10 大神の憤激
2020.11/10 更新分 1/1
外道の魔女キョウラの隠れ家で丸一日を治癒に費やしたのち、一行は再び氷雪の洞穴に踏み入っていた。
深手を負った者たちも、癒やしの秘薬の恩恵ですっかり力を取り戻している。しかし、それらの顔にはいずれも張り詰めた表情がたたえられていた。
魔女たちは全員が素顔をさらしており、従者たちは全員が本性をさらしている。決戦に臨むにあたって、わずかでも魔力の消費を抑えようという目論見である。3名の幼女と、2名の少女と、黒狼と竜亀と雷王鳥と白蛇が連れ立って歩いている姿は、異様の一言に尽きた。
「……ふん。昨日はわずかに残されていたこの地の魔力も、すっかり屍神に吸い上げられてしまったようじゃな」
凍てついた地面を無言で歩いていた魔女エマが、ふいにそのようにつぶやいた。
「おそらくは、北の領土のすべてが同じ有り様であるのじゃろう。北の魔女と屍神めを討ち倒したとしても、この地はもはや精霊も妖魅も住めぬ地に成り果てるじゃろうな」
「はん。余所の地よりも数年か数十年ばかり先に、魔力が枯渇するってだけの話だろ。北の魔女の後釜を育てる手間がはぶけるんだから、けっこうな話じゃねーか」
魔女ドルガがせせら笑うと、魔女エマは横目でそちらをねめつけた。
「これは、正しき運命から外れた行いじゃ。その影響は、他の地にまで及ぶかもしれんぞ」
「だからって、今さらどうしようもねーこったろ。どうしようもねーことをうだうだ取り沙汰するのは、時間の無駄だ」
魔女ドルガは、青い瞳を火のように燃やしながら言い捨てた。
「俺様たちのやるべきことは、昨日から何も変わっちゃいねー。邪神なんぞを呼び出したくそったれを粉々にしてやるだけだ。……まさか、北の魔女野郎をぶっ潰すことを躊躇ってるんじゃねーだろうなあ?」
「あやつの魂は、すでに闇に取り込まれた。闇に堕ちた同胞を滅するのも、我らの使命じゃろうが」
そのように言いたててから、魔女エマはてくてくと歩いているフィリアへと向きなおった。
「……とはいえ、北の魔女を相手取るのは、おぬしの役割となる。たとえ闇に堕ちようとも、あやつは人間の姿を保っておるわけじゃが……おぬしに、あれを斬ることがかなうか?」
「はい。斬れますよー」
フィリアは平然と、そのように答えた。
「わたしが躊躇ったりしたら、お師匠さんたちに危険が及ぶかもしれないのですからねー。それを思えば、人を殺める罪悪感なんて何ほどのものではありません!」
「キヒヒ。弟子野郎のほうが、よっぽど胆が据わってるじゃねーか」
「やかましいわい」と言い捨てて、魔女エマは歩を止めた。
水晶の広場に到着したのだ。
全員が申しあわせたように口をつぐみ、壁に背をつけて、断崖の下を覗き込む。
広場の真ん中に、魔女リリアナと屍神の姿があった。
屍神は触腕を八方にのばした体勢で、ぴくりとも動かない。ただし、その巨体の内には凄まじいまでの瘴気が渦巻いている。
魔女リリアナはその正面に立って、何か呪文を唱えていた。
大地の魔力を吸い尽くさんとする屍神に、魔術で手助けをしているのだろう。その呪文に呼応するかのように、広場を形成する水晶が妖しい光をゆらめかせていた。
「うん……こっちの読み通り、配下の妖魅や眷族を呼び出した様子はないわねぇ……魔力はすべて屍神に集めて、大神を覚醒させるための触媒にしようとしているんだわぁ……」
魔女キョウラが、笑いを含んだ声で囁く。
「それじゃあ、覚悟は固まったかしらぁ……? 下に降りたら、わたしはすぐに魔術を発動させるわよぉ……?」
「えーと、ここで魔術を発動させてから下に降りる、というわけにはいかないのでしょうか?」
フィリアが問いかけると、魔女キョウラは「当たり前でしょう……?」と唇を吊り上げた。
「さっきの会話を聞いていなかったのかしらぁ……? この地には、もう魔力が残されていないのよぉ……こんな場所で魔術を発動させようとしたら、わたしの魔力が尽きてしまうわぁ……」
「あー、そうでしたね。魔術に対する理解が乏しくて、申し訳ない限りなのです」
「うふふ……もっとお師匠に、しっかり教えを乞うべきでしょうねぇ……」
魔女キョウラは、無言でたたずむ従者たちに目をやった。
「それじゃあ、ひとつだけ確認しておくわよぉ……? どれだけ傷ついてもかまわないけれど、決して生命を落とさないようにねぇ……わたしの魔術を発動させている間に、あなたがたが生命を落としてしまったら……たぶん、その魂は大神のもとに返ることもできずに、塵と化してしまうでしょうからねぇ……」
『……ちぇ。ロクでもない魔術を考案してくれたもんだね』
そのように応じたのは、雷王鳥のカーラであった。
黒狼のジェラもまた、不穏に燃える目で白蛇ヘルの巨体をねめつける。
『あなたと運命をともにするなんて、心の底から忌まわしく思います。これで生命を落とそうものなら、私の怨念が妖魅と化してしまうことでしょう』
『だったらせいぜい、死なない努力をすることだねえ。あたしだって、あんたたちなんかと一緒に破滅するのはまっぴらさ』
魔女キョウラはくすくすと笑いながら、懐に差し込んだ手を従者たちに突きつけた。
「それじゃあ、これをお呑みなさい……わたしの魔術を完成させるための、魔道具よぉ……」
それは、4つに割られた柘榴石であった。
黒狼と白蛇と雷王鳥と竜亀が、それぞれ一片ずつを呑み下す。
これで、前準備は整った。
「では、行くぞ」
魔女たちは、それぞれの従者にまたがった。
魔女ドルガだけは従者に肩をつかまれて、ひとり優雅に断崖の下へと舞い降りる。それ以外の聖獣たちは、急斜面の断崖をそれぞれ滑り降りることになった。
「やっと来たのね……待っていたわよ、あなたたち」
魔女リリアナが、ゆらりと振り返った。
まだ距離はあるのに、その紫色の瞳が爛々と燃えているのが見て取れる。
「あなたたちが逃げ出してしまったせいで、術式の完成が1日も遅れてしまったわ。あと半日も待たされていたら、南や東の精霊王のもとまでおもむくしかなかったでしょうね」
「うふふ……だけどやっぱり、大地の魔力をこれ以上かき集めるのは避けたかったみたいねぇ……せっかく大神を覚醒させても、大地の魔力が枯渇しきっていたら、どうなるか知れたものではないものねぇ……」
魔女キョウラが挑発的に声をあげると、魔女リリアナの眼光がいっそうの激情をたたえた。
「その声……あなたが、外道の魔女ね? 昨日はずいぶん、愉快なことをしてくれたじゃない」
「おほめに預かり、光栄だわぁ……今日はもっと愉快な真似をするつもりだから、どうぞお楽しみにねぇ……」
そのように言い放つなり、魔女キョウラは右腕を振りかぶった。
「術式は、完成したわぁ……世界の安息のために、せいぜい頑張りなさぁい……」
4名の従者の姿が、赤く照り輝いていた。
無言のままに、従者たちは寄り集まっていく。やがてその輝きは目も眩むほどの強さとなり、フィリアに「ふわあ」と声をあげさせた。
真紅の輝きは炎のように燃えさかり、周囲の水晶をきらめかせる。
その内からは、4名の従者たちのあげる苦悶の絶叫が響きわたっていた。
魔女リリアナは悠然と腕を組みながら、「ふん」と鼻を鳴らす。
「なんておぞましい声でしょう。ずいぶん不細工な魔術を考案したものねえ」
「恐縮だわぁ……なにせ独学なものだから、多少の見苦しさはお目こぼししていただきたいところねぇ……」
大きく広がった真紅の輝きが、今度は中央に向かって凝縮していく。
やがてそれは、奇怪なる獣の姿を構築し始めた。
首から上は、竜である。
胴体と四肢は、狼のそれだ。ただし、全身に刃物のごとき鱗が生えている。
さらに背中には大きな翼が生えのびて、尻尾は胴体よりも長くのびていく。
その瞳は、黒と赤と黄と緑が複雑に入り乱れ、水晶よりも絢爛に輝いていた。
「聖獣の肉体を、結合させた……? いや、これは肉体ばかりでなく、魂までもが繋がってしまっているようねえ」
「ええ、そうよぉ……外道の魔術は、お気に召したかしらぁ……?」
「くだらないわね。そのような小手先の魔術で、私の可愛い従者に太刀打ちできるとでも考えているのかしら?」
嘲笑する魔女リリアナの背後で、屍神たる巨大水妖がぎょろりと目玉を動かした。
反射的に後ずさろうとするフィリアの肩を、魔女キョウラが背後からそっと押し戻す。
「何も怖がる必要はないわぁ……あなたはあなたの仕事を果たしてちょうだい、フィリア……」
「は、はい! 合点承知なのです!」
フィリアは自分の顔を両手でぴしゃんと叩いてから、赤く輝く聖獣にまたがった。
聖獣は、黒狼よりもふた回りは大きい。そうしてフィリアが聖剣を抜き放つと、翼ある天馬にでもまたがっているかのようだった。
「このていどの魔術では、屍神と化したあなたの従者を相手取ることはできないでしょうねぇ……でも、聖剣を持つフィリアとともにあれば、魔女のひとりぐらいは相手取れるのじゃないかしらぁ……?」
「ふうん。それなら屍神は、あなたたち4人が相手取るということね。未熟な魔女が4人集まったところで、何ができるというのかしら」
「何ができるか、その目をかっぽじって見届けやがれ!」
叫びざまに、魔女ドルガが黄金色に輝く右足の爪を地面に突きたてた。
水晶の地面に亀裂が走り、そこから水晶の巨人が生まれ出る。このたびは、ついに下半身までもがあらわになり、屍神よりも巨大な姿と成り果てた。
「愚かねえ。これだけの魔力を蓄えた屍神に、いまさら大地の巨人がかなうとでも思っているのかしら?」
「属性なんぞ、関係ないわい。これは、そういう魔術じゃからな」
魔女エマが、魔女ドルガの右肩に手を置いた。
魔女ラクーシャは左肩に手を置き、魔女キョウラはにやにやと笑いながら、左の足先を踏みつける。
その瞬間、水晶の巨人が4色の輝きに包まれた。
金と、赤と、黒と、青――それらの輝きが炎のように渦巻いて、巨人の巨体を覆い尽くしていく。
その姿を見て、魔女リリアナはぎりっと奥歯を噛み鳴らした。
「そう……ずいぶん懐かしいものを見せてくれるわね。あなたがたはない知恵を絞って、『大神の憤激』を発動させようと考えたわけね」
「へへん。100年前には、こんな愉快な代物がぞろぞろと地上を闊歩してたってわけか?」
「馬鹿を言いなさい。『大神の憤激』は高等魔術よ。このようなものを発動できるのは、ほんのひと握りの魔術師だけだったわ」
魔女リリアナは、氷のごとき微笑をたたえた。
「あなたたちのような未熟者が、こんな高等魔術を制御できると思っているの? これは4人の魔力の調和が乱れたら、すぐにでも石くれに戻ってしまうのよ」
「ふん。しかし、いまのところは元気に立ちはだかっておるようじゃな」
魔女エマの声に応じるように、水晶の巨人が地鳴りのごとき咆哮をほとばしらせた。
「しかし、屍神を相手取るには、これでも足りるまい。おぬしら、わかっておろうな?」
「へん。指図すんなよ、赤毛野郎!」
「準備、できています」
「わたしは、いつでもよくってよぉ……?」
「ならば、魔力を振り絞るのじゃ!」
四人の頬と手の甲に刻まれた刻印が、それぞれ凄まじい輝きを放った。
さらに、靴の分厚い革を透かして、足の甲の刻印までもが光り輝く。
魔女エマは赤、魔女ラクーシャは黒、魔女ドルガは金、魔女キョウラは青である。
まるでそれは、刻印が炎と化して躍っているかのようだった。
そして――4人が魔力を振り絞ると同時に、水晶の巨人の纏う輝きも激しく勢いを増していた。そちらもまた、4色に燃えさかる炎の巨人のごとしである。
「愚かね……そんな風にすべての魔力を振り絞ったら、身を守ることもできないでしょうに」
青白い唇を紫色の舌でなめながら、魔女リリアナは足を踏み出そうとした。
その眼前に、聖獣に乗ったフィリアが立ちはだかる。
「そうはさせないのです! そのための、わたしたちなのです!」
「……そう。あなたはどうしても、私の手で氷漬けにされたいということなのね。だったら、望み通りにしてあげるわ!」
魔女リリアナの肉体が青白い魔力に包まれて、豪奢な金髪が生き物のように逆立った。
その顔には、世にも邪悪な笑みがたたえられている。
「あなたはもともと、石の都の王女だったのですものね……だったら私も、心置きなく怨念をぶつけることができそうだわ」
「どうぞ、ご存分に! そのようなものは、わたしがすべて斬り伏せてみせましょう!」
フィリアは臆した様子もなく、右手の聖剣を振りかざす。
そうして誰の目も届かない辺境の洞穴にて、この世の存亡を懸けた戦いが開始されたのだった。




