「聖女」の祈り
目の前で繰り広げられた惨劇。
血を、胸から噴き出して倒れる、「墓石のコスタス」
血に濡れた帯剣を持ったまま、茫然と佇む、ハバート=エウガム騎士爵。
マルーネには、もう何が何だか判らなかった。 何故に、この華やかな会場が、凄惨な血の惨劇の場に成ったのか。 最初は、ユークトが始めた、ドロテアへの断罪。 最近多くなった、マルーネへの嫌がらせを、ユークトに相談した事から始まった。
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マルーネの人生、全てが変わる切っ掛けとなった、母親の決断の日の前年。
母親は飲んだくれ。 母親は、酒の為なら、マルーネを ” 売る ” 事くらい安々としてのける女だった。 ”そんな事” は、十五歳に成ったばかりの時に終わってしまった。 男と云う物を嫌という程知らされた。 嫌も応も、何も無かったが。 だから、男が何を求めているのかも、手に取る様に判る。 ただそれだけの事だった。
ただ、お金の為、生きる為に 「 した 」 までだった。
十六歳の時にいよいよ、追い詰められた母親が、とある貴族の元に話を付けに行った。 どういった経緯かは知らなかったが、その貴族から、金を貰っていたらしい。 マルーネも一番、「いい服」を、着せられて連れて行かれた。 売られると思ったが、それでも、今の生活よりマシになると、自分に言い聞かせて、ついて行った。
そこからは、夢の様な事が立て続けに起こった。
魔力を測定すると云われ、見つかった 「聖」属性。 神聖な感じがして、嬉しかった。 そして、「聖女」として扱われ始めた。
気分がとても良かった。 それまで、見下して来た男達が、自分を持ち上げ恭しく扱ってくれる。 それだけでも、天にも昇る気持ちだったのだが、ドレスや宝飾品も、次々と与えられ、飾られ、美しく成れた。母親の消息が消えた事も気にもならなかったくらいに。
中身は、変わらぬ下町の女なのだが。
マルーネ自身、「 聖 」なる魔力を持っていると言われても、ピンと来ない。 庶民が魔法を習う事は稀だったからだ。 たとえ、庶民の中で魔法を、よく知っていても、生活魔法くらい。 だから、「 聖 」なる魔力なんてものは、理解の範囲外だった。
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王国学園には行儀見習いとして、放り込まれた。 ひたすら面倒臭かったが、同年代の男達や、女達からの視線が、敬意が、何より、賛美される言葉が嬉しかった。 貴族のやり方も大分判った頃、下町の「 手練手管 」を駆使して、周囲に男達を集めた。
狙った男の心を、ガッチリと掴んで、放さない様にする為の、「 手練手管 」
相手に、パートナーが居ようと、居まいと、捕ったもの勝ち。 捕られた方は、女としての努力が足りないからだと、そう下町では、教え込まれていた。
同じ付け入るには、一番、権力を持つ者が良いと、酒場の女たちがそう教えてくれた。
だから、この王国学園の同年代の中で一番「位」の高かった、ユークト=ウーノ=アドラールに、狙いを付けた。
しかも、周りが良くしてくれるし、当代 ” 唯一 ” の 「聖女」 と、言ってもくれた。 ただ一人だけの ” 特別 ” それが、自分。 とてもとても、気分が良かった。
しかし、ちょっとやり過ぎたかもと、思い始めたのは、ユークトを本格的に落とし始めた頃からだった。 良くしてくれていた男達が、彼等の婚約者と婚約の破棄を始めたからだった。
流石に全員とは関係を結べない。 よく行って、”お友達”が限界だと思っていた。 貴族社会には結構制約が多いからと、ユークト、一人に絞ったのに、なぜか、彼女を取り巻いていた男達が、「聖女」に誓約を立てると言って、婚約を破棄する暴挙に、出たのだった。
果てしなく迷惑だった。 マルーネにとって、必要なのは、一番 「 位 」の高い、ユークトただ一人。
なのに、理解してくれなかった。 どんなに懇願しても、止めてくれと言っても、取り巻きの男達の誰一人として、婚約破棄をやめてくれなかった。
「お優しい「聖女」 マルーネ。 貴女を護る事が、我らの使命」
なんて、世迷い事を言われると、ほとほと困ってしまった。 当然、仲良くしてくれていた、女友達も、微妙な雰囲気になり、そして、嫌がらせが始まった。
嫌がらせ程度は、気にもならない。 下町の当て擦りや、本物の悪意をもった嫌がらせに比べれば、児戯にも等しい。 ただ、ただ、鬱陶しいだけだった。 そこで、ユークトに相談した。 単に、”こんな事がありました” と。 笑いながら。 ちょっと「 涙 」を、溜めならが。
そう、下町で培った、「 手練手管 」の、一つだった。
犯人探しが始まった。 その時、取り巻きの男達に、決して婚約者を疑わない様に伝えた。 ”可能ならば、婚約破棄を取消せ” とまで、言ってみた。 ユークト以外に。 そうしたら、全ての嫌がらせが、ユークトの婚約者である、ドロテアのせいになった。
あの人は、最初から仲良くしてくれないから、いい気味だと思っていた。
事実なんて、どうでもいいと、思っていた。
嫌がらせが、大分収まって来たのは、学校を卒業する間際だった。 王様が卒業生の為に、舞踏会を開いてくれる事になってるらしい。 だから、思い切り楽しもうと思った。 その舞踏会の後はユークトの、お屋敷に行って、パーティをする事になっている。
とても楽しみだった。
”それなのに……” と、マルーネは、落胆した。
一番頭の固かった、ハバート=エウガム騎士爵がやらかしたのだった。 「墓石のコスタス」に斬りつけて、彼を殺してしまったらしい。
結局、舞踏会はお流れになった。 心の中に未だに存在している、”下町のマルーネ” が、「聖女」マルーネに囁いた。 ” 逃げろ ” と。
でも、逃げられなかった。 ユークトに半分、拉致される様に彼の屋敷に連れ込まれた。 婚約を破棄した、ユークトを押し止めるモノは、もう何も無かったみたいだった。 流れた舞踏会にも、腹を立てていたのかもしれない。 ” 下町のマルーネ ” が、危険を察知して、盛んに警鐘を鳴らしているのだが、この流れは、止めようが無かった。
結局…… マルーネとユークトは、朝まで愛し合った。
マルーネは、知ってる 睦逢いの ” 手練手管 ” を、全部使った。 もう、破れかぶれに成っていたのかもしれない。 ”これ以上、この生活を、楽しむ事は出来ない” と、”下町のマルーネ” が、諦めたように呟いた様な気がしていた。
「ならば」と、貪るように楽しんだ。
翌日の昼。
ユークトの寝室で、シーツに包まって眠っていたマルーネを、宮廷神官達が叩き起こした。 これから、王宮に行き、「 聖女 」 の試練を受ける事になると、言ったのだった。 あからさまな侮蔑の視線に、既視感を覚えながらも、身支度をしたマルーネ。
なんとなく、ユークトに挨拶をした。
彼女の中の ” 下町のマルーネ ” が、” もう、これで、彼とは逢えなくなるわよ ” と、そう言ったような気がしたからだった。
「ユークト様、今まで有難うございました。 昨晩は、お情けを頂き、わたくしの《 一生の思い出 》となりました。 お元気で……」
寝ぼけたユークトにその言葉が届いたかどうか、判らぬまま、マルーネは王宮に向かった。 想像していた通りに成った事を理解した。 また、最底辺に逆戻りだった。 違う事は、もう餓える心配は無い事、試練とやらを受け続けていれば、生かせて貰える事。 自分から ”もう辞めたい” と、言うまで、ここに居続けられる事。
マルーネは、二つ返事で、試練を受けると云い、どんなに蔑まれても、いじめられようとも、決して弱音を吐かなかった。
比べる対象が、下町の最底辺。 十六歳に成るまでに、悪意の塊を受け続けていた彼女にとって、周囲の悪感情など、真夏の炎天下に、日除けも無しに、大通りを歩くくらいにしか、感じない。 身に降りかかる、”いじめ”など、下町のそれと比べると、児戯にも等しい。
マルーネにとって、そんな事ぐらいで、この飢える事もなく生きて行く事も出来るこの場所を、放棄するなどという事は、考えもしていなかった。 その内、彼女は、宮廷神官達から与えられいる、「試練」が、面白くなって来た。 かなり体には負担がかかり、立っている事も「やっとの事」に成るのだが、彼女はそこで、初めて「何かをやり遂げる」喜びに目覚めた。
能力の低さや、試練の開始年齢が高い事など、気にもならなかった。
同じ試練を小さい子が、易々とやってのけられるのを見ても、焦りも、嫉妬も感じなかった。 ゆっくりと、少しづつ。
それだけで良かったのだ。
彼女が、彼女らしく生きて行くための環境は、ここにしか無いと、マルーネは理解していた。 女の喜びも十分に味わった。 この生活を手放すつもりはサラサラ無かった。
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何年もかけて、やっと、魔方陣に魔力を注ぎ込む事が出来る様になった。
そこまで来たら、周りの目もやっと柔らくなった。
宮廷神官達が、通いの巫女達と同じように、接してくれるようになった。
「王国の安寧の為に」
互いの挨拶のようなモノだった。 そう、ここで自分は必要とされる人間になれた。 初めて自分自身の力でつかみ取った、自身の安寧だった。 宮廷神官達に、外で暮す選択肢を与えられた時、彼女は迷わず、ここに残る選択をした。
もう、外の世界で生活する事は、” 二度 ” と、御免だった。
此処に居る事に、幸せを感じている。 試練とやらもまだまだ残っている。 一段上に行くと、それだけ疲れるが、心地よい疲れだったし、いずれ慣れる。
「聖女」様 と呼ばれた頃よりも、今の自分の方が好きになれそうだった。
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「ユークト様は如何されたのかしら。 ご結婚されて、幸せに、暮しておられたら良いのですが……」
マルーネは、ふと思いつき、ある時、神官にそう尋ねてみた。 彼女の問いかけに、渋い顔をしながら、神官が、” まぁ、いいだろう ” と、応えてくれた。
「マルーネの様に、悔い改める事も無く、市井の闇に堕ち、何処に行ったのか…… 「 王国の敵 」とまで呼ばれたからには、碌な最後を遂げたとは思えない。 重臣の息子達も廃嫡された後、市井の闇に飲み込まれたようだ。 行先は同じか…… まぁ、親達も御役目を解かれたり、左遷されたりと、同じようなモノなのだがな」
マルーネは、暗澹たる思いでその話を聞いた。
自分に関わった者達が、最悪の結末を迎えていた事に罪悪感を覚えた。
「わたくしの『 せい 』なのですね」
「いや、自業自得だ。 マルーネ、君は、許されたのではないか? その証拠に、「 聖 」 なる魔力を魔方陣に注ぎ込めるまで、試練を潜り抜けられたのだから。 あの年から試練を受けるとなると、相当キツイ筈。 ゆっくりだが、確実に進歩している。 もし、君が罪悪感を覚えるのならば、更に精進し、彼等が道を外れなかったら出来るであろう、王国への貢献と同等なくらいに、魔方陣に魔力を注ぎ込むと云い。 贖罪の気持ちを込めるんだ。 いいね」
「はい…… 神官様、有難うございます」
自身の安全と生活の為に、ここに居続けたマルーネの心の中に、「 祈り 」が生まれた。 せめて、彼女に関わって、生き残った人達が、”平和に、安全に、健やかに暮らして行けますように” と。
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更に、年月が経ち、ある夏の暑い日。 何時ものように、魔方陣に魔力を注いていた時、通いの巫女が夫婦で訪れたのを見た。 慈しみ合い、愛情あふれる姿に、何故か涙が零れ落ちた。
そんなマルーネを見つけた夫婦は、魔力を注ぎ終えた後、マルーネに近寄って来た。
「何故、わたくし達を見て泣くのですか?」
「何故でしょうか? わたくしにも、判りません」
「そうなの?」
「ただ」
「ただ?」
「わたくしの中で、祈りが届いた様な気が致しました」
「そう……ならば、そうなのでしょうね。 ゴメンなさい、要らぬ事を聴きました」
「聴いて貰って嬉しかったですわ。 お礼を。 ありがとう。 幾久しくそのままの貴方達で居てください」
「そうね、そうなれるように、努力するわ」
「王国の安寧の為に」
「王国の安寧の為に…… またね、「聖女」様」
夫人の口元に、柔らかな笑みが浮かぶのを見た、マルーネ。 夫人の名を呼ぶ、男性。
「行こうか、ドロテア。 「聖女」様の祈りを邪魔出来ないだろ?」
「ええ、そうね、コスタス。 「聖女」様は、王国の人々すべての安寧を祈らないといけないものね」
その言葉を聴いたマルーネの心の中に、もう一つ、「 祈り 」が増えた。 自分と関わり生き残った人々の安寧だけでなく、この王国に生けるすべての人々の安寧を祈願する心が生まれたのだった。 夫婦が去り、魔方陣にもう一度、自分の魔力を注ぎ込みならが、彼女は祈りを口にした。
「王国の人々の安寧を祈ります」
と。
その後の話 ende
ご感想の中で、何件かあった、その後の話を、まとめて更新しました。
初めてのジャンルなので、加減が判りませんでした。 完結後の、追加です。
本当に、ゴメンなさい。
楽しんでもらえたら、幸いです。




