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逝きたくない想い

身支度を済ませ、窓の景色を目に焼き付けておいていると、コンコンと襖を叩き、「失礼致します、もみじねえさま。柚子です」と言った声が聞こえた。

直後、襖が開く。

「おはようございます。いよいよ、もみじねえさまの嫁入りの今宵も近づいできましたね。柚子は、明日の嫁入りをとても楽しみに待っておりました。どうか今日は、ご身体を安静に、お過ごしくださいませ」

畳に頭をつけながら、今年で7つとなる柚子が丁寧にそう言葉を述べる。

まるで、20となった狐娘のように。まだ本当は7つにもなっていないくらいで、とても小さいのに…と胸がぎゅっと痛くなった。

柚子はとてもとても可愛い女の子だ。

私の腰くらいまでの背丈に、髪を肩までに切った白銀の美しい髪。…そして、姉様に似た、青い宝石のようなぱっちりとした大きな瞳。この瞳を見ると、たまに姉様を思い出してしまう。その時は、たまらずに目を伏せてしまうのだ。

そう、柚子は、姉様と姉様の愛する人、緋色様の忘れ形見。姉様があの日…亡くなってしまってから私はこの子を必死に育ててきた。

だが、村の長や長老たちは、この子に「次の生贄」としての教育を叩き込んだ。感情を押し殺し、生贄として旅立つ育ての親を笑顔で見送るのが「誉れ」なのだと。

「……ありがとう、柚子。顔を上げて」

私が優しく声をかけると、柚子は顔を上げ、あの青い瞳でまっすぐに私を見つめた。その瞳には、寂しさも、恐怖も、何一つ浮かんでいない。……浮かべることが許されていないのだ。

「もみじねえさま。鬼様のもとへ行かれても、どうかお元気で。柚子も……18になりましたら、ねえさまの跡を追い、立派に務めを果たします」

その言葉に、息が止まりそうになる。

(やめて……! お願いだから、そんなこと言わないで……!)

心の中で叫んでも、声には出せない。私が取り乱せば、柚子が村から罰を受けてしまうから。

私は震える手で柚子の小さな頭を撫で、「ええ、ありがとう」とだけ返した。姉様の代わりに抱きしめてやりたかった。引きちぎられるほど強い愛を伝えたかった。けれど、私は何も言えないまま、柚子を部屋から送り出すしかなかった。

「……失礼いたしました、ねえさま」

障子が静かに閉まり、カタリと小さな音が響く。

去り際の横顔があまりにも凛としていて、私は胸の奥をぎゅっと絞り込まれるような痛みを覚えた。……あんな小さな子に、どれほどの覚悟を強いているのだろう。

私はたまらず、そっと障子に近づき、ほんのわずかに隙間を開けて廊下を覗き込む。

その瞬間、目を見開いた。


「……っ、……ふぐっ、……っ」


そこにいたのは、さきほどの大人びた「長の一族」の少女ではなかった。

誰もいない廊下の影。柚子は小さな両手で必死に口元を覆い、声を押し殺して、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。華奢な肩が、幼い背中が、しゃくりあげるたびに小さく震えている。

(あの子……本当は、泣いていたんだ……)

私を心配させまいと、次の生贄として立派に見送ろうと、必死に感情を殺して接していたのだ。

その姿が、あの日――最初で最後の涙を流し、「私みたいな運命にならないで」と言い遺した深雪姉様の姿と完全に重なった。

(私は……何のために死ぬの……?)

「村のため」「柚子のため」と自分に言い聞かせ、生贄になる運命を受け入れてきた。

けれど、私がここで死んだら、11年後、柚子が全く同じ絶望を味わうことになる。姉様の血を引くあの子が、私と同じように嘘の微笑みを浮かべながら、鬼の餌食になるのだ。


本当にこれでいいの? 私、このまま死んでいいの……?


決意が根底からガラガラと崩れ去り、激しい葛藤と恐怖で息が詰まる。


――そして、運命の夜。

絢爛豪華だが重苦しい婚礼衣裳に身を包む。

髪を結いあげ、窓の外に照らされた満月をぼんやりと眺めながら、

暗がりの中で葛藤に身を焦がしていたその時だった。


ガタッ……!!


風もないのに障子が激しく揺れる。

そして。

……月光を背負い、一人の青年が窓から滑り込んできた。

見覚えのある、ふさふさとした狐の耳と尻尾。

だが背丈は遥かに大きく、見慣れない奇妙な服を纏っている。


14歳の夏に行方不明になった、私の幼馴染。


「――よぉ、紅葉。……相変わらず変わってねーな」


「銀……ちゃん……? 嘘、生き……て……」


まさか、そんな。

銀ちゃんは、いくら探しても、見つからなくて…、


呆然とする私に、銀ちゃんは力強い足取りで近づくと、迷いなく私の手を強く握りしめた。

「話は後でだ、紅葉。時間がねぇ。……近くで気配がする。ここは危険だ」

「これは……夢なの?」

「夢じゃねーよ。……お前を迎えに来たんだよ、紅葉」

そういう銀ちゃんは、確かに昔の銀ちゃんで。

それでも。

本当に逃げられるのだとしても。

「……っ、村のみんなが……、柚子、が……っ辛い思いしてる中で、逃げることなんて、できない……っ」

「紅葉の気持ちはわかる。…でも、このままお前が死んでも、村のみんなは鬼から支配されたまま。柚子は生贄になり、死んでくんだ。それでもいいのか?……深雪ねえが言ってただろ。『絶対に生きて』って」


あの幼い頃の姉様の涙を思い出す。

私は、姉様のように、炎に包まれて死んでいくのか。

…遺されたものの気持ちは、誰よりも知ってる。


ーーもっと、姉様と一緒にいたかった。


心の奥に隠していた気持ちが溢れ出す。 


ーー笑顔で笑い合って、ありふれた、だけど愛おしい毎日を過ごして。

  笑って、泣いて、時には喧嘩して。

  ずっと、ずっと。

  柚子と銀ちゃんと、緋色様と、姉様と、みんなで一緒に暮らしたかった……っ


死を待つだけだった私の胸の奥で、カチリと何かが弾けた。


(私は、生きたい……! !生きて、いつか柚子を絶対迎えにいく。それで、本来あったはずの愛おしい日々を、取り返すんだ……っ)

絶望の淵から一転、全身の血が激しく巡り、鼓動がうるさいほど跳ね上がる。かつて感じたことのない激しい興奮と希望が、私を支配していく。


「ここの窓をもう一度乗り越えると逃げられる。………一緒に行こう、紅葉」

差し出される手。

昔よりか大きくなった銀ちゃんの手を、震えながら、それでもぎゅっと握りしめた。


「私、行くよ……っ、一緒に行こう、銀ちゃん!!」


銀ちゃんはホッとしたようにニッと眩しく笑った。

窓が月光のように光り輝いている。



柚子。……いつか必ず、迎えに来るから。



私たちは躊躇うことなく一歩を踏み出した。

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