1 陰気な使者
2020.11/1 更新分 1/1
外道の魔女キョウラとの出会いを果たしてから、半月ほどのちのことである。
今日も今日とて、魔女エマの住処においては賑やかな日常が展開されていた。
「この大たわけが! この棚に収めておるのはすべて貴重な秘薬じゃから、決して手を触れるなと申しつけたじゃろうが!」
「はいー。ですから申しつけ通り、わたしはいっさい手を触れていないのですー。ただ、ずっこけた弾みで棚に激突してしまっただけなのですよー」
「大事な秘薬の瓶が木っ端微塵ではないか! この秘薬を調合するのに、どれだけの手間と時間がかかったと思うておるのじゃ!」
「それに関しましては、重ねてお詫びいたしますー。よろしければ、わたしも調合のお仕事をお手伝いいたしますので!」
「おぬしなんぞに手伝わせたら、癒やしの秘薬が猛毒に変じてしまうわい! おぬしは災厄の申し子じゃ! この世に生まれ落ちてきたことを謝罪せい!」
「はい。生まれてきてごめんなさいなのです」
そうして面を上げたフィリアは、これ以上ないぐらい眉を下げてしまっていた。
「あのー、わたし、ひとつの真実に行き当たってしまったのですけれど」
「何じゃ! 人間未満の未熟者が、よくもそうまで人間がましくぺらぺら喋りよるの!」
「はいー。お師匠さんって本気で怒ると、暴力を行使しないのですよねー。ですから、現在のお師匠さんが怒り心頭ということは明白であるので、わたしは居たたまれないのですー」
「それはつまり、殴打されたいということか!? だったら、いくらでも殴打してやるわい!」
「はい! そうしていただけると、わたしも助かります!」
フィリアは床に膝をつき、魔女エマのほうに無防備な後頭部を差し出した。
魔女エマは口もとをひん曲げながら、「ふん!」とそっぽを向く。
「やっぱりやめじゃ! おぬしは一生、罪悪感に苛まれるがよい!」
「えー、それは困りますー! いつもみたいに、ぽかぽか殴ってくださいよー!」
「まっぴら御免じゃ! その薄汚い頭を引っ込めるがよい!」
「薄汚くないですよー! 毎日きちんと洗っておりますので!」
「近づくな! のしかかるな! 頭でぐりぐりすなー!」
「ほーら、殴りたくなってきたでしょう? さあ、その怒りをわたしの頭にぶつけるのです!」
「フィリア様、おたわむれの度が過ぎますよ」
背後から近づいたジェラがフィリアの襟首をひっつかみ、その小柄な身体をひょいっと持ち上げた。
フィリアは幼子のように、じたばたと手足を泳がせる。
「おたわむれではないのです! わたしはお師匠さんとの健やかな関係性を再構築したいのです!」
「でしたら、完全に逆効果かと思われます。というか、フィリア様がエマ様に叱られるのは日常茶飯事ではないですか」
「でもでも、お師匠さんがこんなに本気でお怒りになるのは、せいぜい2日に1度ぐらいのことでしょう?」
「2日に1度でしたら、日常茶飯事の範疇なのではないでしょうか?」
「あ、言われてみれば、その通りですねー。わたしって、どうしてこんなに至らない人間なのでしょう」
ジェラに吊り上げられたまま、フィリアは「うーむ」と考え込んだ。
魔女エマは長椅子にぐったりともたれかかりながら、重い息をつく。
「我は疲れた……ジェラよ、その大うつけを裏の湖に沈めてきてくれんかの?」
「ご命令とあらば従いますが、あの湖には肉食魚が住まっております」
「普段は魚を食ろうておるのじゃから、たまには食われてみてもよかろ」
「しかし、その肉食魚を食らう野鳥は、私たちの糧であるのですが」
「うー。そやつの存在を体内に取り入れたら、脳髄が膿んでしまいそうじゃな」
そこでフィリアが、「わかったー!」と手を打った。
「わたしは毎日叱られっぱなしですけれど、従者さんはほとんど叱られていないですよね! わたしは今後、従者さんを手本として生きていきたいと思います!」
「私を手本に?」
「はい! 従者さんのようにつつましく、それでいて大人の色気をふりまく立派な女性を目指したいと思います!」
「色気はこの際、関係ないと思うのですが……」
「あと、ときたま現れる暴力性! いざというときの弱腰! 優雅なたたずまいの中に垣間見える、短慮とそそっかしさ!」
「フィリア様、そういうところですよ」
フィリアの身体を床に下ろしたジェラは、そのほっそりとした肩をわしづかみにしながら、にっこりと微笑みかけた。
「ああ……わたしは従者さんまでをも怒らせてしまったようです……」
「これで怒らないと考えるほうが、天地の摂理に背いているかと思われます」
「そうですよねー。わたしは本音で語りすぎるのでしょうか?」
「つまり、さきほどの言葉はすべて本音であられたということですね?」
「痛い痛い! 肩の骨がみしみし言ってますー!」
「よいぞよいぞ。そんな不埒者は握り潰してしまうがよい!」
そのとき、来客を告げる音色が響いた。
虚空に目をやった魔女エマは、「ぎゃー!」と悲鳴をほとばしらせる。
「ジェ、ジェ、ジェラよ! お、お、応戦の準備をするのじゃ! こ、これとこれと、こっちのこれも持つがよい!」
魔女エマは虚空から引っ張り出した魔道具をジェラの足もとに放り出した。火の術式を行使する鎚鉾、風の術式を行使する弓、大地の術式を行使する斧である。
「ど、どうされたのです? いったい何者が訪れたのでしょうか?」
「き、北の魔女の従者めじゃ! ついに北の魔女が攻めてきたのやもしれん!」
「どうして北の魔女が、エマ様を討伐しなくてはならないのです?」
「だって、我はよりにもよって石の都の住人の、しかも王家の血筋などというものを弟子にしてしまったからの! 掟や習わしを重んずるあやつが激昂しても不思議はあるまい!」
「はあ……ですがその旨は、もうずいぶん前に通達しておられるのですよね?」
フィリアの肩を解放し、ジェラは不思議そうに首を傾げた。
「というか、北の魔女のもとまでその話を伝えたのは、私となります。つい半月ほど前にも、外道の魔女の一件であちらにはおもむいておりますし……いまさら北の魔女がエマ様に怒りを向けることはないかと思われますが、如何でありましょう?」
「そ、そうか。そうじゃな。あやつはべつだん、そこまで怒ってはおらんかったのじゃな?」
「はい。きわめて不快そうな面持ちではありましたが、自分の口出しするような話ではないと仰っていました」
「きわめて不快そうな面持ち……やはり不快ではあるのじゃろうなあ……」
魔女エマは、頭を抱え込んでしまった。
ジェラはその姿を気の毒そうに見やりつつ、足もとの魔道具を拾いあげていく。
「私としましては北の魔女よりもその従者のほうが苦手な部類となりますが、それでも同胞であることに変わりはありません。掟と習わしを重んじる彼女たちが、我々に害を為すことはないでしょう」
「あ、従者さんは北の魔女さんの従者さんが苦手なのです?」
ジェラは不本意そうに「はい」とうなずいた。
「南の魔女の従者のように、無礼なわけではないのですが、どうにも相性が悪いというか……それに、北の魔女の従者は、聖獣としても比類なき力を有しているのです。どのような聖獣でも、彼女には太刀打ちできないでしょう」
「ふむふむ。外道の魔女さんの従者たる白蛇さんでもですか?」
「当然です。白蛇など、逆にくびり殺されてしまうことでしょう」
そのように答えながら、ジェラは鎚鉾と弓を魔女エマに差し出した。
「どうぞ、お収めください。……こちらの『大地の斧』だけは、一応お預かりしてもよろしいでしょうか?」
「……やはりおぬしも、あやつらを警戒しておるということか?」
「いえ、決してそういうわけではないのですが……彼女とはあまりに力の差があるために、いささか心細くなってしまうのです」
ジェラが手もとに残したのは、鈍い銀色に輝く両刃の斧である。しかしそれは玩具のように小さく、斧頭には黄色い琥珀のような宝石が埋め込まれていたので、鎚鉾や弓と同じく、実用に耐える造りではなかった。
「で、では、北の魔女の従者めをこの場に招き入れるぞ。……人間未満の未熟者よ、おぬしは決して余計な口を叩くのではないぞ!」
「はいはい、もちろんですー。こういうとき、わたしは全身を目と耳にして好奇心を満たしておりますので、ご心配は無用でありますよー」
フィリアはにこにこと微笑みながら、魔女エマの座した長椅子のかたわらに控えた。逆の側には、魔道具を懐に忍ばせたジェラが、すでに控えている。
魔女エマはしばし呼吸を整えてから、きりっと表情を引き締めて、「入れ」と宣言した。
それと同時に、灰色をした人影がぬたりと床に降り立つ。
それは何やら、粘性のある液体が滴り落ちてきたかのような風情であった。
「突然の来訪、失礼いたします……《青き氷河の魔女》の従僕たる、ネロでございます……」
当然というべきか、それは美しい女の姿をしていた。
うねうねと渦を巻く長い髪はくすんだ灰色をしており、その隙間から覗く双眸は漆黒である。白い肌は死人のように灰色がかっており、それがこの美しい娘を陰気な存在に仕立てあげているようであった。
また、その身に纏った長衣も外套も淡い灰色であるために、存在そのものがくすんで見えてしまう。いくぶん目尻の下がった目に灯る光も、決して明るいものではなかった。
「おぬしと顔をあわせるのは、ひさかたぶりじゃな。先日は、こちらの従者が世話になったの」
さきほどまでの狼狽ぶりが嘘のように、魔女エマは毅然と振る舞っていた。
その正面に膝をついたネロは、「はい……」と深くうなだれる。
「外道の魔女の一件につきましては、我が主人もたいそう心を痛めておりました……その後、外道の魔女めは姿を現していないのでしょうか……?」
「うむ。あやつは10年ばかりも身を隠して、魔術師としての技を研鑽しておったという話じゃからな。身を隠す術には長けておるのじゃろう。忌々しいが、あちらが動きを見せるのを待つ他あるまい」
「左様でございますか……口惜しい話でございます……」
と、ネロはますますうなだれてしまう。
放っておいたら、そのままぐしゃりと床に潰れてしまいそうな雰囲気であった。
「……それで、おぬしはどういった用件で我の住処を訪れたのじゃ?」
「はい……本日は、皆様にお力をお貸しいただきたく、参上いたしました……お手数ですが、主人のもとまでご足労をお願いできますでしょうか……?」
「北の魔女の住処までか」
魔女エマの口もとが、ひくりと引きつった。
「むろん、北の魔女の願いとあれば、無下に断ることはできん。しかし、我々の力を借りたいとは、どういうことじゃ? あれほどの力を持つ北の魔女が、我々に助力を願うというのは、尋常な話ではあるまい」
「はい……主人は、天命が尽きようとしているのです……」
「なに?」と、魔女エマは小さな身体をのけぞらした。
フィリアもびっくりまなことなり、ジェラは眉をひそめて身を乗り出す。
「お待ちください、ネロ。私は半月ほど前に、北の魔女と対面しています。あのときの北の魔女は力に満ちあふれており、まだまだ天命を迎える兆しなどは感じ取れませんでした」
「はい……ですが、主人の魔力は急激に衰退しております……かくいうわたくしも、人間の身に変じているのが精一杯の状態にあるのです……」
「何故じゃ? そうまで急激に魔力が衰退することなど、ありえぬじゃろう。邪神の眷族を相手取った我々でさえ、数日ていどで完全に回復することができたのじゃからな」
魔女エマは、厳しい声でそのように言い放った。
「そして、魔術を極めた我々であれば、病魔とも無縁であるはずじゃ。北の魔女は、どうしてそうまで魔力を失うことになったのじゃ?」
「それは……我々の住まう地から、魔力が奪われてしまったためとなります……」
ネロは深くうなだれたまま、陰鬱な声を床にこぼした。
「このままでは数日を待たずして、『青き氷河』の魔力は枯渇してしまうことでしょう……それが、主人の天命の尽きる日となります……」
「いや、『青き氷河』ばかりがそのように魔力を失うのも、摂理に反した現象じゃ。ぬめぬめと遠回りをせずに、結論を述べよ」
「はい……心苦しきことながら、我々は敵に屈してしまったのです……北の地における精霊王の領土を、敵に奪われてしまいました……敵はその地の魔力を使って、『青き氷河』の魔力を吸い尽くそうとしているのです……」
「敵?」と、魔女エマは眉を吊り上げた。
「敵とは何じゃ? 邪神の眷族にでも精霊王の領地を奪われてしまったということか?」
「はい……まさしくその通りでございます……精霊王の領土は邪神の眷族に支配され、魔境と化してしまいました……」
「信じられんな。邪神の眷族が顕現するには、予兆があるはずじゃ。北の魔女がそれを見逃すことなど、ありえまい」
「しかし、それが事実であるのです……おそらくは、何者かが意図的に邪神の眷族を揺り起こしたのでしょう……主人が感知した折には、すでに精霊王の領土を奪われておりました……」
「意図的に? 馬鹿を申すな! 誰にそのような真似ができるというのじゃ!」
「正体は、わかりませぬ……ただ、主人が仰るには、それは石の都の住人たちではないか、と……」
魔女エマは口をつぐみ、ぎりっと奥歯を噛み鳴らした。
その姿を下からすくいあげように見やりながら、ネロは陰々とした声を響かせる。
「それこそが、外道の魔女の述べていた邪神教団なる者たちなのではないかと……主人は、そのように推察しております……どうかお力をお貸し願えないでしょうか……?」




