浴衣
平日の常連さんが入れ替わり立ち替わり大量に押し寄せたものの、ようやくさっきみんな店を出た。俺の知らないお客さんが沢山いて驚いた。この店、繁盛しているんだな……。それと……椎名の存在って……。
「椎名! きたぞ~~!」
元気な声で入ってきたのは横田さんと原田さん。
横田さんは首からデジカメをぶら下げている。この人、どんだけ楽しみにしてたんだ……。
「本当は、七月七日が『浴衣の日』なんですけどね……。尾田さんが『週末の方が良い』って仰るので……」
少し恥ずかしいのか、ほんのり顔を赤らめる椎名。その恥ずかしがる仕草と浴衣姿がマッチして、妙に色っぽい。髪にはしっかりと横田さんからプレゼントされたトンボ玉が刺してある。基本の素材が良いのか何を着ても本当によく似合う。
「大将! まずはビールだ! 今日は椎名の写真撮っても良いだろ?」
横田さんは気合い十分。
「本人が良ければ少しぐらいは……」
大将もこの熱意には逆らえない様子だ。
「撮った写真をどうするんですか?」
俺は笑いながら聞いた。
「本当だな……。そこまで考えていなかったな。どうするんだろ? ただ撮りたかっただけかも……。このデジカメ、数年ぶりに充電したっていうのに……」
横田さんは頭を掻きながら言った。
「おいおい! 横ちゃん、大丈夫かよ? 折角だし、撮るだけ撮ろうぜ!」
原田さんが笑いながら横田さんを励ます。
「あ、じゃあ私が頂いても良いですか? データで構いませんから」
意外なことに椎名が言った。
「それは構わないが、データってどうするんだ? いつもはスーパーの印刷機で印刷するだけだから……。パソコンとかいるのか? たーくん何とかできる?」
横田さんは原田さんに言ったが、椎名が割って入った。
「データを吸い出すだけなら、この店のパソコンで十分ですよ? カードリーダー付いてますから……」
椎名がビールとグラスを置きながら言った。
「何だかわからねぇが、大丈夫みたいだよ。横ちゃん」
原田さんは横田さんの肩を叩いて言った。
「みたいだな」
横田さんも親指を立てて答えた。
「折角だったら、店のパソコンでプリントアウトして、夏の間だけでも店の壁にでも貼ったらどうだ?」
大将が言った。
「良いですね。『夏の想い出』って感じで」
俺は言った。一同ウンウンと頷いての満場一致で決定。
「しかし、店に浴衣着た女性がいるだけで、店の雰囲気まで変わっちまうもんなんだねぇ」
原田さんは言った。
「あ、それ俺も思った。この店、元々和風だけど、何て言うんだろ……。純和風になったというか……」
横田さんが言った。
「この着物特有の香りってのも効果の一つかもしれないな……」
原田さんは言った。
「ああ、それはあるだろうね。俺の作務衣なんか、無香料洗剤で洗濯するから何の香りもないからな……」
大将が椎名に鼻を向けて、クンクンと臭いをかぐ仕草をした。椎名は慌てて大将から離れて俺の前に避難してきて赤くなっている。こっちにきた椎名から、フワリと和風の良い香りが届いた。
「今日、忙しかったから汗かいているのに……」
椎名はぷうとふくれた。
「好評で良かったじゃないか」
俺は椎名に言った。椎名はちょっと照れながら小さく頷いた。
「浴衣と着物の違いって何だ?」
原田さんはそう言いながら、椎名に『ビールもう一本』の合図を送った。
「実は面白いんですよ……。浴衣の話って」
俺は言った。
「お、兄ちゃん浴衣を語れるのかい? そいつぁ興味あるな。話してくれよ」
原田さんが食いついた。
「あまり期待されても辛いですけどね……。浴衣のもとのなったのは、「湯帷子」という名の着物らしいです。帷子は麻製の肌着のことで、それを入浴の時に使ったから湯帷子というらしいです」
俺は言った。
「風呂に服を着て入るのかい? 小さい頃から銭湯じゃ、『タオルを湯につけるな!』って言われたもんだが……」
原田さんは言った。 一同フンフンと頷く。
「そう言えば、忍者が着る『鎖帷子』ってのも着物の下に着るものだったな……」
横田さんが言った。またもや一同フンフンと頷く。俺は続けた。
「当時もたくさんの人が銭湯で入浴してましたが、室町から江戸時代初期の銭湯っていうのが、今のように湯船と洗い場に分かれた形ではなくって、蒸し風呂みたいなものだったそうです。そこに帷子を着たまま入り、その上から湯をかけて汗を流すってスタイルです。さらに入浴後、湯帷子は軽く絞って身を拭く手拭の代わりにもしたそうです」
みんな、ちょっと上を見つめてフンフン頷いている。きっとその銭湯の様子をイメージしているんだろうな……。
「つまり、今の用途でいうと、浴衣はジャグジーの水着とバスタオルってわけだ……」
大将が言った。
「そんな感じでしょうね……」
「でも、そんな風呂、さっぱりするのかね? 俺は熱い湯に入って、タオルでガシガシ擦らないと風呂入った気がしないけどな……」
原田さんは言った。
「あはは、確かにたーくんは、小さいときは体がすり切れるほど擦っていたな……」
横田さんが背中を擦るポーズをしながら笑った。
「で、それがのちに、ユカタビラを縮めてユカタ、入浴のさいに着るから「浴衣」という字を当てるようになったらしいです」
「それにしてもすげぇな、兄ちゃん! 何でそこまで詳しいんだい?」
原田さんは言った。
「実は、椎名が試着をしている間、時間があったので店に置いていたチラシを読んでいたら、そこに今の話が全部書いてあったんですよ。そう言えば……」
俺は、折り畳んで入れっぱなしになっているチラシをセカンドバッグから取り出した。
「これです」
「ちょっと見せてもらって良いかい?」
大将はチラシを手にしてパラパラと開いた。
「へぇ、浴衣の柄にはそれぞれ意味があるのか……」
大将はパンフレットを見ながらそう言った。
「ちなみに、今日の柄はどういう意味なんだい?」
横田さんが聞いた。
「これは、撫子です。店の方に、一番最初に勧めて頂いた柄です。意味は、『笑顔、優美』らしいです」
椎名は言った。
「なるほどなぁ、椎名を見たら誰でもそう思うだろうな……。椎名の笑顔は絶品だもんな」
横田さんの鼻の下はカウンターに付くんじゃないかと思うほど伸びきっている。今更ながら椎名は赤くなって照れている……。
「私、柄の意味が載っているパンフレットを持っていますよ……。浴衣買ったときのおまけについていました」
椎名が奥へ引っ込んだ。暫くして出てきた椎名はカラー写真満載のパンフレット……というよりカタログみたいなものを持ってきた。すぐさま原田さんが手を伸ばし、読み始めた。
「何着か買ったんだろ? 他のは?」
原田さんが聞いた。
「それは、次の週末まで秘密です」
椎名はそう言ってニッコリ笑った。
「うええ! 商売上手だな! ま、どんな格好してようが俺たちは来るだろうけど……」
原田さんは笑った。
「しかし、こうやって見ると、結構面白いもんだな……。牡丹と芍薬は、『幸福、富貴』らしい……。そう言えば、『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』なんて言葉があるものな……。俺のカアちゃんは蝶の柄だったな……」
原田さんがページをめくる。
「料理の下手なカアちゃんね」
横田さんがペロリと舌を出して、付け加える。原田さんは無言でカタログを見ながら、横田さんの輝く頭頂部をペシッと叩いた。
「あった! 蝶は『長寿、復活、変化』だ。どおりで九十超えてもあんなに元気なわけだ……」
原田さんは言った。
「へえ、たーくんちょっと見せてよ」
横田さんが原田さんからカタログを受け取り、ペラペラとめくった。
「あれ、この後ろのページに意味のまとめ表があるよ……。何々……菖蒲は『必勝、礼儀正しい、魔除け』。桜は『始まり、豊かさ』。ツバメは『恋を運ぶ、家庭円満』。椿は『発展、長寿、美しさ』。水仙は『知性美』。藤は『いつまでも美しく、子孫繁栄』。梅は『忍耐力、繁栄、澄んだ心』か……。どれでも椎名に合いそうだな……」
横田さんは言った。確かにそうだな……。
「この中にあるってことだな?」
横田さんは言った。
「そんなの言えませんよ。全て来週に明らかになりますけど」
椎名は笑って言った。その時、店の玄関が開く音がした。
「こんばんは~! チャオ! 椎名」
入ってきたのは、月野さんと……。その後ろから和久井さん? 何とも珍しい同伴だこと。和久井さんはいつも通り、ベレー帽をちょいと持ち上げて俺たちに挨拶した。
「あ、いらっしゃい! ああっ! 月野さん!」
椎名が大きな声を出すのも無理はない。今日は月野さんもバッチリ浴衣姿だ。これまた椎名とは違う雰囲気で、こちらもこちらで絶品だ……。
「おお! べっぴんさんじゃねぇか! これまた浴衣姿も『絶品さん』ってか? 改めて惚れ直しちまったよ」
一同頷く。確かに椎名の浴衣姿も最高だが、月野さんの浴衣姿も負けてはいない。どうしてこうも美女ばかりが揃うかな、この店は……。
「原田さん、いつもありがとうございます。椎名の浴衣に便乗したものの……。原田さんのその一言に救われた気分です」
ケラケラと笑う月野さん。やはりこの人は笑うといきなり愛らしい。
「和久井さんとは?」
俺は聞いた。
「ああ、ここに来る途中偶然」
月野さんは言った。
「しかし、可愛らしいツバメですね……。ツバメは何だっけ……」
椎名が言った。確かに月野さんの浴衣にはツバメが描かれている。一目で結構な高級品であることがわかる感じの浴衣だ。
「ツバメは『恋を運ぶ』だな……」
さっきのカタログをもう一度見直して、原田さんは言った。
「あら、そうなの? じゃあ、いつになったら運んできてくれるのかしら……。この浴衣、結構前に買ったんだけどな……」
月野さんはぷう、とふくれた。
「週末にこんなところで飲んでいたら、無理だろ」
大将がそう言って笑った。
「俺みたいなファンはいるけどな。椎名には横ちゃんがいるし」
原田さんが笑った。珍しく和久井さんが声を出して笑っている。みんなが笑うもんだから、月野さんは余計にふくれた。
「もう、飲んじゃう!」
椎名から手渡された水割りに口を付けた。その時、また玄関が開く音がした。
「いらっしゃい! まあ! エドワード!」
入ってきたのはエドワードだった。
「シイナ、浴衣見ニ来タヨ。ワオ! ビューティフル!」
入ってくるなりエドワードは両手を広げて言った。そして月野さんも浴衣姿なのに気付いたようだ。
「ワオ! ワオ! ヒカリモ浴衣ダネ! 素晴ラシイ! 美シスギル!」
もうエドワードの興奮は最高潮だ。
「エドちゃん、今日は横ちゃんがカメラ持ってきているから、みんなで写真撮ろうって話になってんだよ」
原田さんが言った。
「良イデスネ! ア……スミマセン、僕、興奮シテ騒ギスギマシタ……」
我に返ったのか、急にショボンとするエドワード。椎名が作った芋焼酎のお湯割りを受け取り一口……。
「いや、気持ちは分かるから良いよ。俺もべっぴんさんのファンだからよ!」
原田さんはそう言って、エドワードと肩をポンポンと叩いた。
「どうやらツバメが運んできてくれたみたいだな」
大将は月野さんに言った。月野さんはケラケラ笑って誤魔化していたけど、ちょっと顔が赤くなっていた。
それからみんな和やかな雰囲気で、結局浴衣美人二人は全員とツーショット写真をとることになった。みんなで一緒も沢山撮った。原田さんはエドワードとのツーショットも撮っていたな。月野さんのファン同士の結束は固いようだ……。
とりあえず、大将起案の『椎名浴衣デイ』の初日は、大成功の夜だった……。




