烏丸さん その1
烏丸さんは、ここ最近現れたお客さんだ。
仕事は店舗什器や食器なんかを扱う会社の営業さんで、最近この地区を担当することになったとか。
個人的にこの店の雰囲気が気に入ったらしく、時々営業ついでに飲んで帰る。
年は三十前後に見えるが、実際の年齢を聞いたことがないのでわからない。ただ、非常に恰幅が良いので、年より上に見られそうな雰囲気だ。
「あ、いらっしゃい!」
椎名の透き通った声で玄関を見ると、烏丸さんだ。名前通りに黒っぽい上下スーツを着ている。
「あ、どうも」
俺は挨拶をした。今までに二回程度出会ったことがある。向こうも俺のことは覚えてくれたみたいで、軽く会釈してくれた。
「久しぶりです」
烏丸さんはそう言うと、椎名に人差し指を立てて合図した。椎名もその意味がわかるようで、店にある焼酎の瓶を降ろし、ロックを作りだした。
「いやあ、最近一気に暑くなりましたね……」
烏丸さんは俺に話しかけた。
「ええ、まだ六月なのに……」
俺は返した。
「営業で外回りが多いので、もう汗だくになっちゃいます」
そう言う割には涼しげな表情をしている。
「大変ですね、ご苦労様です」
「ただ、最近ちょっとマイブームがありましてね……。こいつなんですが……」
そう言って烏丸さんはポーチから携帯用と思われるフェイシャルペーパーを取り出した。大きさは縦長の葉書くらいの大きさだ。厚みは一センチってところ。
「前から流行っているのは知っていたのですがね、去年まで使ったことがなかったんですよ」
フェイシャルペーパーは俺も使っている。普通のウェットティシュより顔を拭いたときの爽快感が出るように工夫されていて、出先や通勤途中に顔がべたついた時には欠かせない。しかも、リーズナブルな値段であることと、各社香り、質感、爽快感等そのテイストが違うので、片っ端から試した経験がある。結局今は『お徳用パック』みたいなやつに落ち着いているけど……。
「つい先日、駅の売店でコーヒーを買ったら、おまけにこれのお試しパックをもらったんですね。それ以後やみつきになっちゃって……」
本当に嬉しそうに笑う烏丸さん。駅の売店の人、グッジョブだったな……。
「外回りが暑いと言っても、出先はそれぞれ空調がありますから店に入れば涼しいわけですよ。で、その店に入る直前にこれを使うんですね。それから空調の利いた店内に入ったときのひんやり感と言ったら……、極限まで喉の渇きを我慢した後のビールみたいで……」
あはは、烏丸さん嬉しそう。多分あれだな……ミント菓子を食べた後の冷水みたいな効果なんだろうな……。思わずつられてこっちまで笑ってしまった。
「と言うことは、この店にはいる前にも?」
椎名が焼酎を烏丸さんの前に置きながら聞いた。烏丸さんはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりの勢いで大きく頷いた。
「しかし、入ってきたときに本当に嬉しそうな表情になっていたから、店側からも嬉しいかもしれんな……」
大将が言った。なるほど、営業だものな。笑顔で入店はポイント高いかも。
「あはは、実は取引先の店主さんからよく言われるんですよ。『あんた、いつも最高の笑顔で入ってくるな』って」
烏丸さんはほっぺたに両手の人差し指をちょっと付けて笑顔でそう言った。
「そのネタばらし、この店でして大丈夫なんですか?」
椎名が笑った。
「あはは、そうですね。でもこうやって飲みに来ているくらいですから私が気に入っていることは周知でしょう?」
烏丸さんは言った。
「俺が全然発注しないから、営業先としてはあまりお得意さんではないがな」
大将は頭を掻きながら言った。
「いや、どこでも一緒ですよ。今頃個人でやっているところは、百円均一なんかで揃えるところも多いですし、チェーン店なんかは本部一括で仕入れていますから、私みたいな足で稼ぐ営業の売り上げなんて会社から見たって大したことないんだと思いますよ」
烏丸さんは笑いながらそう言った。
「じゃあ……?」
思わず俺は聞いてしまった。
「ま、市場調査が主な仕事ですね。勿論商品が売れると嬉しいですが、流行の料理とか、流行の食器とか……。例えばパスタとかって昔は平皿に入っていたイメージがありますけど、今じゃ幅広帽をひっくり返したみたいなのが主流ですよね?」
「あ、真ん中だけが窪んでいるタイプのやつですね?」
椎名が言った。
「そうです。昔に比べてパスタソースがサラサラしたスープみたいなのが流行っているのであの形なんですよ」
一同頷く。
「なるほどねぇ……俺が若い頃はパスタじゃなくってスパゲッティって言ってたし、ミートソースとナポリタンくらいしか種類が無かった気がするな……」
大将が言った。
「一時、『イカスミパスタ』ってのが流行りましたよね? あのタイミングくらいからスパゲッティがパスタに変わった気がしますね……」
俺は言った。
「あったあった……ちょっとしたイカスミブームみたいになっていたな……。スナック菓子でもイカスミ使ったのがあった気がする……」
大将は言った。
「市場調査と称してあちこちの店を廻ってちょっと新しいものは全部食べている内に、こんな体になってしまって……」
烏丸さんは自虐的に自分のお腹をポンと叩いて笑った。
「仕事をするまでは細かったんですか?」
椎名が聞いた。
「いや、ずっとこのままですよ」
烏丸さんが笑う。
「何だ? そりゃ?」
大将が突っ込む。思わず爆笑。
「元々店舗用食器が好きで今の会社に入りましたから。市場調査は就職する前からしていたことになりますね」
烏丸さんは言った。
「何がそんなに良いんだい?」
大将は聞いた。
「そもそものきっかけは当時自販機で売っていたカップ麺のフォークなんですよ。小学校の頃、夏休みに友達と市民プールによく行ったんですが、子どものすることで何時間もプールで遊んじゃうんですよね……」
確かに……、俺も閉館までいつもいたな……。
「で、夕方帰りになると体が冷えきっていて……。唇なんか紫色で。ガタガタ震えながら自転車で帰るのですが、帰り道の駄菓子屋の店先にこれ見よがしにカップ麺の自販機がありましてね」
烏丸さんは今でもその自販機のあった風景を思い出せるようで、少し目をつぶった。
「カップ麺の自販機なんて見たことありませんが……。お湯とかどうするんですか?」
椎名が聞いた。
「椎名の年代だと知らないかもな……。最近はまずお目にかかれないし……。まず、普通に自販機で好みのカップ麺を買うんだよ。で、包装を取って、お湯を入れる場所にセットしてボタンを押したら適量のお湯が出る仕組みだよ」
俺は説明を続けた。
「で、自販機に設置されている棚みたいなところから袋に入ったフォークを取り出すんだよ」
「へぇ……」
椎名は感心している。
「うどんの自販機の場合は、割り箸とか七味の小袋がセットされているやつもあったな……」
大将が言った。
「そうです! そうです!」
烏丸さんは嬉しそうに返した。
「それで、そのフォークなんですがね……」
烏丸さんはいよいよ本題に入るようだ……。
「食べてて気がついたんですが、あのフォークって四本槍なんですが、一番端の槍の間隔だけが、不自然に広がっているんですよ。それを不思議に思っていたら、一緒に食べてた友達が、お湯を入れてから三分待つ間に容器と蓋がちゃんと閉じるためにあのフォークを差し込む為の間隔なんだって教えてくれましてね……」
うまく説明出来ない様子でどうももどかしそうな烏丸さん。椎名はどう見ても理解出来ていない様子。
「うまく説明できていませんね……。分かります?」
何だか恐縮している烏丸さん。
「いや、俺はそうやって使っていたからわかりますよ。つまり、上蓋のめくりはじめのところに蓋から容器の縁を挟みこむように垂直に差し込むってことですよね?」
持っていたビールグラスを上から指で挟む格好で言った。
「ああ、そういうことですか!」
椎名がようやく理解した。
「いや、俺も知らなかったな……」
大将は感心している。
「あ、良かった。理解して頂けましたね……。それで、そのことが私にとっては衝撃的だったんですよ。単純に凄い! って」
烏丸さんは両手を握って力説した。
「わからなくもないな……」
俺は呟いた。椎名はスマホでカップ麺のフォークを検索している……。
「あ、ありました! これですよね?」
そう言って、スマホの画像を俺たちに見せた。
「なるほど、こういうことか……」
大将が感心している。
「まあ、その後も、オヤジが飲んでいたカップ酒のキャップがお猪口になっているやつとか、ラーメン屋のレンゲが丼に転がり込まないようなストッパー的な切り込みとか、そういうちょっと工夫したデザインのものに、いつも感動していました」
嬉しそうに力説する烏丸さん。
「気持ちはわかる気がするな……」
俺は呟いた……。
「わかって頂けますか!? そんな私が中学生になって更にその分野への興味が加速していきましてね……」
これは、結構長い話になりそうだな……。いや、面白いから寧ろ歓迎だが、今日はもう一本飲むことにするか……。俺は椎名に目で合図した。椎名は直ぐに察してビール瓶を出してきた。よし、これで準備万端。烏丸さんの半生をじっくり聞かせてもらうことにするか……。




