ハズレスキルと崩壊寸前の村
荷馬車が村に入った瞬間、健悟は理解した。
家屋の壁は崩れかけ、屋根の藁は腐り、窓板は割れたまま放置されている。道の石畳は半分以上が欠損し、泥道になっている。排水用の側溝が土砂で埋まり、水路は詰まって完全に機能していない。畑は荒れ、柵は倒れ、家畜小屋の木組みが傾いている。
人の姿は——ほとんど見えない。五十軒の家屋に対して、行き交う人間が三人しかいない。しかも全員が高齢だ。若者がいない。子供の声がしない。
(限界集落だ)
日本の地方で何度も見た光景と同じだ。出張で訪れた四国の山間部、東北の海辺の村。インフラが劣化し、人口が流出し、さらにインフラが劣化する。負のスパイラル。この村は——その終着点に近い。
「ここが——ハルベルト村ですか」
「そうだよ。見ての通り、ちょっと寂しくなっちゃったけど」
リーゼの声が明るい。しかし目は笑っていなかった。この村が「寂しくなった」程度の問題ではないことを、彼女自身が一番分かっているのだろう。
荷馬車が村の中央広場に止まった。広場と言っても、雑草が生えた空き地だ。かつては市場だったのだろう。石畳の名残がある。その奥に——小さな石造りの建物が見えた。
「あれが神殿。まずはそこに行こう。新しく来た人は、天恵を授かるのが決まりだから」
「天恵?」
「スキルだよ。神殿で祈ると、神様が一つだけ力をくれるの。戦闘系のスキルをもらえれば冒険者になれる。——健悟、何かの戦闘系スキルがもらえたら、うちの村の自警団に入ってほしいんだけど」
リーゼが期待を込めた目で見てくる。この村の状況を考えれば、戦力が欲しいのは分かる。
「やってみます」
期待に応えられる自信はゼロだった。前世では書類しか振り回したことがない。剣も魔法も縁がない人生だった。
神殿は、予想よりも立派だった。石組みは丁寧で、柱のアーチは構造的に正しい。接合部の処理が美しい。職人の腕が良かったのだろう。この建物だけは——まだ生きている。
入り口の石段を踏んだ。摩耗が少ない。村の他の建物より明らかに上等な石材が使われている。
薄暗い内部に入ると、正面に白い祭壇があった。磨かれた石の表面が、窓から差す光を反射している。リーゼが手を合わせる仕草を示した。健悟はそれに倣って、祭壇に手を置いた。
——光が走った。
白い光が手のひらから全身に広がる。温かい。心地よい。国交省で毎日浴びていた蛍光灯の光とは根本的に違う、生きている光だ。
光が収まると——頭の中に文字が浮かんだ。
『天恵付与:《万象鑑定》』
リーゼが横から覗き込んだ。
「何が出た?」
「《万象鑑定》……と出ました」
「鑑定? 鑑定系か——」
リーゼの顔が曇った。明らかに落胆している。隠そうとしているが、隠せていない。
「鑑定系スキルは——悪くないよ。商人とか宝石職人に向いてる。ただ、その……戦闘には使えないから」
言葉を選んでいるのが分かる。言いたいことは「ハズレ」の一言だろう。リーゼは直接言わなかったが、村にとって必要な戦闘力にはならない。
「すみません。ご期待に沿えず」
謝る自分が可笑しかった。国交省で毎日のように予算不足を詫びていた口癖が、異世界でも出る。
「謝らなくていいよ。天恵は選べないんだから。——うーん、でも鑑定系なら宝石の目利きとか……いや、この村に宝石なんてないか」
リーゼが腕を組んで考えている。自分のスキルでも何とか活用できないか模索してくれている。
「ま、とりあえずロッテの宿に泊めてもらおう。力仕事を手伝ってくれれば大丈夫だと思う」
神殿を出た。夕暮れが近い。西の空が橙色に染まっている。風が冷たくなってきた。
「ロッテの宿はこっち。——あ、ガルドだ」
広場の端に——大柄な男が立っていた。四十代半ば、筋骨隆々。腕は丸太のように太く、古い革鎧を着て、腰に使い込まれた剣を下げている。顔は厳つく、目つきは鋭い。元冒険者だとすぐに分かる。重心が低く、足の運びに無駄がない。身のこなしが一般人と違う。
「リーゼ。——そいつは誰だ」
低い声。警戒心が剥き出しだった。
「街道で拾ったの。健悟って言う。旅人——みたいなもの」
「見慣れない格好だな。どこの出だ」
ガルドの目が健悟のスーツを上から下まで舐めるように見た。この世界にない素材、この世界にない仕立て。怪しまれて当然だ。
「遠い土地から来ました」
「天恵は」
「《万象鑑定》だそうです」
リーゼが答えた。ガルドの表情がさらに厳しくなった。
「鑑定系か。——よそ者に食わせる飯はないぞ」
端的だった。村の状況を考えれば当然の反応だ。余裕がない集落に、戦闘力を持たない口減らしが一人増える。合理的に考えれば拒否が正しい。
「ガルド。この人は——」
「リーゼ。お前は優しすぎる。親父もそうだった。困ってる奴を見ると放っておけない。だがな、この村にはもうそんな余裕はない」
ガルドが健悟を真っ直ぐ見た。敵意ではない。現実を突きつける目だ。
「一晩だけだ。明日には出て行け」
背中を向けて去っていく。大きな背中だった。しかしその背中には——重いものが載っているように見えた。衰退する村を守り続ける負担。かつての冒険者が、今は寂れた村の番人をしている。
リーゼが申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね。ガルドは怖い人じゃないんだけど——村のことを心配してるんだよ」
「いえ。彼の判断は正しいと思います。余裕のない組織に人員を増やすのは——リスクですから」
国交省でも同じだった。予算が削られた部署に新人を配属すると、教育コストで既存の人間が潰れる。ガルドはそれを経験則で理解している。
ロッテの宿に案内された。宿と言っても——古い民家を改装した、部屋が三つだけの小さな建物だ。女将のロッテは五十代のふくよかな女性で、リーゼを見た瞬間に「あらまあ」と笑った。
「また拾ってきたの。リーゼは昔から野良猫を連れてくる子だったからねえ」
「野良猫じゃないよ、ロッテ。立派な旅人だよ」
「この格好で立派と言われましても……」
ワイシャツに泥がついたスーツ姿。ネクタイは曲がり、革靴は泥まみれ。確かに野良猫の方がまだましだ。
ロッテが温かいスープを出してくれた。豆と根菜の素朴なスープだった。空腹に染みる。国交省のコンビニ弁当とは違う、手作りの温かさがあった。
「食べたら二階の部屋を使いな。狭いけどベッドはあるから」
二階の小さな部屋に通された。木製のベッド、小さな窓、洗面用の水差し。壁にヒビが入っている。何気なく——壁に手を触れた瞬間。
視界が、変わった。
青い光の線が——壁の表面に浮かび上がった。構造線だ。壁の内部構造が透視されるように、骨組みが青い線で描かれている。そして——数値パネルが出現した。
【壁面構造:石積み+土壁】
【築年数:推定180年】
【主要梁:栗材 腐食率42%】
【耐荷重:設計値の31%】
【崩落リスク:中(2-3年以内に部分崩落の可能性)】
健悟は——息を呑んだ。
これは。この情報は。
(橋梁点検と同じだ)
国交省で毎年発注していた橋梁定期点検。近接目視、打音検査、非破壊検査。その結果報告書に書かれる情報と——同じ種類のデータが、触れただけで読み取れている。
しかも精度が異常に高い。腐食率、耐荷重、崩落リスク。現実世界の点検では、複数の技術者が数日かけて計測・計算して算出するデータだ。それが——手を触れただけで、一瞬で。
青い構造線が壁の中を走り、梁の接合部が拡大表示された。釘の位置、木材の繊維方向、荷重の分散経路。全てが視覚化されている。
(《万象鑑定》。これは——ハズレなんかじゃない)
戦闘力はゼロだ。モンスターを倒すことはできない。しかし——鑑定系スキルの本質は、戦闘ではない。インフラだ。建築物の健全度を一瞬で診断できる。壁一枚でこれだけの情報が得られるなら——橋を鑑定したら、どうなる。
健悟の脳裏に、荷馬車から見た橋の姿が蘇った。アーチの亀裂。崩落した欄干。露出した橋脚基礎。あの橋にこのスキルを使えば——壁の比ではないデータが得られるはずだ。
(明日——ガルドに追い出される前に、あの橋を見に行こう)
ベッドに横たわった。柔らかくはないが、国交省のデスクで仮眠するよりは遥かにましだ。窓から星が見えた。東京では見えない星だ。空気が澄んでいる。虫の声が聞こえる。
天井の木目を見つめた。
死んだのだと思う。きっと、あのオフィスで死んだのだ。心臓発作。過労死。三十三歳。母に電話を折り返さないまま。課長に計算書を渡さないまま。同期の飲み会を三年間断り続けたまま。
しかし——ここにいる。呼吸している。心臓が動いている。身体が軽い。
(まあ——状況を受け入れよう。国交省で学んだことがある。現場で起きていることが全てだ。理由は後から考えればいい。今の自分にできることを考えよう)
窓の外で虫が鳴いている。遠くで犬が吠えた。生きている村の音だ。死にかけているが——まだ死んではいない。
目を閉じた。布団は薄かったが、身体は温かかった。三年ぶりに——本当に安らかな眠りが訪れた。




