第143話 仲間と仲間
「言葉でわからぬのであれば、仕方があるまい。――力づくで、認めさせてやろう」
父から発せられる殺気が、謁見の間を支配していた。
かつて冒険者として名を馳せたという「英雄」の片鱗。
それは僕の想像を遥かに超える、圧倒的な『武威』だった。
父の姿が、陽炎のように揺らぐ。
―――速い!
次の瞬間には、父はビルギットの目前に肉薄していた。
振り下ろされる長剣。
その刃には青白い魔力が宿り、空気を切り裂く鋭い音を奏でている。
「ぬんっ!」とビルギットが大盾を掲げ、その一撃を受け止める。
―――ゴガァッ!
衝撃音が響き渡り、ビルギットの屈強な身体が数メートルも後方へと弾き飛ばされた。
石床に深い溝が刻まれる。
「ビルギットさん!」
「問題ない!」とビルギットは体勢を立て直す。「だが……なんと重い一撃か!」
ヴィルデが放った矢が父の眉間を襲う。
同時に、シリヤが展開した不可視の風の刃が父の四肢を狙う。
物理と魔術による、完璧な同時攻撃。
だが――。
「遅い」
父は剣を一閃させることなく、左手を無造作に振るった。
それだけで展開された魔術障壁が、ヴィルデの矢を弾き、シリヤの魔法を霧散させる。
魔術剣士。
剣技と魔術を同時に、しかも最高レベルで操る、一個の軍隊レベルの戦闘力。
父は余裕の笑みを崩さないまま、滑るような足運びで僕たちを翻弄する。
強い。
戦闘力において、僕たちは完全に凌駕されていた。
◇◇◇
だが、勝機がないわけではない。
僕の【神の瞳】は、父の身体の深奥で起きている、微細な変化を見逃していなかった。
(……呼吸が乱れている)
一撃ごとの威力は凄まじい。
だが、その直後に生じるコンマ数秒の硬直。
膝の関節に走る、微かな震え。
そして、魔力循環の僅かな淀み。
父は強い。
だが、全盛期ではない。
確実に『老い』が彼を蝕んでいる。
持久戦になればなるほど、その綻びは大きくなるはずだ。
「総員、散開! 正面から打ち合うな! ビルギットは防御に専念、ヴィルデは足元を狙え!」
父の剣閃は速いが、僕の【神の瞳】にはその軌道が見える。
予備動作、魔力の集束、筋肉の収縮。
すべてが情報として流れ込んでくるのだ。
僕の指示に従い、ビルギットが紙一重で斬撃を受け流し、ヴィルデの矢が父のステップを阻害する。
「シリヤ! 魔力の温存は考えなくていい! 最大火力を叩き込め!」
「了解しました! 限界まで出力します!」
天才魔術師の杖が唸りを上げる。
彼女の周囲に展開されたのは、一つや二つではない。十を超える魔法陣が同時に輝きだした。
「『焦熱の魔槍』! 『氷結の棺』! 『轟雷の戦槌』!」
炎、氷、雷。
北方の言葉で紡がれた属性の異なる高位魔術が父へと殺到する。
それは魔術師一個大隊に匹敵するほどの、暴力的な魔力の嵐だった。
「ぬぅッ……!」
さすがの父も、これには表情を変えた。
剣で炎を斬り裂き、魔力障壁で氷を防ぐが、休む間もなく次弾が襲いかかる。
爆風と閃光が謁見の間を埋め尽くす。
父の足が止まった。
防御に回らざるを得ない。
剣を振るうたびに魔力を消費し、障壁を展開するたびに体力を削られる。
「はぁっ、はぁっ……!」
爆煙の向こうで、父の荒い息遣いが聞こえる。
長期戦と広範囲攻撃の連打。
老いた英雄の肉体にとって、これほど過酷な状況はない。
だが、シリヤの方も限界だった。
これだけの大魔術を連発すれば、当然、魔力は枯渇する。
「くっ……魔力が……!」
シリヤが膝をつく。
父がそれを見逃すはずがない。
血走った目で、残る力を振り絞り、シリヤへと跳躍する。
―――だが、それこそが僕たちの狙いだった。
「今だ、テレヴォ!」
僕の合図と共に、後方に控えていたテレヴォが前に出る。
彼女は両手を広げ、シリヤに向けてそのギフトを解き放った。
「―――『【エーヴィ・キルデ】(永遠の泉)』!」
黄金の光がシリヤを包み込む。
枯渇していたはずの魔力が、乾いた大地に水が染み渡るように、一瞬にして満ち溢れていく。
「な……に……!?」
空中にいた父が、驚愕に目を見開く。
魔力切れの隙を突いたつもりが、逆に全快した砲台の前に身を晒すことになったのだ。
「計算完了。―――再充填、終了です」
シリヤが不敵に笑う。
その杖先には、先ほどよりも巨大な、極大の魔力弾が生成されていた。
「吹き飛べ!」
至近距離からの全力魔法。
父は咄嗟に剣でガードするが、その衝撃を殺しきれない。
ドォォォォンッ!
父の身体が吹き飛び、壁に激突する。
砂埃の中、父がよろりと立ち上がる。
だが、その剣先は下がり、足は震えていた。
決定的な隙。
「リネア!」
僕が叫ぶよりも早く、彼女は動いていた。
爆風の影に紛れ、音もなく父の懐へと潜り込んでいたのだ。
―――ザシュッ。
「ぐあぁっ……!」
漆黒の短剣が、父のアキレス腱を正確に斬り裂いた。
支えを失った巨体が、ガクリと膝をつく。
その首元に、リネアの冷たい刃が突きつけられた。
勝負あり。
静寂が、謁見の間を支配した。
父は肩で息をしながら、苦しげに、しかしどこか満足げに笑った。
「リヴとは似ても似つかん女だな。お前は。あいつは、もっと優しい女だった」
「あなたに似たんです」とリネアは言った。
「そう、お前は、私によく似ている」グレンフェルは言った。「最後の予言だ。お前は、いつか、私のように王になるだろう」
その姿には、かつての英雄の威光はなく、ただの年老いた敗者の哀愁が漂っていた。
リネアは無表情のまま、氷のように冷たく告げる。
「終わりです。反逆者として、その首を貰い受けます」
彼女の腕に力がこもる。
僕たちが勝利したのだ。
―――そう、確信した瞬間だった。
◇◇◇
リネアの短剣と父の首の間に、眩いばかりの白い光の壁が出現した。
―――カァンッ!
硬質な音が響き、リネアの刃が弾かれる。
「……なっ!?」
リネアが驚愕に目を見開き、バックステップで距離を取る。
「悪いが、この男を殺させるわけにはいかないんでね」という声。
空間が裂けた。
何もない空間から、一人の小柄な女性が、ふわりと舞い降りる。
黒いローブ、幼い容姿。
魔女、グローアだ。
さらに異変は続く。
壁に飾られていた、巨大な肖像画――かつての英雄パーティを描いた絵画から、金色の髪の女性が抜け出してきたのだ。
「……癒やしを」
聖女アルマ。
彼女が父の肩に手を置くと、切り裂かれたはずの足の傷が、見る見るうちに塞がっていく。
乱れていた父の呼吸が整い、顔色が戻る。
膝をついていた父が、ゆっくりと立ち上がった。
その両脇を、伝説の魔女と、伝説の聖女が固める。
「……馬鹿な」
シリヤが絶望的な声を漏らす。
父が微笑んだ。
それは、敗者の笑みではない。
最初からこの結末を知っていた、支配者の笑みだった。
グローアが、ゆっくりと手を掲げた。
「―――刻よ、止まれ。静寂をここに」
その言葉が放たれた瞬間。
世界から色が消えた。
僕の視界がモノクロームの静止画へと変わる。
足を踏み出そうとした僕の身体は、凍りついたように固まった。
指一本、動かせない。
声も出ない。
瞬きさえも許されない。
僕の隣で、リネアが短剣を構えたまま静止している。
後方では、シリヤが驚愕に口を開いたまま固まっている。
ヴィルデも、ビルギットも、テレヴォも。
この空間にいる僕たち全員が、時の中に閉じ込められていた。
動いているのは、父と、グローアと、アルマの三人だけ。
「……これは?」
父が、自分の手を握り返しながら尋ねる。
「『時間停止』の上位魔術さ。……もっとも、持続するのはたったの十分間だがね」
グローアは、つまらなそうに僕たちの周りを歩き回る。
動けない僕の顔を覗き込み、にやりと笑った。
「安心しな、アーリング。意識だけは残しておいてやったよ。お別れの挨拶くらいは聞きたいだろう?」
彼女は僕の肩を指でつついた。
だが、何も感じない。
「この空間では、あらゆる物理干渉、魔力干渉が遮断される。お前たちは動けないが、同時に、傷つくこともない。……十分間の絶対的な安全圏への幽閉、とでも言おうか」
それは、慈悲のようでありながら、絶対的な実力差を見せつける、残酷な宣告だった。
僕たちは、指一本動かすことも、傷つけられることすらもなく、ただ彼らの行く末を見送るしかないのだ。
たった十分。
けれど、彼らが姿を消すには永遠にも等しい時間。
父が、ゆっくりと僕の前まで歩いてきた。
「私は『クラール湖』へ向かう」
クラール湖。
僕の母の故郷であり、父が長年魔力を注ぎ込んでいた場所。
「そこで、私は新たな国を作る」
父は、広間全体に響き渡る声で、高らかに宣言した。
「―――『グレンフェル王国』の建立を、ここに宣言する」




