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過労死した国交省官僚、異世界で《万象鑑定》を得て辺境村のインフラを直したら交易都市の王になっていた件  作者: ぽんぽこライフ


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辺境の火——複数の村が燃える

 三方向の地平線で、赤い光が燃えていた。北。東。北東。三つの狼煙が同時に夜空を染めている。風が城壁を叩き、松明の炎が揺れた。城内を駆け回る兵士たちの甲冑が金属音を響かせている。


 健悟たちは城壁の上に登っていた。宿屋から出て城に向かうと、城門は既に開け放たれ、騎士たちが出撃準備を進めていた。ザインが城内の混乱の中から現れ、四人を城壁の上に案内した。


「三つの村が——同時に攻撃を受けています」


 ザインの顔は蒼白だった。帳面を握る手が震えている。


「北のグリュンヴァルト村、東のライヒェン村、北東のフェルゼン村。いずれも辺境の小村です。魔物の群れが——同時に襲撃しています」


「同時——偶然か」


「偶然ではありません。同時刻に三方向から。これは——統率された行動です」


 健悟は城壁から身を乗り出して北の空を見た。赤い狼煙の光が、まだ消えていない。あの光の下で——人が死んでいる。家が焼かれ、畑が踏み荒らされ、逃げ惑う声が上がっている。見えない。しかし——想像できる。


 中庭に降りた。


 出撃準備が進んでいた。馬が嘶き、蹄が石畳を叩く。騎士たちが甲冑を装着する金属音が響いている。松明の煤の匂いが鼻をつく。混乱の中に——一つだけ、秩序がある場所があった。


 レオンハルト。


 金色の髪。頬の古い傷。騎士団副団長は、部下たちに簡潔な指示を飛ばしていた。


「第一部隊はグリュンヴァルトへ。第二部隊はライヒェンへ。第三部隊はフェルゼンへ。各部隊二十名。出発は——」


 レオンハルトの声が止まった。その目が——中庭の隅にいるガルドを捉えた。


 二人の視線が交差した。一瞬。それだけだった。レオンハルトが顎で頷き、ガルドが短く頷き返した。言葉はない。しかし——かつて同じ戦場に立った者同士の、無言の了解があった。


 レオンハルトが馬に跨った。出撃する騎士たちの背中が闇に消えていく。三方面に分散して——二十名ずつ。合計六十名。しかし——三つの村を同時に守るには心許ない数だ。


「兵力が——足りない」ガルドが呟いた。「あの人数じゃ——持ちこたえるのがやっとだ。制圧には程遠い」


 ガルドの右手が、無意識に腰の剣の柄を握っていた。冒険者の本能が——戦場に向かおうとしている。しかし今は、交渉団の護衛だ。この場を離れるわけにはいかない。その葛藤が——握り締めた拳に表れていた。


 城壁の上から見下ろすと、街にも動揺が広がっていた。窓に灯りがつき、通りに人が出始めている。狼煙の意味を知る者は多い。辺境で魔物が出た——その報せは、城下町の住民にとっても他人事ではない。今日は三つの村。明日は——自分たちの街かもしれない。


 城内の緊急対応が続いていた。伝令が走り回り、補給物資が積み込まれ、負傷兵を受け入れる準備が始まっている。交渉どころではない。伯爵城は——戦時体制に移行していた。


 宿屋の部屋に戻った。四人が向かい合う。窓から、出撃した騎馬隊の松明の光が遠ざかっていくのが見えた。


 健悟の頭の中で——二つの思考が交差していた。


 一つ目。政治的な計算。


 (この魔物被害は——交渉のカードになる。辺境の防衛に兵力が不足している。ハルベルトのインフラ——街道の魔力灯、マギクリートの防壁、中継塔ネットワーク——が防衛拠点として機能すれば、伯爵にとっての価値が跳ね上がる。交易制限令の緩和どころか、積極的な支援を引き出せるかもしれない。ザインが最初に使った切り札と同じ論理だ。しかし——今は予測ではなく、現実に被害が出ている。現実の被害を目の前にして、「だから私たちの提案を」と言えるか)


 二つ目。嫌悪感。


 (人が死んでいる。家が焼かれている。その状況を——交渉のカードにする。それは——)


 胃が締め付けられた。国交省時代にも似たことがあった。災害が起きると、予算が通りやすくなる。「被災地の復旧予算」として——普段は通らない道路整備の予算が上乗せされる。それを利用する官僚たち。健悟もその一人だった。被災地の写真をプレゼン資料に添付し、「だからこの予算が必要です」と説明する。正しいことだ。しかし——被災者の苦しみを、自分の予算獲得のために使っている。その構図に——吐き気がした。


「健悟」


 リーゼの声が、思考を断ち切った。


 碧い目が——真っ直ぐに健悟を見ている。リーゼの目は——透明だった。計算がない。駆け引きがない。


「あの狼煙の下に——村人がいるんだよね」


「はい」


「助けに行くべきだと思う」


 マルテが顔を上げた。ガルドの眉が動いた。


「リーゼ。今ここを離れたら——交渉が」


「わかってる」リーゼの声は震えていた。しかし——弱さではなく、強さの震えだった。怒りに近い何か。「でも——交渉のために人が死ぬのを待つの? 魔物被害が酷くなればなるほど交渉が有利になるって——そう考えて、ここでじっとしてろっていうの?」


 誰も答えなかった。


「ハルベルトにはマギクリートがある。防壁を作る技術がある。街道を整備した経験がある。それを——今、困っている人のために使えるなら——使うべきだよ」


「しかし——ハルベルトから資材を運ぶ時間が——」リーゼの言葉の意味を理解しようと、健悟が口を開いた。


「資材じゃない。知識よ。防壁の設計、避難経路の確保、マギクリートがなくても——石と土でできる応急防壁の作り方。健悟が知ってることを、あの村の人たちに教えられるでしょ?」


 健悟は——言葉を失った。リーゼが言っているのは、交渉の放棄ではなかった。自分たちが持つ技術と知識を、今苦しんでいる人のために差し出すこと。交渉カードとして使うのではなく——純粋な支援として。


「見殺しにして得た交渉結果に——意味はないよ」


 リーゼの声が——宿屋の部屋に響いた。強い声だった。二十歳の村長の声。政治の計算を知らない。駆け引きの技術もない。しかし——人を守るという一点において、揺るがない。


 ガルドが——立ち上がった。


「賛成だ」ガルドが腕を組んだ。「俺は元冒険者だ。魔物と戦える。行く」


 ガルドの目に——光が戻っていた。クラウスの話をした時の、遠い目ではない。今、目の前にいる人を守るための——鋭い目だ。


「あたしも——」マルテが帳簿を閉じた。「商人として。避難民への物資の手配なら——できるわ。城下の商人たちに声をかければ、食料と毛布くらいは集められる」


 健悟は窓の外を見た。赤い狼煙が——まだ消えていない。窓ガラスに自分の顔が映っている。前世で——災害報道を見ながらプレゼン資料を作っていた自分の顔と、今の自分の顔。同じ顔だ。しかし——選択が違う。


 (リーゼの言う通りだ。人の苦しみを交渉のカードにする——その発想自体が、前世の官僚の病だ。ここでは——違う道を行くと決めたはずだ)


「行きましょう。伯爵に——支援を申し出ます」


 四人が部屋を出た。城に向かって走る。夜風が冷たい。遠くの狼煙の光が——空を赤く染めている。


 城門に着いた時——使者が走ってきた。


 息を切らした若い兵士だ。城門の大松明が兵士の顔を照らした。汗が光っている。


「ハルベルトの方々——伯爵閣下が——」


 兵士が膝に手をつき、荒い息の間から言葉を絞り出した。


「閣下が——お呼びです。交渉の場ではなく——対策会議に。辺境の防衛について——お知恵を拝借したい、と」


 四人が顔を見合わせた。


 交渉から——対策会議へ。立場が変わった。嘆願者ではなく、協力者として。伯爵が——ハルベルトの技術と知識を必要としている。


 リーゼが前に出た。碧い目に——迷いはなかった。


「行きましょう。助けに行くんだから」


 城門をくぐった。城壁の松明が通路を照らしている。四人の足音が石畳に反響する。


 健悟は走りながら考えていた。応急防壁の設計。避難経路の確保。魔物の侵入を遅延させるための障害物配置。土木工学の知識が——こういう時に役立つ。道路を作るのも、防壁を作るのも、根底にある原理は同じだ。地盤を理解し、材料を選び、構造を設計する。


 (前世では——災害復旧の現場に何度も行った。崩れた斜面、決壊した堤防、陥没した道路。壊れたものを直すことが仕事だった。ここでは——壊される前に守ることができる。事前の防災。事後の復旧ではなく。それが——土木屋の本来の仕事だ)


 リーゼが隣を走っている。息が荒い。しかし——足は止まらない。署名簿が鞄の中で揺れている。あの署名簿の名前の一つ一つが——リーゼの足を前に押している。


 ガルドが先頭を走る。右手が剣の柄にかかっている。冒険者の足だ。速い。しかし——四人から離れすぎない。護衛の本能が、味方のペースに合わせている。


 マルテが最後尾で走りながら、頭の中で計算をしているのが見える。商人は——どんな状況でも数字を弾く。避難民の数、必要な食料の量、毛布の枚数、それを調達するための費用。


 助けを求めているのは——交渉相手ではなく、人だ。その認識を、リーゼが取り戻させてくれた。


 伯爵城の大広間に向かう階段を、四人は駆け上がった。松明の光が石壁に影を落とし、遠くから馬の嘶きと兵士の号令が聞こえる。対策会議の場で——何ができるか。健悟はまだ答えを持っていなかった。しかし——走っている。前に。人を助けるために。


 夜空を焦がす狼煙の光が——まだ消えていなかった。

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