5 暗き牢獄
2020.11/17 更新分 1/1
そうしてフィリアは速やかに、罪人として投獄されることになった。
『裁きの塔』と呼ばれる牢獄の一室である。灰色の煉瓦で造られたその牢獄は、壁も床もじっとりと湿っており、鍾乳洞よりも陰鬱な雰囲気であった。
牢獄に準備されているのは、粗末な寝台と不浄を収めるための壺のみである。
その薄汚れた寝台の上でぽけっと座り込んでいたフィリアは、ふいにすべての力を失って、横合いに倒れ込んだ。
「……わかってましたよ。どーせこんなことになるんだろうなーって思ってたんです」
誰にともなく、フィリアはそんな風につぶやいた。
牢獄の扉は鉄の格子でできていたので、外に見張りの兵士でも立っていれば、丸聞こえであろう。しかしフィリアはこの10日間、アデリールの耳をはばかって独り言を我慢していたので、もう限界に達してしまっていた。
「石の都なんて、こんなもんです。だからわたしはこんな場所、だーい嫌いだったんです。そんな場所にのこのこ戻ってきたもんだから、こんな目にあっちゃったんでしょうねー」
つぶやきながら、フィリアは右手に握りしめていたものを目の前にかざした。
魔女エマから託された、虎目石の首飾りである。
この場所に投獄される際、フィリアは何の飾り気もない灰色の長衣に着替えさせられて、この首飾りもあわや強奪されそうなところであったのだが――兵士の手から首飾りを奪い返し、胃の中に呑み下すことによって難を逃れたのだった。
「文句があるなら、このお腹をかっさばいてくださいよ! さあさあ、お好きにどうぞ!」
兵士は閉口した様子で、フィリアの腹を裂こうとはしなかった。
そうして獄中の人となったフィリアは、胃の中身を残らず嘔吐して、無事に首飾りを手にすることがかなったのだった。
無茶な真似をしたために、咽喉の奥はずきずきと痛んでいる。吐瀉物は血にまみれていたので、咽喉の奥がぞんぶんに傷つけられたのだろう。しかし、寝台の薄汚れた毛布でぬぐった虎目石の首飾りは、変わらぬ輝きを保ってくれていた。
(お師匠さん、どうしましょう……わたし、くじけてしまいそうです)
魔女エマの存在は石の都の人間の耳に入れたくなかったので、フィリアは心の中でつぶやいた。
(お師匠さんたちと過ごしている間は、こんな気持ちも忘れることができたのに……わたしの中に、また憎悪の念があふれかえっています。このままだと、わたしは……北の魔女さんみたいに、道を踏み外してしまいそうです)
虎目石は、魔女エマの瞳のように輝いている。
しかし、フィリアの声に応えてくれたりはしない。
冷たい首飾りを握りしめながら、フィリアはぎゅっとまぶたを閉ざした。
フィリアは、父殺しと兄殺しの嫌疑をかけられてしまったのだ。
しかも告発者は、王姉の息女であるベルディカだ。アデリールは、王姉かベルディカこそが王殺しの大罪人であると見なしていたのに、その相手から罪をなすりつけられてしまったのである。
実際に、ベルディカたちが王殺しの大罪人であるのかはわからない。
ただわかるのは、彼女たちが王国の権力者であり、フィリアはそうではないという、その事実のみだった。
フィリアが何を抗弁しようとも、耳を貸す人間はいないだろう。
アデリールぐらいは擁護してくれるかもしれないが、騎士である彼女に大きな権力はない。この石の都においては、権力こそが絶対であるのだった。
(それに、もしかしたら……ベルディカたちは潔白で、本当にただわたしを疑っているだけなのかもしれない。わたしは実際に、父様や兄様たちを憎んでいたから……疑われたって、おかしくない立場なんだ)
あるいは、フィリアが王都に戻るという報告を受けて、玉座を奪われるのではないかと危ぶんだのだろうか。それでフィリアを冤罪によって陥れようと考えた――というのも、十分にありえる話である。
何にせよ、フィリアが王都に戻ってきたために、このような騒ぎになってしまったのだ。
フィリアはがばりと身を起こすと、「うがー!」とわめき声をあげた。
「やっぱりわたしは、こんな場所に戻るべきじゃなかったんですよー! 最初から、そうやって力説してたじゃないですかー! それなのに、どうしてわたしがこんな目にあわなくちゃいけないんですかー!」
人の耳もはばからず、フィリアはおもいきりわめきたてた。
そうでもしないと、心の奥に生まれ出た暗黒に呑み込まれてしまいそうであったのだ。
「お師匠さんのばかー! わからずやー! これでわたしが魂を返すことになったら、怨霊になっちゃいますからねー!」
寝台の上で、フィリアはじたばたと手足を動かした。
そこに――「ぐえっ」といううめき声が聞こえてきた。
フィリアは眉を吊り上げて、扉の外をにらみすえる。
「なんですかー? わたしは鬱憤をぶちまけている最中なのですから、邪魔しないでくださいよー!」
答える者はいなかった。
ただ、何か重いものが床に落ちたような音が響く。
そうして鉄の格子の向こう側に、長身の人影が現れた。
「フィリア姫、どうかお静かに……いま、お救いいたします」
それは、アデリールであった。
きょとんと目を見開くフィリアの前で、格子の扉が開け放たれる。アデリールの手には、それを開くための鍵束が握られていた。
「え……だ、脱獄をするのですか?」
「はい。このままでは、フィリア姫が危険です」
薄暗がりの中で、アデリールの双眸は静かに燃えていた。
フィリアは一瞬だけ迷ったが、すぐに心を定めることができた。何にせよ、この牢獄に留まっていれば、待ち受けるのは破滅のみであるのだ。いまさら王国の法を踏みにじることを躊躇う理由は、微塵も存在しなかった。
「さあ、こちらに。この外套で、姿をお隠しください」
アデリールは黒い外套を纏っており、同じものをフィリアに手渡してきた。
それを受け取ろうとしたフィリアは、まだ首飾りを握ったままであったことに気づき、それを首にひっかける。そうして外套を纏いつけ、頭巾を深くかぶってみせると、アデリールはひとつうなずいて、牢獄の外に出た。
扉の外では、ふたりの守衛が寝転がっていた。
刀は鞘に収められたままであり、口からは泡を噴いている。生きてはいるようだが、完全に昏倒していた。
「すごいですねー。いったいどうやって、このおふたりを眠らせたのです?」
「東の王国から伝わる、毒の吹き矢というものを使いました。半日もすれば、毒は抜けるでしょう」
「毒の吹き矢ですかー! アデリール先生がそのようなものを使うなんて、意外です!」
「シッ! 他の囚人の耳もありますので、わたしの名を呼ぶのはお控えください」
アデリールは鋭い眼差しで左右を見回してから、やがて右の方向に進み始めた。
その後を追いながら、フィリアはふっと首を傾げる。
「わたしが連れてこられたのは、逆方向ですよ。そちらにも出口があるのですか?」
「はい。さすがに正面から乗り込むことはできませんので。隠し通路を使うことになりました」
「へえ! そのようなものが存在するのですかー」
通路の片面には同じような格子の扉がいくつも存在したが、この暗さではどのような人間が投獄されているのかも見て取ることはできなかった。
やがて通路の突き当たりまで到着すると、アデリールはその横手にある扉を開いた。
フィリアが投獄されていたのと変わるところのない、牢獄である。そこにフィリアを招き入れてから、アデリールは格子の隙間から腕を出して、鍵を締めた。
「少々お待ちください」
アデリールは湿った床に這いつくばり、寝台の下に潜り込んだ。
寝台の下から、ゴトリと硬い音色が響く。
「フィリア姫、お先にどうぞ。わたしは扉を閉めなければならないので、後から参ります」
「はーい」と、フィリアは寝台の下に潜り込んだ。
寝台の下には四角い穴が空いており、その下は石の階段になっていた。
最初の段に火のついた燭台が置かれていたので、それを除けながら階段を下る。その中ほどで待っていると、やがて燭台を手にしたアデリールが追ってきた。
「お待たせしました。足もとにお気をつけながら、お進みください」
「すごいですねー。どうしてアデリール先生が、こんな隠し通路をご存知なのですか?」
「わたしの協力者が、教えてくれたのです。わたしも『裁きの塔』にこのような仕掛けがあるなどとは想像もしていませんでした」
苦い怒りをにじませながら、アデリールはそう言った。
「おそらくは……身分の高い罪人を、ひそかに逃がすための仕掛けであったのでしょう。『裁きの塔』が建立された時代から、そのように邪なことを考える人間が存在したということです」
「なるほどー。そんな昔から、石の都には性根の悪い方々がおられたのですねー」
「はい。恥ずべき話です」
アデリールは王国の倫理を重んずる人間であるので、忸怩たる思いであるのだろう。
しかし、そんな悪辣な人間がいたからこそ、フィリアは自由を手にすることができたのだ。フィリアとしては、文句を言える筋合いではなかった。
階段は、10段ほどで終わりを迎えた。
その下に待ち受けていたのは、ごつごつとした岩の通路である。天然の鍾乳洞を利用したものであるのか、足もともそれほど平坦ではなく、明かりなしには歩くのも難しいほどであった。
「こちらです。はぐれないように、お気をつけください」
燭台をかざしたアデリールを追って、フィリアも闇の中に足を踏み出した。
魔女たちの住処に通ずる鍾乳洞や洞穴であれば、何かしらの光源が準備されているものであるが、石の都ではそうもいかない。ただその代わりに、妖魅に襲われる心配も無用であるはずだった。
(何せここは、王都のど真ん中なんだもんな。魔力は完全に枯渇していて、妖魅も精霊さんも住めないはずだよね)
そんな風に考えながら、フィリアは闇の中を歩き続けた。
道は途中でいくつも枝分かれしていたが、アデリールは迷うことなく突き進んでいく。そうして四半刻ばかりも歩き続けると、やがてさきほどと同じように石の階段が出現した。
「こちらです。危険はないはずですが、どうかお静かに」
今度はアデリールが先頭となって、石段を上がっていく。
その突き当たりは、平たい石の壁にふさがれていた。
アデリールが低く呼びかけると、石の壁は音もなく横に開いていく。その向こう側には、ぼうっと白い光が灯されていた。
「さあ、どうぞ」
フィリアの足もとを照らしながら、アデリールが手を差しのべてくれた。
「ありがとうございます」と、フィリアも薄明かりの中に足を踏み入れる。
そこは、石造りの一室であった。
むろん、牢獄ではない。足もとには敷物が敷かれており、椅子や卓などの調度も設えられている。光源は、壁に掛けられた燭台であった。
「お疲れ様でございました……ご無事で何よりでございます……」
その部屋にひっそりとたたずんでいた人物が、一礼してきた。
フィリアやアデリールと同じように、黒い外套と頭巾で人相を隠している。声の感じからして、あまり若くない男性であるようだった。
その人物が壁をまさぐると、大きな棚が横に動いて、フィリアたちの入ってきた四角い穴をぴたりと閉ざした。
魔術ならぬ、石の都のからくりであろう。
「どうぞこちらに……皆、フィリア様のご到着を待ちわびておりました……」
男はきびすを返して、部屋の出口へと足を向けた。
アデリールがそれを追おうとしたので、フィリアは「あのー」と声をかける。
「わたしを待っていたって、なんのお話でしょうか? わたし、王都にそれほど知人はいないはずなのですが……そもそも、あの御方はどなたなのでしょう?」
「あれは、フィリア姫こそが新たな王に相応しいと信ずる人間のひとりです。そういう志を抱いた者たちが、フィリア姫のお帰りを待ちわびていたのですよ」
頭巾の陰で、アデリールはやわらかく微笑んだ。
アデリールがこれほどに柔和な表情を見せるのは珍しかったが、フィリアとしては気が重かった。自分が王になるつもりなど、フィリアはさらさらないのである。
「まずは、その者たちと言葉をお交わしください。そうすれば……フィリア姫のお心にも変化が生じることでしょう」
「そのようなことは、絶対にないと思いますけれどねー」
しかし、牢獄に逆戻りするわけにもいかないので、フィリアもアデリールたちの後を追うしかなかった。
男はすでに扉をくぐって、姿を消している。それを追いかけて、部屋の外に出てみると――思いがけないほど、広々とした空間が待ち受けていた。
石造りの、巨大な広間である。
いくつもの燭台が掲げられていたが、それでも全容を把握しきれない。天井などは遥かな頭上であり、完全に闇に閉ざされてしまっていた。
「お待ちしておりました、フィリア様……」
その薄暗がりに、大勢の人間が立ち並んでいた。
総勢で、10名以上はいるだろう。その全員が、黒い外套を纏っている。屋内でこのように外套を纏うのは、あまり普通の話ではなかった。
「ちょっと待ってください、あなたたちは……」
と、フィリアは反射的に腰をまさぐった。
しかし、現在のフィリアは刀を携えていない。
「どうされたのですか、フィリア姫?」
アデリールが、不思議そうに問うてくる。
その口もとはやわらかく微笑んでいたが、目もとは頭巾に隠されており、その内心はうかがい知れなかった。
「……わたしはつい最近、あなたがたとよく似た風体をした方々を目にしたことがあります。もしかしたら、あなたがたは――」
そこでいったん呼吸を整えてから、フィリアはその言葉を口にした。
「……あなたがたは、邪神教団と呼ばれる方々なのではないですか?」
男たちは、驚いた様子もなく立ち尽くしている。
その中から、ひとりの男が穏やかな声で答えた。
「フィリア様は、何か誤解をされておるようです……我々は、そのような存在ではございません……」
「……そうなのですか? 本当に?」
「はい……我々は、邪神と貶められている神々に、正当な座を復権させるために腐心する信徒の集まりでございます……」
そう言って、男は口もとだけでやわらかく微笑んだ。
そのかたわらでは、アデリールも同じ表情で微笑んでいた。




