2-2
「起きろよ」
「ん……」
普段は小枝を踏み折る音でも目を覚ますのに、寝床となれば寝穢い女にハジメは呆れた。
「あぁ……今何時……」
「さっき、昼の鐘が鳴った。寝過ぎだぜ」
何故か堂々とハジメの部屋の寝床を占拠していたデルタは、遮光カーテンが払われて窓から入って来た光に顔を顰めた。
だらしない寝姿だ。洗いさらしのクタクタになったタンクトップ一枚に、下は色違いのショーツだけ。枕の下に差し込んで、高さを調節していた手には物盗りに警戒してかパイプピストルが握られていた。
「あー……昨日、夜にしこたま飲んで……」
「それで俺は自分の部屋なのに床で寝るハメになったんだ」
「別に横で寝たって文句は言わないぜ」
「お前なんかと同衾したら、寝るに寝られねぇよ阿呆」
目をしょぼしょぼさせながら起きたデルタは、幾度かベッドの上を叩くように探ったが、お目当ての物が見つからなかったのだろう。
代わりに良い物を見つけたとばかりに、ハジメが咥えていた煙草を引ったくり、寝起きの一服をキメた。
「ぷは……うめぇ」
「てめぇ、それシケモクじゃねぇんだぞ」
「どうりで美味いわけだ」
クソッ、そう吐き捨てはするが、奪い返そうとするつもりはないのか、ハジメは後頭部を掻いて煙草を諦めた。
いつまでもパンイチでふらつかれても適わないので、彼は脱ぎ散らかされたのが我慢ならなかった、自分の野戦服と一緒に洗濯を頼んだ彼女の一張羅を足下に置いてやった。
デルタは文明が崩壊していた世界出身者ということもあって、着たきり雀に慣れている。強引にやらないと服を洗いに出さないので、放っておくと何故だか自分が気持ち悪いハジメが自腹を切ったのだった。
「着替えろよ。仕事だ」
「仕事ぉ? 今急ぐほど金がねぇやつなんてトワイラくらいだろ。オレはもちっとゆっくりしてたいんだが」
「サラピンの煙草三箱だぜ。フィルム付きだ」
「……マジか」
金額を聞いてようやく目が覚めたのか、ベッドサイドに預けられていた上体が起き上がる。鍛え上げられて美事に割れた腹筋が隆起し、腹の力だけで起き上がったのだろう。大酒かっくらっては不健康に寝入っているとは思えない、仕上がった兵器のような体が目を覚ましつつあった。
「で、内容は」
「カルカロフが仲介だ。何でも娼館を奪還して貰いたいんだとよ」
「あの胡散臭いスーツ野郎のか? 割は良いが面倒くさそうだぞ。というか奪還ってなんだ」
様々な煩悶の後、ハジメが手持ちの銃をカルカロフに売り払うことで仲間への報酬を充当してまで請け負った依頼は、何とも奇妙なものであった。
娼館の奪回。
なんでも、一月程前にえらく羽振りのいい傭兵団が客としてやってきて、最初は前金一括で気前よく払ってくれたが故に、例外的に貸し切りを許したらしい。
だが、日が経つにつれて傭兵達の態度は不遜になり、連れ込む仲間を増やしたせいで、今や十二人が屯しているという。
気が大きくなると反比例して財布の紐は渋くなり、いつの間にやらバウンサーの数より増えた銃口のせいで店主は強く物を言えなくなる。
そして遂に連中は煙草も弾も寄越さなくなった。
のみならず、数と武器の暴力で常と変わらず酒と飯は持ってこいと要求するのだ。
最後に行き着く所として、彼は昨夜、悪ふざけで娼婦一人の殺害に至ったという。
「なんでぇ、良くある性質の悪い客じゃねぇか。儲けになる仕事が少ない時期にタカリが出てくることくらいザラだろ」
「だからつって、出て行ってくれるまで待ってちゃ商売の道が成り行かん。況してや娼婦を殺されたんだぞ。一本独鈷、どこのファミリーにも組織にも属さずやってきた店が黙ってちゃ、お飯の食い上げだ」
「ケツ持ちナシかよ。そりゃテメェの落ち度じゃねぇのか?」
「アガリの何割か持って行かれるくらいなら、マシな若い衆集めてやってこうってところさ。娼婦の扱いもよかった、医者との繋がりがあるそうだ。かなり真っ当だろうよ、経営と人道で考えれば」
「えらく庇うな……お前、もしかして常連?」
「冗談にしても面白くねぇな」
ボケたことを言って、まだ服を着ようとしていないデルタにハジメは継ぎ当てまみれのシャツを投げつけた。彼女はそれを顔面ではなく、ちゃんと手で受け止めると、器用なことに煙草を咥えたまま焦げ痕をつけにずに首を通した。
それから胸を大きく潰すスポーツブラを手に取ると、シャツの中に腕を引っ込めたままもごもごと着込み、ズボンに両足を突っ込む。
床に並べてある安全靴も、これまた親切なことに磨いてあった。踵に補強がしてある靴下を履いてから足をねじ込んで、解けにくい特有の結び方をすれば、一応の身繕いは完了だ。
「オレん荷物は?」
「そこの椅子の上、袋ん中。何でもズボンのポケットに突っ込むの止めろ」
椅子の上には彼女が大体腰に巻いているジャケットと一緒にズタ袋が置いてあった。カーゴパンツのポケットがパンパンになるほど細々とした物が突っ込んであったので、洗濯に出すには移しておくしかなかったのだ。
「一応決まった場所があるんだよ……適当にバラしやがって……」
「せめて銃の予備部品はちゃんとしたケースに纏めろよ。歪んでも知らねぇぞ」
傍らには自分の体以上に丁寧に整備されたスメリィ・ガンと手斧が立てかけてあり、こればかりはハジメも勝手には触らなかったようだ。
銃の整備は自分でやるのが鉄則。
何か仕込まれるかもという危険性もあるが、ちょっとした普段とのズレが生死を分けることもある。それが分かっているガンマンは、使い捨てるつもり銃を除けば、自分以外で預けるのは贔屓のガンスミスだけだ。
「こんなもんか。で、そこの眠り姫はいつ起こすんだ?」
「トリニティはお前らより格段に寝起きが好いんでね」
起きろよと声をかければ、もう十日ほどスリープモードに入っていたトリニティの瞼が開いた。
寝台に体を預けてオートバランサーさえオフにしていた体に熱が入り、各所の流体モーターが静かに駆動する。
『おはようございます、ハジメ。十日と十六時間、十二秒ぶりの起動ですね。何がありました?』
「仕事だ。お前の力が要る」
『電子戦の出番ですか?』
「いや、センサー類に仕事してほしい。人質救出ミッションとでも思ってくれ」
『了解。チェックリスト、確認。始動』
起き上がって、各部位の動きを簡単に確かめたトリニティは防弾ベストを羽織ってパルスライフルを手にする。身動ぎもしない眠りは形状記憶ファイバー製の排熱フィンを兼ねた髪に寝癖をつけることもないし、作り込まれたビスクドールの愛らしさは化粧の必要もないのだ。
『弊機は万全です。ハジメが起こすような仕事なら、割りはいいのですよね?』
「こないだ左肘のサーボモーター弄りたいつってたろ、それが買えるくらいには良い値段だぜ。さて、俺達はトワイラに声をかけてくる。デルタ、クインを連れてきてくれ。偵察役に、あの見てくれは最適だ」
「アイツ、普段は何処にいるかイマイチわかんねぇんだよな……」
「今は昼だ。どっかの組がやってる炊き出しに、しれっとガキみてぇな面使って潜り込んでるよ」
「ってくると鉄路の荷下ろし場か……あすこ、喧嘩っぱぇのばっかりだからタルいんだよな」
「お前に喧嘩売る馬鹿が、この河岸でいるかよ。いいから行ってこい」
面倒くさそうにスリングを調節して愛銃の据わり具合を確かめているデルタを送り出し、トリニティと共に表に出たハジメは、普段通り丁寧に多重の安全装置と鍵をかけた。今のところ、一番のお宝はカルカロフに巻き上げられてしまったが、いざという時の隠し煙草や弾薬は結構な量を貯蓄してあるのだ。決して疎かにはできない。
遠隔操作用のリモコンを押して、ピッという音を立てて対人地雷が起動したことを認めると、三人は二組に分かれて散っていった。
デルタは市街の南。新設された馬車鉄道を使ってユグドラシルや、他の町と交易を行っている荷受け駅へ。あそこは肉体労働者に商会が炊き出しをやっているため――質はお察しだが――時間的にクインがしれっと紛れ込んでいる可能性は高い。
彼女は、自分の見た目が幼いことが武器になると分かっているため、食べ物を配っている所に紛れ込んで、じぃっとウサギのような目で見上げてお零れを貰っていることが珍しくない。
一方でハジメ達が向かったのはアーモリー中心部付近。工房で働く職人や徒弟は特権階級であり、工廠併設の宿舎に住むことができる。親方ともなれば豪勢な館を構えていて当たり前で、護衛が十人から詰めていることも珍しくない。
そういった特別な、この街における特権階級のみが住まうことが許された場所に一軒の宿がある。
いや、きちんとしたホテルと言っていいだろう。
黒金の槌亭。倒壊しかかった、アーモリー成立後に投棄された世界の残骸を――既にある町の上にも世界が棄てられることなどザラだ――再建したものであり、この街で唯一、もくもくと煙を上げる煙突よりも高いビルだ。
その佇まいはハジメに家族と一度だけ行った海外旅行で停まった二つ星ホテルの威容を思い出させるが、随分と煤け、掠れ、往事ほどの絢爛さはない。
それでも、ここが町一番の、そして唯一の真面なホテルであることに違いはなかった。
ドアマンの両脇には武装した護衛が居る。どちらもスメリィ・ガンで武装した屈強な店の私兵であり、身長190cmを超えるむくつけきシヴィラツィオに、大型従属向けに銃把を改造したスメリィ・ガンを持つ立派な髭を生やした歴戦のオーガ。これだけでもう、子悪党は悪さをすることを諦めるだろう。
「これはこれは、ハジメ様にトリニティ様」
「やぁ、ガベイル。景気はどうだ」
「おかげさまで何事もなく、日々平穏にお客様のご満足を追求できております」
ドアマンは上等な服を着たゴブであった。継ぎ接ぎが目立つがキチンとプレスされた制服に、微かにくすんでいるが皺のない白手袋。客を迎えるに当たって、精一杯の美麗さを保つホテルの意地が形になったような男だ。
緑色の肌をした個体が多い中で、彼は珍しく茶色い肌をしており、前傾気味で姿勢が悪いのが当たり前の同胞と異なる直立した上品な姿勢をしている。
そういったゴブの中でも特異な個体か、後から血の滲むような鍛錬で覚えたのかは分からないが、ピシッとした立ち姿には高級ホテルの顔役として恥じない風格が滲む。
逆を言えば、ここはそれだけの人間が務めるに相応しい場所なのだ。
屈強な目に見える武威の護衛が扉だとすれば、彼は鍵だ。ガベイルが相応しいと見込んだ客人以外に、この店の扉が開かれることはない。
「トワイラに用がある。彼女は?」
「申し訳ございませんハジメ様、お仲間であらせられてもご宿泊客の情報は口外しないのが流儀でして」
トワイラは、ここを定宿にしている奇人であった。
貴人であると自認するが故、大枚を叩いて部屋を定期契約で借り上げる。その出費は彼女自身が戦闘に弾を使わない分、効率よく報酬を得られるからといって、傭兵の財布には大きすぎると言っても良い。
「だが、例によってヤツは客じゃなりかけているだろう。未開封、フィルム付きの煙草三箱の仕事を持って来た」
「……それはそれは」
故にトワイラが貯めているツケというのは多い。あの地の果てが形になったような店でさえ、呆れるほどのツケがあったのだ。ルームサービスやらを遠慮せず頼む彼女が、借金を拵えていないはずもなし。
「トワイラ様にお声かけして参ります。しばしお待ちを」
言ってガベイルは耳に手を添えた。小さなワイヤーが伸びているのは、短波無線機を装備しているからだろう。客の送迎に必須の物だが、それを〝体に埋め込む〟プロ精神は見上げた物だ。
「確認がとれました。トワイラ様は最上階でお食事の最中です」
「すまないね」
「いえいえ。ご案内いたします。それと、失礼ですが……」
「銃とヤットウは預けろ、だろう。分かっているさ」
黒金の槌亭は風格ある宿だ。警備には何より気を遣っており、客同士の揉め事も御法度。
故に武器と呼べる類いの物を携行することは、護衛をはじめ、宿泊客本人でさえ例外なく許可されていない。
そこまでしてでも客の安全を損なわせない、という自信があるのだろう。
そして、それを裏打ちするように、今までここの宿泊客に死人どころか怪我人が出たことがないというのも事実であった。
「確実にお預かりいたしました」
「ああ、しかし、素っ裸になったような気分だよ」
電源が死んでいるがため蝋燭に換装されたシャンデリアが煌々と輝く正面ホールは、文明の名残をなくすまいと縋り付くかの如く輝いている。金鍍金で諸所が飾られた飴色の板材と落ち着いた白からなる壁の調和は実に完璧で、喪われつつある風雅さをどうにか保っていた。
通り過ぎる度に従業員が頭を下げる中、最奥のエレベーターに案内されたハジメ達だが、当然ここは電気が来ていない。壊れかけの発電機を毎日動かすだけの余裕は、さしもの一流ホテルであっても難しい。
故に二人が乗り込むと、エレベーターガールのアドラーが――彼女も太股に拳銃を固定していた――無線で地下に声をかける。
すると、エレベーターが軋みを上げて上昇し始めた。
地下階の機械室で、このためだけに雇われているトロウルがギアに接続されたキャプスタンを――奴隷が回させられているイメージのあるアレだ――押し、死んでいた機構を無理矢理に甦らせたのである。
全盛のそれと比べると随分とゆっくりした動きであるが、数十のフロアを階段で上るよりは随分マシだ。ハジメは壁に腰を預けて、トリニティはオートバランサーの恩恵によって不自然なほどに動かず、数分の上昇を待つ。
「最上階、レストランでございます」
「ご苦労様」
美女のアドラーにチップとしてシケモクを二本握らせてやりながら、ハジメは世界が一気に広がったかのような空間に出た。
広い展望を確保した食堂は、全面が硝子張り。全てが透明で品質の良い物ではないが、頑張って新造した硝子を嵌めているあたりの努力は凄まじい。
並んでいる調度も完全に統一されてこそいないが、ボロと呼べる物はない。きっと、ここの雰囲気を作り出すため、何人もの傭兵が繊細なそれを壊さないように運ぶという難儀な仕事をやらされたのであろう。
「あら、ハジメにトリニティ。良い日和ですわね」
「ツケで頼むランチティーは美味いかトワイラ」
そんな店の一等良い席でトワイラは昼餉代わりの茶を楽しんでいた。
発掘された品か、どこかで栽培されたものか分からないが、ポット一つでで新品の煙草が数本飛びそうな紅茶と、立派なサンドイッチを摘まんでいるエルフは、今日も道化のように滲んだ化粧をしながらも堂々としている。
「そうですわね、わたくしを持て成すにはもう一歩というところですけれど、一応は満足していますわ」
「相変わらず大したタマだよお前は。俺ならこんなところで財布の残りを気にしながら茶なんてできない」
「気にしたことがございませんもの」
コイツ……とハジメは思ったが、まぁそういう生物であるとは思っているから、今更渋面を作る以上の反応は見せない。たとえ棄てられようがどうなろうが、彼女が自分を王位継承権八位の侯爵様だと思っている以上、死ぬまでこの浪費が終わることはなかろうから。
「じゃあ、少しは気にしろ。良い仕事だ。新品煙草三箱分のな」
「小銭ですわね。聞かせなさいな」
「ちょっと下々に慈悲をかけてくださればいいだけさ」
この侯爵閣下を操縦するのは難儀だが、コツを掴めばどうとかなる。
ハジメは上手いこと口を動かすべく、用意していた話法でトワイラを仕事に引っ張り出した…………。
クソだらしない傭兵共なので、普段は好き勝手連携もなく生活しているという見本。
コメント、いつもありがとうございます。返事はできておりませんが、見る度に「やるかぁ」と元気が涌いてくるので、良かったら面白かったの一言でも書き込んでやってください。




