1 拉致監禁
2020.10/28 更新分 1/1
「おやおや? ここは、どこでしょう?」
薄暗がりの中で、フィリアは覚醒した。
しかし、身動きすることはかなわない。木の椅子に、胴体も手足も厳重に縛りつけられていたのである。
「あのー、どなたかいらっしゃいますかー? いまひとつ状況が把握できないのですけれどもー!」
「おや、もう目覚めたのかい。ずいぶんと早いお目覚めだね」
と、フィリアの背後から妖艶なる女の声が近づいてくる。
首をねじってそちらを振り返ったフィリアは「ふやあ」とおかしな声をあげた。
「これはこれは、お美しい御方でありますねー。察するところ、あなたがわたしをこのような場所に連れ去ってきたのでありましょうか?」
「もちろんさ。あんたは何も覚えてないのかい?」
女はくすくすと笑いながら、フィリアの前側に回り込んだ。
確かに、美しい女である。魔女やその従者たちによって美しい娘には見慣れたフィリアにとっても、それは驚きに価する美しさであった。
すらりと背が高く、優美な肢体をした若い女である。色気のほどでは、大人の姿をした魔女エマにもジェラにも負けていなかった。
しかし、ただ美しくて艶めいているだけではない。それと同じぐらい、その女は冷ややかで酷薄な雰囲気を漂わせていた。
しかも、その腰まで自然に垂らされた髪や、陶磁器のようになめらかな肌は、日の光も浴びたことがないような純白である。
さらに、切れ長の目に瞬く瞳が紅玉のような真紅をしていることから、それは白膚症であることが知れた。
瞳と、そして唇だけが、血の色を透かして赤い。
さらにその身に纏っているのは純白の長衣ひとつであったので、彼女には真紅と純白の外に色彩というものが存在しなかった。
「あたしは眠りの秘薬でもって、あんたを眠らせてあげたんだよ。秘薬のせいで、記憶が飛んじまったのかねえ?」
「えーと、ちょっとお待ちくださいね。……あー、思い出しました! わたしは従者さんと一緒に、『赤の石』という秘薬の材料を採集していたのですよね!」
「ああ、あの岩山には、『赤の石』がたんまり埋まってるからねえ」
「そうですそうです! それでわたしたちは洞穴を発見して、そこでもあちこち岩盤をほじくって……うーん、そこから先が、思い出せないですねー。従者さんが『誰だ!?』とかお叫びになられていたような気がするのですけれども、それがあなただったということなのでしょうか?」
「ああ、そうさ。あたしがあの薄汚い黒狼を痛めつけて、あんたに眠りの秘薬を嗅がせてやったのさ。まったくあの黒狼は、威勢がいいばっかりで弱っちいねえ」
そう言って、女はまたくすくすと笑い声をたてた。
フィリアは「うー」と唇をとがらせる。
「あのですね、従者さんはわたしにとって、かけがえのない同胞であられるのです。それを悪しざまに言われるのは、とても不愉快であるのですが!」
「同胞ねえ。石の都で生まれたあんたが黒狼を同胞呼ばわりするなんて、滑稽の極みじゃないか」
「あなたはどうやら、わたしの素性まで把握されているようですね。嫌な予感しかしないのですけれど、あなたはいったい何者なのでしょう?」
「ふふん。自己紹介は、愛しいご主人と一緒にさせてもらおうかねえ」
女は白い咽喉をのけぞらして、虚空の闇へと呼びかけた。
「聞いているんでしょう、ご主人? お客人がお目覚めだから、ご挨拶でもしてやったら如何です?」
「そりゃあもちろん、聞いているわよぉ……」
咽喉にからんだ別なる女の声が、どこからともなく響きわたった。
そして、フィリアの正面の闇が凝り固まったかと思うと、そこに人間の姿が現出する。それもまた、妖しいほどに美しい娘であった。
「手荒な真似をして、悪かったわねぇ……でも、これも大義のためだから、どうか許してもらいたいものだわぁ……」
ねっとりとした声でつぶやきながら、その女もフィリアに近づいてきた。
力と自信と傲慢さにあふれた声であるが、最初の女よりは年若く見える。15歳のフィリアよりも、ひとつかふたつ上ぐらいに見える少女である。
綺麗に編み込まれた長い髪は、淡い朱色をしていた。
その瞳は、柘榴石のごとき深い赤である。
その肌はフィリアと似た黄白色であるが、とても瑞々しくて、しみのひとつもない。いくぶん目尻の上がった大きな目も、形のいい小さな鼻も、可憐な蕾のような唇も、掛け値なしに美しかった。
それに、長衣ひとつの女とは対照的に、ごてごてと着飾っている。赤と黒の複雑な紋様の織り込まれた長衣の上に、きらびやかな上衣を何枚も重ね着しており、首や手足にはじゃらじゃらと飾り物を下げているのだ。よく見れば、耳や指先にも宝石がきらめいており、朱色の髪にも飾り紐が編み込まれていた。
そして――その美しい顔の両頬となよやかな手の甲には、魔術師の刻印が刻みつけられている。
その色彩は、魔女エマと同じく黒色であった。
「初めまして、西の魔女のお弟子さん……たしか名前は、フィリアだったかしらぁ……?」
無邪気さと残酷さの混在した微笑みをたたえながら、少女は白き女のかたわらに立ち並んだ。
白き女のほうが、頭ひとつ分は長身であるようだ。目算で、少女はフィリアと同程度、白き女はジェラと同程度の背丈であるようだった。
が、少女が横に並ぶなり、白き女はくにゃくにゃとへたり込んでしまう。そうして白き女は妖艶に微笑みながら、少女のほっそりとした腰に両腕をからみつけた。
なんとも言えないほど、淫猥な雰囲気である。
「そちらはわたしの名前までご存知であられるのですね。それでは、そちらも名乗っていただけますか? ……まあ、うすうす想像はつくのですけれども」
「ふぅん……? わたしたちの正体なんて、なかなか想像はつかないと思うけれど……あなたは千里眼の魔術でも体得しているのかしらぁ……?」
「いえいえ、あくまで想像力の勝利でありますよー。あなたがたは、北の魔女さんとその従者さんなのでしょう?」
フィリアが断固たる口調で言いたてると、少女はにこりと微笑んだ。
「残念でしたぁ、大外れぇ……わたしは、北の魔女なんかじゃないわよぉ……?」
「えっ」と、フィリアは縛られたままのけぞった。
「ち、違うのですか? わたし、けっこう自信があったのですけれども!」
「どうしてそんな風に思うのかしらぁ……? 北の魔女の俗名は、《青き氷河の魔女》でしょう……? わたしはその名に相応しい姿をしているかしらぁ……?」
「それは確かに、わたしの思い描いていた印象ともまったく異なっていましたけれども……でもでも、魔女はこの世に4名しかおられないのでしょう? そうしたら、残りは北の魔女さんだけであるはずです!」
「ああ、あなたは4名の魔女のうち、もう3名と顔をあわせているのだったわねぇ……でも、思い出してごらんなさい……それらの魔女は、俗名に相応しい姿をしていたでしょう……? 黒い沼みたいに陰気な魔女と、いつも火のように猛っている魔女と、針みたいにとげとげしい気性をした魔女……魔女というのはその地の魔力を体内に取り入れているから、どうしたって人格の形成に影響が出てしまうものであるのよぉ……」
少女はにこにこと微笑みながら、ほっそりとした指先で白き女の頬を撫でた。
白き女は心地よさそうに目を細めながら、赤い唇を赤い舌で舐める。
「《青き氷河の魔女》というのはその名の通り、氷みたいに冷たい女よぉ……あんな女と間違われてしまうなんて、わたしはちょっぴり悲しいわぁ……」
「そ、それじゃああなたがたは、何なのです? そのお顔と手の甲に刻みつけられているのは、魔術師の刻印というやつなのでしょう? それにさっき、眠りの秘薬でわたしを眠らせたと仰ったじゃないですか! そのような真似ができるのも、魔術に携わる方々だけのはずです!」
「ええ、そうよぉ……わたしは魔女で、こっちは従者……それぐらいのことは、誰でもわかるのでしょうねぇ……」
「だったらやっぱり、北の魔女さんしか残されていないではないですか! この世には、4名の魔女しか存在しないのですから!」
「そんなのは、勝手な決めつけでしょう……? 修練さえ積めば、誰だって魔女になれるのだからねぇ……」
そう言って、少女はいっそう無邪気そうに、いっそう残酷そうに微笑んだ。
その可憐な唇から、異様に発達した犬歯が、ちらりと覗く。
「わたしの名は、キョウラ……故郷と家族を捨ててしまったから、母の名も一族の名も名乗れない、ただのキョウラよぉ……それでこっちは、従者のヘルねぇ……わたしたちは、一族の掟に背いて勝手に魔術の修練を積んだ、外道の魔女とその従者ってことなのよぉ……」




