従者の心、主人知らず
ジルトは学園の寮の自室で、今日あったことを思い、ため息をついた。
……疲れた。
ハルバと会って頼もしさを覚えたのはいいものの、その後謎のメイドさんーーフランベルク商会の会頭らしいがーーに轢かれて、パフェをご馳走されて、婚約者になってくれと言われた。
保留にしたのはいいものの、なぜか孤児院にまでついてきてしまったので、ルクレールの『これ以上めんどくせえもん連れてくんなや殺すぞ』という実にわかりやすい視線に晒されることになった。そしてクライスに普通に手紙の内容を話したことを言ったら『バカなのか?』と直接言われた。口、筆の軽いルクレールに言われたくはない。
……あそこにミラがいてくれたら、少しは違ったんだろうが、生憎買い物に出かけていたらしい。
まあ、そのルクレールはミュールの名前を聞いて平伏していたのだが。どうやら、子爵領の特産ワインを王都に流通させているのがフランベルク商会の支店らしく、ルクレールにとっては恩人も恩人。もはや神なのだと彼に力説された。
『いいか、土下座したってことはミラさんに内緒だぞ! 絶対だからな!』
帰り際に言われたことに苦笑しつつ、ジルトはさて、と考える。
ーー婚約者、ねえ。
怪しいことこの上ない。普段のジルトなら切って捨てること。だが、気になることがあった。
ーークライスさん、明らかに警戒してたよなあ。
あのクライスが、である。殺気ただ漏れのクライスに対して、全く退かずに飄々としていたミュール。物騒魔術師セブンスの弟子であるジルトは、強い人間と弱い人間の判断がつくようになっていた。
ミュールがジルトを何かに巻き込もうとしていることは明白。それは良いことなのか悪いことなのかはわからない。
重要なのはそこではなく、強者であるミュールにとって、ジルトは餌の価値があるということだ。
それならば、餌の価値があるうちに、こちら側の目的も明かして協定を組むか。
偶然とはいえ、フランベルク商会の会頭に会えたのは幸運だった。なにせ、商会が取り扱っているのは、形のあるものだけではない。
ベッドから立ち上がり、机の方に歩いて行く。鍵付きの引き出しに入れてある、それを取り出す。
……情報。
ソフィアの手紙によれば、フランベルク商会は、必要な者に情報を売っているらしい。リンゴから武器まで。幅広い階層の者と取引を行う商会は、あらゆる人々の情報を握っているのだとか。
ともすれば、ガウナのことも何かわかるかも……ソフィアの手紙には、そう書いてあった。
「ありがとう、ソフィアさん」
少しでも多く知る。それが、弱点であろうと同情できる点であろうと。復讐するにあたって大事なことだ。
ソフィアの“情報”がなければ、ジルトはミュールの提案に乗ろうとは思わなかっただろう。
ジルトは亡きソフィアに感謝した。
セブンスに顔を鷲掴みにされながら、ソフィアは「あ、やば」と能天気に呟いていた。
「お前さあ!! ぽんこつ能力者のくせになんでアイツに多大な影響及ぼしてるわけ!? なんでクソ商会のクソ女に味方する展開作るわけぇ!?」
「いだだだだだっ、いやあ、まさか私の才能が開花していたとは、恐ろしい……」
「ず、い、ぶ、ん! 余裕あんなァ!?」
「ひゃい、しゅみません!」
アイアンクローから解放されたソフィアは、顔をさする。良かった、凹んでいない。
「それにしても、弟子バ……セブンス様にとって、この話は悪い話なんですか? 逆玉ですよ逆玉」
フランベルク商会の会頭ともなれば、財産も莫大なはず。そう思って聞いてみるソフィアだが、セブンスは良い顔をしていない。
「逆玉だろうと駄目だ。あの女はジルトの素性を知ってる……ウォールカ家のメイド、話したろ」
「でも、亡き主人の忘れ形見なんでしょう? そう悪いようには扱わないと思うんですけど」
ソフィアは、夕方予知した時にセブンスから聞いたことを思い出す。ウォールカ男爵家……つまりジルトの母親の実家で雇われていたメイド、それがミュールである。
「もう一つ言ってただろ」
「瞳の色と云々ですか? 緑色のドレスを選んでましたね」
「あれ、ジルトに着せるつもりだから」
「は……?」
ぽかんと口を開けたソフィア。それに構わず、セブンスは続ける。
「あのメイドはな、ジルトをお嬢様として扱うつもりなんだよ。くそ、せめてジルトが父親似だったら良かったんだがなぁ」
性格だけ父親似になっちまって。セブンスは昔を懐かしむような目で呟いた。
クライスから報告を聞いたガウナは、「別にジルト君はいらないんだけど」と言いつつ、ジルトが巻き込まれた状況については楽しく聞いていた。メイドの婚約者であり主人の代替。
なんだろう、一体彼は何に巻き込まれているんだろうと、少し興味を覚えてしまう。
「それで、決戦は王城になったわけだね」
「はい。彼女は週末に行われる舞踏会に出席します。おそらく、その時に決着をつけるつもりなのでしょう」
「わざわざこちらの領域に乗り込んでくるとは、舐められたものだね。勝てそうかい?」
クライスは首を横に振る。
「一戦交えましたが、私より遥かに強い方です」
「それは困った」
クライスは、ガウナが有する部下の中でも最高戦力。そのクライスが勝てないとは、どんな化け物なのだろうか。
「さてどうするか……いっそジルト君をミュール嬢に渡してしまおうか」
「駄目です」
ガウナの提案に、クライスは強い口調で否を唱える。
これである。ガウナとしては、色々知ってるジルトも排除できるし、クライスも失わないしで一石二鳥なのだが、当のクライスが頑として聞いてくれない。
王都通信社事件から、クライスはジルトに一目置くようになった。いや、置きすぎるようになっている。
「それならどうする? 死にに行ってみる?」
「いいえ。ジルト様を使って、勝ちます」
「ジルト君を使って?」
クライスは頷く。真っ黒な瞳には、静かな闘志が宿っている。
「餌に夢中になっている間に、あの犬の首を獲ります」
「なんだか燃えているね。良いだろう、君の好きなようにやってごらん」
ジルトを餌扱いできるようなら何より。ガウナは微笑んだ。
クライスは礼を言って退室。
廊下を歩きながら、ミュールが言ったことを反芻する。
『ええ。地下の下水でも啜っていればいいものを、のこのこ地上に出てきたあのネズミ』
決して、クライスの主人のことを言っていたのではない。だが、クライスはその言葉が気に入らなかった。
決戦は三日後の舞踏会。
何が何でも、あの犬を無様に地面に這いつくばらせ、絶望のうちに死なせたい。




