22 小鹿の精霊ケリュネ - 2
バハードゥラン王国の街マハーン
ケリュネの幼い顔にある2つの眼に、迷いはなかった。
ケリュネは、深く息を吸い込むと、路地の石壁に頭を打ち付けた。何度も何度も打ち付けた。路地にはガキン、ガキンという金属を打ち鳴らしたような高い音が響いた。
角を覆う肌は裂け血が滲んでいたが、精霊の鹿の角は固く、折れる気配はなかった。
「ハァ、ハァ、母さん、待ってて」
痛みで目が霞んできたケリュネは、服を脱ぎ捨て大きく息を吸い込むと、全身が青白く輝いた。
輝きが収まると、そこには四つ足で立つ水色の鹿の姿があった。
ケリュネは、前足でコツコツと地面を掻き鳴らし、ブフーッ、ブフーッと鼻から激しい息を吐く。
「母さんは、僕が助けるんだ!」
そう歯を食いしばった。
ケリュネの水色の体は一直線に石壁まで駆けた。
ガキンと石壁から石の破片が飛び散った。ケリュネが首を左右に振ると、ボキンという鈍い音と共に、産毛と薄皮に包まれた短い角が1本ぽとりと落ちた。
「母さん、もう少しの辛抱だよ」
ケリュネは、ふらつきながらこの角を咥えた。ケリュネの額の上部からは、真っ赤な血が滴り落ちていた。
ケリュネの体は再び青白く発光すると、人間の体へと変わった。よろけながらフードを深く被り、路地を歩きだした。
ケリュネは先ほどの薬屋に戻ると、中年の店主に血の付いた肌色の角を差し出した。
「さっきの坊やか。・・・こ、これは・・・・・・・・」
「小さいけど精霊の鹿の角だよ」
「・・・・・これが精霊の鹿の角?」
店主は、ルーペで肌色の産毛の付いた薄皮を捲り、中の角を凝視する。
「・・・・白い角・・・・・普通の鹿と同じ色だ」
と、店主は唇を動かした。
精霊の鹿の角は、確かに人間の寿命を延ばす神薬として信じられ、高額で取引されていた。しかし、それは雄の成体の角であり、透明で水色に輝く角のことである。
この白い角は効能も未知である。到底、精霊の鹿の角として、売買できる品ではなかった。
「・・・・・・・・坊や、一体これをどうやって・・・・・・」
店主がケリュネの顔を覗くと、フードの中にある頭から血が滴り落ちていた。
「・・・・・・・ま、まさか・・・・・そんなことが・・・・・・」
店主は目を閉じた。その瞼の裏には、幼くして亡くなった最愛の息子の笑顔が映っていた。店主は瞼をゆっくりと開いて、ケリュネに温かな眼差しを向ける。
「坊や、血が出ているようだが」
「大丈夫」
「薬屋に来た客の怪我を手当てせずに帰したとあっては、薬屋の名が泣く。
それに、熱を出しているお母さんも悲しむよ。
さあ、坊や、フードを取って」
ケリュネは、店主に正体がばれてしまうということよりも、母さんの高熱を下げたいという一心から、言われるがままにフードを取った。
左の頭には、ケリュネが差し出した角と同じ、薄皮に覆われた角があり、右には外傷があり、その傷から血が滴っていた。
「こりゃ、痛々しいな。待ってなさい」
店主はそう言って、傷薬を手に取った。
「・・・・・・これでよし。明日もこの薬を傷に塗るとよい」
そう言って、フードを頭に被せると、軟膏をケリュネに手渡した。
そして、店主は棚から鞄を取り出すと、アグルの一片をそれに入れ、ケリュネに手渡した。
「精霊の鹿の角、確かに受け取った。
その鞄の中身はアグルだ。これで、お母さんの熱が下がるといいな」
「・・・・・・おじさん、ありがとう。お母さんは熱だけでなく、体も弱っていたの。
アグルがあれば、薬神ダヌヴァンタリ様にお祈りができます」
「そうか、よれは何よりだ。さあ、お母さんの下へお帰り」
ケリュネは鞄を肩にかけ、喜び勇んで店を飛び出して行った。
カラン、カランと扉の鐘が、まだ店内に響いていた。
薬屋の店主はケリュネの出て行った扉を見つめ、
「アミット・・・・」
と、亡き息子の名を呟いた。
ケリュネが人混みを掻き分け足早に歩いていると、不意に手首を掴まれ、そのまま路地裏に引き込まれた。
そこには、数人の若い男性が剣を抜いていた。
ケリュネが身の危険を感じ、引き返そうとすると、後ろにも剣を構える男たちがいた。
「このフードのガキに間違いない。こいつは精霊の鹿だ。さっき鹿になって石壁に体当たりしたのをこの目で見たんだ」
「こいつが精霊の鹿か。人間にうまく化けたもんだな」
「ぐへへへ。こんなガキの角を切り取るだけで、俺たちに大金が舞い込む」
「精霊の鹿となると、角だけじゃなく、肉や革も高く売れるんじゃねえのか」
「そうかもしれんな。ますます旨い話だ。うへへへ」
若い男性たちが、剣を片手にじりじりと距離を詰めて来る。
「僕をどうするつもりだ。僕は母さんにアグルを渡すんだ。
急いで帰らなくちゃいけないんだ!」
ケリュネの声が震えていた。
「ぐふふふ、痛くないように、一撃で首を刎ねてやるよ」
と、若い男性がケリュネとの間合いを詰めてきた。
裏路地にしどろもどろな口調が響く。
「ちょ、・・・・ちょっと、・・・・・ま、待ちなさい」
男性たちの視線が声の主に集まる。
「ん? なんだ。女か」
「お前も痛い目にあいたいのか。ぐへへへ」
「こっちは大儲け寸前なんだ。すっこんでな」
男たちは、濁った瞳と低い声でマツリを威嚇した。
「・・・・・な、何人も・・・で・・・・私を・・・・見ないでよ。
・・・・しょ、しょうがないわ。・・・・て、手荒な・・・真似はしたく・・・・・なかったんだけど」
マツリは腰の鉾先鈴を高く掲げた。チリリンと高く清らかな音色が響いた。
「見ろよ! この姉ちゃん、声が震えているぜ」
「ぐへへへ、そのへんてこな剣と鈴で、やるっていうのか? 姉ちゃん」
「ぐははははは」
「・・・・・わ、私は・・・・な、何もしません。
・・・・その眼で・・・こ、こっちを・・・・見ないで。不快です」
「言ってくれるね~」
「姉ちゃんも黙って俺たちの獲物になりな」
「ぎひひひひ、たっぷりと楽しんでやるぜ」
マツリは、鉾先鈴で若い男性たちを指し示した。
「日出処の巫女の名において命ずる。
レ、レイ姉、・・・・・こ、こらしめて・・・・やりなさい!」
マツリの最後の言葉が聞こえた瞬間、ケリュネを囲んでいた若い男性たちが次々と倒れていく。
レイは路地の石壁や建物の外壁でジグザグに跳躍し、地面に降りることなく拳と蹴りを叩きこんでいたのだ。レイの動きを目で捉えられた者はいなかった。
「レ、レイ姉、・・・・慈悲よ。て、手加減はしておいて・・・あ、・・・・・お、遅かったか」
「マツリ、大丈夫よ。手と足で小突いただけよ」
レイは息も乱さずに平然と答えた。
「・・・・レイ姉の・・・拳は、・・・・致命傷となる・・・・きょ、凶器です。自覚して・・・・」
「急所は避けたわ」
マツリは両手を広げ、肩を上下に振り呆れていた。
『マツリ、それよりあの精霊の子だ』
『そうね。怪我はないかしら』
マツリがそう言って、ケリュネに視線を向けると、ジンがケリュネを抱きかかえるようにしていた。
「君、もう大丈夫だよ。・・・・あ、外套に血がついている。怪我をしたの?」
ジンはケリュネのフードをめくった。
「あ、角! ・・・・みたいな出っ張りが」
ジンがそう声を上げると、ケリュネはフードを深く被った。
「・・・・助けてくれてありがとう。急ぐので」
「待って。急いでいるのならなおさらだ。安全な場所までは一緒に行く」
ジンがそう声をかけた。
「でも、人間には気をつけなさいと、母さんが言っていた。だから・・・」
そう言って、ケリュネが踵を返した時に、マツリの懐からウルが顔を出した。
『心配するな、大丈夫だ』
ウルが思念会話でケリュネに話しかけた。
「え、精霊?」
ケリュネが振り返った。
『俺は、御先をしている木の精霊ククノチのウルだ』
「木の精霊のウル? 僕は鹿の精霊ケリュネ。
これから急いで山にいる母さんの所へ帰らなければ」
『この街は物騒だ。だから、街の外までは、見ただろう、あの人外の戦闘力を持つレイが護衛する』
ウルの言葉は思念会話のため、レイに聞こえていない。
『ちょっと、レイ姉を人外とは失礼よ』
『ククククッ、妥当な表現だろう』
『・・・・まあ、レイ姉の・・・・強さだけなら確かに』
レイは鼻がむず痒くなって、クシャミをした。
ジンは対等な友達と呼べる男子と接すことは初めてであった。弟のようなケリュネと、身振りを交えながら、楽しそうに会話をして歩いた。
街を出たところで、ケリュネは足早に森の端へ向かって駆け出した。森の端で振り返ってジンを見ると、青白い光と共に水色の小鹿の姿に戻った。
ピィーーーーーーと甲高い音で一鳴きすると、森の奥へと跳ねて行った。
「自分の角を折ってまで手に入れたいとは、よほど大事な用件があったのだろうな」
小鹿のケリュネを見送りながら、ジンがそう呟いた。
【大陸陰暦1020年5月24日
マハーン
怪我をした妖精の鹿、ケリュネに出会った。ジンは弟ができたように喜んでいた。
ケリュネはまだ幼い子なのに、ピィーーーーーーと甲高い鳴き声に気高さを感じた。
きっと、立派な精霊の牡鹿に成長するだろう。
それまで、母さんと幸せに暮らせるといいな。
5月30日まで、あと6日】
<次回 第23話「皇后トクからの刺客『皇七剣』」>




