テキーラ
「いらっしゃい!」
椎名の透き通った声。何年経っても心地良い。カウンターでは月野さんと原田さんが話している。横田さんは椎名の前で鼻の下を延ばしている。ま、いつものことか……。
「兄ちゃん、良いところにきたな!」
原田さんが言った。
「どうしたんですか?」
俺は聞いた。
「今日はべっぴんさんが差し入れを持ってきてくれたんだよ。これだよ」
そう言って、原田さんは透明の酒のボトルをひょいと持ち上げて俺に見せた。
「仕事の取引先でね、私が洋酒が好きだって話をしたら、『飲まないから』ってもらったの」
月野さんはあどけない表情で笑った。本当にこの人、笑うと急に子どもみたいな顔になるな……。瓶にはサボテンとツバ広帽を被った男の人が描かれている。
「テキーラですか?」
俺は聞いた。
「お、さすがだな。ボトルみただけでわかるんだな?」
原田さんが言った。
「いえ、メキシコをイメージする絵柄だったので……」
俺は返した。
「ところで、物知りついでにこいつの飲み方知ってるかい?」
大将は言った。
「テキーラって言うと、『メキシカンスタイル』か『マルガリータ』、後、『ショットガン』とか『サブマリン』ですかね?」
俺は言った。
「何だいそりゃ? マルガリータ以外聞いたことがないな……」
大将は言った。
「あんまり上品な飲み方ではないですよ……」
俺は言った。
「まず、そのメキシカンスタイルってので、試してみようか?」
大将は言った。
「椎名も飲むでしょ?」
月野さんは椎名に声をかけた。
「あ、頂きます! テキーラを飲むのは初めてかもしれません……」
椎名は好奇心一杯の様子だ。
「で、どうすれば良いんだい?」
大将は俺に聞いた。
「ライムをカットして下さい。それから塩ですね。ショットグラスも」
俺は言った。
「私、何となく知ってるかも……。映画かなんかで見たことあるな……」
月野さんが言った。
「ああ、多分それですよ」
「左手でライムつまんで、人差し指と親指の間くらいに塩を盛って……。ライムをちょっとかじって塩をちょっと舐めて……ってあれ?」
「まさしくそれが『メキシカンスタイル』です」
「やったぁ! あれ、一度やってみたかったんだ!」
大喜びの月野さん。間もなく大将がカットライムと塩とを持ってきた。
「グラスはこれでも良いですか?」
二つはショットグラスだったが、残り三つは冷酒用のガラスのぐい飲み。まあ立ち飲みの居酒屋だから仕方ない。
「十分だよ」
俺はそう言って、グラスを受け取った。
「どのくらい入れるの?」
月野さんが俺に聞きながらボトルを椎名に渡した。
「飲み方を全部試すのであれば、度数も高いですからワンフィンガーにしましょう」
俺は言った。
「ワンフィンガー?」
椎名が聞いた。
「指一本分くらいの高さまでってことさ。俺は『シングル』って呼ぶけど」
原田さんが言った。
「じゃあ、このくらいかな……」
月野さんからボトルを受け取った椎名は順番にグラスに注いでいく。
「確かグラスは右手よね? あ、先に塩を乗せないと……」
月野さんのリードで、それぞれ『メキシカンスタイル』を準備する。間もなく全員準備完了。
「じゃあ、頂くか! べっぴんさん?」
原田さんが言った。
「ええ、かんぱーい」
月野さんが言った。とは言うものの、殆ど飲み方を知らないから、俺と月野さんがリーダー的存在になって、他はそれを見よう見まねで付いてくる。何とも変な感じだ。とりあえず、全員『メキシカンスタイル』は制覇した。
「結構優しい味だな……」
大将が言った。
「ああ、もっと強烈なのかと思ったけどね」
横田さんが言った。一同頷く。
「このライムと塩の意味は?」
月野さんが聞いた。
「一応、度数が高いので喉を守るためとか言われているけど、そんな効果はありませんよ」
俺は笑った。
「でも、このお酒には合いますよね? ライムの香りと塩……。私はもうちょっと甘い方がいいかな……」
椎名が言った。
「ああ、それが正に『マルガリータ』ってカクテルなんだよ」
俺は言った。
「マルガリータならショットバーで飲んだことあるけど、ジュースみたいだった記憶があるなぁ……」
月野さんが言った。
「多分アレンジしているんだと思いますよ。本来のレシピだと、結構強いカクテルですから……」
俺は返した。
「ちょっと待っててね」
大将はそう言って、奥に引っ込んだ。間もなく一冊の本を持って出てきた。そしてペラペラとページをめくって、あるページを見始めた。
「ん~、何とか作れそうだな……」
大将はそう言って、もう一度奥に引っ込み、今度はシェイカーと砂時計みたいな形の計量カップを持って出てきた。
「椎名、これちょっと一回洗ってくれ。しばらく使ってないから……」
そう言って、大将は椎名にシェイカーとメジャーカップを渡した。渡された椎名はすぐさま洗う。その間に大将はゴソゴソと引き出しの中を物色していた。
「あ、あった!」
そう言って、小瓶を取り出した。
「レシピには、ホワイトキュラソーがいるんだけど、この店には置いてないんだよ。でも、酒屋から貰ったミニチュアボトルがあったなぁって……」
大将は笑いながらカウンターにその小瓶を置いた。
「これって可愛いですよね? ショットバーとかでズラーッと並べているところもありますよ」
月野さんは言った。
「あ、私も見たことあります」
椎名はそう言いながら、綺麗に洗って拭き終わったシェイカーとメジャーカップを大将に渡した。
「とりあえず、ホワイトキュラソーがこれだけだから、男性陣と女性陣の二杯分だけ作ってみるね……。あ、ライムジュース……。フレッシュで良いか……」
大将がシェイカーを振る姿は、奇妙な感じだったが、それなりにサマになっていた。
「こんな感じかな……」
スノータイプを施したカクテルグラスに注がれる液体は、少し黄色がかった乳白色に濁っていた。
「一応レシピ通りに作ってみたよ」
そう言って俺と月野さんの前に一つずつグラスを置いた。まず俺が一口……。
「ああ、これですよ。しかもやたらバランスが良いですね? 初めて作ったとは思えないくらい……」
俺は言った。いや、本当に大将は器用だと感心する。
「うわっ! 本当ねぇ。結構ガツンとくるわね……。でも美味しい……。このカクテルちょっと危ないかも……」
月野さんはそう言って、グラスを椎名に渡した。椎名は受け取ったグラスに口を付けた……。
「あ、本当だ……。結構強いですね……。でも美味しい!」
椎名は言った。
「どれ?」
原田さんが一口、そして横田さんに回す。
「ん? やたらと口当たりがいいな……」
原田さんは言った。
「あれ? 俺、これって飲んだことがあるような気がするな……。ちょっと酒の味が違う感じがするけど……。何て言ったかな……。あ、サイドカーだ」
横田さんは言った。
「ああ、それはベースがブランデーですよ。同じレシピでベースがブランデーになると「サイドカー」に、ジンになると「ホワイト・レディ」、ウオッカになると「バラライカ」、ラムになると「XYZ」です。但しスノースタイルにするのはマルガリータだけですけどね」
俺は言った。
「詳しいな! 兄ちゃん!」
原田さんが言った。
「いえ、俺はXYZが好きだったのですが、バーテンダーがうっかりベースを間違ったことがあって、その時に教えてもらったんですよ」
俺は言った。
「でも、そのレシピ、黄金レシピだな……。揃えておこうかな……」
大将が言った。
「あはは、大将! ここに来る客で、そんな洒落たもの飲む奴が何人いるんだよ?」
原田さんが笑った。
「それもそうだが、料理の方が今以上にいろいろ作らないといけなくなるんじゃないのか?」
横田さんは言った。
「それもそうだな……。じゃ、保留にしておくか……。でも、自分で作っておいてなんだけど、美味いよな……。マルガリータ」
大将は気に入った用だ。
「何だか少し酔ってきた気がする……。女性陣はマルガリータ半分こだったし……」
月野さんは言った。本当は椎名は最初の一口だけで、月野さんが殆ど飲んでいるのを俺は目撃していたけど、敢えて黙っておくことにしよう……。
「じゃあ、ショットガンとサブマリンは避けた方が良さそうですね……」
俺は言った。
「ちなみにどうやって飲むの?」
月野さんは聞いた。
「ショットガンはショットグラスにテキーラと炭酸を半々くらいに入れて、グラスを手のひらで覆ったまま、カウンターに軽く打ち付けるんだよ。そしたら、一気に発泡するから、それを一気にグイッて……」
俺は説明した。
「あれ、それも何か知っているよ。『ラピド』って言ってたような気がするな……」
横田さんは言った。
「あ、それが正解です。『ショットガン』は国内限定です。あと、『ホッパー』とか『スラマー』とも言いますね……」
俺は言った。
「昔のフランス映画で主人公がやっていて、ショットバーで聞いて教えて貰ったことがあるんだよ。何て映画だっけな……。確か『ベティ ブルー』だったかな……」
横田さんは言った。
「面白そうですね。その映画。メモします……」
椎名は紙に書き留めた。その紙を見て、月野さんも携帯に打ち込んでいる……。
「で、最後の……なんだっけ? 『サブマリン』ってのは?」
大将が聞いた。
「これはロックグラスに半分くらいビールを入れるんですよ。で、そこにテキーラの入ったショットグラスを静かに入れるんですね。それをそのまま一気に飲むんですよ」
俺は言った。
「発想としては、さっきの『ショットガン』と似ているな……。しかし、両方随分乱暴な飲み方だなぁ……。一気に回っちまいそうだ……」
原田さんが言った。
「そうですね。あまり上品な飲み方ではないですね。当時そんな飲み方をしているから泥酔者も多かったらしくって、それを狙ったスリも横行していたみたいですよ」
俺は言った。
「酔っぱらっちまったらどうにもできねぇもんな……」
原田さんは言った。
「そこで、メキシコの人は考えたんですよ。財布の入ったポケットに一緒に番犬も入れておくって方法を」
俺は言った。
「ポケットに番犬?」
月野さんが笑った。
「いや、本当の話ですよ。その番犬ってのが、『チワワ』なんですよ」
俺は言った。
「そう言えば、チワワの原産地は確かにメキシコですね。元々儀式用だったと記憶してました」
椎名が言った。
「いや、それで正解だと思うよ。無理矢理ポケットに入れて番犬として使っていただけだと思う」
俺は言った。
「何だか腹が減ったな……。大将、何か食べるものくれよ」
原田さんは言った。一同頷く。
「そうだな……。さっきから考えてはいるんだが……。よしっ! ちょっと待ってな」
大将はそう言って料理を作り出した。
「しかし、テキーラって原料は何だ?」
原田さんがテキーラの瓶を持ち上げてラベルを見ながら言った。
「サボテンじゃないのか?」
横田さんが言った。
「よく言われますが、竜舌蘭という植物ですよ。いろいろ種類があるみたいです。詳しくは知りませんが……」
俺は言った。
「そうなのか……」 一同頷く。
「はいよ!」
大将が出した大皿には、ササミとトマトとチーズのサラダみたいなものが入っている。ところにより唐辛子も散りばめられている。
「とりあえず、それをつついておいてよ。もうちょい仕込みがあるから……」
大将はそう言って、また調理を始めた。粉をコネている……。
「さっきのカクテル美味しかったわね?」
月野さんは椎名に言った。
「ええ、飲みやすかったです。『マルガリータ』でしたね」
椎名は言った。
「『マルガリータ』って誰だ?」
原田さんが言った。
「そのカクテルを作った人の昔の恋人の名前らしいですよ」
俺は言った。
「忘れられなかったのかな……」
横田さんが言った。
「詳しくは知りませんが、何でも若い頃、一緒に狩猟に行った時に流れ弾に当たって亡くなったらしいです」
俺は言った。
「うわ、悲惨だな……」
横田さんは言った。
「その逸話聞いたら、『ショットガン』飲まなくて良かった気がするわ……。何だか不謹慎な感じで……」
月野さんは言った。
「『マルガリータ』は、その人へ捧ぐカクテルとして有名ですよ。でも、このエピソードは『マルガリータ』が発表された何十年も後にわかったことですけどね」
俺は言った。
「へぇ……」
月野さんと椎名は何とも言えない表情だ。
「何とも言えない話だなぁ……」
横田さんが言った。一同頷く。
「はいよ、お待ちどう!」
大将は更に厚めのクレープみたいなものを山積みにして持ってきた。
「簡易トルティアだよ。メキシコと言えば『タコス』だろ? さっきのをこれでくるんで食べてくれ。あ、椎名。タバスコ取ってくれ」
大将は言った。各自、トルティアにサラダを盛りつけパクリ……。
「うんまぁ~い!」 一同絶賛!
「テキーラはライムリッキーにするよ」
そう言って、大将はグラスを取り出した。
「あ、私やります……」
慌てて椎名が手伝う。
「あ、そうか? じゃ、俺はロックをもう一杯……」
大将はそう言ってテキーラロックを自分で作った。
間もなく椎名の作ったテキーラのライムリッキーが全員に配られ、みんなパクつくこと、飲むことといったら……。
「恋人にずっと思い続けてもらえるっていいですね……」
椎名がポツリと言った。月野さんは静かに頷く。
「ん? どうした?」
横田さんが聞いた。
「いえ、さっきのマルガリータさんの話です……」
椎名は言った。
「その前に、椎名は俺たちより先に逝かないでくれよ……。残された方は大変なんだよ」
にっこり笑って横田さんが言った。




