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日出処の巫女の旅日記  作者: 花野井 京
22/36

22 小鹿の精霊ケリュネ - 2

 バハードゥラン王国の街マハーン


 ケリュネの幼い顔にある2つの眼に、迷いはなかった。

 ケリュネは、深く息を吸い込むと、路地の石壁に頭を打ち付けた。何度も何度も打ち付けた。路地にはガキン、ガキンという金属を打ち鳴らしたような高い音が響いた。

 角を(おお)う肌は裂け血が(にじ)んでいたが、精霊の鹿の角は固く、折れる気配はなかった。


 「ハァ、ハァ、母さん、待ってて」


 痛みで目が(かす)んできたケリュネは、服を脱ぎ捨て大きく息を吸い込むと、全身が青白く輝いた。

 輝きが収まると、そこには四つ足で立つ水色の鹿の姿があった。


 ケリュネは、前足でコツコツと地面を掻き鳴らし、ブフーッ、ブフーッと鼻から激しい息を吐く。


 「母さんは、僕が助けるんだ!」

そう歯を食いしばった。


 ケリュネの水色の体は一直線に石壁まで駆けた。

ガキンと石壁から石の破片が飛び散った。ケリュネが首を左右に振ると、ボキンという鈍い音と共に、産毛と薄皮に包まれた短い角が1本ぽとりと落ちた。


「母さん、もう少しの辛抱だよ」


 ケリュネは、ふらつきながらこの角を咥えた。ケリュネの額の上部からは、真っ赤な血が(したた)り落ちていた。

 ケリュネの体は再び青白く発光すると、人間の体へと変わった。よろけながらフードを深く被り、路地を歩きだした。


 ケリュネは先ほどの薬屋に戻ると、中年の店主に血の付いた肌色の角を差し出した。


 「さっきの坊やか。・・・こ、これは・・・・・・・・」


 「小さいけど精霊の鹿の角だよ」

 「・・・・・これが精霊の鹿の角?」

店主は、ルーペで肌色の産毛の付いた薄皮を(めく)り、中の角を凝視する。


 「・・・・白い角・・・・・普通の鹿と同じ色だ」

と、店主は唇を動かした。


 精霊の鹿の角は、確かに人間の寿命を延ばす神薬として信じられ、高額で取引されていた。しかし、それは雄の成体の角であり、透明で水色に輝く角のことである。

 この白い角は効能も未知である。到底、精霊の鹿の角として、売買できる品ではなかった。


 「・・・・・・・・坊や、一体これをどうやって・・・・・・」


 店主がケリュネの顔を覗くと、フードの中にある頭から血が滴り落ちていた。

 「・・・・・・・ま、まさか・・・・・そんなことが・・・・・・」


 店主は目を閉じた。その(まぶた)の裏には、幼くして亡くなった最愛の息子の笑顔が映っていた。店主は瞼をゆっくりと開いて、ケリュネに温かな眼差しを向ける。


 「坊や、血が出ているようだが」

 「大丈夫」


 「薬屋に来た客の怪我を手当てせずに帰したとあっては、薬屋の名が泣く。

 それに、熱を出しているお母さんも悲しむよ。

 さあ、坊や、フードを取って」


 ケリュネは、店主に正体がばれてしまうということよりも、母さんの高熱を下げたいという一心から、言われるがままにフードを取った。


 左の頭には、ケリュネが差し出した角と同じ、薄皮に覆われた角があり、右には外傷があり、その傷から血が滴っていた。


 「こりゃ、痛々しいな。待ってなさい」

店主はそう言って、傷薬を手に取った。


 

 「・・・・・・これでよし。明日もこの薬を傷に塗るとよい」

そう言って、フードを頭に被せると、軟膏(なんこう)をケリュネに手渡した。


 そして、店主は棚から鞄を取り出すと、アグルの一片をそれに入れ、ケリュネに手渡した。


 「精霊の鹿の角、確かに受け取った。

 その鞄の中身はアグルだ。これで、お母さんの熱が下がるといいな」


 「・・・・・・おじさん、ありがとう。お母さんは熱だけでなく、体も弱っていたの。

 アグルがあれば、薬神ダヌヴァンタリ様にお祈りができます」


 「そうか、よれは何よりだ。さあ、お母さんの下へお帰り」


 ケリュネは鞄を肩にかけ、喜び勇んで店を飛び出して行った。


 カラン、カランと扉の鐘が、まだ店内に響いていた。


 薬屋の店主はケリュネの出て行った扉を見つめ、

 「アミット・・・・」

と、亡き息子の名を(つぶや)いた。

 

 ケリュネが人混みを()き分け足早に歩いていると、不意に手首を掴まれ、そのまま路地裏に引き込まれた。

 そこには、数人の若い男性が剣を抜いていた。


 ケリュネが身の危険を感じ、引き返そうとすると、後ろにも剣を構える男たちがいた。


 「このフードのガキに間違いない。こいつは精霊の鹿だ。さっき鹿になって石壁に体当たりしたのをこの目で見たんだ」


 「こいつが精霊の鹿か。人間にうまく化けたもんだな」

 「ぐへへへ。こんなガキの角を切り取るだけで、俺たちに大金が舞い込む」

 「精霊の鹿となると、角だけじゃなく、肉や革も高く売れるんじゃねえのか」

 「そうかもしれんな。ますます旨い話だ。うへへへ」


 若い男性たちが、剣を片手にじりじりと距離を詰めて来る。


 「僕をどうするつもりだ。僕は母さんにアグルを渡すんだ。

 急いで帰らなくちゃいけないんだ!」

ケリュネの声が震えていた。


 「ぐふふふ、痛くないように、一撃で首を()ねてやるよ」

と、若い男性がケリュネとの間合いを詰めてきた。


 裏路地にしどろもどろな口調が響く。

 「ちょ、・・・・ちょっと、・・・・・ま、待ちなさい」


 男性たちの視線が声の主に集まる。


 「ん? なんだ。女か」


 「お前も痛い目にあいたいのか。ぐへへへ」

 「こっちは大儲(おおもう)け寸前なんだ。すっこんでな」

男たちは、(にご)った瞳と低い声でマツリを威嚇(いかく)した。


 「・・・・・な、何人も・・・で・・・・私を・・・・見ないでよ。

 ・・・・しょ、しょうがないわ。・・・・て、手荒な・・・真似はしたく・・・・・なかったんだけど」

マツリは腰の鉾先鈴(ほこさきすず)を高く掲げた。チリリンと高く清らかな音色が響いた。


 「見ろよ! この姉ちゃん、声が震えているぜ」

 「ぐへへへ、そのへんてこな剣と鈴で、やるっていうのか? 姉ちゃん」

 「ぐははははは」


 「・・・・・わ、私は・・・・な、何もしません。

 ・・・・その眼で・・・こ、こっちを・・・・見ないで。不快です」


 「言ってくれるね~」

 「姉ちゃんも黙って俺たちの獲物になりな」

 「ぎひひひひ、たっぷりと楽しんでやるぜ」


 マツリは、鉾先鈴で若い男性たちを指し示した。


 「日出処の巫女の名において命ずる。

 レ、レイ姉、・・・・・こ、こらしめて・・・・やりなさい!」


 マツリの最後の言葉が聞こえた瞬間、ケリュネを囲んでいた若い男性たちが次々と倒れていく。

 レイは路地の石壁や建物の外壁でジグザグに跳躍し、地面に降りることなく拳と蹴りを叩きこんでいたのだ。レイの動きを目で捉えられた者はいなかった。


 「レ、レイ姉、・・・・慈悲よ。て、手加減はしておいて・・・あ、・・・・・お、遅かったか」


 「マツリ、大丈夫よ。手と足で小突いただけよ」

レイは息も乱さずに平然と答えた。


 「・・・・レイ姉の・・・拳は、・・・・致命傷となる・・・・きょ、凶器です。自覚して・・・・」

 「急所は避けたわ」

 マツリは両手を広げ、肩を上下に振り(あき)れていた。


 『マツリ、それよりあの精霊の子だ』

 『そうね。怪我はないかしら』

マツリがそう言って、ケリュネに視線を向けると、ジンがケリュネを抱きかかえるようにしていた。


 「君、もう大丈夫だよ。・・・・あ、外套に血がついている。怪我をしたの?」

ジンはケリュネのフードをめくった。


 「あ、角! ・・・・みたいな出っ張りが」

ジンがそう声を上げると、ケリュネはフードを深く被った。


 「・・・・助けてくれてありがとう。急ぐので」

 「待って。急いでいるのならなおさらだ。安全な場所までは一緒に行く」

ジンがそう声をかけた。


 「でも、人間には気をつけなさいと、母さんが言っていた。だから・・・」

そう言って、ケリュネが(きびす)を返した時に、マツリの(ふところ)からウルが顔を出した。


 『心配するな、大丈夫だ』

ウルが思念会話でケリュネに話しかけた。


 「え、精霊?」

ケリュネが振り返った。


 『俺は、御先(みさき)をしている木の精霊ククノチのウルだ』


 「木の精霊のウル? 僕は鹿の精霊ケリュネ。

 これから急いで山にいる母さんの所へ帰らなければ」


 『この街は物騒だ。だから、街の外までは、見ただろう、あの人外の戦闘力を持つレイが護衛する』

ウルの言葉は思念会話のため、レイに聞こえていない。


 『ちょっと、レイ姉を人外とは失礼よ』

 『ククククッ、妥当な表現だろう』

 『・・・・まあ、レイ姉の・・・・強さだけなら確かに』


 レイは鼻がむず痒くなって、クシャミをした。


 ジンは対等な友達と呼べる男子と接すことは初めてであった。弟のようなケリュネと、身振りを交えながら、楽しそうに会話をして歩いた。


 街を出たところで、ケリュネは足早に森の端へ向かって駆け出した。森の端で振り返ってジンを見ると、青白い光と共に水色の小鹿の姿に戻った。


 ピィーーーーーーと甲高い音で一鳴きすると、森の奥へと跳ねて行った。


 「自分の角を折ってまで手に入れたいとは、よほど大事な用件があったのだろうな」

小鹿のケリュネを見送りながら、ジンがそう呟いた。


 【大陸陰暦1020年5月24日 

  マハーン

  怪我をした妖精の鹿、ケリュネに出会った。ジンは弟ができたように喜んでいた。

  ケリュネはまだ幼い子なのに、ピィーーーーーーと甲高い鳴き声に気高さを感じた。

  きっと、立派な精霊の牡鹿(おじか)に成長するだろう。

  それまで、母さんと幸せに暮らせるといいな。

  5月30日まで、あと6日】


<次回 第23話「皇后トクからの刺客『皇七剣』」>

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