END 残炎
音がない。
静かだった。
完全に止まっているわけではない。
遠くで機械の駆動音がしている。
空調の低い唸りもある。
何もかもが止まったわけではないのに、そう感じるだけの静けさがあった。
ミナは、同じ場所に立っている。
立ち位置も、通路も、照明も、前と変わらない。
白い壁。
継ぎ目の少ない床。
埋め込まれたモニター。
窓のない内側。
あの日以来、何も変わっていなかった。
少なくとも、見える範囲では。
次の公演は、いつも通り行われた。
その次も、そのまた次も、同じように始まって、同じように終わった。
記録の上では、何も起きていない。
モニターには、完璧な映像が流れている。
揃った動き。
乱れないフォーメーション。
修正された光。
何も欠けていない五人。
>やっぱこの回が一番いい
>何回見ても完璧
>神回
>伝説
文字はいつも通り流れていく。
途切れない。
引っかからない。
そこには疑いも、迷いも、躊躇もない。
別の画面に切り替わる。
短い報道。
もっと短い続報。
そのあとに来る、何事もなかったような別の話題。
>一部配信記録に関する不整合が確認
>運営側は“システム上の調整”と説明
>所属タレントへの影響は確認されず
>詳細は現在調査中
それ以上は増えない。
何かが暴かれたわけでもない。
誰かが捕まったわけでもない。
世界が変わった実感もない。
ミナは、それを何度も見た。
本当に、何も起きていないように見える。
そう見えることに、もう慣れている。
けれど、何も起きていないわけではない。
それは、ミナが知っている。
あの日、赤に「証言できる?」と聞かれた時、
ミナは「……見ました」と答えた。
あれは、勢いで出た言葉ではなかった。
その直前まで、ずっと見ないふりをしてきた。
見えていても、曖昧なままにした。
違和感を感じても、そのまま流した。
でも、あの時だけは違った。
見たものを、見なかったことにしなかった。
その一言だけが、残っている。
あの日以来、何も変わっていない。
誰も来ない。
何も届かない。
赤からの連絡もない。
——アカネからは、何も。
ミナは、そこで一度だけ思考が止まる。
今、自分が何と言ったのか、少し遅れて気づく。
でも、言い直さない。
そのまま、次の動きを思い出す。
通路を歩く時。
控室で立っている時。
機体に触れる時。
視界が切り替わる瞬間。
毎回、少しだけ思い出す。
あの問いを。
「証言できる?」
もし、また誰かに問われたら。
同じように見たことを求められたら。
あの時の答えを、取り消すことはない。
モニターが切り替わる。
完璧な映像。
揃った五人。
変わらない記録。
アカネはいない。
ここには、もういない。
でも、消えたと断定することもできない。
見ていないことが多すぎて、
見たことだけでは足りなかった。
ただ、ここにはいない。
それだけが、確かだった。
ミナは歩く。
奥へ。
あの場所へ。
床に沿って走る線は、変わらずそこにある。
最初に見た時と同じように。
触れようと思えば触れられる距離に。
手を伸ばす。
止まる。
前と同じだった。
でも、前とは少しだけ違う。
前は、触れない理由が曖昧だった。
今は、違う。
何も起きていないまま終わる可能性も、理解している。
それでも、あの答えだけは残っている。
”見ました”
ミナは、ゆっくり手を引く。
振り返る。
完璧な世界。
何も起きていないことになっている世界。
でも、変わっていないのは、外側だけだ。
次のステージの合図が鳴る。
ミナは動く。
遅れない。
決められた場所へ向かう。
それでも、前だけは見ない。
前だけを見てしまえば、また全部を同じにできる。
もう、それはできなかった。
視線は少しだけ外れる。
まだ何も起きていない、その外側へ。
そこに、何かが残っていると知っているから。




