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鈴虫と梅干

「夜になっても蝉の鳴き声が聞こえるようになりましたね」

「地上に出てからの二週間で一気に子孫を残さないといけないから、蝉も大変だな……」

 俺は返した。

「蝉は昆虫の中で一番鳴き声が大きいとされているんですよ」

 椎名ならではの情報。

「蝉は、腹の部分を軽く油で炒めると、香ばしくて美味いんだよ」

 大将ならではの情報。

 椎名はこの大将の言葉に、一瞬怯んで二・三歩退いた。かなり警戒した表情だ……。

「大丈夫だよ。騙して蝉を食べさしたりしないから……」

 そう言って笑う大将。本当に平和な店だ。


「蝉の他で、食べたことがある昆虫ってありますか?」

「蜂の子かな。軽く網で焼いて食べるんだけど、結構イケるんだよ」

 隣で椎名がブルッと身震いしている。

「昆虫苦手なの?」

 椎名に聞いた。

「いえ、掴んだりするのは小さい頃からしていましたから、毒がなければ全然平気ですが、食べるとなるとちょっと抵抗がありますね」


「そう言えば、椎名は店にゴキブリが出ても騒いだりしないものな……」

 大将は言った。

「ええ、食材にかかるといけないので、殺虫剤が使えないのはちょっと辛いですが……。特製殺虫剤を開発したので、もう大丈夫です。叩き潰すのは、後の処理が……」

 椎名はそう言って、何やら半透明なスプレーボトルを取り出した。

「それが『特製殺虫剤』?」

「ええ、と言っても、中性洗剤を溶かした水なんですけどね。スプレーノズルが結構遠くまで飛ぶタイプのものなんです」

 椎名はそう言って、洗い場のシンクに向けてワンプッシュした。ボトルからは勢いよく洗剤が飛び出した。一メートル近くは飛んでいる。


「去年、ゴキブリと間違えてコオロギにかけたときは、慌てて捕まえて水洗いしました」

 そう言って、笑った。


「秋になると、虫の鳴き声が夏に比べて段々高い位置から低い位置に変わっていくような気がするな……、って意味分からないか……」

 俺は言った。

「いや、わかるよ。夏は高い木の上で鳴いているけど、秋になると草むらから聞こえてくるってことだろ?」

 椎名も大将の隣で頷いている。


「そうそう、『カネタタキ』って虫、知ってますか?」

「ああ、名前だけは」

「鳴き声を聞いたことは?」

「無いかもしれないな……。そもそもカネタタキの鳴き声を知らないな。椎名は知っているか?」

 大将は椎名に聞いた。

「いえ、同じような感じです。どれがカネタタキの鳴き声なのか判別できません。ご存じなんですか?」


「うん、それがね。何年か前に、『チッチッチッチッチッ』って部屋から音がしたんですよ。キッチンタイマーみたいな音です。ところが俺の部屋にはキッチンタイマーなんてないんですよ。どこだ? どこだ? って探し回った挙げ句、その正体が『カネタタキ』だったんですよ」

 俺は言った。椎名はそれを聞いてスマホで調べている。

「あ、ありました。これですね」

 そう言って、カネタタキの動画を再生した。


「本当にキッチンタイマーみたいだな……。キッチンタイマーがない時代なら、カネタタキとしか言いようが無かったんだろうな……」

「ええ、部屋のどこかからこの音が聞こえたら、確実にキッチンタイマーだと思いますよね……」


「その時は押入で見つけたのですが、あまりに機嫌良く鳴いていたので、その内出ていくだろうと思ってそのままにしてたら、毎年部屋のどこかからカネタタキの鳴き声が聞こえるようになっちゃって……。どうも住みついてしまったみたいです」


「放し飼いですか? 昔、母が鈴虫を飼っていたことがあったけど……。 餌はどうしているんでしょうね……」

 そう言って椎名は笑った。

「カネタタキが来るようになって三年くらいだけど、俺の部屋に住んでいるというより、毎年やってくるって感じかなぁ。虫だけが知っている秘密のルートがあるんだろうね」


「そう言えば、さっき椎名が言っていた鈴虫だけど、最近鈴虫売っているところを見なくなったねぇ……。ペットショップでも行ったら売っているんだろうか? 昔は普通にあちこちで売っていたけどなぁ……」

 大将が腕組みをして言った。

「ええ、大きな水槽に入って売っていましたね」

 俺は返した。

「そうそう、欲しい数を店員さんに言うと、金魚とかをすくう網で言った数分だけ捕まえてくれるんだよな?」

 大将は懐かしそうな表情を浮かべている。

「そうでしたね……。で、大抵捕まえているときに何匹かが脱走するんですよね?」

 俺は笑った。

「あったあった! みんなでそれ追いかけて大騒ぎになるんだよな……。その後は何匹かずつ飼育箱に入った状態で売るようになっていたな……」

 大将も笑っている。


「私、ばら売りは見たことがありませんね……。飼育箱に入って売っているのは何度か見た気がします。店員さんで虫の苦手な人は辛かったでしょうね……。それより、ばら売りの時はどうやって持って帰るのですか?」

 椎名が聞いてきた。

「え? 普通にビニール袋に入れて……」

 大将は答えた。俺も頷く。

「そうなんですか? それで持って帰ったら飼育箱に放すわけですね?」


「俺の実家では、海苔の瓶に入れて飼ってたよ」

 大将も頷いている。

「海苔の瓶ですか? どんなのだろ?」


「ああ、懐かしいねぇ。昔の海苔の瓶と言えば、梅酒も梅干しもらっきょうもみんなあれを利用したな……。今じゃ、それ専用の瓶が売られているからなぁ……。海苔もあの瓶で売っているのを見ないものな……。あ、確か……」

 大将がそう言って棚をゴソゴソ探し始めた。

「あ、あったあった……」

 持ってきたのは正に海苔の瓶。中には梅干のシソ漬けが入っている。

「この瓶だよ」

 大将はそう言って、椎名に見せた。

「ああ、祖母の家で見たことあります……。海苔の瓶だったんですね」

 不思議そうに瓶を眺める椎名。美人は梅干しの瓶を眺めていてもサマになるな……。


「随分年代物の梅干っぽいですね……」

 俺は聞いた。

「いや、それほどでもないんだけど、お客さんに梅をもらった時に漬けたんだよ。あれ、何年まえだっけなぁ……」

 顎を指で挟んで思い出す大将。この人のことだから随分経っているんだろうな……。


「それより、食えるのかな? 漬けたっきり一度も封を開けていないな……」

 何という無頓着……。

「尾田さん、ここに、『1999』って書いたシールが貼っていますよ」

 椎名が瓶の蓋を指さして言った。

「じゃあ、その年に漬けたんだろうな……。軽く十五年ものってところか。美味いかな? どう? 食ってみるか?」

 大将はニヤリと笑った。

「まあ、普通に十五年ものの梅干となると、かなりのプレミアものですよね?」

 俺は言った。

「古いとプレミアが付くんですか?」

「詳しいことは知らないけど、百年ものとかになると、一粒でびっくりするような値段になるって聞いたことがあるよ」

「正直、長けりゃ良いものなのかどうかは知らないけど。塩分濃度が高けりゃ、腐ることはないし、試食会といきますか……」

 そう言って大将は梅干の瓶をまな板の横に乗せた。


「水分がかなり減っているな……」

 大将はまな板に乗せた瓶を横から見て言った。

「まあ、十五年ですからねぇ……」

 椎名も頷く。

「元々無添加の南高梅と、無添加の塩を使って伝統的製法で作ったから、腐ることはないと思うんだけどな……」

 大将はそう言って、瓶の蓋を開けようとした。

「梅干って腐るんですか?」

 俺も同じことを考えた。

「最近、スーパーなんかで売っている梅干は、正式には『調味梅干』って言って、いろんなものが混ざっているから、腐るよ。ちゃんと賞味期限とか消費期限も書いてあるし……」

 そうなのか、知らなかった。


 大将は、瓶の蓋を開けて中から梅干しを数個取り出して小皿に移した。梅干しには塩の結晶がビッシリついていて、何だろ、氷砂糖みたいになっている。

「これは、ちょっと塩抜きがいるな……」

 そう言うと、表面に付いている塩の結晶を丁寧に払い、水を入れたお椀に入れた。

「味は問題ないと思うんだけどな……」

 隣で興味深そうに眺める椎名。それでなくてもパッチリした瞳が、更に大きく見開いている。


「毎度!」

 入ってきたのは原田さん。後ろから横田さんも入ってきた。

「いらっしゃい!」

 椎名の凛とした声。

「相変わらず暑いな……。椎名! 俺は今日もビールだ!」

 いつも元気の良い原田さん。

「は~い! 横田さんはどうします?」

「俺は……。やっぱり俺もビールにしようかな……」

 椎名はすぐさまキンキンに冷えたビールとグラスを二人の前に置いた。


「お、梅干かい?」

 横田さんがまな板に乗った瓶を見て言った。

「十五年ものらしいですよ」

「今、塩抜きしているんだよ」

 大将が言った。

「梅干か……。いいなぁ。暑き日は、しっかり冷やしたハモとかの梅肉和えとか最高だな……」

 原田さんが言った。

「あ、悪いね……。ハモは仕入れていないな……」

 頭を下げる大将。

「まあ、急に言ってもそうそうあるもんじゃないわな」

 原田さんはそう言って笑った。

「そろそろいいかな……」

 大将はそう言って、お椀から水に浸けた梅干を取り出し、実を崩した。

「とりあえず、これで試してみてよ」

 そう言ってスライスしたキュウリに少しずつ梅肉を乗せたものを俺たちの前に置いた。

 早速一口……。大将も食べている。


「美味いですね……」「ああ、美味い」「凄く美味しいです」「うん、これが『梅干』って感じだな……」

 全員納得の美味さ。いや、本気で美味しい。味が濃いっていうか……。塩抜き具合も抜群だし……。

「こんなに美味いんだったら、これで何か作ってくれよ!」

 原田さんは言った。大将は頷いた。


「最近、スーパーで売っている梅干ってのは、どうも小さい頃食べたのとは違うんだよな……」

「そうそう、何て言うのかな……、取って付けたような味がするんだよな……」

 横田さんも原田さんと同意見のようだ。

「あ、さっき尾田さんから聞いたのですが、それは『調味梅干』って言うらしいです」

「何だい? そりゃ?」

 原田さんが聞いた。

「梅と塩以外にいろいろ添加物が入っているらしいです」

「何だって、そんなことをするんだ? 梅と塩だけの方が簡単じゃねぇのか?」

 原田さんは言った。

「いや、よく『良い塩梅』って言葉があるだろ? 本当に美味しい梅干を作るってのは、結構難しいらしいんだよ。これは、たまたまうまくいっているけど。量産品となると、その味を一定に保つのに、いろいろ味付けをせざるをえないんだと思うよ」

 大将は言った。

「確かに、俺のお祖母ちゃんも、『梅干作りの名人』って言われていることを、凄く自慢していたっけ……。そんなに難しいことだったんだな……。もっと食っときゃ良かったな」

 横田さんは悔しそうに言った。


「はいよ! お待ちどう!」

 大将は小鉢を俺たちの前に置いた。

「何だい? これは?」

 聞きながら、答えを待たずして早速一口食べる原田さん。横田さんも……。


「水菜とカマボコの細切りに下味を付けて、梅肉を和えてみたんだけど……」

 ほうほう、では俺も一口……。


「何だ? めっちゃくちゃ美味いな! 椎名! 焼酎のロックくれるか?」

 原田さんは言った。確かに焼酎が飲みたくなる味だ。

「あ、俺も!」

 横田さんが続く。俺もひょいと手を挙げる。


「さすが大将だな! 『良い塩梅』の梅干を『良い塩梅』で調理してくれるな……」

「たーくん、うまいこと言うね。でも、その通りだな……。こいつは美味い!」


 こうして今日も夜が更けていく……。


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