3 氷雪の魔境
2020.11/3 更新分 1/1
そうして魔女の一行は、魔境と化した精霊王の領土に移動することになった。
そこまで案内をしたのは北の魔女の従者ネロであるが、一行を転移の術式で導いたのち、彼女は主人のもとに帰還した。従者も主人もろとも魔力を奪われてしまったため、戦力にはなり得ないのである。
「けっきょく、前回と同じ顔ぶれってこったな。で、まさか弟子野郎は手ぶらで参じたわけじゃねーだろうなあ?」
魔女ドルガの言葉に、フィリアは「はあ」と小首を傾げた。
「ご覧の通り、わたしは徒手空拳でありますけれどね。お師匠さん、聖剣はどういたしましょう?」
「……この際は、封印を解く他あるまいな」
渋面をこしらえながら、魔女エマはその手の杖を振り払った。
虚空から生まれた『封印の匣』が、音をたてて地面に落ちる。
「このたびも、封印は半月ももたなかったか。かなうことならば、このような不浄の存在に頼りたくはないのじゃがな」
「だけど相手は、精霊王の魔力を取り込んだ邪神の眷族野郎だぜ? 前回の眷族野郎よりも厄介な相手だってことは、間違いねーだろうなあ?」
「わかっとるわい」とぼやきながら、魔女エマは封印を解除した。
フィリアも「解」の呪文を唱えると、柄に巻かれていた封印の紐が弾け飛ぶ。半月ぶりに、聖剣はフィリアの腰に収まることになった。
「さー、それでは出発ですね!」
「待てい」と、魔女エマがフィリアの後頭部を杖で殴打した。
「いたーい!」と叫んだフィリアの顔が黒い霧に包まれて、兎の顔に変貌する。
「ありり? 変化の術で正体を隠すのです?」
「当たり前じゃ。向かう先には、邪神の眷族を揺り起こした痴れ者どもが待ち受けておるのじゃからな。うかうかと素顔をさらすわけにはいくまい」
魔女エマは大人の姿となり、ジェラは狼の顔に変じた。
魔女ラクーシャとロムロムは、それぞれ山羊と亀の頭骨をかぶる。
カーラは、鳥を模した仮面である。
そうして魔女ドルガのほうを振り返ったフィリアは、「ほわあ!」と大きな声をあげた。
「な、なんですか、それは? ずいぶん恐ろしげな仮面でありますね!」
「これは、俺様の故郷で暴れ回ってる黒猿野郎の仮面だな。この世でもっとも忌々しい相手の仮面をかぶるってのも、一興だろ?」
「いやー、未熟者のわたしには理解の及ばない境地でありますねー。《青の民》の方々が、熊さんの仮面でもかぶるようなものなのでしょうか」
魔女ドルガがかぶっているのは、くわっと牙を剥いた凶悪な黒猿の仮面であった。顔だけを隠す作りであるので、金色の豪奢な髪が仮面にかぶさっており、それがまた凶悪な印象を強めている。そして、左側の目だけが青く爛々と燃えていた。
「それじゃあ、出発だ。日が暮れる前に、皆殺しにしてやるぜ」
魔女ドルガを先頭に、一行は魔境へと足を踏み出した。
ここは、氷雪でできた洞穴である。魔女たちが鬼火を生み出していなければ、漆黒の闇に閉ざされているはずであった。
壁も足もとも天井も、すべてが白く凍てついた氷雪でできあがっている。道は広く、7名が横に並べるぐらいの幅があり、天井も遥かな高みであった。
「精霊王の領土といっても、色々なのですねー。ここにもかつてはたくさんの精霊さんが住まっておられたのですよね?」
「うむ。今ではそのすべてが瘴気に呑み込まれてしまったようじゃがな」
「邪神の眷族さえ討ち倒せば、その精霊さんたちも蘇るのです?」
「どうじゃかな……大地の髄まで瘴気に犯されていたならば、浄化されるのに長きの時間がかかろう。それよりも、大地の魔力が枯渇するほうが早いやもしれん」
大人の姿をしたエマは、険悪な皺を鼻に寄せた。
「魔力を吸い取られた『青き氷河』も然りじゃ。首尾よく邪神の眷族を退治できたとしても……北の領土は、もはや魔術師の住めぬ土地に成り果てるやもしれんな」
「へん。数百年もすりゃあ魔力も蘇るんだから、早いか遅いかの違いだけだろ。魔力が枯渇すりゃあ妖魅が湧くこともなくなるんだから、けっこうな話じゃねーか」
「たわけ。そのような形で魔力を失うのは、本来の摂理から外れておる。この大地に悪い影響が出ぬとも限らんではないか」
「たわけ? それは俺様に言ったのかよ?」
「おぬしの他に、誰がおるのじゃ? こちらの大たわけは、しばし口をつぐんでおったしな」
歩きながら、魔女エマと魔女ドルガは眼光をぶつけ合うことになった。
フィリアは兎の顔で、「ほへー」と目を丸くする。
「南の魔女さんが元気だと、こんな感じになるのですねー。なかなかに険悪な雰囲気ですー」
「はい。どちらも、短慮ですので」
「短慮? それは俺様に言ったのかよ?」
「おー、険悪の螺旋運動ですー! 従者の皆様方、ここはわたしたちが場を和ませるべきではないでしょうか?」
「うるさいね。アタシたちを巻き込むんじゃないよ」
鳥の仮面をかぶったカーラが、小声で言い捨てる。亀の頭骨をかぶったロムロムは、あたふたと視線をさまよわせるばかりであった。
すると、狼の顔をしたジェラが兎の耳に鼻面を寄せる。
「ご心配はいりませんよ、フィリア様。確かに南の魔女は無礼者ですが、誰にとってもかけがえのない同胞であるのです。このような場で仲違いすることはないでしょう」
「にゃるほろ。ところでこの兎の耳には耳としての機能が備わっているのでしょうか?」
「それは、私にもわかりかねます」
そこで魔女ラクーシャが腕をのばして、一行の歩を止めさせた。
「妖魅、接近しています。用心、必要です」
「うるせーなあ。それぐらい、言われなくってもわかってんだよ」
行く手から、ぼんやりと青白く輝く人影が近づいてきていた。
人間のような輪郭をしており、両腕を頭上に振り上げている。その動きはぎくしゃくとしており、出来の悪い操り人形さながらであった。
「おやおや? あの妖魅には見覚えがあるような気がするのですが……」
「はん。屍鬼かよ。木っ端だな」
それは、人間の歩く屍であった。
数は10体ほどで、全員が生者にはありえない青灰色の肌をしている。寒冷の地であるためか、腐乱したりはしていないようだった。
「うーむ。この近在に住まっておられた、北の王国の方々でしょうかねー。お気の毒なことですー」
フィリアの言う通り、その屍鬼たちは北の民としての特徴を備え持っていた。すなわち、金髪紫眼に骨太の大柄な肉体である。
男はジェラよりも頭ひとつ分は長身であり、もっとも背の低い女でもジェラより小さいことはない。それだけの体格をした屍鬼が10体ばかりも集まると、圧迫感も尋常ではなかった。
「へん。屍骸になっちまったら、どこの生まれも関係ねーだろ。おら、これでも食らいやがれ!」
魔女ドルガが、いままで外套に隠していた右腕を大きく振りかぶった。
炎のような真紅に輝く、巨大な骨の腕である。その指先の鉤爪が虚空を搔きむしると、五つに分かれた炎の渦が走り抜けて、妖魅どもを呑み込んでいった。
全身を炎に包まれた屍鬼たちは、地鳴りのようなうめき声をあげながら身をよじる。
しかし、それでもなお屍鬼たちがこちらに近づいてこようとすると、魔女ドルガは「ちっ」と舌を鳴らした。
「氷漬けの屍骸のせいか、燃えがわりーな。とっととくたばりやがれってんだよ!」
魔女ドルガが再び骨の右腕を振るうと、さらなる炎が生まれいで、今度こそ屍鬼たちを焼き尽くした。
屍鬼たちがばたばたと倒れ込んでいく姿を見守りながら、今度は魔女エマが「うーむ」と声をあげる。
「屍鬼を従えているということは、屍神か何かの眷族であるということじゃな。それならば、火の魔術が有効なはずじゃが……氷漬けの屍鬼というのは、ちと厄介じゃの」
「何がだよ? 俺様の戦果にケチをつけようってのか?」
「そうではない。こんな木っ端どもに魔力を費やすのは惜しかろうが?」
そう言って、魔女エマは3人の従者および不肖の弟子を見回した。
「邪神の眷族めが姿を現すまでは、おぬしたちに露払いを任せるべきじゃろうな。我々は、少しでも魔力の消費を抑えるべきじゃろうよ」
「勝手に仕切るなよ、西の魔女野郎! あんな木っ端どもを蹴散らすのに必要な魔力なんて、たかが知れてるだろうが?」
「それでも、じゃ。精霊王の魔力を吸い尽くした邪神の眷族を相手取るには、我らも生命を削るほどの魔力が必要じゃろうからな」
「私、賛成します。特に、兎、有効なのではないでしょうか?」
山羊の頭骨をかぶった魔女ラクーシャが、兎の顔をしたフィリアを振り返る。
「聖剣、どれほど使おうとも、兎、生命力、削られること、ありません。下級妖魅、受け持ってもらえれば、我々、助かります」
「はいはい。わたしはお師匠さんのお許しさえあれば、いくらでも働く所存でありまする!」
魔女エマはいくぶん眉をひそめながら、魔女ラクーシャをねめつけた。
「どれほど便利な代物であろうとも、それは魔術師にとって不浄の存在じゃ。それを振るえば振るうほど、こやつは魔術師としての資格を失っていくことになるのではなかろうか?」
「わかりません。しかし、兎の力、必要、思います」
魔女エマはますます険悪な面持ちになりながら、フィリアのほうに視線を転じる。
フィリアは、兎の顔でにぱっと微笑んでいた。
「お師匠さんにわたしの行く末を案じていただけるのは、望外の幸福であります! でもでも、わたしはもう何年も鋼の剣を振るっておりましたので、それが1日ぐらい加算されても大きな影響はないのではないでしょうか?」
「……ふん。もともとおぬしが魔術師として大成する可能性など、小指の爪の先ほどもないのじゃからな。そのわずかな可能性さえ踏みにじってもかまわんというなら、好きにせい」
「いえいえ! わたしに判断力は備わっておりませぬ! お師匠さんが剣を振るえと仰るなら振るいますし、剣を叩き折れと仰ればそれに従う所存でござりまする!」
「はい。師として、弟子、導くべきでしょう」
兎と山羊に左右から言いたてられて、魔女エマは火のように赤い髪をかきむしった。
「どいつもこいつも、好き勝手なことをほざきおって……わかったわい。その不浄の存在をもちいて、我らの露払いをせよ」
「はい! 承知つかまつりました!」
「へん。それじゃあ手始めに、あの木っ端どもをどうにかしてみやがれ」
魔女ドルガの声にフィリアが振り返ると、また行く手から新たな屍鬼たちが接近してきていた。今度の数は、20体ほどである。
「はいはい、おまかせあれ!」
フィリアは跳ねるような足取りでそちらに駆け寄ると、先頭にいた屍鬼を迷いなく斬り伏せた。
屍鬼の肉体は半ば凍っているために、血飛沫があがったりはしない。しかし、胸もとを断ち割られた屍鬼はくぐもったうめき声をあげると同時に漆黒の瘴気を吐き出して、動かなくなった。
瘴気はそのまま黒い塵と化して、消滅する。
フィリアが聖剣を振るうたびに、新たな屍鬼が同じ末路を辿り、次々と氷雪の地面に倒れ伏していった。
「見事です。下級妖魅、もはや、兎、敵ではないようです」
魔女ラクーシャはそのようにつぶやいたが、魔女エマは「ふん」と口をへの字にしていた。
そうしていくばくもなく、20体の屍鬼たちは全員が然るべき死を賜ることになった。
「お待たせしましたー! 任務完了であります!」
「ばーか。ここからが本番だろ」
魔女ドルガは人の悪い笑みを浮かべながら、そう言った。
フィリアはきょとんと小首を傾げてから、前方に向きなおる。
巨大な黒い影が、こちらに近づいてきていた。
その醜悪な姿が魔女の鬼火に照らし出されるや、フィリアは「うひゃあ!」と声をあげる。
「こちらも見覚えがありますですねー! あまり再会を祝福する気にはなれないのですけれども!」
それは、数十体もの屍骸をこねあげて作られた、異形の巨人であった。
背丈は2階建ての家屋ぐらいもあり、腕の太さは人間の胴体よりも太い。あちこちから屍骸の顔貌が覗いており、その双眸はいずれも鬼火のように瞬いている。
「あのー! こちらはちょっとご助力をお願いしたいのですが!」
「へへん。ずいぶんあっさりと音をあげやがったな」
「あ、いえいえ、魔女のみなさんにお手数はかけさせません。従者さん、よろしいでしょうか?」
「はい、なんなりと」
ジェラが両手を地面につくと、その姿が狼としての本性を取り戻した。
そのまま矢のような勢いで駆け寄ると、フィリアは嬉しそうに笑いながら、その背にまたがる。
「ではでは、よろしくお願いいたします!」
「はい、承知いたしました」
その頃には、屍鬼の巨人がフィリアたちの眼前に迫っていた。
遺骸で形成された拳が、うなりをあげてフィリアたちに振り下ろされる。
持ち前の俊敏さでその一撃を回避したジェラは、壁を蹴って巨人の頭上にまで跳躍した。
ジェラの背中にへばりついたフィリアが、「とりゃー!」と聖剣を振り下ろす。
脳天に斬撃をくらった巨人は、底ごもる咆哮をあげながら、膝をついた。
巨人の首から上だけが分離して、細切れの遺骸がどちゃどちゃと地面にこぼれていく。
ジェラが地面に降り立つと、フィリアは「うわー」と感嘆の声をこぼした。
「これは、なかなかのおぞましさでありますねー。でもでも、あと5、6回も斬りつければ、なんとかなりそうです!」
「では、次をどこを狙いましょう?」
「腕ですね! 相手の攻撃手段を封じてしまいましょう!」
そうしてフィリアはジェラの協力のもとに、屍鬼の巨人を滅多切りにしていった。
亀の頭骨をかぶったロムロムは、感心しきった様子で息をつく。
「兎さんは、すごいのです。あの屍鬼の巨人は、普通の妖魅の首魁ぐらいの魔力を有しているはずなのです」
「はい。我々、相手取れば、魔力、大きく削られることでしょう」
魔女ラクーシャの声も、どこか満足げな響きを帯びているようである。
しかし、弟子と従者の活躍を見守る魔女エマの瞳には、とても不満そうな光が宿されていた。




