魔法強化上水道——設計図に命を吹き込む
ドラガが石の台の上に二つの試験体を並べた。従来品と新配合。外見はほぼ同じ灰色の四角い塊だ。しかし——手に取ると違いが分かる。新配合の方が密度が高い。表面のきめが細かい。指で弾くと、従来品は鈍い音、新配合は澄んだ高い音がする。
「まず従来品からじゃ」
ドラガが金槌を持ち上げた。巨大な鍛冶用の金槌ではなく、試験用の小さめの槌だ。それでも——ドワーフの腕力で振り下ろされた一撃は、石を砕くに十分な衝撃だった。
従来品が——半分に割れた。断面は粗い。砂利と粘土の塊が見える。
「通常の石積みの二・八倍。我々の基準値通りじゃ」
次に新配合。ドラガが同じ力で金槌を振り下ろした。
金属音が鍛冶場に響いた。試験体は——割れなかった。
ドラガの眉が上がった。もう一度振り下ろす。今度は力を込めて。
ひびが入った。しかし砕けない。三度目——ようやく角が欠けた。断面を見ると、従来品とは全く異なる。結晶構造が緻密で、砂利の粒が粘土と完全に一体化している。魔法石粉の銀色の粒子が均一に散らばっている。
健悟が手を当てた。
【構造物:マギクリート試験体(改良型)】
【圧縮強度:従来比2.8倍→新配合8.2倍】
【耐水性:従来比3.1倍】
【魔力残留値:従来比1.8倍(自己修復の萌芽あり)】
「八・二倍——」
健悟の声が震えた。三倍どころではない。八倍を超えている。
フェリスが試験体の断面をじっと見つめた。琥珀の瞳が金色に輝いている。
「想定以上です。魔法石粉の均一分散により、結晶構造が最密充填に近い状態になっている。さらに——魔力残留値が高い。これは自然に魔力を蓄積する性質が生まれたことを意味します」
「自己修復の萌芽と鑑定に出ました。つまり——時間が経つほど強くなる可能性がある」
「古代中継塔と同じ原理ですね。八百年前のドワーフが実現していたことが——再現されつつある」
ドラガが無言で試験体の断面を撫でた。白い顎鬚の奥で——目が潤んでいるように見えた。
「素材が……泣いとる」
「え?」
「素材が喜んでおるんじゃ。やっと——本来の姿に戻れたとな。ワシには聞こえる。石粉が——歌っとる」
職人の感性だ。科学的根拠はない。しかし——二百年の経験が裏打ちする直感は、データよりも早く真実に辿り着くことがある。
健悟は新配合のマギクリートに名前をつけた。
「改良型マギクリート——いや、せっかくですから。フェリスさんの魔力操作が鍵でしたから——」
「名前はどうでもいいです。性能が全てです」
「まあまあ。ドラガさんも何か——」
「ワシは名前にこだわらんぞい。ただ——グレーン一門の炉で生まれた建材じゃ。先人の名を汚さぬものであればよい」
(名前の議論で半日使いそうだ。国交省の新技術にも命名会議があった。あれで丸一日潰れたことがある。「次世代型環境配慮型高耐久性舗装技術」——誰も覚えられない名前を付けた。あの反省を活かそう)
結局、改良型マギクリートのまま通称とした。正式名称は——後で考える。
マルテが飛び込んできた。
「聞いたわよ! 八倍ですって? 三倍どころじゃないじゃない!」
「どこで聞いたんですか。まだ一時間も経っていませんが——」
「トビアスが教えてくれたわ。あの子、興奮すると声が大きくなるのよ」
マルテが帳面を広げた。昨日から計算していた数字の横に、新しい数字を書き加えている。
「八倍の強度なら、使用量は八分の一で済む。つまりコストが——」
「マルテさん。まだ試験体一個の結果です。量産時にも同じ性能が出るかは——」
「出なくても三倍でしょ? 十分よ。イレーネに速報を送るわ」
マルテが走り去った。商人の行動力は——嵐のようだ。
午後。リーゼの家で打ち合わせ。
健悟が次の提案を切り出した。
「上水道を造りたいんです」
「上水道? 井戸があるじゃない」
「井戸は一箇所です。村の中央まで水汲みに行って、桶で運んで帰る。往復に時間がかかる。各戸に水が届く仕組みがあれば——生活が大きく変わります」
リーゼが首を傾げた。水を運ぶのが当たり前の世界で——蛇口をひねれば水が出る概念は、想像しにくいのだろう。
「えっと——水が勝手に家まで来るってこと?」
「勝手にではありません。高低差を利用します。水源を高い場所に確保し、管で村まで引く。重力で水が流れます。ポンプは不要です」
「ジュウリョク——」
「高いところから低いところに水が流れる力です」
「それは分かるよ! でも管って——何で作るの」
「改良型マギクリートです。管状に成形すれば——耐水性が高いので漏水しにくい。フェリスさんの魔法で内壁に防水加工を施せば、さらに——」
フェリスが頷いた。
「可能です。水道管の内壁に魔力防水層を形成する技術は、学院時代に理論化しています。実際に適用するのは初めてですが——計算上は問題ありません」
「耐用年数は?」
「五十年の耐用年数で設計するのですか?」
フェリスの声が——少し不思議そうだった。五十年は短い。エルフにとっては。
「五十年で十分です。それ以上は——次の世代が判断すればいい」
「興味深い発想です。エルフは通常、三百年単位で設計します。人間は——短い時間の中で、驚くほど多くのことを成し遂げるのですね」
健悟は苦笑した。短い時間の中で多くのことを——前世では「短い時間で過労死するほど多くのこと」だった。しかしこの世界では——定時退社しながら多くのことを成し遂げたい。
ガルドが口を開いた。
「工事の間——村の警備は俺が見る。上水道が通れば、畑の灌漑にも使えるか」
「将来的には可能です。まず飲料水の供給を最優先にします」
「なら問題ない。俺にはわからんが——お前がやると言うなら、やってみろ」
ガルドのいつもの台詞だ。しかし——その声に、信頼の厚みが加わっている。橋の修繕、堤防の建設、街道の復旧。三つのプロジェクトを成功させた男への——実績に裏打ちされた信頼だ。
翌日から測量を開始した。
取水口の候補地を探す。村の上流、テール川の支流の一つが丘の斜面から湧き出している。高度差は村の中心部から約十五メートル。十分な落差だ。
健悟が湧水に手を当てた。
【自然物:湧水点】
【水質:飲用可(硬度やや高い、鉄分微量)】
【流量:毎分約12リットル(季節変動あり)】
【魔力反応:微弱(自然由来の魔力含有)】
「魔力反応がある。自然由来の魔力を含んだ湧水です」
「それは——浄水に利用できるかもしれません」フェリスが目を細めた。「魔力を含んだ水は、自然に不純物を分解する性質があります。古代の浄水施設は——この原理を利用していた可能性が高い」
健悟は設計図を描き始めた。取水口から村までのルート。管のサイズ。分岐点。給水栓の位置。前世の上水道の知識と、この世界の魔法技術が融合していく。
リーゼが村人に説明するための資料も必要だ。専門用語だらけの設計図では誰も理解できない。リーゼに「もっと分かりやすく」と言われるのは目に見えている。
(プレゼン資料か。国交省時代は毎週パワーポイントを作っていた。この世界にはプロジェクターもパワーポイントもない。紙と口頭だけで村人を説得しなければならない。ある意味——最も原始的で、最も難しいプレゼンだ)
夕方。村の広場で説明会を開いた。
村人が三十人ほど集まっている。農作業を終えた顔が並んでいる。日に焼けた肌。泥のついた手。この人たちに——上水道の概念を説明しなければならない。
リーゼが前に立った。亜麻色の髪を後ろで束ねて、村長の顔をしている。
「みんな、今日は健悟から新しい計画の説明があります。——水の話です」
健悟が紙を広げた。絵を多用した説明図だ。文字を読めない村人もいる。絵で伝えるしかない。
「今、村の水は中央の井戸から汲んでいます。朝と夕方、桶を持って往復する。——大変ですよね」
老婦人が頷いた。「腰が痛くてねえ」
「上水道を造れば——各戸の前に給水栓を設置できます。栓をひねれば水が出る。井戸まで歩く必要がなくなります」
ざわめきが広がった。信じられない、という顔。しかし——この村の人々は、健悟の言葉が実現することを知っている。橋を直すと言った時も信じられなかった。堤防を造ると言った時も。街道を復旧すると言った時も。全部——実現した。
「工事期間は約三週間を見込んでいます。管を埋める掘削作業に人手が必要です」
トビアスが真っ先に手を挙げた。
「俺がやります! 掘削班なら任せてください」
他の若い男たちも手を挙げた。農閑期に入りつつあるこの時期は——労力に余裕がある。
ノルンが静かに手を上げた。
「年寄りにもできる仕事はあるかい?」
「管の接合部に防水材を塗る作業があります。丁寧さが求められる仕事で——急ぐ必要はありません」
「なら——あたしがやろう。細かい仕事は得意だよ」
ノルンが笑った。薬草を扱う手先の器用さは——防水作業に適しているだろう。
リーゼが全体を見回した。碧い目が村人一人一人を見ている。
「これは——村全体の仕事だよ。水は全員が使うものだから。全員で造ろう」
拍手はなかった。しかし頷きがあった。静かな同意。この村の人々は——派手な反応をしない。しかし決めたら動く。堤防工事で学んだことだ。
丘の上から村を見下ろした。秋の風が心地いい。煙突から煙が上がっている。街道を荷馬車が通っている。橋を子供たちが渡っている。
水が通れば——この村はまた変わる。一歩ずつ。しかし確実に。そして今回は——一人ではない。ドワーフの腕と、エルフの知恵と、村人の手がある。




