24
朝一番の申し送りを終えた医師たちは自分の担当する入院患者の顔を一通り見て回る。今、井崎は響也と真幸の回診に来ていた。
「これって大名行列ってヤツでしょう? ドラマで見たのと違って、実際はすごくシンプルなんですね」
響也は、井崎とその背後にいる一人きりの看護師を見ながら言ってきた。その口調には、からかうような響きが滲んでいる。
「ああ、違いますよね。大名行列は大学病院の一番偉い人が部下を引き連れて回ることでしたっけ? これは単なる回診?」
「そうだよ。分かってるなら結構じゃないか」
聴診器を当てながら適当に返事をする。真面目に付き合ってはいられない。
「ねえ、先生。先生ってまだ若いじゃないですか。なんでこんなところにいるんですか? もしかして、大学病院の権力闘争に負けちゃったとか? それとも策略に嵌められたとか?」
「それはドラマとマンガの見過ぎだよ」
形ばかりだったとは分かっているが、昨日のあの殊勝な態度は何だったのだと言いたくなる。一方「ドラマとマンガ」と聞いて、正面のベッドが反応した。
「ああ、あのマンガなら読んだよ、俺も! 大名行列の殿様にさあ、シャウエッセン! って言われたら、強制退院なんだよな?」
真幸は自信満々にソーセージの名称を口にした。井崎は呆れて何も言う気にならなかったが、意外なことに隆弘が反論した。
「馬鹿、違うだろ。強制退院は確か、エンバーミングだ」
強制退院がエンバーミング(死体保存)だと、病院が堂々と患者を殺していることになる。ブラックジョークとしてはまずまずだ。後で室井にでも聞かせてやろう、と密かに決めた。ちなみに、正解は「エントラッセン」である。敢えて何も言わず、響也の診察を黙々と続けた。しかし、患者の方は黙らない。
「そう言えば、看護師さんが教えてくれたんですけど、井崎先生ってここのY大学じゃないって本当ですか?」
そして、彼は井崎の出身大学の名を口にする。曲がりなりにも、そこはこの国の準・最高学府である。
「よく知ってるな」
チラリと背後の看護師を見やる。素知らぬ顔の看護師はこちらを見ようともしなかった。ということは、犯人はおそらく大勢いる。
「どうしてこんなクソ田舎に来たんですか?」
井崎は小さく息をついた。
「田舎の方が可愛い看護師さんが多いと聞いたからだよ。それより、薬はちゃんと飲んだ?」
無理やり話を切り上げると、響也は明らかに不満そうな顔になる。
「ちゃんと飲みましたよ。それよりヒマなんですよ。母親は何にも持ってきてくれなかったし。テレビも雑誌もくだらない」
回診は終わりだ。いつまでも馬鹿話に付き合ってはいられない。
「病院は病気を治すところでもあるけど、同時に心と体を休める場所でもあるんだ」
「こ、こころと体っ!」
内心の不快感を押し殺して答えると、反対側のベッドから笑い声が聞こえてきた。何がおもしろいのかさっぱり分からなかったが、十代の少年にしか分からない笑いのツボがあるらしい。
「休むほど疲れてませんけど。俺、そんなに悪いんですか?」
「……あと一ヶ月もしないうちに、ああなる」
よく分からない理由で笑い転げている二人の少年を指差す。嘘ではない。響也は小馬鹿にしたような笑みを口元に貼り付けた。
「頭が悪くなるってことですか。それは困るな」
「そうそう。だから大人しくテレビでも見ててくれ」
これから血液検査があることを手短に説明し、井崎は早々に響也のベッドを離れた。
「お前は、元気そうだな」
「まあね」
真幸の顔色は蒼白だった。口を開けさせれば、歯茎からの出血も引いていない。腕や腹部には青あざが幾つもある。面倒だ、という雰囲気を無理に作って寝転がっているが、実際は起きあがることがしんどいのだろう。早急に輸血を増やすべきだと判断した。
「お前、初めて血を吐いたのはいつだ?」
その顔をじっと見ながら真面目な顔で聞くと、真幸は何か言いかけて口をつぐみ、ややあって困ったように笑った。
「……二週間くらい前」
「どれくらい吐いた?」
「うーん……トイレに流したから、よく分かんねえ」
そうか、と言って、井崎はそれ以上の質問を切り上げることにした。何か言われると予想していたのか、身構えていた真幸が僅かに肩の力を抜くのが見える。医療機関を受診しなかった患者を責めても意味がない。劇的な症状が出始めたのは二週間ほど前という情報が得られたのだから、井崎としては充分だ。
「それはともかく、お前はこの後いよいよ足の手術だからな」
真幸の表情が明らかに変わった。
「心配するな。麻酔かけてやるから。痛くはないさ」
「先生がやんの?」
「当たり前だろ」
溜め息混じりに言えば、真幸の表情がふっと緩んだ。
「なんか、マジで不安になってきた! やべーかも!」
「冗談でもそういうことを言うんじゃない」
そこへ、他の患者の回診を終えた田村が入ってきて、隣で寝ている隆弘に似たような質問を始めた。残った最後のベッドでは、老婆が安らかに寝息を立てている。主治医は隆弘と同じく田村だ。何でも、最近、夜になると目が冴えるということを訴えているらしい。
「ああ、それから、手術が終わった後は個室に移動してもらいたいんだけど、いつなら親御さんに連絡がつく?」
立ち去ろうとしたその瞬間、井崎は思い出して真幸に聞いた。
「ごめん、先生。俺、最近は親と一緒に住んでないからさ、母ちゃんのスケジュールまで把握してないんだ。なんで母ちゃんに用?」
「個室に移ってもらうのはいいんだけどな、個室料金がかかるんだよ。そのことを親御さんに納得してもらわないといけないんだ。お前は、一応まだ未成年だからな」
真幸は「ふうん」と言ったきり黙ってしまった。
「まあいいさ。こっちから連絡してみる。悪く思わないでくれ。一応、規則なんでね」
顔を上げた真幸が小さく頷いたのを見て、井崎はその場を後にした。この手術が、無駄にならないことを願いながら。




