏せになり、今度はくすぐりに備えてカズヤの足にぎゅっとしがみついた。
「……ひゃぁ……っ!」
まだ指が触れてもいないのに、体を丸めて身悶えるレナ。
カズヤの足に回された腕の力と、期待と緊張で小刻みに震える彼女の背中。
「嫌われていない」という安堵感と共に、カズヤの手は、今度は優しく、彼女の頭へと伸びていった。
ご褒美の書き換え
カズヤが大きな掌で優しくレナの頭に触れると、彼女の身体がビクッ!と可愛らしく震えた。
張り詰めていた身体の力がフワリと緩み、カズヤの膝にしがみついていた細い腕からも、抵抗するような力が抜けていく。
「俺は、こっちの方がいいかな……」
そう呟いたカズヤに不意打ちを受けた形になり、レナは頬を熟した桃のような色に染め、膝の上で体勢を入れ替えてカズヤを仰ぎ見た。
「うぅ……また、不意打ちです。……うぅーっ」
レナは口を尖らせて抗議しながらも、嬉しさを隠しきれない様子で体をもぞもぞと動かし、今度はカズヤの背中に腕を回して力いっぱい抱きしめてきた。
「レナ、それじゃ……頭を撫でにくいんだけど……」
「……今度は、背中でお願いします♪」
(それじゃ……まるで抱き合ってるような感じに……)
「それは、ダメじゃ……」
「わたしが嫌がっていたらダメですけれど、お互いが良いと思っているなら、良いと思いますけれど……? カズヤくんは、おイヤですか?」
潤んだ琥珀色の瞳に見つめられ、拒絶できるはずもなかった。
「そんな訳ない……」
「ご褒美なのですから……ぎゅぅっと、してください」
「ん? 背中を撫でるんじゃなかったのか?」
「ご褒美に変更ですから、内容も変更ですよ」
レナは茶目っ気たっぷりに微笑むと、膝の上から座り直し、自分からカズヤの胸に飛び込むように抱きついた。
カズヤは震える手で、壊れ物を扱うように彼女の背中に手を回し、ゆっくりと引き寄せる。
柔らかな体温と、青いリボンのついた琥珀色の髪の毛から漂う花の香りが鼻腔を満たす。二人の境界線が溶けていくような深い抱擁のなかで、カズヤの心臓は、これまでで一番大きな音を立てていた。




