◆第一話『穏やかな朝』
夢を見ている。
そう気づけたのは過去に何度も見ているからだった。
黒煙と血にまみれた住宅街。
いましがた帝国の襲撃を受けていた島を救ったところだった。
……いや、救ったと言えるかはわからない。
周囲に目を向ければ多くの死体が転がっている。
力が足りなかった。
その一言に尽きる結果だ。
悔しさから天を仰いだ、そのとき。
空に白銀の翼竜が飛んでいた。
それも見たことのない美しい白銀色の――。
翼竜は旋回しながら舞い下りてくると、その体を白く輝かせ、人の身へと変化させた。
現れたのは20歳ほど女。
肩にかかる程度で揃えられた髪は、先の翼竜と同じく銀で彩られている。
「……翼竜人?」
絶滅したのではないか。
そう言われるほど姿を見ない。
「あなたがクラーラ?」
どこか人懐っこさを感じる声だった。
彼女はこちらをじっと見つめてきたのち、まなじりを下げる。
「とても寂しい目をした人ね」
「……会っていきなりだな。帝国の手先か? だったら――」
殺す。
そう言おうとした矢先だった。
「違うわ。わたしはあなたの力になりにきたの」
言って、彼女はにこりと微笑む。
その姿は周囲の凄惨な光景からひどく浮いていた。
「わたしのすべてをあなたにあげる。だから、わたしを……」
――空の果てへと連れていって。
記憶に刻まれた彼女の言葉が再現されることはなかった。見ていた光景が急に薄くなり、ついには白く染まったのだ。きっと夢の終わりが近づいてきたのだろう。……ここで途切れたのは初めてだ。
やがて意識は引き上げられ――。
くすぐったい。
それが覚醒した直後に感じたことだった。
ほんのりと薄目を開ける。
映り込んだのは昨夜の祝宴会場となった食堂だ。
遠くには、だらしない格好で椅子や机に寝転がった仲間たちの姿が見える。酔いつぶれるまで呑んだのだろう。いまだに顔が赤い者もいた。
あまりに彼らが賑やかすぎて隅のほうに避難。
そのまま壁に背を預けて座った状態で眠気に襲われた。
昨夜のことを覚えているのはそこまでだ。
ただ、いまの状態に至った経緯はまったくわからなかった。
「……ゼノ」
シャラに右側から抱きつかれていた。
髪や頬、胸、脚をすりつけてきている。
まるで動物が匂いをこすりつけるかのような動きだ。
なぜ彼女はこんなことをしているのか。
発情しているのかとも思ったが、そうしたいやらしさは感じない。
ただ、たしかなことは不快ではないということだ。
むしろ彼女の柔らかな肌や爽やかな匂いのせいか、心地良いとさえ思うほどだ。
このまま放置すべきか、注意すべきか。
寝起きのまとまらない頭でぼうっと考えていたときだった。
「ゼノ……ゼノ……」
シャラがすんすんと体臭を嗅ぎはじめた。
恵まれていない囚人生活をずっと続けてきたのだ。
あまり清潔ではないし、体臭はきついはずだ。
にもかかわらず、彼女はいやな顔をまるでしない。
それどころか、さらに求めるように動きだした。
腰の辺りから始まり、脇、胸。
ついにその鼻を顔へと近づけようとしてくる。
瞬間、視線が交差した。
大きく目を見開いたまま動かなくなるシャラ。
ようやく動きだしたのは、しばらくしてからだった。
「あ、あの……これは……その……というより、起きていたのっ……ですか……」
「さすがにあれだけ情熱的に体をこすりつけられたらな」
自身のしていたことを思いだしたのか。
シャラが顔を赤らめ、飛び退くように離れた。
そのまま身を縮めて俯いてしまう。
「……これは、違うんです」
「どう違うんだ?」
「よ、翼竜人の独特な性質ですっ。乗り手として選ぶことはとても特別なことで、だから……っ」
俯いたまま必死に釈明するシャラ。
本能的なものなら仕方ないかもしれない。
だが、大事なことを伝えなければならなかった。
「お前の姉からこんなことをされた覚えはないけどな」
「あ、姉はきっと我慢して――」
「ってことは、シャラは我慢できなかったんだな」
直後、シャラの顔が真っ赤になった。
彼女には悪いが、最高に面白い一瞬だ。
我慢云々が本当かどうかはわからない。
ただ、そんなことはどうでもよかった。
「シャラがしたいなら、これからもすればいい」
「べ、べつにわたしはそこまでしたいわけでは……っ」
欲情したわけではないのなら、1つだけ心当たりがあった。それは寂しさだ。彼女は姉を失っている。両親のことはわからないが、甘えたいという感情が働いてもおかしくはない。
シャラの柔らかい銀の髪を梳きながら、その頬に右の掌をそっと当てる。
「俺とお前はもう家族みたいなもんだ。遠慮は必要ない」
彼女の姉であるソフィアとの付き合いもあってか。
シャラのことはすでに他人のように思えなかった。
彼女がこちらの右掌に両手をそっと添えてくる。
「……もうしません……きょ、今日は……ですが」
目をそらしながらそう告げてきた。
どうやら受け入れてくれたようだ。
「言い忘れたが、ひとつだけ条件がある」
「……条件、ですか」
「ああ。俺も男だし、長い間、女とは無縁の生活を送っていたからな。こんな誘われるようなことを続けられたらどうなるかはわからない。……覚悟だけはしとけよ」
情事には疎そうだが、シャラも大人だ。
さすがにどのような覚悟かすぐに理解したようだ。
思い切り目を見開いたまま、またも顔を赤くさせていた。
がたん、と音が聞こえた。
音の出所に目を向けると、少し離れたところに1人の少年――エルクが立っていた。ひどく動揺した様子で口をぱくぱくと動かしている。
「あ、あ……あの、ボク、なにも見てないです、から」
言うやいなや、エルクが立ち去ろうとする。
「ちょっと待て」
「でも……」
居心地が悪そうに目を泳がせている。
いまから情事を始めるものだと思われていそうだ。明らかな誤解だが、隣でいまも耳を赤くするシャラがいる中では、そう思われても無理はなかった。
ゼノは思い切り息を吐いて話題を切り替える。
「それより体のほうはもういいのか?」
昨夜、エルクはデジャンから一方的な暴力を受けた。ひとまずシュボスから得た薬品で最低限の手当てはしたが……決して1日で癒えるような傷ではなかったはずだ。
「はい。ほとんどが肌につけられたものだったので」
強がっているのは明らかだ。
間違いなく打ち身もあった。精神的な苦痛も考えれば、まだ寝ていてもいいぐらいだ。ただ、いまは彼のやせ我慢を汲むことにした。
「昨夜はごめんなさい」
「……なんのことだ?」
「みんなが命を賭けて戦ってる中、ボクは寝ていることしかできなくて……」
「そんなこと気にしてる奴なんていない思うぜ」
「でも……」
エルクの気持ちもわからなくはない。
だが、彼はあることを1つ忘れている。
「力になったかどうか、か。そんなのなったに決まってるだろ。なにしろエルクが止めてくれなかったら、俺は今日を迎えられなかったからな」
あのときは、そうすることが正しいと思った。
いや、そうするしかないと思っていた。
だが、仲間たちの笑顔を見て考えは変わった。
あのまま命を捧げなくてよかった、と。
「俺が生きてられるのはお前のおかげだ。エルク」
「……ゼノさん」
ほっとしたように顔を綻ばせるエルク。
だが、なにかを思いだしたようにはっとなる。
「その、本当にいいんですか?」
ちらちらとシャラのことを見ていた。
大方、先ほどの〝情事の続き〟について言っているのだろう。
「いいもなにも、こんな状況でできるか」
周囲を見回すと、たくさんの仲間たちと視線が交わった。全員がしまったとばかりに机や椅子に顔を引っ込めるが、もう遅い。
その光景を見て、シャラが「え、え……」と目を瞬いている。
「途中から結構な数が起きてたぞ。気づいてなかったのか」
シャラがゆっくりとそばの机の陰に隠れた。
近くの椅子まで引き寄せて完全に防壁を造った形だ。
……翼竜はこうして巣を作るのだろうか。
「なんだよ、なにもしねえのかよ」
「だったらもう少し寝てりゃよかったぜ」
仲間たちから残念がる声が聞こえてきた。
仮にそのつもりだったとしても期待に応えるつもりはなかったが、ひとまず全員が起きているのならちょうどよかった。
ゼノは立ち上がって仲間の顔を見回す。
「ったく、起きたならすぐに始めるぞ」
「始めるってなにを?」
ヴィンスがそう聞き返してくる。
昨夜のうちに看守たちから聞き出した幾つかの情報。
それらをもとに可能な限り早く決めなければならないことがあった。
「決まってるだろ。今後の作戦会議だ」




