第150話 世界は滅びなかった。
世界は滅びなかった。
父の計画した『大魔術』は解除され、空を覆っていた紫色の光は消え去った。
魔獣たちが溢れかえることもなく、人々が過剰な魔力によって倒れることもない。
世界は、いつもと変わらず、美しいままだった。
そして、僕たちの日常もまた、呆れるほど騒がしく続いていた。
「あーもう、終わらない……。アーリングくん、助けて……」
王城の執務室。
山積みになった書類の山から、新女王テレヴォの声が聞こえてくる。
「泣き言を言わない。君が王になると決めたんだろう?」
僕は隣のデスクで、同じく山のような決裁書類にサインをしながら苦笑する。
王配としての政務補佐に加え、王都で再開した【心の診療所】のカルテ整理。
とにかく忙しい。
けれど、嫌ではなかった。
この忙しさこそが、平和の証なのだから。
「王様って、こんなに大変なの? お父様、よくやってたなぁ……」
そんな泣き言を言っているが、その瞳には以前のような迷いはない。
彼女は彼女なりに、この国を背負う覚悟を決めている。
僕にできるのは、その隣で支え続けることだけだ。
窓の外を見下ろせば、復興が進む王都の街並みが見える。
そこには、それぞれの場所で輝く仲間たちの姿があった。
シリヤは王立の研究所に戻った。
彼女の知識は、これからの王国の魔術体系を大きく変えていくだろう。
街の診療所と教会では、聖女キルステーナが忙しく走り回っている。
彼女の治癒魔法と、底抜けに明るい笑顔は、傷ついた人々の心と体を癒やす希望の光だ。
たまに『アーリング様不足で禁断症状が……』と王城に忍び込んでくるけれども……。
そして、街の治安を守るのは、王都警備隊長に就任したビルギットと、その補佐を務めるヴィルデだ。
師匠によって数が激減していた隊を、ビルギットは再編してくれていた。
二人のコンビネーションは完璧で、王都の犯罪率は劇的に低下しているらしい。
……ビルギットが休憩中に猫カフェに入り浸っているという噂も聞くが、まあ、息抜きは必要だ。
みんな、自分の足で立ち、自分の人生を歩んでいる。
僕に依存するのではなく、共に歩む仲間として。
「……平和だね」
僕がぽつりと呟くと、テレヴォが顔を上げ、ふわりと優しく微笑んだ。
「うん。アーリングくんが守ってくれた世界だよ」
「僕じゃない。みんなで守ったんだ」
そう。
一人では何もできなかった。
みんながいたから、世界はつづいている。
僕達は生きている。
◇◇◇
月に一度、僕は北の地へと足を運ぶ。
かつて大魔術の儀式が行われた、クラール湖の湖底施設だ。
そこは今、厳重な監視下に置かれた「牢獄」となっていた。
長い廊下を抜け、幾重ものセキュリティを解除してたどり着く最奥部。
そこには、何もかもが真っ白に塗られた、無機質な部屋があった。
厚い強化ガラスの向こう、白一色の世界で、一人の男が椅子に腰掛けている。
グレンフェル元公爵。
僕の父だ。
彼は世界を滅ぼしかけた大罪人として、死刑こそ免れたものの、この湖底施設での終身刑を言い渡されていた。
皮肉にも、そこは彼が愛した妻、リズィ――僕の母が眠っていた場所だ。
「……また来たのか」
僕の姿を認めると、父は読んでいた本を閉じ、ガラス越しに視線を向けた。
その声は低く、以前のような威圧感はない。
ただ、静かな湖面のような落ち着きがあった。
「ええ。元気にしていますか、父上」
「見ての通りだ。退屈以外に死ぬ要素がない」
豪奢な衣服ではなく、白い囚人服に身を包んでいる。
僕たちは多くを語らない。
ただ、こうして互いの生存を確認し合うだけの時間。
「母さんと一緒に死にたかったですか?」
「……そうだな」父は言った。「そうするのが、もっとも美しい終わり方だっただろう」
僕は、母の後を追い、自らの命を落とそうとしている父を止めた。
罪を背負って、それでも生き抜くことが、残された者の宿命だと思ったのだ。
母の生きられなかった世界を、父は生きるべきだ。
愛のために世界を敵に回し、そして敗れた男。
その罪を背負い、彼はここで生き続けるのだ。
命尽きるその時まで、母の思い出と共に。
「長生きしてくださいね」
「それは私のセリフだ」父は言った。「おそらく、お前が死ぬとき、世界は滅ぶぞ」
「何を言っているんですか?」
また、例のわけのわからない『予言』か……。
「もう行け。つかの間の幸せを堪能するが良い」
父はそう言って、再び本を開いた。
それが面会終了の合図だった。
僕は一礼し、白い部屋を後にする。
父が、生きて罪を償っている。
それだけで、僕の心は少しだけ救われるような気がした。
◇◇◇
夕暮れ時。
王都の郊外にある、小高い丘の上。
オレンジ色に染まる空の下、僕とリネアは並んで立っていた。
目の前には、新しく建てられた白亜の墓標がある。
『リズィ・F・グレンフェル ここに眠る』
母の墓だった。
遺体となった彼女が、ここに埋葬されている。
すぐ近くに、スヴェレの墓もあった。
僕は、母が好きだった白い花を墓前に手向け、静かに手を合わせた。
「母さん。世界は、今日も平和だよ」
風が吹き抜け、草花が揺れる。
母が「よかったね」と笑ってくれているような気がした。
隣に立つリネアも、静かに祈りを捧げている。
その横顔は、夕日に照らされて美しく、そして穏やかだった。
「……旦那様」
祈りを終えたリネアが、僕の方を向く。
「愛しています」
「僕もだよ」
彼女の手が、そっと僕の手に触れた。
僕はその手を、優しく、強く握り返す。
温かい。
この温もりがあれば、僕はこれから先、どんな困難が待ち受けていても歩いていける。
空には一番星が輝き始めていた。
王都の方角からは、人々の生活の灯りがぽつりぽつりと灯り始めている。
僕たちの帰る場所。
大切な仲間たちがいる場所。
リネアが、僕に寄り添いながら言った。
「旦那様。そろそろ、参りましょうか」
「うん」
僕は頷き、最後の名残を惜しむように墓標を一瞥してから、前を向いた。
「さあ、帰ろう」
僕たちは繋いだ手を離さず、ゆっくりと丘を下り始めた。
二人の影が、夕日に、長く伸びていく。
世界は滅びなかった。
そして、僕たちの日常は、これからも続いていくのだ。
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【★あとがき★】
お読みいただき、ありがとうございました。
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