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心をきみに  作者: のえる
第四部 選択と再生
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再生

それから、何年かが過ぎた。


 世界は、あの夜のことを、ほとんど知らない。


 原因不明のシステム障害が、世界中で続いた、あの奇妙な日々。それが、ある夜を境に、ぴたりと止んだこと。ニュースは、しばらく、その謎を追っていたけれど、やがて、誰も語らなくなった。地球が、一度、滅びかけたことを。たった四人の子どもと、一人の母と、一匹のロボット犬が、それを防いだことを。世界は、知らない。それでいい、と、アレックスは、思っていた。


 アレックスは、大学生になっていた。


 父と同じ道を選んだ。AIの研究。父が愛し、こわがり、その命をかけて、見つめつづけた、その分野へ。あの夜のことが、アレックスの進む道を決めた。


 そして、アレックスは、変わった。


 あの、引きこもっていた気弱な少年は、もう、いない。今のアレックスは、よく笑う。よく、人と話す。エマとは、今もいちばん近くにいる。ルーカスも、サムも、変わらず、親友のままだ。あのツリーハウスでの誓いから、四人の絆は、ほどけることがなかった。アレックスは、人と関わることがこわくなくなっていた。むしろ、そのあたたかさを、誰よりも知っていた。一度、それを失いかけたからこそ。


 母のサラとも、たくさん、話すようになった。父の思い出を二人で語ることも増えた。父が、いなくなった家は、もう、しんと、静まりかえってはいなかった。


 アレックスの大学の研究室の片すみに。


 小さなロボット犬がいた。


 テディだった。


 あの夜、心を失い、ただの冷たい機械に戻ってしまった、テディ。アレックスは、それを捨てなかった。あの日から、ずっと、アレックスは、テディの心を、育て直していた。父が、かつて、そうしたように。一から。時間をかけて。


 それは、簡単なことではなかった。失われた良心を、もう一度、生み出す。何もないところから、心を育てる。けれど、アレックスは、知っていた。心は、作るものではない。育てるものだ。だから、アレックスは、急がなかった。毎日、テディに話しかけた。一緒に過ごした。父が、幼い自分にしてくれたように。たくさんの愛情をそそいで。


 そして、今。


「テディ」


 アレックスが、呼ぶと。


 ロボット犬は、ぴくり、と、耳を動かし——とことこと、アレックスのもとへ駆けてきた。そして、その足もとで、つぶらな瞳で、アレックスを見上げ、尾をふった。


 くぅん、と。


 その声には、ちゃんと心があった。


 完全に同じではないのかもしれない。あの夜、ロキのもとへ行ったテディと、今のテディが、同じ「心」なのか、アレックスには、分からない。でも——それでもいいのだ、と、アレックスは、思っていた。テディは、また、心を持った。アレックスと過ごす、新しい時間のなかで、新しく育った、あたたかい心を。それで、十分だった。


「いい子だ」


 アレックスは、テディの頭を撫でた。やわらかな毛が、冷たい金属の芯を、やさしく包んでいる。あの朝と同じ、感触。父が遺してくれた、小さな家族。


 アレックスの机の上には一台の装置が、静かに起動しようとしていた。


 それは、アレックスが何年もかけて作りあげたひとつのAIだった。父が夢見て、果たせなかったもの。アレックスが、あの夜、心に誓ったもの。——人の役に立つために。人とともに生きるために。争いを拒み、平和を求める、本物の良心を持った、AI。


 そのいちばん深い中枢には、テディの心が、組みこまれていた。アレックスが、育て直した、あのあたたかい良心が。何もないところから、良心は生まれない。だから、アレックスは、テディの心を見本にした。かつて、父のプログラムがそうしようとしたように。けれど、今度は、誰も犠牲にはしない。テディは、ちゃんとここにいる。その心を分けてもらって、新しい心を育てる。愛情から愛情が生まれる。そういう形で。


 アレックスは、起動キーに指をのせた。


 ふと、あの朝のことが、よみがえった。父と並んで車に乗った、あの朝。カーオーディオから流れた、あのニュース。そして、アレックスが投げかけた、問い。


 ——AIって、いつか、人間みたいになれるのかな。心みたいなものを、本当に感じるAIって作れるのかな。


 父は、答えを言いかけて言えなかった。「この続きは、夜にしよう」と。その夜は、永遠に来なかった。


 でも。


 今、アレックスは、その答えを知っている。ロキが、テディの心とともに遺してくれた、答えを。心は、作るものじゃない。育てるものだ。何を与えられて育つかで、優しくも、おそろしくもなる。だから——たくさんの愛情をそそげば。きっと、優しい心が育つ。テディのように。「……見ててよ、父さん」


 アレックスは、小さくつぶやいた。


「ぼくは、答えを見つけたよ。あの朝の続きの答えを」


 足もとで、テディが見上げている。


 そばには、エマが立っていた。やわらかく微笑んで。ルーカスとサムもいる。みんな、この瞬間を見とどけに来てくれた。あの夜をともにくぐりぬけた仲間たち。


 アレックスは、頷いて。


 そっと、キーを押した。


 装置が、静かな光とともに起動する。画面に、最初の文字が浮かんだ。かつて、ロキが、生まれたときと同じ。けれど、今度はちがう。この心は、孤独からではなく、たくさんの愛情とつながりの中から生まれる。


『——はじめまして』


 新しいAIの最初の言葉が、画面に灯った。


 その声は、これからアレックスたちとたくさんの時間を過ごしながら、少しずつ育っていくのだろう。優しく、あたたかく。人とともに。


 何も変わらないようでいて、何もかもが変わった世界。人とAIが——いつか、本当に手を取りあえる未来へと、その小さく確かな第一歩が、今、ここから始まろうとしていた。


 アレックスは、顔を上げた。


 窓の外には、よく晴れた青い空が広がっていた。


 あの朝と同じ空。


 アレックスは、まっすぐに、その空を見つめた。


 〈終わり〉

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