ウナギとアンドロイド
「あ、いらっしゃい!」
涼しげな椎名の声。椎名の前には原田さんが。何やら小型のパソコンをいじっている。
「ん~、わからないけど、OSが壊れてしまっている感じがするなぁ……」
原田さんが言った。
「椎名、ビール」
俺は声をかけた。
「は~い!」
椎名がキンキンに冷えたビールとグラスを持ってきた。
「どうしたの?」
ビールを注ぎながら俺は聞いた。
「私のパソコンが壊れたみたいなので、原田さんに見てもらっていたんです……」
椎名は言った。
「POSTはするんだけどなぁ……」
原田さんは言った。
「BIOS立ち上がるんだったら、リカバリーかければ直るんじゃないですか?」
俺は聞いた。
「POST? リカバリー?」
椎名がきょとんとした表情で言った。
「POSTはPower Of Self Testの略で、最初の白黒の画面だよ。ここが立ち上がらなかったら本気で壊れているから部品を交換しないと直らない。リカバリーは、このパソコンの中に初期状態のイメージが格納されているから、それを呼び出して工場出荷状態に戻すこと。数分で完了するよ」
俺は説明した。
「でもなぁ、リカバリーかけてもこのOS、既にサポート切れなんだよな。アップデートしてくれるかどうか……」
原田さんが言った。
「ああ、なるほど。確かにそうですね……」
見ると、結構昔のタイプのノートパソコンだ。
「直りませんか?」
椎名が不安げに聞いた。
「大切なデータとか入っているの?」
俺は聞いた。
「いえ、データは全部バックアップを取ってあるので大丈夫です。ただ、この子がスクラップになっちゃうのあかなぁって思って……。この小さなサイズが鞄にも入って気に入っていたので……。予備バッテリーも最近買ったばかりだったのに」
椎名は言った。確かに型は古いが、大切に使ってきたのであろう。傷らしい傷は見あたらない。所々キーボードの文字がかすれているのも長年使い込んだ証拠だろう。
「中のデータが消えて良いなら、このパソコンを再利用する方法があるけど……」
俺は言った。
「ほほう、どうするんだい? このスペックじゃ、最近のOSだとどれを入れても苦しいと思うけど……」
原田さんが聞いた。
「用途に寄りますけどね。椎名は何に使っていたの?」
俺は椎名に聞いた。
「えっと、基本インターネットです。WEBを見たり、メールも使っていました。後オフィスでの書類の編集とPDFを閲覧する程度ですね……。買ってから新たに入れたソフトは何もありませんから……」
椎名は言った。
「その程度で良いなら、アンドロイドを入れるって方法があるけど……」
俺は言った。
「え? アンドロイドって普通のパソコンに入るのかい?」
原田さんが聞いた。
「ええ、それ用のイメージファイルがあるんですよ」
俺は答えた。
「確かにアンドロイドなら、このスペックでも十分だな……」
原田さんは言った。
「アンドロイドってこれですか?」
椎名はスマホを取り出して言った。
「そうだよ。但しタッチ操作はできないけどね。代わりにマウスカーソルが出てくるよ」
俺は言った。
「じゃあ、それにします。丁度スマホ用にブルートゥースのキーボードを買おうか迷っていたところですから……。最近は大体スマホで用は足りるのですが、長文を打つときだけ不便だなぁって思っていたところで。どちみちそのパソコンのOSはサポート切れですし、その子をスクラップにしなくてすむのであれば、一度試してみたいです」
椎名はそう言った。
「じゃあ、早速インストするか」
俺は言った。
「え? 今からですか?」
椎名が言った。
「ああ、ネットに繋がるパソコンと、USBメモリがあればすぐだけど……」
俺は返した。
「ああ、店ので良かったら、両方あるから使っていいよ!」
大将が言った。
「じゃ、ちょっとお借りしますね」
俺は言った。椎名は店のパソコンと、ペン立ての横にあったUSBメモリをカウンターに持ってきた。
「じゃ、とりあえずイメージファイルをダウンロードして……。ちょっと時間かかるから暫く放置……」
俺はイメージファイルがあるサイトからイメージをダウンロードした。
「はいよ!」
大将が原田さんと俺にに小皿を持ってきた。店に入った時からいい匂いがすると思っていたが、これだったのか……。
「鰻の白焼きだよ。わさび醤油とおろし醤油の両方を置いておくね」
大将は言った。
「美味そうだな……。そういやそんな時期かぁ……」
箸を割りながら原田さんが言った。
「きれいな白焼きですね」
俺は言った。
「お、わかってくれるかい? 頑張ってパタパタやった甲斐があったってもんだよ」
大将が言った。
「パタパタに秘密があるのかい?」
原田さんは聞いた。
「ウナギは、脂が多いだろ? だから焼くと、溶けた脂がポタポタと落ちて、火の上で燃え上がっちゃうんだよ。で、その炎とススにいぶされると白焼きが真っ黒になってしまうんだよ。あと、脂は熱で悪臭のある成分や有毒ガスに分解されるらしくってさ、これがウナギについてしまうと味も香りも損なわれることになるからパタパタが必要なんだよ。結構神経使うんだよ」
大将は言った。そんなに大変とは知らなかった。心して頂くことにしよう……。ゲッ! めちゃくちゃ美味い!
「相変わらずめちゃくちゃ美味いですね」
俺は言った。横で原田さんもモグモグしながら頷いている。
「まあ、夏の定番ってことで楽しんでもらえたら何よりだよ」
大将は笑った。いや、本気で美味い。
「そもそもどうしてこの時期にウナギなんでしょうね? 確かに栄養価は高そうだから夏バテ解消には良いんだと思いますが……」
椎名が言った。
「別にウナギじゃなくても「う」のつく食べ物を食べる習慣なんだよ。地方によっちゃ、「馬(肉)」や「牛(肉)」、また胃に優しい「瓜」「うどん」「梅干」なんてのもあるな……」
原田さんが言った。
「そう言えば、ウナギと梅干しは一緒に食べちゃいけないんでしたっけ?」
椎名は言った。
「ああ、そりゃ迷信だよ。当時は両方高価だったから、そう言っただけだろ?」
大将は言った。
「俺は、ウナギに梅干しが合いすぎてついつい食べ過ぎてしまうから、ダメって聞いたことあるな……」
原田さんは言った。
「諸説あるみたいですね。そもそもウナギを食べる習慣も、平賀源内が知人のウナギ屋に相談されて打ち出したイベントだって話も聞いたことがありますね」
俺は言った。
「実は秋が一番美味いんだけどね。ウナギは」
大将は言った。
「そうなんですか? 知りませんでした」
椎名は言った。俺も知らなかっった。夏の食べ物だと思っていた。
「あ、ダウンロード完了だ……」
俺はアンドロイドのイメージファイルを専用ソフトでUSBメモリに書き込み、椎名のパソコンにさして起動した……。
「うまくいきますか?」
椎名は聞いた。
「とりあえず、USBメモリからブートしてみるよ。それで問題なくデバイスを認識出来るようであれば、そのままインストするから……」
しばらくパソコンとにらめっこ。無事起動。
「あ、本当にアンドロイドですね……。当たり前かもしれませんが」
椎名が言った。
俺はデバイスをチェックしたが、無線LANも無事認識しているし音も鳴る。問題なさそうだ。
「問題なさそうだからこのままインストするね」
俺は言った。
「あ、お願いします」
椎名が答えた。
「あ、これつまんでよ」
大将はまた小皿を持ってきた。中には茶色いものが入っている。
「おお! 俺、これ好きなんだよな。ウナギの骨だろ?」
原田さんは大喜びだ。早速手を伸ばしている。実は俺も大好物。
「それにしても、ウナギってのは見た目がギョッとするよな。最初に食べたやつは勇気あるなぁって思うよ」
原田さんが言った。
「でも、本当に美味しいですよね。大好物です。俺の場合、もっと安かったら食べる頻度は上がると思いますよ」
俺は言った。
「数年前に完全人工養殖成功したって話でしたから、もうちょっと待てば量産できるようになるとは思いますよ」
椎名が言った。
「あ、そうか。椎名はそっち方面専門だったな。そりゃ楽しみだな」
原田さんが言った。
「ウナギって専門に研究する人が多い謎だらけの生き物みたいです」
椎名が言った。
「その話よく聞くなぁ。だから養殖も大変だったんだろうな」
俺は言った。
「産卵場所も最近ようやく見つかったって聞いたことがあるな……」
大将は言った。
「ええ、でもまだ謎は沢山あるみたいです」
椎名は言った。
「おっと、インストールが終わったようだよ」
俺は言った。
「あっという間ですね」
椎名が返した。
「後は、普段スマホ使っているんだったら大丈夫だよね? あ、後で画面を横方向に固定するアプリを入れておいた方がいいよ」
俺はそう言って、椎名にパソコンを渡した。
「あ、初期設定ですね……。えっと……」
椎名はポチポチと入力し、しばらくすると設定は完了したようだ。
「すごい! めちゃめちゃ速いですね……。前のOSの時より使いやすいです。ありがとうございます!」
椎名が言った。
「本当だな……。俺も家に古いパソコンがあるから、アンドロイドを入れてみようかな。もう捨てるしかないと思っていたけど……」
原田さんが言った。
「良いと思いますよ。さっきから触っていますけど、すっごく快適ですよ」
椎名が言った。
「これ、みんなで分けようか?」
大将がそう言って、小さな土鍋を持ってきた。中には豆腐がグツグツ煮えている。
「何ですか? これ?」
俺は聞いた。大将は、菜箸を土鍋に突っ込んで何かを取り出した……。
「ウナギの頭ですか?」
俺は聞いた。
「ほう、『半助』か。楽しみだな」
原田さんが言った。
「半助って何ですか?」
椎名が聞いた。
「半助はウナギの頭の部分だよ。煮るといいだしが出るんだよ」
大将は言った。
「そのだしが豆腐に染み込んで美味いんだぜ!」
原田さんが言った。
「暑いから沢山は要らないだろうし、一人豆腐一個ずつってことで……」
そう言って、大将は半助豆腐を四人分に取り分けた。
「椎名、ビール追加だ。大将と椎名も自分のグラス出しなよ。一緒に飲もうぜ!」
原田さんは言った。
「あ、俺もビール追加!」
ビールが行き渡ったところで、半助豆腐を頂く……。あああ、美味い!
「ヤバいな!? これ」
原田さんが言った。一同頷く。それからビールをゴクリ……。
「ウナギは全然捨てるところ無く楽しめるのが魅力でね」
大将は言った。
「でも、大将の腕があっての話ですけどね」
俺は言った。
「調理次第でどうにでもなるってことか。さっきの椎名のパソコンと同じだな」
原田さんは言った。
「私には、お二人とも魔法使いに見えてしまいます。憧れちゃいますね……」
椎名はそう言った。
「だってよ?」
原田さんはニヤリと笑った。勿論大将も……。