南ちゃん
「今日、彼氏がくるねん……」
南ちゃんは大将に言った。
南ちゃんは最近たまに姿を見せるお客さんらしい。
高校を卒業して、すぐに美容師の世界に飛び込み、今二十歳だとか。背が小さく、おそらく百五十センチ無いかもしれない。体は中肉中背。紙はショートカットで黒髪。化粧は殆どしていない感じ。ぱっと見たら、中学生みたいに見える。
いつもは平日にしか来ないので、俺は彼女に会うのは初めてだが、名前はちょくちょく聞いていた。ちょっとおバカな子だと原田さんから聞いた。
原田さんの軽トラ改造計画の話の時に南ちゃんが『軽自動車は660馬力』と発言したって話はこの店では有名だ。
まあ、原田さんならそのくらいの改造するかもしれないけど……。
660馬力ってフェラーリくらいかな……。あの車体だったら怖いだろうな。タイヤなんて一瞬でなくなりそう……。
「そうか、何時頃?」
大将は聞いた。
「わからへん。でも、日は今日やねん」
南ちゃんは答えた。
「じゃ、来られるまでずっと待つの? 連絡は?」
大将が聞いた。
「『またメールする』って言ってはったんやけど、うち、スマホ壊してしもてん……。アホやわ」
南ちゃんが悔しそうに言う。
「落としたの?」
椎名が聞いた。
「ううん、違うねん。充電なくなったから電子レンジ入れてん……」
南ちゃんは答えた。
「どうして?」
椎名は驚いた様子で聞いた?
「なんか、電子レンジで三十秒回したら、充電できるってどっかに書いててん……」
南ちゃんは答えた。この子、本気でアホだ……。
「そんなの嘘でしょ?」
椎名は聞いた。
「うん、嘘やった。スマホが電子レンジの中でバチバチ火花散らしてんのを見て気付いた。ついでに電子レンジも壊れてん……」
南ちゃんは言った。大将はおでこに手を置いて、天を仰いでいた。椎名は何とも言えない表情のまま固まっていた……。
「新しいのは?」
大将は聞いた。
「買いに行ってんけど、先に電子レンジ買ったら、お金なくなってしもて……。でも、電子レンジあったら、彼氏に美味しいものご馳走できるから良いかって……。でも携帯無かったら連絡とれへんやん!って……やっぱりアホやわ」
南ちゃんは嬉しそうに言った。でも、ご馳走……? 電子レンジで?
「料理が得意なんですね?」
料理と聞いて椎名が食いついてきた。
「あはは、うち、料理全然あかんねん。レンジでチンするだけやねん」
南ちゃんは笑いながら言った。
「あ、そうなんですか。さっきご馳走を作れるって……」
椎名が聞いた。
「でも、うち、レトルトと冷凍食品のことやったら、誰にも負けへんくらい詳しいねん。そやからめちゃめちゃ美味しい冷凍食品を揃えて、チンするだけでご馳走作れんねん。丸太さんもめっちゃ喜んでくれはんねん!」
嬉しそうに言う南ちゃん。性格が良いのはよくわかる。
「丸太さん?」
椎名が聞いた。
「あ、うちの彼氏の名前やねん。うちアホやからいろんな人からからかわれたり騙されたりするんやけど、丸太さんはそう言うことせえへんし、寧ろうちがレトルトとか詳しいことを尊敬してくれはんねん」
南ちゃんは嬉しそうに言った。
「騙される? 実は私もちょくちょく……」
椎名はチラリと大将を見て言った。ああ、シャンプーハットの件ね……。
「うん、うち簡単に騙されるから、店でみんな面白がって……。お客さんで新しいバイク買おうと思てはる人がいはってんけどな。『アメリカンバイク』がええって言わはんねん。で、うちアメリカンバイクは知らんから、『何でですか?』て聞いてん」
俺は頷いた。
「そしたら、そのお客さんがうちに『アメリカンコーヒーって知ってるか?』って聞かはってん。さすがにうちもアメリカンコーヒーくらいは知ってるし、『知ってます』って答えてん。そしたら、『アメリカンバイクはアメリカンコーヒーと同じで、ガソリンを水で薄めても走るんだよ』って言われて……。そんなん、めっちゃ経済的やなぁって思って。思わず『半々くらいで割っても大丈夫ですか?』って聞いてん。だって、今ガソリンえらい高いし」
南ちゃんは言った。椎名は途中から棚の方を向いてこっちを見ない。大将も南ちゃんの反対側を向いている。二人とも肩が震えている……。ここは俺が進行役か……。
「で?」
俺は聞いた。
「その瞬間、店中で大爆笑。従業員全員と他のお客さんまで! その後説明聞いて、めっちゃ恥ずかしかったわ……」
悔しそうに言う南ちゃん。まあ、こんな性格だし、みんなからは愛されているんだろうな……。
「そもそもアメリカンコーヒーも水で割らないだろ? 煎りが浅いから、色が薄くなるだけで」
俺は言った。
「そうなんや!? うち何回騙されてんねやろ……。情けないわ」
「あ、そや、音楽聴くとき、イヤホンを鼻の穴に指したら骨伝導で臨場感たっぷりに聴けるって言わはった人もいた」
南ちゃんは思いだしたように言った。
「試したの?」
俺は聞いた。椎名も大将も段々体が折れ曲がってきている……。
「いや、さすがにその場ではせえへんよ。一応レディーやし。そやけど、何か興味あるやん? そやし、家帰ってからこっそり……」
南ちゃんは言った。
「で?」
俺は聞いた。
「うん、何も聞こえへん。鼻先でシャカシャカ鳴っているだけ……」
南ちゃんは答えた。
「だろうね」
「うん、自分の姿、鏡台にうつってんの見えて、泣きたくなったわ……」
その瞬間、椎名はカウンターの奥へ飛び込んだ。大将は二つ折れになって笑っている……。
「笑わんといたってぇな……」
南ちゃんは言った。
「いや、すまん……、でも……、あまりにも……」
大将は笑いながらそう言った。
「何やの? 『あまりにも……』何!? アホやと思てるやろ!? まあ、自覚しているからええけど! ちょっと笑いすぎちゃうか?」
南ちゃんは笑いながら言った。
ようやく椎名が奥から出てきた。ハンカチで涙を拭いている。相当笑ったんだろうな……。
「騙されて変な壷とか買うなよ?」
大将が笑いながら言った。
「あ、その辺は大丈夫や。時々売りにきよるけど、こう言うたんねん。『解った、それ買うたるから、あんたにそれの百円引きで売ったるわ。そんだけ効果あるんやったら、あんたかて欲しいやろ? しかも僅かやけど安いで?』って。大抵の子は、『いや……、それは……』て怯みよる。そこでグイグイ押したんねん。『何でや? 何で買わへんのや? 効果あるんとちゃうんかい?』って」
南ちゃんは言った。すごいな。
「ちなみにこの方法は、うちのおかん仕込みやで。いっぱいあんで。新聞の勧誘の断り方とか、後なんやろ……、先物取引とか。おかんの先物取引撃退はえげつないで! 最後は向こうから『堪忍して下さい!』って泣きがはいるもん。一応、うちもそのスキルはあるんやけど、同じ職場のスタッフとかお客さんとかって基本信用してるやん? そう言うときはコロッといかれんねんな……」
南ちゃんは言った。
「まあ、聞いている限り、愛されている感じはするけどね」
大将は言った。
「それは実感しているけど、もうちょと小マシな形で表現して欲しいねん……」
南ちゃんはそう言った。大将も椎名も笑いながら頷いている。
その時、玄関が開いた。
「こんばんは! お久しぶりです!」
入ってきたのは黒いスーツ、大きな体の烏丸さんだ。
「あ、丸太さん! ようやく会えたわ!」
叫んだのは南ちゃんだった。
「おお! 南! ここ暫く連絡取れなかったけど、携帯壊れたとか?」
「うん、電子レンジで充電してもうてん」
「バカだなぁ、そんなの嘘なんだから……」
「ごめんな、火花散ってから分かったけど……」
それなりにお互いを理解しているようだ。烏丸さんはビールを注文してから南ちゃんとの会話を続けた。
「時間、メール送ったけど見れなかったんだ?」
烏丸さんは言った。
「うん、そやし、早い時間から待ってた」
南ちゃんは答えた。
「店の人に迷惑かけていない?」
「なんでよ! そないにうちのことが信用できへんの? 心配し過ぎとちゃうか? うちもう二十歳やで!」
南ちゃんは抗議している。
「大丈夫ですよ。面白い話を聞かせて頂きましたよ」
椎名が言った。
「それならよかった。まあ、この店ならあまり心配していませんけどね」
烏丸さんはにっこり笑った。
「そうそう、丸太さん。うち、新しい電子レンジ買うてん! 今度はグリルも付いてるから、バリエーションが一気に増えたで。いつ来てもうてもガッツリ用意してるしな!」
嬉しそうに言う南ちゃん。本当に二人は見ていて仲が良い。
「それにしても……、南ちゃんの彼氏は、烏丸さんだったんですね? しかも、烏丸さんの下の名前、『丸太さん』だって初めて知りました」
俺は聞いた。
「烏丸 丸太です。京都に烏丸丸太町って場所があって、親父が半分洒落で付けたんですよ……。どう思います?」
烏丸さんは笑いながら言った。
「お二人の出会いは?」
椎名が聞いた。女性はこの手の話好きなんだろうな……
「ええ、この子の店が得意先だったんですよ。で、商品納入に行ったとき名刺を渡したら、『あ~~っ! カラス丸々太り町や!』って叫ばれちゃいましてね……。私、この体でしょ? 店全体が凍り付いちゃって……」
まあね……、初対面でそりゃないかな……。
「店の周りの人は、慌てて南をたしなめたんですが、本人は一向に悪びれる様子もなくて……。『うち、北 南って言うねん! オモロいやろ? 名前なんか覚えてもろたもん勝ちや!』って明るく言うもんだから……」
笑う烏丸さん。
「でも、それがきっかけで付き合うことになってんやんな?」
烏丸さんの大きな体にちょこっと体を押し当てて、南ちゃんは言った。
「斬新な出会いですね……」
椎名は言った。まあ、俺と椎名の出会いもインパクトあったけどな……。
「ところで、南さん、『北』って名字なの?」
椎名が聞いた。
「そやで、一発で覚えて絶対に忘れへんやろ? うち気に入ってんねん!」
元気良く答える南ちゃん。本当に素直な性格なんだろうな……。
「前向きだし、明るいしで一緒にいたら、元気が出るんですよ」
ちょっと照れながら烏丸さんは言った。だろうな……。
「あ、そや。丸太さん、携帯の番号メモしとくし見せて……」
南ちゃんは言った。
「あ、うん……。えっと……」
モタモタしながらも何とか自分の番号を表示させる烏丸さん。
「明日、給料日やねん。早速新しい携帯買うてくるわ。そしたら一番に電話するし、楽しみにしといてや」
にっこり笑う南ちゃん。嬉しそうに頷く烏丸さん。ラブラブだな……。
それから暫く話した後、二人は店を出た。
「相変わらず賑やかな子だな……」
大将は言った。
「でも、二人とも楽しそうでしたね」
椎名は言った。ちょっと羨ましそうにしている。
「大将は知っていたんですか? 烏丸さんの彼女だって」
俺は聞いた。
「だって、最初は二人で来たし……。でも、二人のフルネームは今日知った」
大将は言った。
「確かに二人とも名前を完全に覚えましたものね。しかも絶対に忘れなさそう……」
俺は言った。
「『キラキラネーム』も一理あるってことですかね?」
椎名は言った。
「まあ、常識の範囲での話だろうけどね……。俺はあの、当て字みたいなのはちょっと苦手だな……」
大将は言った。
「確かに……。訳の分からないのがありますよね……。もはやクイズみたいなの……」
俺は返した。
「そうそう……」
大将は言った。
「これ、なんて読むかわかりますか?」
椎名がスマホを持ってきた。難読ネームばかりまとめたサイトだ。
三人で、小さなスマホ眺めて、ああだこうだ……。こうしてまたダラダラと夜が更けていく……。