4 入城
2020.11/23 更新分 1/1
「なんだ、お前たちは? ここはペルセイ様のお屋敷であるぞ」
槍を携えた守衛のひとりが、不審の念をあらわに言いたてた。
しかし魔女キョウラは、怯んだ様子もなく微笑をたたえている。その手もとから、再び紫色の煙がたちのぼっていた。
「わたしたちは、このお屋敷のご主人に招かれて出向いてきたのよぉ……こんなのは、いつものことでしょう……?」
紫色の煙に鼻腔をくすぐられると、守衛の男たちはとろんと眠たげな眼差しになった。
「それはそうだが……今日、新たな女人がやってくるなどとは聞いておらん……」
「女遊びにうつつを抜かして、あなたたちに連絡を入れるのを忘れてしまったのじゃないかしらぁ……? それだって、いつものことでしょう……? まったく、困ったご主人よねぇ……」
「うむ……ペルセイ様の色狂いには、我々も手を焼かされているからな……」
「それじゃあ、通していただけるかしらぁ……? ご主人は、首を長くしてわたしたちを待っているはずだからねぇ……」
2名の守衛たちは弛緩した表情で、鉄格子の門を開け放った。
門から建物への間にも、灰色の敷石が敷き詰められている。それを踏み越えて屋敷の玄関に到着すると、そこにもまた新たな守衛たちが待ちかまえていた。
その守衛たちも催眠の秘薬で陥落させると、今度は年若い侍女が現れる。その侍女も、辿る末路は同一であった。
「ペルセイ様は、執務室におられます……こちらにどうぞ……」
荷車は別の従者に託し、一行は屋敷に足を踏み入れる。
煉瓦造りの、立派な屋敷である。フィリアはきょろきょろと視線をさまよわせてから、侍女について歩く魔女キョウラの耳もとに口を寄せた。
「従者長って、こんなに立派なお屋敷に住めるものなのですねー。というか、そういう方々はお城で暮らしているのかと思っていましたー」
「ペルセイというのは、ちょっと特殊な立場であるようよぉ……貴族たちの言いつけに従って、美しい男女をかき集めるのが一番のお役目であるみたいねぇ……それで、その功績からこんな屋敷を与えられることになったらしいわぁ……」
人の悪い笑みを浮かべつつ、魔女キョウラはそのように囁いた。
「やっていることは、奴隷商人と変わらないみたいだけどねぇ……石の都には相応しい頽廃っぷりでしょう……?」
「そうですねー。不法侵入した罪悪感が、ちょっぴり緩和されたみたいですー」
フィリアがそのように答えたとき、執務室とやらに到着した。
夢見心地の侍女が来客を告げると、扉の向こうから「何用か!?」という荒っぽい声が返ってくる。
「ペルセイ様に召されたという3名の女人をご案内いたしました……どのように取り計らいましょうか……?」
「女人だと!? 農村で買った娘たちが届けられるのは、明日のはずだ!」
侍女はぼんやりと魔女キョウラを見返した。
魔女キョウラは、にいっと妖しく唇を吊り上げる。
「ご主人は、何か記憶違いを起こしているようねぇ……あとは自分でなんとかするから、あなたは下がっていてちょうだい……」
「かしこまりました……何かご用事があれば、お申しつけくださいませ……」
侍女は夢遊病者のような足取りで立ち去っていった。
魔女キョウラは回廊の左右を見回してから、素早く扉を引き開ける。
「な、何だ、お前たちは――!」
大きな卓で何か書き物をしていた壮年の男が、仰天した様子で飛び上がる。でっぷりと肥えた、四十がらみの男である。
フィリアとヘルも入室し、背後で扉が閉められると、魔女キョウラは怪鳥のように宙を舞って、その男に躍りかかった。
男は椅子ごとひっくり返り、魔女キョウラはその胸もとを右足で踏みつける。
「初めまして、従者長ペルセイ……大義のために、あなたの存在を利用させてもらうわよぉ……?」
魔女キョウラは外套の下から硝子の小瓶を取り出すと、その中身を男の顔面にぶちまけた。
小瓶の中身は、どす黒い液体である。しとどに濡れた男の顔からは、しゅうしゅうと音をたてて紫色の煙がたちのぼった。これまでの手管で見せていた煙よりも、格段に濃密な色合いである。
「聞きなさい……わたしたち3人は、あなたに買われてこの屋敷にまで連れてこられた、下賤の旅芸人……あなたは城の侍女を補充するために、わたしたちを銀貨で買ったのよぉ……」
「城の侍女を……補充……」
「そう……侯爵からそんな命令は下されていないけれど、あなたの判断でそうしたの……だからあなたは、これからわたしたちを城に連れていかなければならないのよぉ……?」
「城に……連れていかなければならない……」
ペルセイの声は、ほとんど夢うつつであった。
鼻をつまんだフィリアが横から覗き込んでみると、肉厚の顔はだらしなく弛緩して、口の端からよだれを垂らしている。正気を失ったその瞳は、すがるように魔女キョウラの美貌を見上げていた。
「それじゃあ、準備をなさい……荷車を出して、わたしたちを城に送り届けるの……」
「荷車を出して……城に送り届ける……」
魔女キョウラが身を引くと、ペルセイはのろのろと起き上がった。
どす黒い液体はすっかり蒸発して、跡形もなくなっている。しかしペルセイは虚ろな目つきのままであり、その身体は左右にゆらゆらと揺れていた。
「よだれぐらい拭きなさいよぉ……ほら、あなたはこの屋敷の主人なのでしょう……? 主人は主人らしく振る舞いなさい……?」
「うむ……それでは、城に向かうとしよう……」
頼りなげな足取りで部屋を横断したペルセイは、扉から顔を出して従者を呼びつけた。これから城に向かうので、荷車の準備をせよ、とのことである。その肥え太った後ろ姿を眺めながら、フィリアは再び魔女キョウラの耳もとに口を寄せることになった。
「見事なお手並みですねー。こんな簡単に人を操れるなら、いくらでも悪用できそうですー」
「うふふ……だから、己を律する力が必要となるのよぉ……悪行のためにこんな真似をしていたら、人間の魂なんてあっという間に闇に堕ちてしまうからねぇ……」
「だから普通の魔女さんたちは、掟によって悪行を禁じている、というわけですかー。外道の魔女さんがどれだけ危うい橋を渡っているのか、わたしにもだいぶん理解できてきた気がします」
「ふぅん……? またあなたに嫌われちゃったかしらぁ……?」
「いえ、その反対です。自分の魂を危険にさらしてまで世界を守ろうとするあなたの心意気には、深い感銘を受けてしまいました」
そう言って、フィリアはにこりと微笑んだ。
「そして個人的な見解を申し上げますと、わたしはあなたのことを非常に好いたらしく思っております。これはどうあっても、他の魔女さんたちと和解してもらわなくてはなりませんねー」
「あらそう……わたしもあなたのことは大好きだけれど、そんな風に言われてしまうと拍子抜けねぇ……嫌がる相手を追いかけ回すほうが、わたしの気性には合っているのかしらぁ……」
「それは難儀な気性でありますねー」
それからしばらくして、出立の準備が整ったとの言葉が従者から届けられた。
屋敷を出ると、きわめて立派な車が待ち受けている。ペルセイとともに乗り込むと、車は軽快に動き始めた。
「守衛に見とがめられないように、剣は隠しておかないとねぇ……ヘル、頼んだわよぉ……」
腰から外した3本の剣を、車に準備されていた織物でひとまとめにする。そんな作業をしている間も、ペルセイはぽけっと虚空を見やっていた。
侯爵の城はすぐ隣であるので、待つほどもなく御者から到着が告げられる。ペルセイが顔を出して事情を述べると、車の内部をあらためられることなく、城門の通過を許された。
「順調ですねー。わたしが王都に出向いたときとは大違いですー」
「問題は、ここからよぉ……この城には、邪神教団の信徒が何百人も待ち受けているのだからねぇ……」
「ふむふむ。しかし、いくら立派な城であっても、そんなにたくさんの人間が身を潜められるものなのでしょうか?」
「あらぁ……わたしの言葉を疑っているのかしらぁ……?」
「いえいえ、滅相もない。でもでも、たとえこれが王都の宮殿であっても、そんなにたくさんの人間が身を潜めることはできないと思うのですよねー」
「きちんと調べはついているから、心配は無用よぉ……ただ、説明している時間はないみたいねぇ……」
車が再び停止して、扉が大きく開けられる。そこに立ちはだかっていたのは、やはり厳めしい格好をした衛兵たちであった。
「新入りの侍女を連れてきたそうだな。ずいぶん急な話だったではないか」
「はい……ですが、侯爵様にもご満足いただけるかと思われます……」
しまりのない笑みを浮かべながら、ペルセイは地面に降り立った。
フィリアたちも、それに続いて車を出る。織物に包んだ3本の長剣は、ヘルが小脇に抱えていた。
「ずいぶん見すぼらしい女人どもだな。また農村から買いつけてきたのか?」
「いえ……この者たちは旅芸人に身をやつしておったのですが、それには惜しい器量を備えておりましたので……わたくしが侍女として躾けようと話を持ちかけたのでございます……」
ペルセイの言葉に応じるように、魔女キョウラは頭巾を背中にはねのけた。
フィリアとヘルもそれに続くと、衛兵の男は「ふむ」と下顎を撫でさする。
「なるほど、なかなかの器量であるようだ。しかし、下賤の旅芸人などをお城の侍女にあてがおうとはな」
「はい……貴き方々に失礼がないよう、わたくしが責任をもって躾ける所存でございます……」
衛兵の男は、うろんげに眉をひそめる。
「どうでもいいが、お前はずいぶんと気の抜けた顔をしているな。まさか、昼から酒でも飲んでいるのか?」
「いえ……いくぶん体調がすぐれなかったため、薬を口にしたのですが……その薬には、眠りを誘う成分も含まれているのでございます……」
「ふむ。何かおかしな病魔ではあるまいな? そのようなものをお城に持ち込んだら、たとえお前でも斬首はまぬがれんぞ」
「いえいえ……恥ずかしながら、酒が過ぎて腹を下しただけのことですので、ご心配には及びませぬ……」
そんなやりとりを交わしたのち、一行はついに入城を許された。
王都の宮殿にもひけを取らない、豪奢な城である。ペルセイは迷う様子もなく回廊を進み、フィリアたちをとある一室まで送り届けた。
「ここが、侍女の控えの間となる……わたくしは侯爵様にご挨拶をしなければならんので、しばらく控えているがいい……」
「わかったわぁ……どうぞごゆっくりぃ……」
魔女キョウラは鼻で笑いながら、恐れげもなく扉を引き開けた。
そこは大きな広間であり、端のほうにはいくつもの寝台が並べられていた。夜間には、ここで身を休める侍女も多いのだろう。現在は、誰の姿もない。
「さあ、それじゃあ着替えましょうかぁ……」
「え? 何に着替えるのです?」
「何って、侍女のお仕着せに決まっているでしょう……? こんな姿で城の中をうろついていたら、人の目を引いてしかたないもの……」
衣装棚にお仕着せの予備が準備されていることを確認してから、魔女キョウラは外套を脱ぎ捨てた。
そして、その下に着込んでいたけばけばしい装束も、するりするりと床に落としていく。じょじょにあらわにされていく魔女キョウラの肢体に、フィリアは「うひゃー」と目を見張った。
「い、衣服の上からでも見当はついておりましたけれど、外道の魔女さんって素晴らしく発育がよろしいですよねー」
「あらぁ、それって褒められているのかしらぁ……? 魔術師にとって、齢を重ねた姿というのは、何の自慢にもならないのだけれどねぇ……」
魔女キョウラは、16の齢で魔術を習得し、そこから肉体の衰えがゆるやかになったのだと、フィリアは聞いている。それならば、肉体上の年齢はほとんどフィリアと変わらないはずであったが――肌着ひとつになった魔女キョウラは、そうとは思えないほど艶めかしい肢体をしていた。
背丈も体重もフィリアと同じぐらいであるようなのに、実に起伏にとんだ体つきをしている。肌着の胸もとは大きく押しあげられて、腰はきつく帯でも締めているかのようにくびれており、剥き出しになった足は目を奪われるような美しい曲線を描いていた。
「さあ、あなたたちもとっとと着替えてちょうだい……ええと、秘薬はどこに隠していこうかしらぁ……」
魔女キョウラは肌着姿のまま、侍女のお仕着せの検分を始める。
ひとつ溜め息をついてからヘルのほうを振り返ったフィリアは、「ほわあ!」と雄叫びをあげることになった。
「ら、裸身! 裸身です! どうしてそんな、あられもないお姿をさらしてらっしゃるのですかー!」
「うるさいねえ。あたしが纏っていたのはみんな身体の一部なんだから、そいつを全部吸い込んだだけさ」
一糸まとわぬ裸身となったヘルは、傲然とした面持ちでフィリアを見下ろしていた。
こちらはもう、魔女キョウラとも比較にならぬほどの肉感的な肢体である。しかも彼女は白膚症であるために、その肉体は陶磁器のように白く、それがいっそうその裸身を圧倒的なものに仕立てあげていた。
「な、なるほろ。従者のみなさんが本性をあらわにするときも、後に衣服が残されたりはしませんものねー。衣服もすべて肉体の一部であったのですかー。長年のささやかな疑問が解消された気分ですー」
「やかましいね。ご主人の言葉が聞こえなかったのかい? ひとりで服を脱ぐこともできないんだったら、あたしがひんむいてやろうか?」
「いえいえ! そんなお手間を取らせるには及びませんです!」
ヘルは「ふん」と鼻を鳴らしてから、侍女のお仕着せを纏い始めた。
秘薬の仕込みを終えた魔女キョウラも、同じ装束に袖を通している。その切れ長の目が、笑いを含みながらフィリアを見やった。
「どうしたのよぉ……? すぐに出発したいのだから、準備を済ませてもらえるかしらぁ……?」
「しょ、承知いたしました。ですけれど、あの……わたしはあっちの端っこで着替えてきますので、なるべく見ないでいただけますか?」
「どうしてよぉ……? 見られたって、減るものじゃないでしょう……?」
「そこは察してくださいませ! 乙女心は複雑であるのです!」
お仕着せをひとそろえ抱え込んだフィリアは、逃げるように広間の奥へと走り去った。
魔女キョウラたちには背を向けて、いそいそと着替えを開始する。その間に、魔女キョウラは自分と従者の長い髪をそれぞれ飾り紐でくくった。
「さあ、これで準備は万端ねぇ……フィリアのほうも、いいかしらぁ……?」
「ええ、まあ、こちらはなんとか。でも……」
「でも、何よぉ……?」
「そんな妖艶なるお姿をした侍女なんて、どこの城にも存在しないと思いますよー。けっきょく人の目を集めてしまうのではないでしょうかねー?」
「そのときはそのときよぉ……あなただって、なかなか可愛らしい姿をしているじゃない……?」
「はいはい。わたしなんかは、いかにも侍女らしい風体でありましょうからねー」
「王家の姫君であった人間が、何を言っているのよぉ……それじゃあ、出陣ねぇ……」
魔女キョウラは、にこりと微笑んだ。
これから死闘に臨む人間とは思えぬような姿であったが、その瞳には早くも煮えたぎる溶岩のごとき熾烈な輝きが宿り始めていた。




