デート
037
「また台風が来ているらしいですよ」
椎名はテレビのニュースを見ながら言った。
「前みたいに気が付いたらどっか行ってくれたって流れがいいのにな……。直撃されるといきなり野菜の値段がはねあがって、こっちの採算にも直撃するからなぁ……」
普通のサラリーマンの俺にとっては、台風なんて若干通勤に支障は出る程度だけど、飲食店となると、深刻な影響を受けるんだな……。
「盆休みはどうするんだい?」
「あ、一応帰省するつもりです。一日だけですけど」
「仕事忙しいのかい?」
「いや、保身の為というか……。うちの両親は、俺が無限にものを食べることができると勘違いしているみたいで、実家に帰ると延々と絶え間なくいろんなものを食べさせられ続けるんですよ……」
「ああ、ありがちな話だね。男の子の子どもに対してはどこの親も同じ様なもんだな……」
「しかも、両親ともにあまり料理が得意じゃないので……。気持ちはありがたいんですけど、正直……」
それを聞いて大将が笑う。察してくれたようだ。
「椎名は?」
大将が聞いた。
「私も帰省しますよ。高校の時の友だちもみんな戻ってきますから。あ、でもどうだろ……。もう、みんな仕事しているからなぁ……」
「お盆くらいは休みもらえるんじゃないの?」
俺は言った。
「ええ、先週くらいから地元の知り合いからは結構な数のメールが来ているんですよ。全部は無理なので、どれに参加をするか迷っているところです」
「親衛隊からも?」
大将は興味深そうに聞いた。椎名はあからさまにその話題から逃げるように頷いた。
「特に仲が良かった友人だけで十分じゃない?」
俺は椎名に言った。
「ええ、特に仲の良かった子との分は決定してるのですが、その他が少しずつメンバーが違っているので決めかねている状態で……」
「何件くらいのお誘い?」
俺は聞いた。大将も興味があったのだろう、フンフン頷いている。
「ええっと……、キチンと数えてはいませんが、一日三十通程度は来ています……」
「それが何日続いているの?」
「え? 先週くらいから……。五日以上ですかね……」
「そうすると、単純計算で、百五十件以上は来ているってことかい?」
大将が横から口を挟んだ。
「数えていませんけど、先週はもっとハイペースだったので、二百件くらいは……。でも、その内、参加者の名前が思い出せるのは、十通くらいですけど……。一度も会ったこともない先輩や後輩からも来ましたから……。きっとからかわれているんでしょうね」
椎名はそう言って笑った。いや、笑い事じゃないし、からかってもいないと思うぞ。恐るべし、椎名。さすが在籍三年間、SPが張り付いていただけのことはある。伝説的アイドルだな……。
「じゃあ、絞られた十件をベン図でも書いて、検討しなければいけなそうだな……」
俺は笑った。
「わぁ、懐かしいですね。ベン図。『集合』でしたっけ?」
椎名は空中に丸を二つ書いて言った。
「『集合』は中学校で本格的に習ったけど、『ベン図』は小学校の時に習った気がするな……」
大将は言った。
「らしいですね。俺は高校でした。昔は中学校の範囲だって高校の先生が言っていました」
「私も、高校です。正直あまり得意では無かったですね……」
「あはは、実は俺も……。『要素』って何? って感じでしたね……」
そんな他愛も無い話をしていると、店の玄関が空いた。入ってきたのは和久井さん。店に入るとベレー帽をちょいと持ち上げて挨拶した。
「いらっしゃい!」
椎名の明るい声。和久井さんは何も言わず、椎名に人差し指一本出した。
「は~い」
椎名はいつもの焼酎のお湯割りを作り始めた。和久井さんは『本日のおすすめ』をちらりと見て言った。
「クジラがあるのか……」
「ええ、ミンククジラですよ」
椎名は焼酎のお湯割りを和久井さんの前に置きながら言った。
「ほほう……、では一つもらおうかの」
「は~い」
椎名の返事と同時に大将が冷蔵庫からクジラのブロックを取り出した。
「毎度!」
原田さんと横田さんも入ってきた。その後ろから月野さんも……。
「こんばんは~。チャオ! 椎名」
さっきまで静かだった店内が一気に賑やかになる。椎名が忙しく、全員に飲み物を配る。ビールに焼酎ロックに水割り……。全員違うメニューなんだと一人で何か大きな発見した気分。和久井さんもお湯割りだし……。
「お待ち!」
大将がクジラの刺身を和久井さんの前に置いた。和久井さんが箸を割ると、大将は小皿を出した。
「和久井さんはこっちだったね」
そう言って、出された小皿には今は食べることができなくなった生レバーのたれが。まあ、たれと言っても、ごま油に塩が入ったものなんだが……。
俺も少し前にこれを食べたが、その後クジラの刺身に関しては、完全に『ごま油+塩』派になってしまった。とは言っても、ここ以外でクジラの刺身を食べることもないけど。
「大将、俺にも下さい」
「ああ、ちょっと待ってね」
「尾田さん、原田さんたちも……」
「全員?」
「ええ、三人前です」
大将が、原田さんの方を振り返ると、原田さん、横田さん、月野さんがピッピッピッと順番に手を挙げた。よくわからない規律が存在していて、ちょっと面白い光景だった。
「たれはどうしようか?」
大将が三人に聞いた。すると、全員で俺の小皿を指さした。このトリオ、息ぴったりだな……。大将が調理に入ると、またトリオは話を始めた。ボーリング大会の日から、原田さんと月野さんは更に仲良しになったように見える。横田さんとも。
椎名がメールで教えてくれた話では、月野さんはあの日、お婆ちゃんの家の中からの鳴き声であの子犬だと気付いたとか。子犬も月野さんのことを覚えていたらしく、家を飛び出して月野さんに飛びついたらしい。それから月野さんは子犬を抱きしめて、随分泣いたらしい。
粋なことするなぁ、原田さん。
間もなく全員にクジラも運ばれて、益々店は賑やかに。あ、和久井さんは一人でテレビを見ているけど……。俺は、それを眺めているのが楽しい。誰とも話していないけど、決して一人じゃないって安心感があるんだよな……。
「椎名、ビール追加してくれ」
椎名はすぐさまビールと新しいグラスを運んできて、俺の前に置いた。
「クジラで思い出しましたけど、この前ご一緒させて頂いた水族館に、スナメリクジラの赤ちゃんが誕生したらしいですよ……」
「へぇ……」
「きっと可愛いんでしょうね……」
「だろうな……」
「あの水族館って、隣に砂浜があったよな?」
「ええ、手に特殊な塗料のスタンプを押してもらって出るみたいです」
「じゃあ、あの砂浜も水族館の一部ってこと?」
「そうでしょうね。この前は建物の中からしか見なかったので詳しいことはわかりませんが、とても綺麗に整備されていた印象がありますね」
「椎名、日本酒くれ! 冷やがいいな! このクジラたまらんな!」
原田さんの言葉にトリオの後二人が頷く。確かに病みつきになるんだよな……。
「何、二人でコソコソ話してんの? デートのお誘い?」
月野さんが笑う。
「ち、違いますよ! 私は水族館のクジラの話をしていただけで……」
椎名、必死すぎ。余計怪しいって……。
「だったら、また俺のツーシーターの出番かい?」
原田さんはポケットから車のキーを出してひょいと持ち上げた。
「そうですねぇ……。近いうちにお借りするかもしれません」
椎名が「へぇっ?」って顔をして俺を見る。『鳩が豆鉄砲くらったような』って表現はこの為に存在するんじゃないかって感じ。
「だって、行きたいんだろ? 水族館」
椎名が水族館がどのくらい好きかは前回一緒に行ったのでよくわかっているつもりだ。特にクジラやイルカといった哺乳類には、かなりの熱の入りようだった。あれだけ喜ぶのを知っているのに、断る必要もないわけで……。ふれあい広場で、ヒトデを全部ひっくり返したら、椎名に叱られたっけ……。
「ええ……」
「なら、決まりだな。俺はいつでも良いから連絡してよ」
「実は……」
そう言って、椎名はポケットから折り畳んだ紙を出してきた。
「これに書いてあるんですけど、来週から水槽のメンテナンスが入ってしまうんです……」
確かに椎名が広げた紙には、そう書いている。ってかどうしてこんな紙を畳んで持っているんだ? かなり前からポケットに入れていたんだろうか、結構紙が傷んでいる……。
「となると、チャンスは?」
「明日……です」
そりゃまた急な話だな……。でもまあ予定もないし……。
「原田さん、明日お借りしても良いですか?」
「ああ、構わねぇよ。いつも通り満タン返しで!」
そう言って、原田さんは下手投げで俺にキーを放り投げた。
「良いわねぇ……。でも、明日は私もデートだし……」
月野さんは言った。
「ええっ! 月野さん、彼氏できたのですか?」
「知りたい?」
妖艶に微笑む月野さん……。ん、色っぽい……。
「ええ、今まで聞いたことありませんでしたから……。最近ですか?」
「まあね……。出会ったのはもうちょっと前だったんだけどね……」
「へぇ……。どんなタイプの方ですか?」
「どっちかって言うと、ワイルド系かな。まだまだ子どもなんだけど、結構ヤンチャだな……。誰からも好かれる性格は良いんだけど、誰のところでも行っちゃうところはちょっと嫉妬しちゃうけどね……」
一体、どんなやつだ? 訳が分からん……。椎名も目を白黒させている。
「後、ちょっと毛深いかな……。それからいっつも全裸で走り回っているよ……」
「その方、本当に大丈夫なんですか? 私にはちょっとおかしいようにしか……」
椎名の発言に一同(俺除く)大爆笑。俺と椎名はキョトンとしている。
「婆ちゃんところの犬に会いに行くんだよ。ほら、あのペットショップの……」
原田さんが笑いながら説明した。横田さんは椎名の表情にハマったのかまだ笑っている。
「しかも、そこに元彼と一緒に行くのよ」
月野さんはそう言って笑った。
「和久井さんも?」
俺は聞いた。
「うん、あのお婆ちゃん、和久井さんの『元カノ』って噂でね……」
月野さんは笑った。
「そうなんですか?」
俺は和久井さんに聞いた。相変わらず和久井さんはテレビを見ていたが、クルリと振り返って言った。
「いちいち覚えておらんよ……」
ニヤリと笑った和久井さん、ちょっとカッコイイぞ……。
「結局ボーリング大会はどうだったの?」
大将は言った。
「ああ、よくぞ聞いてくれたな。実は横ちゃんが優勝したんだよ」
横田さんは右手を挙げた。他の一同拍手……。
「原田さんは?」
「それがな……。大将聞いてくれ。一点差でべっぴんさんに持って行かれたんだよ~」
今度は月野さんが右手を挙げる。他の一同拍手……。
「と言うことは、三位?」
「ああ、しかも椎名と同点だったんだぜ。『チーム立ち飲み処☆創』が上位独占だったんだぜ! ただトロフィーの授与式がせつろしくなっちまったな。表彰台の上でお互いがお互いに渡すもんだから……」
原田さんは笑った。
「あ、写真撮ったから、店に飾ってよ」
横田さんが言った。大将は頷いてOKのサイン。
「それにしても、今回の件で、べっぴんさんは、今や町内会で椎名と並ぶ人気だぜ」
原田さんは言った。
「そうでしょうね。美人だし……。気立ても良いし……。笑顔も可愛いし」
俺は言った。その時、椎名が月野さんを指さした。
振り返って指先の方向を見ると、月野さんが真っ赤になって固まっている……。どうして?
「兄ちゃんは、本当にスパッ! と思った通りにモノを言うよな。そこが良いんだけど……」
横田さんが言った。
「ただ、もうちょっと褒めるにしても、小出しにしないと、そこまで一気に言われたら、べっぴんさんだって対応できなくなるわな?」
原田さんが今の状況を説明してくれた。いや、全然意識していなかったけど、そうなのか……。何か悪いことしちゃったかな?
「椎名だって、複雑な気分になるよな?」
横田さんが笑った。なぜそこに椎名が出てくる?
「私は別に……。私も月野さんは綺麗で優しくて、人気者になって当然だと……」
椎名の言葉に益々照れて固まる月野さん。もうどうしようもないな……。
「まあ、そういうところもまたべっぴんさんの魅力なんだがな!」
原田さんが強引にまとめた。
こうして今日も夜が更けていく……。




