イカT
その男はふらりと店に入ってきた。歳は二十そこそこといったところか。いわゆる『イケメン』と言われている部類の男だろう……。俺が目を引いたのはそのファッション。よく言えば中性的だが見ようによっては完全に『オネエ』だ。
際だつ蛍光グリーンのタンクトップの上に、レースのカーディガン。ボトムはスカートと見間違えるほどの太くてヒラヒラしたボーダー。手には黒い筒のようなもの。店に入ってくる仕草もどこかクネクネしていてお世辞にも男らしいとは言えない。店に入るなり店の中をキョロキョロと見回し、挙動も怪しい。
「椎名の知り合いか?」
とりあえず歳が近そうだったので椎名に聞いてみた。かなり小声だったけど椎名には聞こえたらしい。椎名は無言で首を横に振る。
「いらっしゃい!」
椎名は明るく声をかけた。男は一瞬ビクッとしたが、慌てて少し頭を下げて会釈した。そして、おもむろにカウンターに近寄ってきて椎名に話しかけた。
「あの……」
男は言った。
「はい!」
明るく答える椎名。その声にまた男はビクッとしたが、さっきほどではない。この男、コミュニケーション障害の匂いがするな……。
「この店……」
男は言った。椎名は続きを待っている。
「あ、この店に……」
椎名はニコニコ笑いながら待っている。
「あ、違った……。この店の……」
椎名はずっと笑顔で待っているが、話が全然進まない。横で聞いているだけでイライラしてくる……。その時、玄関が開いた。
「毎度!」
入ってきたのは原田さんだ。まずいな。どう考えてもこの男と原田さんの取り合わせはよろしくない。最悪、このスローペースに業を煮やした原田さんが、この男を怒鳴りつけかねない。
「相変わらずあっちいな……。お、椎名、ビールくれ!」
原田さんは言った。椎名の表情が一瞬『助かった!』という表情になった。椎名は一旦その男の前から離れ、リーチインからキンキンに冷えたビールとグラスを取り出し、原田さんの前に置いた。
「あ~、これだこれだ……。夏はこの一杯の為に生きているようなもんだからな……」
原田さんは早速ビールをグラスに注ぎ、ジャガーズの野球帽のツバをクルリと後ろに回してグラスを傾けた。
「あのう……」
また男が言った。さっきより更にオドオドした話し方で、カウンターの下を向いたままだ。
「はい!」
努めて明るく返事をする椎名。
「あの……」
相変わらず話は進まない。その時、原田さんがその男に声をかけた。
「おう! よく見たら、お前はこないだの学生じゃねぇか!」
え? 知り合い? よりによって原田さんと?
原田さんが男に声をかけると、その男は原田さんの横に行き、持っていた黒い筒のようなものの蓋を開けた。中には図面らしきものが入っている。
「原田さんの知り合いかい?」
大将が言った。
「知り合いってわけじゃねぇが、知らないわけでもないな……」
原田さんはそう言って笑った。
「あのう……、これ……」
男はそう言って、筒の中から図面を取り出そうとした。
「ちょっと待て、お前何飲んでんだ?」
原田さんは言った。
「まだ、ご注文されていないんですよ」
椎名は言った。
「そいつはいけねぇ。お前の用件は大体察しが付くが、店に入ったらまず注文するのが筋だろう」
原田さんはその男に言った。男は原田さんの声にまたビクッとした。
「あ、はい……、でも……」
男はボソボソと言った。
「でももクソもあるもんか! さっさと注文しろってんだ!」
原田さんは一喝した。男は例によって、ビクッと……。
「まあまあ、そんなに厳しくしないでも……。ゆっくりで良いですよ」
椎名がフォローを入れた。その声に微かに頷いたが、椎名の方を見ようとはしない。
「あの……、じゃあ……、……、ウ、ウーロン茶……、ありますか?」
男は絞り出すように呟いた。
「ええ、ありますよ。焼酎割りですか?」
椎名が聞いた。
「え? えっと……、割らないで……、そのまま……、ウ、ウーロン茶……」
男は言った。横で聞いていると、イライラが爆発しそうだ……。何だ? こいつ!
「酒飲めねぇのかよ?」
原田さんが言った。
「え? あ、いや……、飲めないわけでは……」
下を向いたまま頭だけ原田さんの方に向けて呟いた。
「じゃあ、普通のウーロン茶ですね?」
椎名は言った。さすがの椎名も若干引いている。
「あ、はい……、じゃ、それでいいです……」
男は言った。
「何だよ! その言い草は! まるで強制的に注文取られて、仕方なく飲みたくないのに選ばされたみたいじゃねぇかよ!」
原田さんはちょっと怒った様子で言った。
「ああ……、そうではなくて……、これを……」
男はそう言って、黒い筒の中の図面を原田さんに見せた。
「わかったわかった! 見てやるから出してみな」
原田さんは言った。男はモタモタと筒から図面を取り出し始めた。
「ここに置いておきますね」
椎名はウーロン茶のジョッキを男の前に少し離して置いた。確かにこのモタモタした動き、どんなことで、ジョッキをひっくり返すかわからないからな……。
ようやく図面を取り出し、原田さんに渡す。原田さんは胸ポケットから老眼鏡を取り出し、それをかけてからおもむろに図面を見始めた。
しばらく図面の眺めた後、セカンドバッグから赤鉛筆を取り出し、数カ所にチェックを入れ始めた。何をやっているのか端から見ていても全くわからない……。その様子を横で見ている男は、相変わらずビクビクしたままだ……。緊張でのどが渇くのか、しきりにウーロン茶を飲んでいる。
更にしばらくして、ようやく原田さんが図面から目を離し男の方を向いた。
「まだまだだな……。一応赤鉛筆を入れたところが修正必要なところだ。なぜ修正しなければならないかは自分で考えな。来月また用事でそっちに行くから、その時にまた見てやるよ」
そう言って、原田さんは図面を男に返した。男は何度かお辞儀をして、図面を受け取り、丸めて筒に入れた。
「では……、ありがとうございました……」
男はそう言って、残っていたウーロン茶を飲み干し、財布を出して椎名を見た。
椎名は男とのコミュニケーション能力に見切りをつけたのか、代金を告げ、精算していた。精算が終わった男は、逃げるように店から出ていった。
「何だったんですか?」
俺は原田さんに聞いた。原田さん以外の一同が頷く。
「あいつは、ああ見えて一応T大生なんだよ」
原田さんが言った。
「T大!? 優秀ですね!」
俺は言った。大将も椎名も驚いた表情だ。無理もない。T大と言えば、日本最高峰の国公立大学だ。人は見た目で判断しちゃダメだって言うけど……。
「そこで、建築デザインとか、インテリアデザインとかを勉強しているらしい」
原田さんは言った。
「確かにデザイナーと言われたら、そういう風貌だったような気もするが……」
大将が言った。椎名は横で頷く。
「川向こうの体育大学の教授と知り合いだって話をしただろ? その関係でT大にも時々仕事で行くんだよ。その時にそこの教授に図面を見てやってくれって頼まれてさ……」
原田さんは言った。
「原田さん、さすがですね」
椎名が言った。
「いや、大したことはないんだよ。俺はインテリアやら建築設計のことなんてわからないが、学生が書く図面ってのは、配電がめちゃくちゃでさぁ……。どうしてもデザインが先行しちまって配電のことは何にも考えてないケースが多いんだよ」
「なるほどなぁ……。電気に関しては、原田さんはプロですものね」
俺は言った。
「そんなに大したことはないが、物理的に配電に無理があったり、さっきの図面を例に挙げると、あの建物、毎月とんでもない電気代がかかることになると思うぜ。店舗としては採用できないよ」
原田さんはビールを注ぎながら言った。
「でも、書き直しを持ってくるあたりはいい子なんだね?」
大将は言った。
「まあな。しかし、あいつは元々人と接するのが苦手だから、デスクワークを選んでいるようなきらいがあるんだよ。現場に出たら、俺たちみたいな業者と嫌になるほど打ち合わせをすることになるのにさ。勉強はできるんだろうが、勉強しかできないから、現場では役に立たない」
原田さんはそう言って、ビールのグラスを傾けた。
「『勉強はできるけど、勉強しかできない』ですか……」
椎名は言った。
「いわゆる、『イカT』ってやつですね……」
俺は言った。
「懐かしいな……。その言い方。久しぶりに聞いたよ」
大将が笑った。
「何ですか? 『イカT』って? 美味しそうな名前ですが……」
椎名が聞いた。
「『いかにもT大生らしい』ってことだよ」
大将が言った。
「そんな言い方があったのか! この前図面見た生徒は殆どその『イカT』だったような気がするな……」
原田さんは言った。
「でも、彼、どうして原田さんがこの店に来られていることを知ったのでしょうね?」
椎名が言った。言われてみれば不思議だ。
「ああ、俺が言ったんだよ。この店のこと。さっきの『イカT』軍団の中で、あいつだけダメ出ししたときにブツブツ言っていたんだよ。で、『何だ?』って聞いたらまたブツブツ言い出してさぁ。こっちにはさっぱり聞き取れないし、何だか面倒になって『文句言う暇あったら、さっさと書き直してもう一度持ってこい!』って一喝したんだよ。その時にこの店の名前を言ったんだ」
原田さんは言った。なるほど。それで、店に入ってキョロキョロしていたのか……。
「何て言うんだ? 俗に言う『コミュ障』ってわけではないんだろうが、極度の人見知りというか、自意識過剰って言うか……。人は自分が思っているほど自分のことをあれこれ考えちゃいないのに……。あんなにオドオドしてたんじゃ、余計変な奴だと思われるわな……」
原田さんはお尻のポケットから、自慢の扇子を出して、パタパタやり始めた。原田さんなりに彼を気遣っているのがわかった。
「その点、椎名は随分優秀な大学に通っていても、コミュニケーション能力は抜群だよな……」
大将は言った。俺も原田さんも頷く。
「いえいえ、私は周りの方に恵まれているだけで……」
椎名は恐縮している。その時、玄関が開いた。
「こんばんは~」
穏やかな声で入ってきたのは横田さんだ。玄関の扉を閉めるときにチラリと外を見た。
「いらっしゃい!」
椎名が透き通った声。
「ああ、何度聞いても心癒されるなぁ……。椎名の声は」
横田さんは目をつむって言った。
「おう! 横ちゃん!」
原田さんが声をかけた。
「たーくん! 俺に声をかけるのちょっと早いよ。折角の椎名の声の余韻に浸っていたのに……」
横田さんが言った。原田さんは俺の方を向いて、嫌な顔をしながら舌を出した。正直気持ちはわらないわけでもない。
「これどうだい?」
大将が小皿を出してきた。
「何ですか? これ?」
俺は聞いた。
「イカの天ぷらだよ。さっきの『イカT』を椎名が美味しそうだって言ってたから作ってみた」
大将はそう言って笑った。
「美味そうですね。頂きます」
早速一口。外はカリっとしていて中はふんわり。さすが大将だ。
「尾田さんが作ると、イカの天ぷらもイカフライも絶対に油はねしませんよね? どうやっているんですか?」
椎名が聞いた。
「よく見ているな……。といってもそれほどいろいろしているわけでもないんだけどね。薄皮をしっかり処理することと、衣を付ける前に電子レンジで軽く水分と空気を飛ばしておくんだよ。いくら薄皮をきれいに処理しても、電子レンジの中じゃ、ポンポンいっているよ」
大将は言った。
「へぇ、勉強になります」
椎名はそう言って、メモを取った。
「勉強と言えば、店の玄関横で、地べたに図面置いて、必死で何か書いている若者がいたな……」
横田さんは言った。
「……! ひょっとして……」
俺は言った。椎名は頷いている。原田さんは何も言わず玄関へと向かった。その瞬間、玄関が開いた。そこにいたのはさっきの学生だった。汗で折角の『オネエファッション』はビッショリになっている。また、地べたで作業していたせいで、ズボンや服は汗にくっついた砂だらけだ……。
「あの……、原田さん……、これ……」
丸めた図面を原田さんに渡そうとして、慌てて引っ込めた。そして椎名の方に向きなおした。
「あの……、ウ、ウーロン茶を……」
男は言った。
「はい、割らなくていいんですよね?」
椎名はニッコリ笑って言った。
「あ……、はい……」
男はそう返事をした後、再度図面を原田さんに向けて差し出した。原田さんは何もいわずに図面を受け取り、カウンターの上に置きっぱなしになっていた老眼鏡を再度かけて図面を見始めた。しばらく眺めた後、またセカンドバッグから赤鉛筆を出した。
「お前、名前は何て言ったっけ?」
原田さんは男に聞いた。
「ふ、富士田です……、ど、どうですか……?」
富士田はオドオドしながらも原田さんの方を向いて聞いた。
原田さんは図面をカウンターの上に置き、持っていた赤鉛筆でクルリと円を書いた。
「まあ、今回は富士田の根性に免じて合格点にしてやろう。但し一重丸だぞ! まだ、コストカットできる要素はたっぷりある。あと、無駄な装飾やレイアウトをなくせばもっと効率が良くなるはずだ。次行くときはその辺を手直ししておくんだな」
そう言って、ニッコリ笑った。
富士田は嬉しそうな表情になって、何度も原田さんにお辞儀をした。
「あ、ありがとうございました……」
富士田はそう言って、ウーロン茶を一気に飲み干した。夜といってもまだ暑い。ずっと外で作業していたんだから、おそらく喉がカラカラだったんだろう。ゴクゴクという音が店中に響きそうな勢いだ。まもなくジョッキ一杯のウーロン茶を飲み干した富士田は、財布を出して椎名を見た。原田さんはその財布をそっと手で押し戻して言った。
「この一杯は俺が奢ってやる。お前への期待賃だ。次会うとき、がっかりさせるなよ?」
そう言って笑った。富士田はまた何度も原田さんにお辞儀をして、間もなく店を後にした。
「彼は、同じ『イカT』でも、『イカしたT大生』だね」
大将はそう言って笑った。




