ep:2 少女のハンカチと駆けるノーティス
「お、お母さん……!」
少女はノーティスから離れバッと後ろを振り向いた。
そこにいたのは母親だ。
彼女は少し離れた場所から、少女とノーティスを睨みつけている。
そして路地裏にズカズカ入ってくると、少女の手をグイッと強く引っ張った。
「街で騒が起こってるから心配して迎えに来たのよ。なのに男の子と抱き合ってるなんて……ああもうっ、みっともない!」
少女の母親は顔を真っ赤にして怒っている。
纏っている服装からして、中の上の家庭だろう。
厳格な雰囲気が全身から溢れている。
処女はそんな母親に腕を引っ張られながら、不安で胸がいっぱいだった。
───お願い、気付かないで……!
少女が気にしていたのは、ノーティスが無色の魔力クリスタルである事だ。
自分が母親に怒られるのは我慢が出来る。
けれど、もし母親にノーティスが無色の魔力クリスタルだとバレたらタダではすまない。
少女の母親は優しいが常識には厳しいからだ。
ノーティスの魔力クリスタルに気付けば、罵倒するに決まっている。
───そんなのはイヤ! こんな優しい人に、これ以上傷ついてほしくないもん……!
しかしその願いも虚しく、母親はノーティスの額を見てハッと目を見開いた。
「アナタ無色の! もしかして、今街で騒ぎになってるあの……!!」
少女の母親は目を見開いたまま、穢れた物を見るような眼差しでブルブルと体を震わせている。
そして、サッと通りの方へ振り返り大きく息を吸った。
ここに『浄化』すべき者がいる事を皆に伝える為に。
「みなさー……」
そこまで言いかけた時、少女は母親に後からガバッと抱きついた。
「お母さん! ダメっ!!」
「えっ?!」
ビックリして振り向いた母親に、少女は目をギュッと閉じて抱きついている。
「お願いだからみんなに言わないでっ!」
「な、何を言ってるの?!」
「この人は何も悪くないのっ! 優しい人なんだよ! だから……」
少女は涙をボロボロ零しながら母親を見つめた。
どうしても、ノーティスを捕まえてほしくなかったからだ。
「それにこの人、親にも捨てられて国から出ていくつもりなの! それなのに捕まえるなんて……あんまりだよっ!」
涙ながらに訴えると、母親はスッ振り返り少女を見下ろした。
「ダメよ。魔力クリスタルの輝きが薄い人は、感染しやすいから色々制限されるのは知ってるでしょ」
「知ってるよ……」
「じゃあ、分かるわよね。無色の魔力クリスタルなんて、罪なの。ああなった以上もう……生きてちゃいけないのっ!」
「ううっ……イヤだ。イヤだよそんなの!」
少女は涙するが、母親の話は終わらない。
むしろ、より険しい顔で少女を見据えている。
「そんな常識が分からない子に育ったなんて、アナタにも罰が必要なようね!」
母親は少女に向かいバッと腕を振り上げた。
瞳は怒りに燃えている。
だが、その時だった。
「ごめんなさいっ!!」
ノーティスの大きな声が響き、母親は振り上げた腕をピタッと止めたのだ。
そして、不可解なものを見つめるような眼差しでノーティスを見つめている。
「な、なんなのよ……」
少女の母親は、なぜノーティスが自分に謝ってくるのかが分からない。
さっきの会話は、当然ノーティスにも聞こえてたハズだ。
なので、ノーティスが怒ったり悲しむなら分かる。
───なのにこの子、なんで謝ってくるのよ……!
ノーティスは少女の母親に対し、すまなそうに頭を下げたままだ。
「アナタの言う通りです。俺が……俺が無色の魔力クリスタルなんかだから……」
涙に言葉を詰まらせながらも、ノーティスは話を続ける。
「けど、その子は何も悪くないんです。俺が無理やりここで話をしたんです! だから、その子を叱らないで下さい。お願いします!!」
「ア、アナタ……」
母親は目を大きく見開いてノーティスを見つめた。
ノーティスの言葉と態度に、一瞬心を揺さぶられたのだ。
少女を掴む手の力が思わず緩む。
その隙をつき、少女は抱きついていた腕をバッと振りほどいてノーティスに駆け寄った。
「なんで、なんでそんな事言うのっ! キミは悪くなんて」
「いいんだ……キミは悪くない。悪いのは俺なんだ」
「違うっ! キミは何も悪くないよ! お願いだから、顔を上げてっ!」
ノーティスの両肩を掴み、少女は涙を流しながら必死に揺さぶっている。
けれど、ノーティスは顔を上げない。
「頼むからもう行ってくれ。俺に、関わるな……!」
「嫌だよっ! ううっ……こんなの、こんなのあんまりだよ……」
処女は涙を流している。
その姿をジッと見つめていた母親は、少女キッ! と、睨みつけた。
「いい加減にしなさいっ! そんな穢らわしい子からさっさと離れて! もう呪いにかかってるかもしれないのよ!!」
母親の怒声が薄暗い路地裏に響き渡る。
その瞬間、少女はバッと振り向き思いっきり顔をしかめた。
「うるさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!!!!!」
その叫びを受けた少女の母親は、思わずビクッとしてしまった。
今まで少女がこんなに叫んだ事は、一度も無かったからだ。
だが、そんな母親に対して少女は止まらない。
洪水のように言葉を浴びせてゆく。
「無色の魔力クリスタルだからなんなの!! この人何も悪い事してないのに……それにこの人、お母さんに謝ってるじゃない!!!」
「ア、アナタ……」
「お母さんは何を見てるの?! 大事なのは魔力クリスタルなんかじゃないっ!! 心でしょ!!!」
少女が怒涛の言葉を言い放ちハァッ……ハァッ……と、息を切らしている。
そんな中、ノーティスはスッと顔を上げた。
瞳からはツーっと、涙が流れている。
「キ、キミは……ううっ……くっ……」
ノーティスは泣くのを我慢したかったが、止まらない。
無色の魔力クリスタルだと判明してから皆に迫害された以上、こんな温かさには二度と触れる事が無いと思っていたからだ。
そんなノーティスに少女は優しく微笑んだ。
「やっと、顔を上げてくれたね。ボク、キミが顔を上げてくれないから、お母さんにあんな事言っちゃったよ」
「すまない、俺のせいで……」
「ううん、いいの」
少女は優しく笑みを浮かべたまま、ノーティスにそっと白いハンカチを差し出した。
その白いハンカチは、可愛いピンクのウサギの柄が入っている。
「はい、これで涙拭いて」
「これは……」
「ボクのお気に入りのハンカチ。キミにあげるよ」
「えっ?」
ハッと驚いた顔をしたノーティスに、少女はハンカチを渡すと手をギュッと握った。
見つめる瞳には、愛に満ちた優しい光が揺れる。
「覚えておいてほしいの。キミがどこにいようと、味方もちゃんといるんだって事を」
少女は凛とした顔で微笑むと、クルッと背を向け母親の下へ行きペコリと頭を下げた。
「お母さん、酷い事言ってごめんなさい。でもボク、お母さんの言いつけは守ったよ」
「えっ? どういう事よ……」
「だってお母さん、いつも人には優しくしなさいって言ってるでしょ。あの男の子も人だよね。違う?」
少女は母親の瞳を真っ直ぐ見つめている。
母親に敬意は払いながらも、退く気は一切無い。
その一点の曇もない瞳の光に当てられた母親は、フウッ……! っと、ため息を吐いた。
「……分かったわよ。私は何も見なかった」
「お母さんっ……!」
「その代わり、教会に行くわよ。アナタ達の幸せをお祈りする為にね」
「うんっ♪」
涙の乾いた跡を残した顔で、少女は満面の笑みを浮かべた。
また、母親も優しい眼差しで少女を見つめている。
そして、母親と一緒にその場を後にした。
手を繋いで歩く後ろ姿は、とても嬉しそうだ。
お互いに、より理解し合えたのだろう。
ノーティスはそんな二人の姿を、ジッと見つめている。
そして少女のくれたハンカチで涙を拭くと、そっと大切にポケットへ閉まった。
そのままスッと瞳を閉じ、さっき言いそびれてしまった言葉を心の中へ染み渡らせてゆく。
───ありがとう。
もう、言う事も言われる事も無いと思っていたその言葉を胸にノーティスは誓う。
───俺は必ず逃げ延びて、人を幸せにしてみせる! この先、どんなに辛い人生が待っていても……!
ノーティスは心に誓いを打ち立てると、再び逃走を始めた。
この誓いを現実の物にする為に、力強く駆けてゆく。
そこから兵士達の追跡を何とかくぐり抜け、国の出口まで近づいていった。
───これなら何とか……
ノーティスは、さらに警戒を強めながら進んでゆく。
が、その時だった。
ドオオオオオンッッッ!!! と、いう大きな爆発音が耳に届いたのだ。
思わずその方向へ振り向き路地裏から煙を眺めていると、街中でザワつく声がノーティスの耳に入ってきた。
「おい、ヤベェぞ! 『フェクター』が現れたって!」
「マジかよ!」
「ったく、冗談じゃねぇぜ!」
フェクター。
それは『魔力クリスタルの暴走』により、人が怪物になってしまう現象の事だ。
ランク上の冒険者達やこの国最強の『王宮魔道士』達ならそんな事は起こらない。
ただ、一般市民は魔力の暴走による耐性が低い。
なので、たまに起こってしまう事がある。
これは魔力クリスタルの大きな副作用だ。
けれど、魔力クリスタルの定期検査を行っていれば滅多に起こらない現象でもある。
「そいつゼッテー魔力クリスタルの『定期検査』サボりやがったんだろ!」
「だろうな。それか、よっぽど何かあったのか……」
「分っかんねぇけど、どちらにしろヤベェよ!」
市民達は騒いでいるが、ノーティスにはある意味都合が良かった。
───その人には申し訳ないけど、今ならそっちに注意がいくから俺への追跡は手薄になるハズ……
そう思ったノーティスは出口の方へ向かおうとした。
しかし、街の人達の話が聞こえてきた瞬間に思わずピタッと足を止めてしまった。
「だから、教会だよ教会!」
「マジで? あそこ人いっぱいいんだろ」
「今日はミサもあるしな」
ノーティスは、それを耳にした瞬間に思い出したのだ。
さっき、あの少女が母親と一緒に教会へ行くと言っていた事を。
───まさかっ!
もちろん、ここから教会までは逆方向。
せっかく国の出口へ近づいているのに、教会へ行けば大きく引き返す事になってしまう。
何より、そんな所へ行ったら兵士達に捕まる危険性が高い。
さらには、フェクターに殺されてしまう可能性だって充分にある。
相手は怪物であり、片やノーティスは魔力を持たない人間だからだ。
けれど、ノーティスは全速力で教会に向かって駆け出していた。
そんな事を考えるよりも、体が先に動いていたのだ。
───絶対死なせない! 俺の命に代えても守る! 俺に、人の温かさを教えてくれたキミを……!!