01 最初
その日──
誰も気づかない形で、
一人、消えた。
記録には、
何も残らなかった。
あとから言えるのは、たぶん、見ていた人間だけだ。
けれど、見ていたことと、残ることは、違う。
***
匂いが違う。
冷たい。
金属の匂い。油の匂い。乾いた空気。
白城ミナは、広いハンガーの入口で立ち止まった。
天井が高い。奥行きがある。照明は明るいのに、隅の方は不自然なくらい暗い。
人の背丈より一回り大きい機体が、整然と並んでいる。
どれも人の形をしていて、けれど人間が立っている時の気配はなかった。
その間に、人がいる。
視線が動く。
探しているつもりはなかった。けれど、先に見つかる。
「――白城ミナ?」
声がまっすぐ届く。
ミナは顔を上げた。目が合う。
相手の方が先に一歩、近づいてくる。
「はい」
短く返すと、その人はそれ以上距離を詰めずに言った。
「紅乃アカネ」
それだけだった。肩書きも、役割も、余計な説明もない。
けれど、その名前はきれいに耳に残った。コウノアカネ。少しだけ熱を持つ音だった。
「……よろしくお願いします」
少し遅れて言うと、アカネは軽く頷いた。
「初めて?」
「はい」
「大丈夫。すぐ分かるようになるから」
声は落ち着いていた。静かで、揺れない。
その言い方は励ましというより、ただ事実を置く感じだった。
ミナは、少しだけ息を整える。
「……難しいですか」
聞くつもりはなかった。なのに出た。
アカネはほんの短く考えたあと、「最初はね」と”赤”にそっと触れて言った。
それだけで、少し楽になる。
視線が、少しだけ動く。
アカネの顔を見る。
思っていたより、普通だと思った。
もっと、作り物みたいに美しい顔を想像していた。
“赤”の中身は、もっと完全なものだと思っていた。
もっと隙がなくて、もっと遠いものだと。
でも、目の前にいるアカネは、ちゃんと人間の顔をしていた。整ってはいる。綺麗だとも思う。
けれど、無機質な正解じゃない。少しだけ疲れているようにも見えるし、口元には固さもある。
なのに、目が離れない。
周囲では、誰かが笑い、誰かが返事をし、誰かが工具を運んでいる。声はあるのに、輪郭は残らない。そこに青がいて、黄がいて、紫がいるのだろうと分かる。だが、ミナはそちらをちゃんと見ない。見ようと思えば見られたのに、そうしなかった。
アカネが横を向く。
「時間」
短く言う。
周囲が動き出す。
ミナも動く。遅れないように。
機体が近い。
触れる。冷たい。
一瞬だけ迷う。
だが、アカネの声が近くで言う。
「そのままでいい」
ミナは頷き、そのまま身体を滑り込ませる。
背中側が閉じる。視界が切り替わる。音の反響が変わる。身体が軽くなる。自分の手を動かしたつもりで、別の手が動く感覚。怖い。だが、その怖さは、完全な拒絶ではない。
前を見る。
隣に、赤がいる。
同じ形。
同じ顔。
さっきの名前は、もう浮かばない。
アカネではなく、赤としてそこにいる。
通路を歩く。
音が揃う。全員、同じ速さで。
ミナは、考えない。
考えなくていい。
その方が、楽だから。




