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破滅したくない元男の悪役令嬢ですが、なぜか男女問わず好かれていきます ~攻略対象は男友達のつもりなのに、同性の令嬢との距離まで近すぎるようです~  作者: 0JOY
エピソード0 悪役令嬢は、まだ五歳

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エピローグ 悪役令嬢は、まだ五歳

【9/21 大量投稿のお知らせ】


9/21に第1章~第4章まで一気に投稿予定です!


9/22以降は平日12時投稿、祝日は1日3話投稿を予定しております。


ぜひ楽しみにお待ちください!

雨の季節が過ぎる頃には、アルセリード公爵邸の庭にも少しずつ夏の匂いが混じり始めていた。


 朝の光は以前より高いところから窓へ差し込み、花瓶の水まで明るく透かしている。盛りを越えた薔薇の代わりに、庭の奥では白や淡紫の小さな花が風に揺れ、濡れた土の匂いにも、どこか乾いた季節の気配が混じっていた。


 季節は、こちらが思っているより簡単に進んでいく。


 俺がヴェルシアナ・アルセリードとして目を覚ました時、最初に考えたのも時間のことだった。


 五歳。


 ゲームの本編が始まる十五歳まで、およそ十年。


 当時の俺には、その十年がひどく短く見えていた。


 婚約破棄。


 孤立。


 公爵家の没落。


 そして最悪の場合には処刑。


 知っている未来を思い浮かべるたび、十年という時間は遠くにあるようでいて、確実にこちらへ落ちてくる刃のようだった。


 だから、急がなければならないと思った。


 怒鳴らない。


 使用人を見下さない。


 間違えた相手を、その場の感情だけで罰しない。


 謝るべき時には謝る。


 原作のヴェルシアナがしたことと逆を選び続ければ、少なくとも同じ破滅には辿り着かないだろう。


 最初は、本当にその程度だった。


 世界を良くしたかったわけではない。


 誰かを救うために生まれ変わったとも思っていない。


 ただ、死にたくなかった。


 破滅したくなかった。


 それだけだったはずなのに。


「お嬢様、こちらでよろしいですか?」


 声をかけられて、俺は顔を上げた。


 ミレーヌが小さな紙束を抱えて立っている。


「何でしょう?」


「昨日の倉庫の記録です。グレン様が、比較するのでしたらこちらも見ておいた方がよいと」


「ああ。ありがとうございます」


 受け取ろうと手を伸ばす。


 ミレーヌは紙束を渡したあとも、その場から離れなかった。


「まだ何かございます?」


「いえ。ただ、お嬢様が今すぐ読み始めそうでしたので」


「読みますけれど」


「朝食の前です」


 言われて、俺は時計を見る。


 確かに、思っていたより時間がない。


「少しくらいなら大丈夫では?」


「昨日も似たことを仰っていませんでした?」


 俺は黙った。


 ミレーヌの目元が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


「……最近、皆さん少し厳しくありません?」


「お嬢様がお話を聞いてくださるようになったからだと思います」


 どこかで聞いたような理屈だった。


 父さんとの会話でも、似たことを言われた気がする。


 自分で考えてほしいと言い続けた結果、自分も遠慮なく意見を返されるようになったのだから、世の中は随分よくできている。


「分かりました。朝食のあとにします」


「はい」


 ミレーヌは満足そうに頷いた。


 その表情を見ながら、俺は少しだけ不思議な気持ちになる。


 彼女は以前より、明らかによく笑うようになった。


 もちろん、いつでも明るく笑っているわけではない。真面目なところも、考え込みやすいところも変わっていないし、帳簿を読んでいる時など、俺よりよほど難しい顔をしていることさえある。


 ただ、俺の顔色を見てから答えを探すことは減った。


 何か言いたい時に、最初から引っ込めることも少なくなった。


 それはきっと、良いことなのだと思う。


 少なくとも、俺はその方が好きだった。


「お嬢様?」


「何でもありません」


「また考え事ですか?」


「少しだけです」


「では、それも朝食のあとにしてください」


「考えることまで止められるのです?」


「お食事を忘れるほどでしたら」


 厳しい。


 けれど、嫌ではない。


 俺は紙束を机へ置き、ミレーヌと一緒に部屋を出た。


 廊下へ出ると、少し先にナディアがいた。


「おはようございます、お嬢様」


「おはようございます、ナディア」


 整った姿勢も、落ち着いた声も、隙のない身なりも以前と変わらない。


 長い間この家で俺のそばにいた人らしい、揺るぎのない佇まいだった。


 それでも、少しだけ違う。


「本日の午後ですが、ヴィクトル様の授業のあとに刺繍のお時間を予定しております。変更をご希望でしたら、朝食後までにお知らせください」


 以前なら、決まった予定として伝えられていたかもしれない。


 今は、最後に俺の答えを置く場所が残されている。


 たったそれだけの違いだ。


 けれど、その小さな違いを俺は知っている。


「今日はそのままでお願いします」


「かしこまりました」


 ナディアは静かに頷いた。


 それ以上、何も起こらない。


 毎日、感動的な言葉を交わすわけではない。


 それでいいのだと思う。


 人間関係というものは、たぶん一度腹を割って話しただけで完成するものではない。


 昨日までの癖が、翌朝には綺麗に消えるわけでもない。


 ナディアは時々、俺の代わりに答えようとしてから口を止める。


 俺も彼女が何か言う前から、「また決めようとしているのでは」と身構えてしまうことがある。


 そのたびに、どちらかが気づく。


 言い直す。


 聞き直す。


 そうやって少しずつ、以前とは違う形を作っている。


 たぶん今は、それで十分だった。


 階段を下りると、食堂では父さんと母さんがすでに席についていた。


「おはようございます、お父様、お母様」


「おはよう、ヴェルシアナ」


「おはよう。よく眠れました?」


「はい」


 母さんは俺の顔をじっと見たあと、少しだけ目を細めた。


「本当に?」


「……どうしてです?」


「昨夜、あなたのお部屋から戻っていらしたのを見かけましたもの」


 俺は父さんを見る。


 父さんは何事もなかったように紅茶を飲んでいる。


「お父様」


「何だ」


「お母様に何かお話ししました?」


「何も」


 母さんが楽しそうに笑った。


「私が見ていただけですよ。最近、よくお話ししていますものね」


 何となく居心地が悪くなり、俺は席についた。


「毎晩ではありません」


「誰も毎晩とは言っていませんよ」


 墓穴を掘った。


 黙ってパンへ手を伸ばす。


 父さんの口元がほんの僅かに動いた気がしたが、見なかったことにする。


「そういえば、リュネア様からお手紙が届いていますよ」


 母さんが自然に話題を変えた。


「本当ですか?」


「ええ。昨日の夕方に届いたそうです。お部屋へ運んでもらいました」


「ありがとうございます」


 リュネアからの手紙。


 中身はたぶん、最近作っている刺繍か、押し花か、庭で見つけた何かの話だろう。


 以前なら、そういう手紙を物語の本筋とは関係ないものとして、心のどこかで軽く扱っていたかもしれない。


 今は違う。


 俺にとっては、大切な友達から届いた手紙だ。


 原作でどういう役割だったかなんて関係ない。


 そう思える相手が増えたこと自体、ここへ来たばかりの頃には想像していなかった。


「殿下への返事はまだ途中だったな」


 父さんが言った。


「はい。今日、続きを書きます」


「そうか」


「昨日見つけた資料も確認してからにしようと思っています」


「分からなければ聞きなさい」


「はい。でも、最後に何を書くかは自分で決めます」


「ああ」


 父さんは、それ以上何も言わなかった。


 その短い返事が、今は心地よい。


 俺が考える。


 分からなければ聞く。


 父さんは知っていることを教えてくれる。


 けれど、最後には俺へ返してくれる。


 そんな形が、この家の中に少しずつでき始めていた。


 完璧ではない。


 おそらく、これから何度も崩れる。


 俺だって、いつでも正しい答えを選べるわけではない。


 むしろ最近は、分からないことの方が増えている。


 最初はもっと簡単だった。


 怒鳴らない。


 謝る。


 人を感情だけで遠ざけない。


 原作の悪役令嬢がしたことと逆をする。


 それだけでよかった。


 けれど、今はそうではない。


 謝っても、許されるとは限らない。


 助けても、それが本当に相手のためになるとは限らない。


 善意で手を伸ばしたつもりでも、自分の身分や立場が相手を動かしてしまうことがある。


 大切にしたいという気持ちでさえ、相手の人生を狭めることがある。


 知れば知るほど、世界は簡単ではなくなった。


 それでも、不思議と以前ほど怖くはない。


 分からないなら、考えればいい。


 間違えたなら、認めればいい。


 そのあとで、また選び直せばいい。


 それを、この家の人たちと一緒に覚え始めている。


◇


 午後の魔法の授業では、ヴィクトル先生に褒められた。


 正確には、かなりヴィクトル先生らしい褒められ方だった。


「以前より余計な力が減りました」


「ありがとうございます」


「喜ぶのはまだ早いです。減っただけで、まだ多い」


「……はい」


 薄い紙を、小さな輪の中心へ通す練習だった。


 以前なら、動かそうとした瞬間に力を入れすぎていた。今では三度に一度ほど、余計な揺れを起こさず紙を通せる。


「お嬢様、先ほどのは綺麗でした」


 少し離れたところで見ていたミレーヌが言う。


「ありがとうございます」


「次も同じようになさればよいのでは?」


 俺はヴィクトル先生を見る。


 先生は眉一つ動かさなかった。


「できるなら、そうしてください」


「……ですよね」


 ミレーヌが小さく笑った。


 ヴィクトル先生も、ほんの少しだけ口元が緩んだように見える。


 たぶん。


 あの人の場合は自信がない。


「ところで」


 先生が新しい紙を用意しながら言った。


「最近、学んでいることが増えたそうですね」


「領地のことですか?」


「それもです」


 ヴィクトル先生は新しい紙を俺の前へ置いた。


「興味を持つことは悪くありません。ただ、何でも一度に抱えれば、どれも中途半端になります」


「はい」


「魔法も同じです。力があるから全部を動かそうとするのではなく、必要なところへ必要なだけ使う」


 俺は紙を見る。


 なんとなく、魔法だけの話ではないような気がした。


「先生」


「何です」


「今のは、魔法のお話ですよね?」


「今は魔法の授業です」


 答えになっているようで、微妙になっていない。


 俺は少し疑いながら、もう一度紙へ意識を向ける。


 軽いものほど、強く押せば思わぬ方向へ逃げる。


 動かすのではなく、行く先を整える。


 以前に聞いた先生の言葉を思い出す。


 最近、どこへ行っても似たようなことを考えている気がした。


 人も。


 魔法も。


 自分の未来も。


 強く押せば、その通りになるとは限らない。


 むしろ、力があるほど気をつけなければならない。


 紙が輪の中心を抜ける。


「今のは良い」


 ヴィクトル先生が言った。


 素直に嬉しい。


「次も同じように」


「はい」


 今度は余計なことを考えず、次の紙へ意識を向けた。


◇


 夕方になって、リュネアからの手紙を読んだ。


 予想通り、半分は刺繍の話だった。


 新しく白い花を刺したこと。


 花びらの形がうまくいかなかったこと。


 母親に少しだけ教えてもらったら、前より気に入ったこと。


 そして最後には、今度会った時に一緒に庭を歩きたいと書かれていた。


 俺は返事用の紙を広げる。


 その隣には、まだ書き終わっていないアレクシスへの手紙もある。


 片方は刺繍と花の話。


 片方は古い街道と橋の話。


 並べてみると、随分違う。


 でも、どちらも俺は嫌いではない。


 リュネアと花を見るのも楽しみだ。


 アレクシスと古い記録について話すのも面白い。


 以前の俺なら、王太子との交流にはもっと警戒していただろう。


 というより、実際かなり警戒していた。


 婚約。


 破滅。


 原作の未来。


 そういうものが、本人より先に浮かんでいた。


 今でも、アレクシスと結婚したいわけではない。


 その点は変わっていない。


 ただ、本人と話すことまで避けたいとは思わなくなった。


 あいつは歴史が好きで、木剣の練習を真面目にしていて、豆が嫌いだ。


 王太子である前に、そういう一人の子供なのだと知っている。


 リュネアだって、ただの物語上の友人役ではない。


 ミレーヌも、将来俺へ仕える侍女候補というだけではない。


 ナディアも、悪役令嬢を作った教育係という一言では終わらない。


 父さんも。


 母さんも。


 ヴィクトル先生も。


 エステルも。


 領地で会った人たちも。


 俺がここへ来た頃には、ゲームの中の役割や未来の結果としてしか見えていなかった人々が、少しずつ一人の人間として見えるようになってきた。


 それが、たぶん一番大きな変化なのだと思う。


 同時に。


 向こうから見た俺も、少しずつ「悪役令嬢」という形から外れ始めているのかもしれない。


 そうだったら嬉しい。


 けれど、そうでなくても急ぐ必要はない。


 過去に――俺がここへ来る前のヴェルシアナがしてしまったことまで、なかったことにはできない。


 エステルの中には、今も怖かった記憶が残っている。


 使用人の中にも、以前のヴェルシアナを覚えている人はいる。


 評判は、本人より先に歩く。


 一度ついた印象が、今日明日で消えるものではないことも知った。


 なら、積み重ねるしかない。


 今日会った人には、今日の俺を見てもらう。


 明日また会えば、明日の俺を見てもらう。


 その繰り返しでいい。


 俺はリュネアへの返事を書き始めた。


 刺繍した花について。


 次に庭を歩く時、こちらで咲いている白い花も見せたいこと。


 途中まで書いたところで、窓の外から声が聞こえた。


 庭に母さんとミレーヌがいる。


 少し離れたところにはナディアもいた。


 何か話しているらしい。


 俺はペンを置き、窓辺へ寄った。


 母さんがこちらへ気づき、手を振る。


 俺も振り返した。


 ミレーヌも控えめに手を上げる。


 ナディアは最初、いつものように会釈だけをした。


 けれど、俺がそのまま見ていると、少し迷ったあとでほんの僅かに手を上げた。


 珍しい。


 思わず笑ってしまう。


 別に、何でもない夕方だ。


 誰かが倒れたわけではない。


 王家から重大な知らせが届いたわけでもない。


 破滅の未来を大きく変えるような選択をしたわけでもない。


 それでも、こういう何でもない一日があることが、俺には少し嬉しかった。


◇


 夜。


 寝台へ入る前に、机の上のノートを開いた。


 最初の頃から、考えたことを書いてきたものだ。


 頁をめくる。


『間違えたのは、わたくしでしょう?』


『嫌だった理由があっても、その後に何をしてもいい理由にはならない。』


『分からないものを、分かったことにしない。』


『謝ることと、許されることと、友達になることは、全部別。』


『数字の向こうにも、人がいる。』


『見たものより、見えなかったものの方が多かった。』


『助けることも、力を使うこと。』


『守ることと、その人の代わりに人生を選ぶことは違う。』


 自分で書いた文字なのに、読み返していると少し不思議だった。


 ほんの数か月前のことしか書かれていない。


 それなのに、最初の頁は随分昔のものに見える。


 目を覚ましたばかりの俺は、もっと単純だった。


 原作のヴェルシアナと逆のことをすればいい。


 そう思っていた。


 けれど今は、原作と逆かどうかだけでは判断できない。


 優しくすることだって、やり方を間違えれば相手の選択を奪う。


 謝ることだって、自分が楽になるためだけに使えば、相手へ返事を求める圧力になる。


 助けることも、守ることも、正しいと思うことも、使い方によって形を変える。


 面倒だ。


 本当に、面倒な世界だと思う。


 ゲームなら、正しい選択肢には答えがある。


 うまくいけば好感度が上がり、失敗すれば下がる。


 現実では、同じ言葉でも相手によって受け取り方が違うし、昨日正しかったことが今日も正しいとは限らない。


 それでも、ゲームより悪いとは思わなかった。


 むしろ今は、少しだけこちらの方が好きだった。


 正解が最初から決まっていないからこそ、自分で考えられる。


 間違えたあとにも、その先がある。


 もちろん、取り返せないこともあるだろう。


 何をしてもやり直せるなどと思うほど、楽観的にはなれない。


 それでも、自分が間違えたと気づいた時、そこで終わりではないことも知った。


 俺はまだ、これから選べる。


 ノートの新しい頁を開いた。


 何を書こうか、少し迷う。


 以前なら、何か教訓らしい一文を残そうとしたかもしれない。


 けれど今日は、もっと単純なことを書きたかった。


 ペンを取る。


『まだ、五歳。』


 そこまで書いて、一度手を止めた。


 最初にこの年齢を自覚した時、俺は焦った。


 あと十年しかないと思った。


 十五歳になれば、本編が始まる。


 知っているはずの物語が動き出す。


 原作のヴェルシアナが壊れていった時間へ、少しずつ近づいていく。


 その未来が消えたわけではない。


 何が起きるのかも分からない。


 むしろ、ここまで色々と変えてしまったせいで、俺が知っているゲームの知識がどこまで役に立つのかも怪しくなっている。


 怖くないと言えば、嘘になる。


 それでも。


 十年という時間が、今は以前とは違って見える。


 十年もある。


 人を知る時間がある。


 自分が間違える時間もある。


 謝る時間もある。


 やり直せることなら、やり直す時間もある。


 リュネアと何度も庭を歩ける。


 アレクシスと何通も手紙を交わせる。


 ミレーヌが何を好きになり、何を選ぶのかを見ていける。


 ナディアとも、今までとは違う関係を作っていける。


 父さんや母さんとも、もっとたくさん話せる。


 魔法の練習も。


 領地のことも。


 学園へ行く前に知りたいことも。


 考え始めれば、むしろ十年で足りるのかと思うくらいだった。


 俺は書いた文字の続きを足した。


『まだ、五歳。だから、今ここで未来を全部決めなくていい。』


 少し考える。


 今の気持ちには、それだけでは足りない。


『でも、自分で選び始めるには、もう十分だと思う。』


 書き終えて、ペンを置いた。


 窓の外には、静かな夏の夜が広がっている。


 俺が知っていた物語なら、ヴェルシアナ・アルセリードの未来には、すでに名前がついていた。


 悪役令嬢。


 婚約破棄。


 破滅。


 処刑。


 最初の俺は、その名前から逃げることばかり考えていた。


 今も逃げたい。


 死ぬのは嫌だし、破滅もしたくない。


 そこは、何も変わっていない。


 ただ、それだけではなくなった。


 俺は、ミレーヌがこれから何を選ぶのか知りたい。


 リュネアがどんな刺繍を作るようになるのかも見たい。


 アレクシスが大人になった時、まだ豆を嫌っているのかも少し気になる。


 父さんや母さんと、これからどんな話をするようになるのかも知りたい。


 ナディアが、自分の好きなものを誰にも許可を求めず選べる日が増えていくのかも見ていたい。


 破滅しないためだけではない。


 この先を知りたいから、生きたいと思う。


 そんな理由が、いつの間にか増えていた。


 俺はノートを閉じた。


 明日もたぶん、分からないことが増える。


 何かを間違えるかもしれない。


 誰かに注意されることもあるだろうし、自分の考えがまるで足りていなかったと気づく日もあるだろう。


 それでもいい。


 未来は、もう完成した物語には見えなかった。


 少なくとも俺の前には、まだ書かれていない場所の方がずっと多い。


 だったら、その白い部分を怖がる必要はないのかもしれない。


 俺は、まだ五歳だ。


 最初は、破滅まであと十年しかないと思った。


 今は違う。


 知るための十年がある。


 迷うための十年がある。


 間違えて、謝って、また選ぶための時間がある。


 そして何より、ヴェルシアナ・アルセリードとして、自分の人生を生きていくための時間が、これから始まるのだった。

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