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「何のための検査?」
井崎が主治医を務める患者のひとりである夏川響也は、自分の腕から抜き出されていく血液をじっと見つめながらそう聞いてきた。
「いろいろだよ。毎日のようにしてるだろ?」
「毎日のようにしてるけど、何の検査なのか、検査結果はどうだったのか、一切教えてもらってない」
「まとめて伝えるよ」
こちら側の質問にはほとんどまともな返事を寄越さないくせに、この少年は答えにくいことばかりしつこく聞いてくる。井崎としては、彼の保護者から病状については喋るなと言われている以上、答えたくても答えられないのだ。
笑ってその場を取り繕い、早々に隣のベッドへ行くしかない。しかし。
「先生、すっごくヒマ」
逃げようとすれば、後ろから声をかけられて引きとめられる。
「読書くらいしてもいいでしょ? 貸して欲しいな、医学の専門書」
「残念ながら持ち出し禁止のものしか揃ってないんだ。悪いね」
我ながら、なんともいい加減な嘘だと思った。これでは自分が響也の病気について意図的に喋ろうとしていないことが、患者の側からみても明らか過ぎる。どうも苦手だ。隠し事をしながら人と接するのは。井崎は頭の中で苦笑した。
「ねえ、隆弘さんは、なんで亡くなったんですか?」
井崎は意図せず、絶句して硬直していた。感情の読めない大きな瞳が、じっと自分を見つめている。背中に、冷たい汗が伝う。
「先生さあ、嘘がヘタクソだなあ」
向かいのベッドに寝転がった真幸が、元気のない笑い声で言った。はっとして振り返れば、やけに青白い真幸の顔が目に入る。
「はっきり言ってやればいいじゃん。俺と同じだって」
違うと言えば患者に対して嘘をつくことになり、そうだと言えば病状を大筋で認めることになる。必然的に回答に詰まった井崎を軽く笑い、真幸が続けた。
「ヒマなんだよ、俺ら。トークくらいしかすることないわけ。頭がイカれちまった犬に噛まれた。妙にフラフラして、ダルイ日が続く。頭が痛い。眠れない。イライラする。どこもぶつけてないのにアザができる。全部同じだ。なあ、響ちゃん」
響ちゃん、と呼びかけられ、響也は笑いながら頷いていた。少し前まで「優等生」と嫌みったらしく呼びかけていたのに、と思うと、彼らが言葉を交わした時間の長さに嫌でも思い至る。
「あまりいじめないでくれ。こっちもいろいろ複雑なんだ」
苦笑しながらその場を誤魔化し、逃げ出そうとしたところで、井崎は、そうできない事情を思い出した。
「なあ、真幸。お前の親御さんとは、いつ連絡が取れるかな?」
ベッドの上で、真幸がきょとんとした顔をする。井崎は何をどう説明したらいいものか、逡巡してから口を開いた。
「治療のことなんだけどな、その……親御さんの了解が貰えないとこっちはその……勝手に治療をするってわけにはいかなくてね。何度かケータイに電話してるんだけど、繋がらないんだよ」
真幸は苦笑を浮かべながら「やれやれ」と溜め息をつく。
「うちの母ちゃん、メンタル弱いからさ、いろいろプレッシャーに耐えられないんだよ。電話に出たらいろいろ自分で考えて決めないといけないじゃん。例えば、ほら、こないだの個室がどうこうって話にしてみてもな、個室料金が一日これくらいで、入院日数がこれくらいだから、今月は余計な出費がこれくらい。それで、その金をどこからどうやって持って来ようとか、そういうのを考えたくないんだよ。で、とりあえず掃除とか洗濯とか、そういう目の前のことに熱中する。ケータイの電源を切ってないだけマシじゃねえの?」
真幸は何でもないように語ってくれるが、主治医としてはそれでは困る。個室へ移動という話も、結局は保護者に連絡が取れず、そのままうやむやになってしまった。
個室に移動するしないという話ならばともかく、今度は治療方針と経済的負担が本格的に絡む話だ。それも、患者の生命を大きく左右しかねない内容である。
「何とか話し合いに応じて貰えないと、こっちはお前の家まで出向いていかなきゃならないことになるんだけどな」
「けっこう焦ってるね、先生。ということは、つまり、俺ってけっこうアブナイ状況にいるわけね」
思わず言葉を失った。真幸が軽く笑う。
「やっぱり。先生ってけっこう分かりやすいよな。まあ、それはそれでいいんだけど。俺としては、あまり、母ちゃんに難しい話はしたくないんだ。できれば、俺の一存で母ちゃんが同意したってことにしてくれると助かるんだけど。ついでに、具体的な金額も教えてくれるとなおありがたい。その上で親方に相談してみるから」
何と返したらいいものか、井崎はしばらく無言でその場に立ち尽くしていた。
「お前、言うことだけは男前だな」
ややあって、自分の口から出てきたのはそんな一言だった。
「言うことだけは、が余計だっての。それで、そういう方向で話、進めてくれるわけ?」
自分の顔が歪むのが自分で分かった。
「いや、規則は規則だし、法律は法律なんだ。いくらなんでも、お前だけを特別扱いするわけにはいかないよ。せめて、本人に説明していいっていう了承を、親御さんから得られれば話は別なんだけど」
再び、真幸は「やれやれ」と溜め息を零した。
「先生って話が分かるやつだと思ったんだけどな」
「そういうなよ。こっちは医師法で雁字搦めなんだ」
言うつもりがなかったことを言ってしまい、自己嫌悪に陥った。
「それより、真幸は見た目とは裏腹に随分しっかりしてるな。普通、お前くらいの年だと、親に反抗心を持つものじゃないのか?」
ついそんなことを言えば、真幸が呆れたような顔をする。
「馬鹿言うなよ。俺はもう自分の稼いだ金でメシを食ってるんだ。自分のことに責任くらい持てるし、そうできるのが自立ってことだ。反抗なんてモンは、自立できないお子ちゃまだけの専売特許だよ」
真幸はチラリと響也の方を見やり、そう言った。
「なら、お前に説明していいっていう許可を貰いたいから、親御さんを呼び出してくれ。その後のことは、お前に任せるよ」




