告白——遠い国から来た男
伯爵の瞳に蝋燭の炎が映っている。揺れない。鋭い目が健悟を射抜いている。謁見の間の沈黙が——石壁に反響して、圧力になっている。
何者だ。その問いに——どう答えるか。
(全てを語ることはできない。異世界から来た。過労死して転生した。前世は日本の国交省の官僚だった。——それは、この世界の誰にも理解できない。しかし——嘘もつきたくない。嘘は長期的に破綻する。ザインにもそう言った。自分がその言葉に反するわけにはいかない)
部分的な真実を選んだ。
「——遠い国から来ました」
伯爵の眉が動いた。微かに。
「遠い国の——行政官でした。道路や橋や港を計画し、予算を組み、建設を管理する仕事をしていました。公共事業を専門とする——文官です」
「どの国だ」
「もう存在しない国です。——滅んだのか、自分が去ったのか。正確にはわかりません。ただ——戻れないことだけは確かです」
嘘ではない。日本は滅んでいない。しかし健悟にとって——前世の日本はもう存在しない。死んだ人間に帰る場所はない。
伯爵が数歩歩いた。靴音が石床に響く。健悟の周囲を——品定めするように、ゆっくりと。鷲鼻の下の唇が引き結ばれている。考えている顔だ。
「行政官。——文官というわけか」
「はい」
「剣は使えるか」
「使えません」
「魔法は」
「使えません。《万象鑑定》があるだけです。見ることしかできない。建てることも壊すこともできない。見て、計画して、人に伝えること。それだけが——私にできることです」
伯爵が足を止めた。健悟の正面に立った。五十代の領主の目が——上から健悟を見下ろしている。身長差がある。しかし——それ以上に、権力と歴史の重みの差がある。三十年間この領地を統治してきた男と、半年前に異世界から来た男。
「滅びた国の行政官が——余の領地で何をしている」
「——最初は、生きるためでした。流れ着いた先がハルベルトでした。村長のリーゼに拾われ、崩れかけた橋を見て——直さなければと思いました。それが私の仕事だったから」
健悟は言葉を選びながら続けた。謁見の間の空気が冷たい。自分の声が石壁に跳ね返って、他人の声のように聞こえる。
「道を作れば、人が助かる。橋を直せば、物が運べる。港を整備すれば、交易ができる。前の国では——それを仕事としてやっていました。命令されたからではなく——必要だったからです。ここでも——同じことができると思いました」
「仕事として、か」
「はい。仕事として」
伯爵が——鼻を鳴らした。軽蔑ではない。何かを確認するような音だ。
「お前は——権力を求めているのか」
「いいえ」
「金か」
「いいえ」
「名声か」
「いいえ。——定時で帰りたいだけです」
言ってしまった。口が滑った。前世の口癖が——異世界の謁見の間で飛び出した。
沈黙。ハインリヒが怪訝な顔をしている。文官たちが顔を見合わせている。レオンハルトだけが——口元をわずかに動かした。笑いを噛み殺しているのか。
伯爵の目が——変わった。鋭さは消えていない。しかし——別の何かが加わった。値踏みの目。この男が嘘をついているかどうかではなく——この男を使えるかどうかを計算する目。
「健悟。お前の話は——検証のしようがない。遠い国の行政官というのが真実か嘘かは——余には確かめられん」
「はい」
「しかし——お前の計画書は本物だ。数字は嘘をつかない。お前がどこから来たかは問題ではない。問題は——お前が何をできるか、だ」
伯爵が玉座に戻った。腰を下ろし、背もたれに体重を預けた。灰色の髪が蝋燭の光を受けて、白い筋が浮かんでいる。
「条件を提示する」
健悟の背筋が伸びた。伯爵の声が——命令の声に変わっている。
「防衛構想の実行を許可する。ただし——お前を『辺境伯領インフラ顧問』に任命する。公式の肩書きだ。お前の活動は——余の管理下で行われる。報告義務を課す。月次の進捗報告。四半期ごとの監査。年次の査察。全ての建設事業は——事前に余の承認を要する。勝手な建設は許さん」
伯爵が指を一本立てた。
「さらに——顧問としての活動費用は伯爵府が支出する。ただしその対価として、建設に関する全ての技術情報は伯爵府に帰属する。マギクリートの製法も含めてだ」
(技術情報の帰属。——特許権のようなものだ。前世でいえば、国の研究開発費で作った技術は国に帰属する。理屈は通る。しかし——マギクリートはドラガとフェリスの技術でもある。彼らの同意なしに——)
(管理下に置く。——予想通りだ。伯爵の論理は一貫している。制限令と同じだ。禁止ではなく管理。自由に動かすのではなく、手綱をつけて走らせる)
「さらに——拠点をカッセル城下町に移すこと。余の目の届く場所で働け」
心臓が跳ねた。拠点をカッセルに。それは——ハルベルトを離れるということだ。リーゼの村を。
「拠点の件は——」
「交渉の余地はない。顧問職を受けるなら、カッセルに住め。受けないなら——防衛構想は不許可だ」
二択だ。顧問職を受けてカッセルに移るか。拒否して防衛構想を諦めるか。伯爵は——健悟を手元に置きたいのだ。管理するために。利用するために。そして——危険を封じるために。
城下町の宿。夕方。窓から西日が差し込んでいる。
小部屋にマルテとガルドを呼んだ。宿の壁板が薄く、廊下の足音が聞こえる。声を落として話した。伯爵の条件を一つずつ説明する。マルテが即座に帳面を出した。条件を箇条書きにしていく。商人の習性だ。
マルテが帳面を広げた。条件を一つずつ書き出していく。商人の目で——条件の損得を分析している。
「月次報告と四半期監査——これは受け入れ可能だわ。むしろ透明性を示す機会になる。問題は拠点移転よ。カッセルに住むということは——ハルベルトの日常的な意思決定から外れるということ。致命的よ」
「ああ。健悟がいなければ——建設の判断が遅れる」ガルドが壁に寄りかかっていた。革鎧が軋んだ。「しかし——お前が決めろ。俺は剣の話しかできん」
「ガルドさん——」
「言っただろう。役割が違う。お前の役割で判断しろ。俺は——お前がどう決めても、ここを守る」
ガルドの声は短く、硬かった。しかし——その硬さの中に、信頼が込められている。
マルテが条件の一覧を指で叩いた。
「対案を出すべきだわ。全面受け入れも全面拒否もだめ。交渉よ。——健悟さん、あなた前の国で行政官だったんでしょう? こういう交渉は得意なんじゃないの」
「……得意というか。やったことがあるというか」
「じゃあやりなさい。商人としての助言を一つ。相手が出した条件をそのまま飲むのは三流。対案を出して相手に選ばせるのが二流。相手が対案を自分のアイデアだと思い込む形に持っていくのが一流よ」
マルテの目が鋭い。二十一歳の商人の目だ。
夜。宿の廊下で——リーゼと会った。
リーゼはガルドから話を聞いていた。碧い目が——暗い廊下の蝋燭に照らされている。
「カッセルに行くの」
「まだ——決めていません」
「でも——そうしないと、防衛構想が動かないんでしょ」
「はい」
リーゼが窓辺に手をかけた。窓の外に、城下町の灯りが見える。しかし——リーゼの目は灯りを見ていない。遠くの闇を見ている。ハルベルトがある方角の——闇を。
「健悟が——村の人じゃなくなる」
声が小さかった。村長の声ではなかった。二十歳の女性の声だった。
「村の人ではなくなりません。——なくなるわけがありません」
「でも伯爵の顧問になるんでしょう。伯爵の下で働くんでしょう。それって——村の健悟じゃなくて、伯爵の健悟になるってことじゃないの」
その言葉が——刺さった。政治的な合理性ではない。感情の刃だ。リーゼの言葉はいつも——計画書では想定していなかった場所を突いてくる。
「リーゼさん——」
「ごめん。今のは——村長としてじゃなくて」
リーゼが首を振った。亜麻色の髪が揺れた。碧い目に——蝋燭の光が揺れている。
「……対案を考えます。カッセルに行かなくても済む方法を。——必ず」
「……うん」
リーゼの声は小さかった。碧い目が——健悟を見上げた。蝋燭の光に照らされた顔は——いつもの快活な村長ではなかった。何かを失うことを恐れている、二十歳の女性の顔だった。
リーゼが去った。亜麻色の髪を束ねた後ろ姿が——廊下の闇に消えていく。足音が遠ざかる。
部屋に戻った健悟は——机に向かった。蝋燭を新しいものに替え、魔法ペンを取った。対案を作る。伯爵の条件を——ハルベルトを離れずに満たす方法を。リーゼの自治権を守りながら、伯爵の管理欲求を満たす官僚的妥協案を。
前世の省庁間調整の技術が——今ほど必要とされた夜はない。
(伯爵の条件には穴がある。「拠点をカッセルに」は——「常駐」とは言っていない。「顧問」の役割定義は曖昧だ。曖昧さは——交渉の余地だ。条件の文言を一字一句確認する。そして——こちらに有利な解釈を提示する。法律の条文を読み替える技術。前世で何百回もやった。通達の一行で事業を生かす技術を——今、リーゼのために使う)
蝋燭の炎が揺れる。新しい羊皮紙に、対案の骨格を書き始めた。ペン先が紙を引っ掻く音だけが、夜の部屋に響いていた。




