異端の魔法工学士
街道の東から歩いてきた。長い銀髪が腰まで垂れている。白い長衣に革のベルト。背中に大きな円筒形の荷を背負っている。設計図入れだ——と、健悟は直感した。歩き方が独特だった。周囲を見ていない。地面も見ていない。空を見ている。いや——空の彼方を見ている。何か別のものを。
耳が尖っていた。
(エルフ——か)
トビアスが最初に声をかけた。街道の通行料徴収所に立っていたトビアスが、旅人を呼び止める。
「あの、通行料をいただいてまして——」
「いくらですか」
声が平坦だった。感情の起伏がない。しかし不愉快ではなかった。水のように澄んだ声だ。
「銅貨三枚です」
エルフの女性が革の財布から銅貨を取り出した。数えもせずに渡す。トビアスが「あ、一枚多いです」と返そうとした。
「構いません。端数は寄付ということで」
「え——あ、ありがとうございます」
トビアスが困惑した顔で見送る。エルフの女性は街道をまっすぐ歩いていく。村の中心部に向かっている。
健悟が橋の定期点検から戻ってきたのは、ちょうどその時だった。
堤防の上で、見慣れない人影が立ち止まっていた。
長い銀髪。白い長衣。堤防のマギクリートに手を触れている。指先が——石の表面をなぞっている。鑑定ではない。しかし何かを読み取っている。健悟には分かった。素材を調べる手つきだ。ドラガと同じ——しかし、もっと繊細な指の動きだった。
「あの——」
エルフの女性が振り返った。瞳が——琥珀色だった。光の加減で金色にも見える。年齢は二十代に見える。しかしエルフだ。実年齢は——想像もつかない。
「この構造物。何で作られていますか」
「マギクリートという建材です。粘土と砂利と水に、魔法石粉を混合して——」
「魔法石粉を……石材に?」
琥珀の瞳が——見開かれた。淡々とした表情に、初めて感情が浮かんだ。驚愕だ。
「通常、魔法石粉は金属加工に使用するものです。鍛冶の分野では一般的ですが、石材や土木に転用した事例は——私の知る限り、存在しません」
「ドワーフの鍛冶師と共同で開発しました。この村に——」
「ドワーフ。ここに鍛冶師がいるのですか」
「はい。ドラガ・アイゼンハンマーという——」
エルフの女性が——一歩、前に出た。目の色が変わっている。学者の目だ。
「私はフェリス・ルーンハイムと申します。王都の魔法学院で——いえ、元・魔法学院で魔法工学を研究していました。マギクリートの噂を街道沿いの商人から聞き、確認しに参りました」
「噂——」
「マルテ・ベッカーという商人の名前も聞きました。新しい建材を売り込んでいると。その建材が本物かどうか——確かめたかった」
マルテの商売が、もう街道沿いに広まっている。商人の情報網は速い。そしてその情報に——魔法学院の追放者が食いついた。
(マルテの営業力を甘く見ていた。あの女は——国交省の外郭団体より情報拡散が早い)
「失礼ですが——追放、と?」
「ええ。半年前に追放されました。異端だそうです。魔法は戦闘と治癒のためにあるもので、建物や道路に使うものではない——というのが学院の主流派の見解です。私は魔法を建設に応用する研究をしていました。『魔法の冒涜だ』と。百二十年間の研究が——一枚の追放令で終わりました」
フェリスの声に怒りはなかった。淡々としている。しかし——背中の円筒を背負い直す手に、微かな力が入った。あの中に——追放された研究者の全てが詰まっているのだろう。
健悟はフェリスを堤防沿いに案内した。リーゼも同行した。「新しいお客さんなら村長が案内しないと」と言ったが、本音はフェリスへの好奇心だろう。リーゼの碧い目が、銀髪のエルフを不思議そうに観察している。
「フェリスさん——って呼んでいい? 村長のリーゼだよ」
「どうぞ。フェリスで構いません」
「このへん、全部マギクリートで造ったんだ。健悟が設計して——」
「健悟さんが?」
フェリスの視線が健悟に向いた。「さん」付けが自然に出る。礼儀正しいエルフだ。
マギクリートの堤防。修繕された橋。街道のマギクリート舗装。一つずつ説明するたびに、フェリスの瞳の色が変わっていく。琥珀が金色に近づいていく。興奮すると瞳の色が変わるのだろうか。
「この舗装。配合比が部分的に変えてありますね。荷重が集中する場所は砂利の比率を上げて——」
「よく分かりますね。見ただけで」
「表面の結晶構造が違います。魔法石粉の反応が密な部分と疎な部分がある。——これは意図的ですか」
「はい。ドラガさんと相談して、場所ごとに配合を変えています」
フェリスが——初めて、かすかに口角を上げた。微笑みとは言えない。しかし無表情ではなかった。
「興味深い。その原理を詳しく聞かせてください」
橋を渡った。健悟が無意識に欄干に触れた。日課の確認だ。
【構造物:石橋(修繕済み)】
【基礎安定度:62%(回復中)】
【主桁健全度:58%】
青い構造線が橋のアーチに沿って走る。数値パネルが浮かび上がる。
フェリスが——固まった。
「今の——何ですか」
「《万象鑑定》です。構造物の状態を数値で読み取るスキルで——」
「構造線が見えました。青い線が——石のアーチに沿って」
「見えたんですか?」
「私は魔力の流れが視認できます。あなたのスキルが発した魔力が——構造物の応力に沿って流れるのが見えた」
健悟は驚いた。《万象鑑定》の構造線は、普通は本人にしか見えない。しかしフェリスには見えた。魔法工学者のスキルか——あるいはエルフの魔力感知能力か。
「あの構造線の流れは——古代ドワーフの設計書にある『応力伝達経路』の図式と同じです」
「応力伝達経路?」
「荷重がかかった時に力が石材をどう伝わるかを示す図です。私の研究対象です。あなたのスキルは——それをリアルタイムで可視化している」
フェリスの声が——早口になった。淡々とした敬語が崩れかけている。技術的な興奮で。
「これは——論文になります。いえ、論文などではなく——実用技術です。構造診断の即時可視化。学院が百年かけても実現できなかったことを——あなたは天恵として持っている」
「そこまで大げさなものでは——」
「大げさではありません。むしろ過小評価です」
フェリスの琥珀の瞳が、真っ直ぐ健悟を見た。学者の目だ。しかし——冷たくはなかった。発見の喜びに満ちた目だ。
リーゼが横から覗き込んだ。
「ねえ——二人とも何の話してるの? 全然わからないんだけど」
「すみません。構造物の応力伝達についての——」
「もっとわかりやすく言って!」
リーゼのいつもの台詞が飛んだ。フェリスが一瞬きょとんとした。そしてかすかに首を傾げた。
「……簡潔に言えば、健悟さんのスキルは建物の『骨格が見える目』です」
「骨格が見える目。——それなら分かる! 最初からそう言ってよ」
フェリスが健悟を見た。「この方は——いつもこうですか」「はい」「なるほど。分かりやすい人ですね」
リーゼが「褒めてるの?」と首を傾げた。
ロッテの宿で夕食を取った。
フェリスは少食だった。パンを半分とスープだけ。ロッテが「もっと食べなよ」と言ったが、「エルフは代謝が異なります。この量で十分です」と平然と返した。ロッテが「ドラガとは逆だねえ」と呟いた。
食後。フェリスが円筒から羊皮紙の束を取り出した。設計図だ。健悟の目が釘付けになった。
「これは——」
「魔法工学の基礎理論図です。私が学院で研究していた——魔力を構造材に組み込む技術体系。追放された時に持ち出しました」
羊皮紙には——繊細な線で描かれた構造図が並んでいる。アーチの断面。応力線。魔力の流れを示す色分け。美しい図面だ。芸術作品のように美しい。
「明日、ドラガさんに会わせてもらえますか。この図面に描かれた記号の一部が——古代ドワーフの設計体系と一致している気がします」
「もちろんです」
フェリスが図面を丁寧に丸め、円筒に戻した。その手つきが——赤子を抱くように丁寧だった。追放された研究者にとって、この図面は百二十年の研究の全てなのだろう。
(追放された研究者が、辺境の村に来た。この村は——はみ出し者の吹き溜まりになりつつあるな。過労死した官僚、放浪のドワーフ鍛冶師、追放されたエルフの学者。全員、どこかからこぼれ落ちた人間だ。いや——こぼれ落ちたからこそ、ここに来た。ここにしか来る場所がなかった)
階段で、リーゼとすれ違った。
「フェリスさん——泊まっていくって。良かった。あの人、面白いね。無表情なのに、技術の話になると目がキラキラする」
「そうですね。ドラガさんとは違うタイプですが——技術に対する情熱は同じです」
「健悟の周りって、そういう人ばっかり集まるよね。変な人が」
「僕も含めてですか」
「もちろん!」
リーゼが笑って去った。亜麻色の髪が廊下の灯りに揺れている。
窓の外で魔力灯の微かな光が——街道を照らしていた。まだ実験段階の灯りだ。しかし確実に——村は変わっている。新しい知が加わった。魔法工学という、この世界の理論。明日からまた、何かが始まる。




