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物はあっても潤沢とは言えない環境において、良い物は全て権力者に回り、現場には出てこない物だ。
それが日当シケモク一か二本と、何に由来するかも怪しい肉と雑穀の粥、あるいは国民栄養食乙種一号を水でふやかした物を報酬に集められた傭兵なら尚のこと。
故に、少女は汗を拭った顔の前にある物を見て驚いた。
缶コーヒーだ。何が書いてあるかは分からないが、黒い筒と茶色い筒、それに書かれた豆の絵柄が何の飲み物かを教えてくれる。
「おつかれさん」
「……こないだのオタク」
「オタク扱いはやめてくれんかね。この界隈で食ってきたいなら銃の知識は必須だぜ」
面と向かってオタク扱いされてはイモータンも形無しだ。微妙そうな顔を作り、差しだした缶コーヒーを揺する。選べというのだ。
「何? 恵んで貰わなきゃいけないほど困ってないんだけど」
「缶コーヒー一本分の間くらい話を聞いてくれって誘いだよ。ただの対価だ」
少女は少し悩み、恐らくカフェオレが入っているだろう茶色い方を選んだ。
ハジメは少し「そっちの方が良かったな」と思いつつも、彼女が甘党じゃなかった時のために備えて買って置いた無糖のコーヒーを開け、一口啜って渋面を作った。
一方でギャルにとっては久し振りの甘い物。期限が切れて久しいとはいえ、今日の日当一日分とほぼ等価のカフェオレは沁みたのだろう。試すように微量を口に入れた後、僅かに固まってから大きく呷った。
「久し振りって感じだな。コッチに棄てられて来てどれくらいになる?」
「……分かんない。ガッコが訳分かんないことんなって、必死に逃げ回ってたら荒野に出て、それから必死だったし」
「なるほど、そりゃ大変だったな」
これどうすっかなとでも言いたげに、上手く飲めない無糖コーヒーを見下ろすハジメをギャルは奇妙な物を見る目で見た。
言葉は同情しているようであっても、馬鹿にした雰囲気ではない。それに、今まで幾度となく浴びた〝下卑た視線〟を全く感じないのだ。
年頃にしては大人びた風貌と、鞄に残っていた僅かなコスメを使って滅び去った日常を上塗りしたような化粧が、彼女に良くない男を惹き付けていたが、どうにもこの男にはそういった邪気がない。
それもそうだろう。見ているところが違うのだから。
「で、前も言ったけどナンパならお断りだけど。顔、タイプじゃないし。あと、自分より背ぇ低い人とかマジ無理なんで」
「……他人様に褒められるような面じゃないのは分かってるけど、そこまでハッキリいわんでも良くないか? あと背のことに触れるな。二度はないぞ」
「あーし、もっとイカツいのがタイプなんだよね。顔にタトゥーとか入れてみない?」
「親から貰った体に、傷隠しでもねぇのに墨なんざ入れたくねぇよ……」
「ふっる、章和かよ」
章和という言葉の意味は、きっと年号だろうとハジメは察した。どのくらいの年代を現すかは分からないが、きっと自分の一個か二個前の世代を現していることは何となく想像が付いた。
「それは置いとくとして、ナンパじゃない。仕事に困ってるようだから誘いをと思ってな」
「……別に、日雇いでも食っていけるし」
「でかいヤマに挑んでみたいとは思わないのか?」
稼げる仕事と聞いて、ギャルの目がぴくりと動いた。カフェオレを味わうのに必死だった顔がハジメの方を向き、胡乱な物を見るような、しかし自分に〝女〟を見出していない顔から本当に仕事の話かと考えているのだ。
「……どれくらい稼げる?」
「出来高制だから具体的に幾ら、とは言わないが、最大で一人頭、煙草を二カートン近くせしめたことがある」
「二カートン!?」
「聞いて驚け、フィルム付きの新品でだぜ」
彼女もこっちの世界に来て、日雇いの仕事をやる程度には慣れてきているため、煙草の価値は分かっているのだろう。
シケモクではない上等の煙草が一箱あれば、いや、その五分の一でも人間を殺すのに十分足るというのに、それが一度の仕事で二カートン?
あまりに美味しい話に裏があることは分かりきっているが、心が揺れる。
それだけあればちゃんとした屋根の下で眠れるだけではなく、このみっともなくなった、しかし矜恃として染めていた頭も戻せるかもしれない。
「ウチの面子はムラッ気がキツくてな。気が向かなかったり、煙草の蓄えが十分だったりしたら参加しないこともある。だから、あと二人か三人、声をかけられそうなヤツが欲しかったんだ」
「……なんであーしを?」
「動きに見込みがあった。直ぐ死ぬタマじゃない」
武器をちゃんと考えて選ぶだけの頭があって、危機に陥った仲間を助けられる広い目もある。そして、若くて柔軟な体に、戦い続けても濃い疲労が浮かばないスタミナ。まだ実績はなかろうが、育ててやれば伸びるタイプだ。
ただし〈悪運〉が尽きなければの話だが。
その日暮らしというのは何ともよくない。安い煙草と弾で、大事な運を削っていき、最後にはちびた蝋燭が消えるように死ぬヤツが多い。
だというのならば、まだ蝋燭が長くて、灯りが強そうな新入りに唾を付けておくのも仕事の内だ。
「どうだ、これはちょっとした予感なんだが、近いうちにちぃとばかし割の良いした仕事が来る」
「確定じゃないのかよ」
「大体周期があるんだよ。肌感覚で何となく分かるんだ。本気出すほどじゃないが、ボチボチのヤマが来るってな」
「……分け前は?」
「ウチは等分が原則だ。経費は自分持ちだがな」
ハジメは基本的に自分が顔役や交渉をやっているからといって、その分の手間賃を取るような真似はしない。以前のカルカロフから受けた仕事の時も、仲間に態々報酬を用意するため、大事なコレクションを二つも手放して対価を用意する程度にはキッチリしている。
この界隈、どれだけ気心が知れた相手であろうと、報酬の平等性を欠いた途端にチャカやヤッパが出てくることは珍しくない。ハジメもぺーぺーだったころ、それで仲間内で殺し合って空中分解した傭兵団に参加していたことがあったのだ。
あの時は酷かった。咄嗟に蹴倒したテーブルに隠れたおかげで類が及ぶことはなかったが、七人いた面子の内、四人は脳髄か腸をぶちまけて、あとの二人は即死こそしなかったが瀕死の重傷。
最後の一人はハジメを撃ち殺そうとしたので、自ら手を下すこととなった。
嫌な思い出だ。故に彼はどんな仕事であろうと、性質上活躍できなかった面子がいたとしても、報酬は必ず等分にすることとしていた。
「……あーしが使い捨てのコマにされないって保証は?」
「何なら支度金でも出してやろうか? そうさな、シケモク二十か弾十五でどうだ」
それだけあれば……と呟くギャル。数日食っていけるだけの予算を渡すのは、予定を空けておけという指示でもある。
ただ、持ち逃げしたら最後だ。普通の傭兵であったら顔を見た瞬間に〝ハジく〟であろうし、温厚なハジメであっても二度と声はかけない。
日々の安定した仕事に困窮し、酷い味の粥に嫌気が差してきた彼女には抗いがたい誘惑であった。
たとえ、世界が棄てられる前に〝親友だと思っていた相手から裏切られ〟他人を信じられないデルタと同じく〈ローン・サバイバー〉としての生き方をしてきても。
「……ほんとに仕事来るんだよね」
「来なかったら小遣い貰った程度に思っときゃいい」
「だから、施しを受けるつもりはないんだけど?」
「拘束代だよ。きちんと戦える人間の予定を取っとくんだ。それなりのモノを渡すのは道理だろうが。俺はそこまでケチ臭くねぇよ」
で、どうする? とハジメは首を小さく竦めた。
それから、苦くて飲めなかった缶コーヒーは諦めて、炊き出しで飯を食うための卓に置いた。蓋が開いていても気にしない誰かが飲むだろうと思って。
「……分かった。やる。いい加減、シケた仕事に飽きてた頃だし」
「オーケー、契約成立だ。えーと、なんて呼べば良い?」
聞かれて、ギャルは少し悩んだ。顎に手を添え、考え込んでいる。
「どした?」
「あーし、自分の名前嫌いなんだよね。いわゆるギラギラネームってやつ」
ギラギラ? と首を傾げたハジメだが、そういえば似たような言葉はあったなと思い出す。凄まじい当て字をするか、どうやったらそう読ませようと思ったんだよというフリガナを振る、先生方がとても大変そうな、奇っ怪珍妙極まる名前のことだろう。
「じゃあ好きに名乗りゃいい。ここじゃ誰も来歴なんざ気にしない。俺の身内にだって本名じゃないやつだっている」
それじゃあ、と少し考えたあと、ギャルは言った。
「ナナでいいや」
「七? 数字か? それとも何かの当て字?」
「ただのナナ。好きな漫画の主人公なの」
「なるほど、そいつぁいいや。したらば、新生記念に一杯奢ってやるよ。今の時間なら、ウチの面子にも酒場で暇してるヤツもいるだろ」
ついてこいと促して、ハジメはいつもの酒場にギャルを連れて行った。
スイングドアの片方が壊れたまま放置された、毎度の如く地の果てといった風情の酒場だ。今日も床は掃除されておらず、瘡蓋のようにへばり付いた反吐の後や、掃除するくらいなら床板ごと張り替えた方が早そうな油汚れがギトギトしている。
「こういう所は初めてか?」
「……あーし、未成年だし」
「ここじゃ前の世界での法律なんて飾りにもなりゃしないぜ。あと、死にたくないなら酒は多少飲めるようになっときな」
尻込みするナナを連れて入ると、酒場中の視線が一瞬集中した。常連か、そうでないか。あるいは自棄を起こした押し込み強盗が短機関銃を構えて乗り込んでくることもあるため、客達は人の出入り敏感だ。
そして、馴染みの顔であることを確認すると興味を失う者もいるが、何人かは見慣れないナナに興味を惹かれたのか野次を飛ばす。
「おいおい、何だよイモータン! また女か!」
「そういやお前、女とばっかり連んでるよな」
「って、またわけーな。ロリコンかお前」
ゲラゲラと笑いながら野卑た言葉を投げかける、知った顔の常連にハジメは中指を立てて応戦する。
「うるせぇ安酒喰らい共。そういう悪態ばっか吐いてから碌な仕事がこねーんだよ」
「んだとテメェ!」
「文句があるなら何でも受けて立つぜ、カードでもロシアンルーレットでも。それともクイックドロウで決闘でもするか?」
「それは……」
徴発に反応したは良いが、部の悪い賭けまでしたくなかった顔なじみ達はすごすごと着席して、決まりが悪そうに顔を下に向けた。
実際、どれをやっても勝てるビジョンが浮かばなかったからだ。
「ろ、ロシアンルーレット?」
「お、通じるのか。ここいらじゃ有り触れた賭けだぜ」
正気かコイツという顔で見てくるナナをさておき、ハジメはカウンターに座って周りを見回したが、いつもの席を占拠しているはずのデルタが見当たらなかった。
「マスター、デルタは?」
「昨日、カルカロフに誘われて出てったぜ」
「マジかよ。俺を通せとは言わないけど、運が悪いな」
どうやらデルタは個人的に仕事を請け負ったようで、今は不在らしい。カルカロフが仕事を回したということは、デルタ向きの内容であり、彼女が最適だと判断したからであろう。
組んでいるからといっても、仲間には仲間の生活があるし、好みもある。それを拘束する気は更々ないハジメは、まぁこういう日もあるかと普通に諦めることにした。
それに、人手は確保できているのだ。最悪、誰も捕まらなくとも何とかなる。
「それよりもハジメ、お前に客がいるぞ」
「客ぅ?」
何だと思っていると、急にハジメの手元に影が落ちた。
みれば、若々しいオーガがいるではないか。
そして、その顔には見覚えがあった。
「ああ、お前さん、いつぞやの」
「へぇ! お慈悲によって命を救って貰った者です!」
いつだかやったロシアンルーレットで、その場の気分で助けてやったニュービーではないか。手にモップを持っていることからして、マスターから掃除でも言い付けられていたのだろう。
「まだこの河岸にいたのか」
「場代が出せねぇっていうから掃除させてたんだ」
「新人使いが荒いぜマスター……」
「お前に用事があるってのに、毎度毎度お前がいねぇのが悪い」
用事? と首を傾げれば、オーガはハジメの前で跪いたではないか。
「どうか! どうか自分を弟子にしてやってくだせぇ!!」
「……あぁ?」
何だか面倒なことになったなと、ハジメはキラキラした目でこちらを見上げてくる、自分の倍以上の体躯を誇る青年を訝しげに見やるのであった…………。
いつもコメントありがとうございます。ルールブックの内容が大分完成し、そろそろ皆様の下へスクラップヤードへのチケットが配れそうです。起きたらこんな世界だったら、どんな行き方をしてみたいかとかをコメントで聞かせていただけると嬉しいですね。
さて、それはそれとして新人を連れたセッションの導入。さー、どうなるかお楽しみに。




